手帳
その後、教会の外に出て、お祈りが終わった人にアルティウスは積極的に話しかけ始めた。
話しかける内容としては、どのような事を祈っていたのか、また今の生活についても失礼のないように言葉を選びつつ尋ねているようだった。
レイクがアルティウスには聞こえないように小声で、ぼそりと呟く。
「それにしても、王子が思っていたよりもしっかり者だったってことに驚きだな。まぁ、やる事は無謀だけど」
「そうねぇ。アルティウス王子と言えば、もう16歳のはずなのに、顔見せの機会もなかったからね。相当、大事にされているんでしょうね」
「……」
二人の会話にアイリスは思わず黙ってしまう。自分が知っている情報とはいえ、勝手に話していいことではない。
これはクロイドとアルティウスの関係にも関わるため、迂闊に口を滑らせることは出来ないのだ。
「でも、あんな風に普通の人と話していると、そこらにいるような男の子と同じなのにね」
どこか寂し気にユアンが呟く。視線の先には、初老の女性と会話が弾んでいるアルティウスの姿があった。
彼も王宮に仕えていない人間と話すのは初めてなのだろう。傍から見ていると、本当にただの少年だ。
いや、王子と言っても、普通の人なのだ。こちらが勝手に決めつけているだけで。
「すみません、皆さん。つい長々と話し込んでしまいました」
少し照れ顔でアルティウスが三人の輪へと戻って来る。
「何を話していたの?」
「先程の御婦人、今度、娘さんに子どもが生まれるらしくて、無事に身二つになれるようにお祈りに来たそうです」
王子様が世間話をしているという状況も中々稀有なものだ。
「でも、この国にはあまり出産に関する手当がないですからね。その辺りをどういう風にしてほしいか、などを話していたんです」
「へぇ……。あ、その手帳にずっと書いているのか」
レイクがアルティウスの左手に持っている手帳を指さした。
「はい。これ、普段から使っているもので、使用人達から町の人達の話を聞いてもらったものを書き留めているんです」
ほら、と言ってアルティウスは手帳の中身を見せてくれた。そこには細かい字で丁寧に、そしてびっしりと字が綴られている。そのほとんどが世間話のようなものだった。
「まるで話のネタ帳みたいね」
「ええ。……でも、僕にとっては、この話の一つ一つが、人の中身を知るための重要な手がかりになるんです」
「探偵みたいだな。俺の知り合いにもそうやって、細かく手帳に書いて分析している奴がいたぞ」
「そうですね、確かに分析するには丁度いいですから」
細かく書かれた字で埋め尽くされた手帳。そこには一体、どのくらいの数の人間の話が書かれているのか気になった。
ずっと、根気よく続けては、今後の政策に活かせないか彼は考えているのだ。
その思考は止まることなく、この国の人達がいかに幸せに暮らせるかと模索続けているアルティウスに、どう言葉をかければいいのか迷ってしまう。
「それで次はどこに行きたいか希望はあるか? ないなら、とりあえず昼食にしようぜ」
「あら、もうそんな時間?」
「ちょうど、お腹が空きそうだったので、お昼にしたいですね」
「何か食べたいものがあればレイクに言うといいわ。奢ってくれるから」
「だから、何で俺が奢るって決定してるんだよ! 別にいいけどさ……」
もはや諦め顔でレイクが溜息を吐く。どうやら、日頃からレイクはユアンに食べ物を奢っているようだ。
「せっかくだし、肉料理を食べましょうよ~」
「って、それはお前が食いたいだけだろう、ユアン!」
二人のやり取りにアルティウスは思わず小さく噴き出した。
「お二人は本当に仲がいいんですね」
「違うっ!」
「それは無いわ」
これまた息ぴったりで、レイクとユアンは同時に言葉を重ねて反論する。
「大体、こいつとは四六時中、ずーっと一緒に行動しなきゃいけないだけで、別に一緒に居たいからいるわけじゃねぇ!」
「そんなの、ブレアさんが決めた組み合わせだから仕方ないでしょう! そもそも、一昨年に調査課に入ったのが私達二人だけだったんだから、必然的にそうなるに決まっているじゃない!」
睨み合いを始める二人にアイリスは思わず苦笑する。やはり先輩達も魔具調査課に入った途端に相棒を組んでいたのだ。
だが、教会の前で言い争いを続けていると、他の一般人にも迷惑がかかるし、教団の人間に見つかったら厄介だ。
アイリスは溜息を軽く吐きつつ、二人の間に割って入った。
「そういえば、ブレア課長がお二人のことを褒めていましたよ。とても仕事が出来るって」
「え!?」
「なにっ!?」
ぴたり、と同時に言い争いが止まった。
「私達後輩がお手本にするべき先輩だって、そう言っていました」
アイリスは二人の前でにこりと笑う。
「これからも、先輩達から色々と学びたいので、ご指導宜しくお願いしますね」
もちろん、ブレアが褒めていたのは確かだ。ただ、仕事は出来るがたまに抜けている時などがあるので、良いと思う部分を見習うようにと言われているが。
「そっかー……。ブレアさんがそんなことを……」
「俺達もついに実力を認められるようになったわけだ」
二人は感慨深そうに腕を組んで何度も頷いている。
「まぁ、可愛い後輩が見ているもの。暫く、あんたとの喧嘩はお預けにするわ」
「それはこっちの台詞だが、仕方ねぇな。よし、昼食は俺が奢ってやる。肉料理で美味い店を知っているから、そこへ行こうぜ!」
「宜しくお願いします」
上機嫌に戻った二人にアイリスはすっと胸を撫でおろす。
歩き出したユアン達の後ろを離れないように歩いていると、アルティウスがこっそりと耳打ちしてきた。
「アイリスさん、凄いですね。あっという間に二人の仲を取り持って」
「取り持つ程までじゃないけれど……。あ、でも、先輩達のことを尊敬しているのは本当よ? ……きっと、私もクロイドも足元に及ばないくらいに任務をこなしてきているんだわ」
実際に、この二日間で先輩達の持つ技術などを拝見させてもらったが、まだ自分が到底敵うものではない。
これからも努力し続けなければ、彼らには追いつけないだろう。
「私達ももっと頑張らないと……」
そう呟いたアイリスに対して、アルティウスが何か言いたそうな顔をしていたことは、知らずにいた。




