後悔
「……本当は、少しだけ怖いんだ」
クロイドは視線を窓の外へと移し、小さく呟かれる声は少しだけ震えていた。
「この場所にいれば、あの日……母上を亡くした日を思い出す。あの時、俺に力があれば……。剣を持ち、踏ん張るくらいの度胸があれば……何度も、そう思うんだ」
「……」
「だが、あの金色の目と声が脳裏に焼き付いて、離れない……。自分が弱かったせいで、母上は死んだ。俺のせいで殺したも同じだ……。俺は多分、あの夜から時間が経っても、ずっと進むことが出来ないままなんだ……」
後悔しても戻らない「あの日」を境に、彼もまた苦悩の日々を送っているのだ。
自分がもっと、強ければ。
あの日に戻れれば。
大切な人達を蘇らせる事が出来れば。
何度も頭の中で考えても、答えは一つだ。
魔犬を必ず討つ。それだけが自分達が掲げる目標だ。
「……私も……自分の家族が魔犬に殺される瞬間を見たわ」
思い出せば、甦るのはあの恐怖。
「たまにね、あの日のことを夢に見るのよ。……私の誕生日だった日に、奴は来た。小さな弟妹達と母は殺されて、絨毯が血で真っ赤に染まっていたわ。父の最期の言葉は『逃げろ』だった」
「……」
思い出して、一瞬だけ身体を震わせる。自分を見て愉快げに笑っていた魔犬のあの表情が今も頭の中にこびり付いて取れることはない。
「やっぱり、駄目ね。成長しても、私の心の一部はあの日に置きっぱなしなのよ」
無理矢理に笑顔を取り繕い、アイリスは首を振る。
「でも、だからこそ、私達は前に進まなきゃ。あの日に置いてきた心の一部は、私を現実に引き留め、生きる原動力にもなっているもの。……でもね、クロイド」
アイリスはそっとクロイドに手を伸ばし、頭の上に触れるように優しく載せた。
「傷を舐め合いたいわけじゃないけれど……。あなたの気持ちの半分くらいは、分かっているつもりなの。だって、大切な人が死んだ場所に、笑顔で帰ってこられるわけないもの」
「……」
クロイドは何も答えない。ただ、静かに顔を俯かせるだけだ。
「思い出して、辛いのよね。あの日に、自分にも何か出来たんじゃないかって、後悔しているのよね」
諭すような話し方にクロイドは唇を噛み締める。
「……大丈夫。あなたは自分が思っているよりもずっと強いわ。魔法だって使えるし、心だって強くなっているわ」
子どもをあやすように頭を撫でていく。
「だから、きっと大丈夫。もう、子どもじゃないもの。時間が止まったままなら、今から動いてもいいじゃない。そして、自分が止めたい時にまた止めて、一休みするといいわ。そうやって、ゆっくりと動いて、最後の最後に笑えたら……そうすれば、きっと自分自身を乗り越えられるかもしれないもの」
彼はずっと自分と同じように後悔し続けるのだろう。自分だって、まだあの日を乗り越えられてはいない。
何度も自問自答を繰り返し、悲しみと恐怖、そして憎しみを噛み締めながら、生きていくしかないのだ。
だから、一緒に乗り越えたいと思う。同じ気持ちを抱きながら生きて来たクロイドとともに、自分達が望む壁の向こう側へと進んでいきたい。
「アイリス」
か細い声で、クロイドが吐くように呟く。
「どうしたの?」
「少しだけ……。少しだけでいいから、肩を貸してくれ」
そういうと、クロイドはアイリスに覆いかぶさるように身体を寄せて、アイリスの右肩へと額を押し付けてきた。
「……」
アイリスは驚くことなく、その冷え切った身体に手を回す。
「大丈夫……。私も一緒に止まって、待っているから」
ふっと、包み込むような声でアイリスは子守歌をクロイドだけに聞こえるように歌い始める。
この国に生まれた者ならば、誰でも知っている子守歌。
父の笑顔に笑い、母の腕で穏やかに眠れという、言葉が込められた優しい歌。
涙はいつか止めることは出来る。それでも──。
それでもまだ、朝日は昇らない。