一歩
昼食を侍女に部屋へと運んでもらい、食べ終えてから本を読んでいた時だった。侍女は空になった食器を移動する台に載せながら、何かを思い出したように顔を上げた。
「そういえば、陛下があとで様子を見に来られるそうですよ」
「え……」
思わず顔を上げてしまったが、クロイドの表情が歪んでいたことに侍女は気付かないまま片付けを続けていた。
「王子の具合が悪いということを聞いて、とても心配しておられるようでした。他の政務官達も見舞いに行きたいと言っておりましたが、そちらはお断りしましたよ」
「そうか……」
「今日は陛下の執務が終わり次第、こちらに一度伺うとのことです。……まだ、ご気分が悪いようでしたら、やんわりとお断りしましょうか?」
自分がアルティウスではないと知っているわけではないのに、侍女が色々と気を遣ってくれているのはとても助かっていた。
政務官や使用人が部屋に訪れることを断るのは簡単だが、相手が国王になると難しいのでないかと思う。
目の前の侍女は返事を待つようにこちらを見ている。
「……」
今、国王に会えばきっと自分は動揺してしまうと分かっていた。
あの日、自分は国王から二つのものを奪った。一つは母、もう一つは──。
例え今の姿がアルティウスだったとしても、この感情は誤魔化せる気がしないのだ。
会わせる顔なんてないのに、自分はここにいる。大きな覚悟なんて無いのに、自分はこの場所に一時的とは言え、戻ってきてしまった。
……それでも。
この先へ進むには、弱い自分を越えなければならない。非難めいた瞳から逃げてばかりでは、止まって待っているアイリスのもとには追い付けないのだ。
……ちゃんと、向き合わなければ。
母を亡くしてから、国王とはまともに会話をした覚えがない。
いつの間にか、田舎の教会へと連れていかれてから、一度も会うことはなかったし、自分は死んだということにされていた。
……今更、生きていると思っていないだろう。
それでも今度こそは出来るかもしれない。アルティウスの姿を借りることになるが、今度はちゃんと面と向かって、あの時言えなかった言葉を口に出来るかもしれないのだ。
「……いや、朝よりは大分、気分が良いからお会いしよう。それとも、私が赴いた方がいいのかな?」
出来るだけ、アルティウスの口調を真似つつ返事をすると侍女は少しだけ不安げな表情をした。
「大丈夫なのですか? あまりお顔はよろしくないように見えますが……」
「私の体調なら問題ないが、もし私が風邪でも引いていて陛下にお移りしてはいけないからね。少しの間だけ、お話することにするよ」
そう答えると、侍女は幾分か表情を柔らかくして頷いた。
「かしこまりました。では、陛下にそのようにお伝えしておきますので……」
「ああ。宜しく頼むよ」
侍女は丁寧に頭を下げながら、食器を乗せた移動する台を引いて、部屋から出ていく。
再び、部屋にはクロイド一人となった。
大丈夫だと何度も心の中で呟く。言いたかった言葉は、喉に詰まったままだ。
胸元から青い石を取り出して、ぎゅっと祈るように握りしめる。
「……アイリス」
名前を呼んでもすぐ傍にはいない。だが、少しだけでいいから、力を貸してほしかった。
アイリスがいてくれたら、想像以上に強くなれる気がした。
まだ出発地点にさえ立っていない自分に、笑顔を向けてくれる。大丈夫だと安心させてくれる。
だからこそ、頑張れるのだ。自分に絶望しないでくれる彼女のために。
その一歩を踏み出すために、クロイドは深呼吸した。




