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彼女のこと

 

 魔具調査課の課長室の扉を三回叩くと、扉の向こう側からどうぞと返事が返って来る。


 クロイドは扉を開けて、一礼してから部屋へと入る。課長であるブレアはクロイドの顔を見るなり、少し口元を緩ませた。


「おかえり、クロイド。……アイリスの奴、怪我したんだって? 大丈夫なのか?」


「先程、医務室に連れて行き、助手の人から怪我を治してもらっていました。安静にしていれば問題ないそうです」


 クロイドが抑揚ない声でそう答えるとブレアは肩を少し落としつつ、腕を組んだ。

 どうやら、ブレアとアイリスとの仲は自分が想像しているよりも親しいものらしいが、それをわざわざ聞こうとは思わなかった。


「そうか、それなら良いが……。あいつ、たまに無茶するところがあるからなぁ。……驚いただろう?」


 そう言ってブレアは苦笑しながらクロイドの方を見てくる。

 しかし、彼女の苦笑に答える事が出来ないまま、クロイドは難しい考え事をしているかのように固まっていた。


「彼女は……」


「ん?」


 この場合、彼女とは「アイリス」のことだ。まだ名前を呼ぶことに慣れていないため、ついそのように呼んでしまったが、ブレアなら誰のことなのか理解してくれるだろう。


 ブレアは大雑把な性格のように見えるが、自分がこれまで出会ってきた人間に比べればかなり気遣いが出来る人なのだ。

 だからこそ、ブレアは自身が課長をしているこの魔具調査課に正体不明の呪われた奴を置いてくれているのだ。


「……彼女は、自分の命を投げやりに使っているようにしか思えません。どうして他人のために自分の命をいとも容易く犠牲に出来るのか……」


 まくし立てる様にそう呟き、クロイドは少し俯いて、両拳を強く握り締めた。


 脳裏には先程の光景がまだ鮮明に焼き付いている。アイリスが勢いよく道路へと飛び出て、腰を抜かした少女を抱きかかえたまま、馬車の前から逃げるように道を転がる姿。


 頭では分かっている。アイリスは誰から見ても良い行いをしていた。他人の命を助けたのだ。しかし、それはただの結果にしか過ぎない。何故なら、状況によっては最悪の場合だって有り得たからだ。


 躊躇わずに危険なことを他人のために冒すアイリスの姿勢を自分の心は納得できずにいた。


「んー……。それはな、アイリスだからだよ」


 ブレアは優しい表情でクロイドを真っ直ぐと見つめて来る。だが、その言葉の真意が分からないクロイドはどういう意味だと伝えるために眉を中央に寄せて、首を傾げた。


「……アイリスの過去に関して知っている者は少ないが、相棒となったお前には話しておいた方がいいだろうな。……あの子は十一歳の時に家族を一度に失っているんだ」


「……一度に、ですか?」


 教団に属している者で、魔物によって家族を失っているという人間は珍しくはないと聞いている。その影響もあって、魔物討伐課に入る者が多いと教団に入る前にブレアが言っていた。


「ああ。……物凄い嵐の夜にな、魔物が家の中にまで侵入してきて、アイリス以外の家族全員を食い殺したんだ」


「……」


「確かではないが、アイリスの証言や遺体に付いてた歯型から見て、『魔犬(まけん)』に間違いないだろうな」


「……っ!」


 その一言にクロイドは息を飲んだ。呼吸することさえも忘れたように、胸の奥が大きく脈打っては速度を速めていく。


「……大丈夫か、クロイド」


 ブレアの気遣う声に、クロイドは右手を軽く挙げる。


「……大丈夫、です。続けて下さい」


 自分の事情を知っているブレアは強張ったまま固まっているこちらの様子を見て、困ったように頷き返した。


「しかも、アイリスは親を魔犬に殺されている現場を直接目撃していてな……。当時、魔物討伐課だった私の隊が発見した時は、アイリスは衝撃のせいか座ったまま目を見開いて気絶していたよ。……そりゃあ、そうだろうな。大人でもあれ程までの血の海を見たら気がどうにかなるだろうよ」


 ブレアは当時の光景を思い出したのか、少々顔を顰めつつ机上にあるコーヒーを一口だけ飲んだ。


「だから、だとは言わないがアイリスは大切なものを失う悲しみを知っているからこそ、無茶な行動をしてしまうんだ。他人だとしても、自分が抱いた同じような悲しみを味わわせたくないんだろうな……」


 ブレアの視線はゆっくりと課長室の窓の外へと向けられる。その瞳はすっと細められており、彼女が今、どのような心情を抱いているのか、感じ取ることは出来ない。


「まぁ、それがあいつなりの優しさだと言えるが。……全く、人のことばかり気遣って、任務のたびに怪我をして帰ってくると思うと、こっちも気が気じゃないよ」


 わざとらしく両手を上げてブレアは大きく溜息を吐く。どうやら、ブレアはアイリスを見守る人間の一人と言ったところだろう。

 その心配ぶりはまるで、年の離れたじゃじゃ馬な妹か、もしくは娘を見守っている近しい人物のように思えた。もしかすると、アイリスに対して親心を持っているのかもしれない。


「……そうですね。見ていたこっちの心臓が止まりそうでした」


「だろう? まぁ、暫くアイリスの面倒はお前に任せるよ、クロイド。アイリスはアイリスで世話好きだから、お前との仲を深めるために色々とお節介なことをしてくるだろうが、それは了承しておいてくれ」


「……」


「意地っ張りで頑固者で、でも本当は寂しがりや……。どこかの誰かさんにそっくりだろう?」


 悪戯っぽく笑うブレアにクロイドは、ふいっと横を向く。その表情に色は付けなかった。彼女にからかわれているように感じたからだ。


「……夕食、食べに行ってきます」


 これ以上、課長室に用はないと判断したクロイドはブレアに向けて軽く一礼してから、扉の方へと数歩だけ歩を進めた。


「おっ、もうそんな時間か。そうだ、アイリスも誘ったら……」


 ブレアの言葉をわざと切るように、クロイドは背を向けたまま、早々と部屋を出て行った。

 もちろん、ブレアの言う通りにする気は全くないという意思表示だ。後ろから溜息が聞こえたとしても、振り返るつもりはない。


・・・・・・・・・・


「……あと一押しって所かねぇ……」


 クロイドが出ていった扉を眺めつつ、独り呟くブレアは楽しそうに口の端を上げていた。

 

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