印象
「──アイリスさん?」
いつの間にか目の前にアルティウスの姿があった。どうやら、自分は少し呆けていたらしい。
「あ、ごめんなさい……」
「いえ。何か考え事ですか?」
周りを追い越す人達に接触しないように注意しながら、アイリスはアルティウスに向かって苦笑する。
「大したことじゃないの。……私もあまり教会に行ったことないなぁって思って」
「ああ、そうなんですか」
返事をしつつ、アルティウスは同じように笑った。
「おーい、二人ともー。次に行くわよー」
「あ、はい」
ユアンの呼びかけに返事をしつつ、二人は早足で後を追う。通りを歩く人はまばらであったため、すぐに先輩二人に追いつくことができた。
「アイリスさん、少し訊ねてもいいですか?」
「ええ」
「……普段のロディ……クロイドって、どのような感じなんですか? ……数年ぶりに会うと、やはり自分が覚えている彼の印象と随分変わっていたので……」
どこか困り顔でアルティウスは小声で訊ねてくる。
「……そうね……。まず、最初の印象は無愛想で無表情な人だなって思ったわ」
クロイドと会った時、自分は踊り場から階段下へと落ちたのだがそのような場合、普通は驚くなり、心配するなり、何かの表情をしていると思うが、彼は特に変わった様子もなく無表情のままだった。
「ああ、それは変わらないんですね。昔から、愛想笑いが苦手でしたから」
「あら、そうなの? ……でも、思っていたよりも、繊細な人だったわ」
何かを思い出すようにアイリスは遠くを見る。その視線にクロイドの姿を映すことは出来なくても、彼の姿を思い浮かべることは出来る。
「私が傷付くことを怒るような人なの。自分の事は棚に上げて、よ?」
同意を求めるようなアイリスの口調にアルティウスも苦笑する。
「口うるさいと思ったら、何かに堪えるように我慢しているし……」
「……」
「魔法だって今まで、使ったことがなかったはずなのに、一生懸命に勉強して、努力して……」
そうやって口にすると、たった数か月で自分もクロイドの色んな部分を見てきているのだと実感した。
そして、気付いた。
自分が彼のどんなところを見て、どんなところに惹かれているのかを。
「真面目で、頑固者で……。だけど、優しくて。──そして、とても脆い人だわ」
いつも自分のために心を砕いてくれている事は知っている。少し、自惚れても良いと思えるほど、相棒として大切にされていることは分かっていた。
それでも、たまに見せる苦悶の表情に何が隠れているのか、尋ねることが出来ず、ただ傍にいて支えることしか出来ないのだと実感してしまう。
思い返せば、思い返すほど、彼に対する想いは強いものとなっていくのだ。
……あぁ、やっぱり、私は──。
だが、その先の言葉を紡ぐことはない。
「……やはり、昔の彼とは少し変わったようですね」
アルティウスの顔を見ると彼は寂しげに笑っているように見えた。
「僕の知っているクロイドは……。……僕はいつも彼の背中ばかり見ていましたから」
「え?」
「クロイドは自分が王位を継ぐことはないって、小さい頃から思っていたみたいなんです。だから、わざとのように僕の方が優秀だと周りに見せる様にしていたんですよ。……酷いでしょう? 本当は彼の方が頭も良いし、人を気遣える心を持っていたのに」
クロイドから聞いた話では、アルティウスがとても優秀で人望があると聞いていた。
だから、アルティウスこそがこの国の王にふさわしく、絶対に必要な存在であると言っていたのだ。
「いつも一緒に居るのに、いつも僕に気遣って、一歩引いているようにしていたけれど……。でも、僕が追いかけるのはいつも彼の背中ばかりでした。優しくて、頼れて、凄く……大好きな兄でした」
一瞬、アルティウスが泣いたのではとアイリスは錯覚してしまった。目を凝らして見てみても、彼の頬には涙は流れていない。
「だから、彼が魔物に襲われて死んだって聞いた時、信じられなかった。母上のことも凄く悲しかったけれど……。それでもクロイドがいなくなって、僕は急に自分の半分がなくなってしまったように感じたんです」
歩く人を追い越しながら、アルティウスは街並みをゆったりと眺める。
「でも、きっと本当は生きているって信じていました。本当はどこかで……自分の知らない場所で、知らない人になって生きているんだって。そう思うようにしていないと、僕自身がどうにかなってしまいそうだったんです」
「……」
アルティウスも長い間、心のどこかでクロイドの存在を求めていたということだろうか。
「そう思っていたら昨日、急に不思議な感覚に陥ったんです。胸の奥がむずむずして、引っ張られるような……。変な感じだなって思っていたら、ばったりとクロイドと再会して……。本当に心臓が止まるかと思いましたよ」
「……変装していたのに、よく分かったわね」
「こう見えて、使用人や政務官の顔は全て覚えているんです。新入りがいたら必ず挨拶するようにしていますし」
王宮の使用人だけでも500人近くはいるだろうに、その全てを覚えているとは大した記憶力だ。
「それでも昨日は違った。……こういったら、笑われるかもしれないけれど、あぁ、やっと自分のなくした半分が帰ってきたんだって……。そんな感じだったんです」
再会を喜んでいるのか、アルティウスの表情は柔らかくなる。
「……クロイドもあなたに会えて嬉しかったみたいよ」
「え? 本当ですか?」
「口では直接言わなかったけれど、見ていれば分かるわ。……それと急に死んだことにされて、王宮から離れたことを謝っていたわ」
「……そうでしたか」
アルティウスは深く息を吐いた。
「でも、もういいんです。また、会えましたから。本当は……まだ、色々と話したいことがあるんですけど」
「この後、時間があれば話すといいわ。そのくらいの時間はあると思うし……」
「ええ、ありがとうございます」
ふわりと笑う表情がアルティウス本来の笑い方なのだろうと、アイリスは何となく思っていた。
……王子という身分だと、常に気を張らなくちゃいけないはずだもの。
そう考えると、「クロディウス」という存在はアルティウスにとっては気兼ねしなくていい存在で、大切な人だったのだ。
……大切な人が、死んだって言われたら……私は……。
穏やかな表情で、街並みを楽しむように眺めているアルティウスの横顔はどこにでもいそうな少年そのもので、大きいものを背負っているようには見えない。
彼もまた、大切な人を失う悲しみを知っているのだ。だからこそ、彼は思っても言えないのだろう。
本当はクロイドに、王宮に戻ってきてほしいのだと。
「アイリスさんはこの辺りは詳しいんですか?」
ふっと話を振られて、アイリスは小さく首を縦に振った。
「でも、私よりも先輩二人の方が詳しいと思うわ。──ユアン先輩、昨日、おすすめの店があるって言っていましたよね」
アイリスは声を少しだけ張って、前方を歩く先輩二人に声をかける。
「あ、そうそう。チーズケーキの専門店なんだけれどねぇ。ついでに寄りましょうか」
「お前、朝食を食べたばかりだってのに、まだ食うのかよ……」
「なぁに、別腹よ、別腹。ほら、二人ともおいでおいで~。ここにいるレイクお兄さんが奢ってくれるって~」
「って、勝手に決めるなっ!」
ユアンの手招きに応じるようにアイリスとアルティウスは顔を見合わせて、苦笑した。
それでも、ふと見せるアルティウスの横顔に何かの感情が込められていることを追究しようとは思わなかった。




