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相棒

 

 しかし、水宮堂の扉の外で待っているはずのクロイドの姿が見当たらない。アイリスは路地を端から端に見渡しつつ、名前を呼んだ。


「……クロイド?」


 すると路地の出口である大通りの方の壁からクロイドは顔を少し出してきた。


「ここだ」


「……どうして、そんな所に居るのよ」


 自分が水宮堂に入る前は、確か彼は扉のすぐ傍で待っていたはずだが、とアイリスは小さく首を傾げる。


「いや……。あの店、色んな魔具が置いてあるだろう。魔具が持つ魔力に少し酔ったような気がして……」


「なっ……大丈夫なの⁉」


 アイリスはすぐにクロイドのもとへと駆け寄って間近で顔を窺ってみる。


 魔力無し(ウィザウト)であるアイリスは魔力を感じることは出来ないが、クロイドはまだ教団に入って一日しか経っていないため、多くの魔力を感じ取ることに慣れていないのではと思ったのだ。


「……っ!」


「顔色は変わっていないようだけれど……。気分は悪くなったりしていない? 無理しないで、本当のことを言って」


 アイリスはクロイドに詰め寄りつつ、顔を近づけてはじっと彼の様子を見逃すまいと窺った。

 その一方で、クロイドはアイリスに顔を近づけられたことに動揺しているのか、目を見開いて、一歩後ろへと下がる。


「だっ……大丈夫だ、俺の事は気にしなくていい」


 クロイドは首を横に振りつつ、アイリスから視線を逸らす。

 何故か戸惑っているように見えるが、気分が悪いのであれば、無理をさせるわけにはいかない。


「駄目よ! 我慢はしなくていいわ。本部に戻る?」


「いや、いい……。下見に行くんだろう?」


 視線を逸らしていたクロイドは、それ以上アイリスに詰め寄られないようにするためなのか、急に足の向きを大通りの方へと変えた。


「あっ! 待ちなさ……」


 まだ彼に対して、話が終わっていない。

 アイリスが先に行かせまいとクロイドよりも前に出て止めようとした時だ。

 

 突然、自身の右腕を掴まれて、ぐいっと彼の胸元へと引き寄せられる。


 見た目は自分と同じくらいの体格なのに、収まった胸の中は広いように感じた。

 ふわりと、鼻先をかすめるのは昨日、彼の上に誤って落ちてしまった時と同じ匂いで、それは初夏の冷水のような爽やかな香りがした。


「なっ……」


 何をするの、と言おうとした瞬間、アイリスのすぐ真横を大きな馬車が物凄い速さで通り過ぎて行く。

 馬車の姿が路地から見えたのは一瞬で、車輪の音がやがて遠くなったことを確認してから、アイリスを自身の胸元へと引き寄せていたクロイドはどこか安堵の溜息を吐く。


「……大通りは交通量が多いな。……気をつけろよ」


 表情を変えずに素っ気無くそれだけ呟くとクロイドはアイリスの腕を離して、今度こそ歩き出す。

 だが、アイリスは頭の中が真っ白になり、動けなくなっていた。


 この通りは路地に入っていると死角となる場所が多いため、十分に周りを見てから通らなければならないと分かっていたのにも関わらず、つい不注意で飛び出してしまったからだ。


 もし、クロイドに引き止めてもらっていなかったならば、馬車と接触して――。


 アイリスはぶるっと身震いして、今度は左右を見てから何も乗り物が来ていない事を確認して、道を一つ越えた向こう側の歩道へと渡った。


「――クロイド」


「……何だ」


 名前を呼んでも、クロイドは決して振り返らない。

 だが、歩く速度はアイリスに合わせているのか、とてもゆっくりだった。


「さっきはありがとう。助かったわ。あと……次からは気を付ける」


 流れゆく風景を見るついでに、アイリスを一瞥すると、クロイドは周りに聞こえないようにと気遣ってなのか、声量を抑えて小さく呟く。


「君は……もう少し落ち着きを持って行動した方がいいと思う。今朝の事も含めて感情的になりすぎな部分がある」


「……ふんっ。どうせ私は淑女らしくないわよっ」


「いや、そこまでは言っていないが」


「だって私、剣しか取り柄がないもの。他に女の子らしい事なんて一つも出来ないんだから」


 こう見えて細かい作業が苦手なのだ。料理だって出来ないし、いつも口よりも身体が先走ってしまうので、全くお淑やかでもない。世の中の男性が求める淑女には程遠い存在だ。


「卑屈だな……」


 溜息まじりにクロイドは呟いていたが、何かを見つけたのかどこかの方向へと視線を向けて立ち止まる。


「何? どうしたの?」


「ほら、あの屋敷じゃないのか?」


 角を曲がった先の道の向こう側にその屋敷は絢爛で大きな門を構えて佇んでいた。

 周りの通行人に怪しまれないようにただの歩行者のふりをしながらじっくりと観察していく。


「何あれ……。鉄格子の門から屋敷までどのくらいの距離があるのよ……」


 どこかの教会でも参考にしたのかと思われる屋敷は、白いゴシック風の二階建ての建物となっている。

 玄関である扉も遠目から分かるくらいに華やかな彫刻が施されているのが見えた。しかも、かなり広い庭付きである。この庭に屋敷があと三、四つは余裕で収まるだろう。


「主な入口が一つに、裏口が三つだったわね?」


 先程、ミレットに見せて貰った屋敷の図面をもう一度、頭の中で広げ始める。細やかな作業は苦手だが、記憶することは得意としていた。


「ん……? あれは……あの小屋みたいな建物は何かしら……?」


 屋敷のすぐ隣に、備え付けるように新しく建てられた様子の赤い屋根の小屋がある。人が入るには小さすぎる大きさだ。

 クロイドはアイリスが言葉で示した方向をじっと見つめたまま視線を動かさない。


「どうやら、犬小屋みたいだな」


「犬小屋?」


「何匹もいるみたいだ」


 さらりと呟くクロイドにアイリスは感心するように声を上げる。


「へぇ……。良く分かるわね」


「匂いがするからな」


 だがクロイドはそこで、何か間違いをしてしまったような表情へと変えたのだ。

 クロイドの戸惑いと焦りが混じった表情の意味がどのようなものなのか、アイリスはすぐに気付いた。


「匂いって……。まさか、私の匂いとかも嗅いで……っ」


「違っ……! そんな事は……!」


 そう言って顔を背けながら慌てる様子のクロイドは普段が無表情な分、新鮮に感じられた。 


 ……ちゃんと年相応の表情も出来るのね。


 彼と相棒を組んでからまだ一日しか経っていないが、それでも表情が大きく変化したのは初めて見たため、アイリスはそのことを何故か嬉しく思ってしまっていた。

 

「お……俺は、普通の人と違って鼻が良いから……」


 一生懸命に弁明しようとする姿が普段と違い過ぎて、アイリスは口元を袖で押さえながら小さく笑う。


「分かったわよ。……あなたがそんな人じゃ無い事くらい分かっているわ。だから、そんなに慌てな──」


 アイリスがクロイドに向き直った瞬間、突然強い風がその場を吹き抜けていく。


 思わず乱れそうになった髪と服を両手で押さえ、風が止んでから閉じていた目を開けた。

 アイリスの瞳に最初に映ったのは風で飛ばされた帽子を追いかけて道路に飛び出した小さな少女の姿だった。


 だが、その少女の方へと向かって来ていたのは勢いの良い馬車で、御者(ぎょしゃ)も少女の存在に気付いたのか、馬を止めるために手綱を強く引いていたが、きっと停止するには間に合わないだろう。

 傍目から見ている自分でも瞬間的にそう判断出来た。


 それでも、目の前の少女が危ないと思った時にはもう自分の身体が勝手に動いていた。

 後ろから自分を呼び止めるクロイドの声と、女性の絶叫が耳に入ってくる。


 進み出す一歩一歩がとてもゆっくりに感じられた。迫りくる恐怖で腰を抜かし、動けない少女に必死に手を伸ばす。

 アイリスは少女の小さな身体を両手で包み込むように抱いて、迫って来る馬車から逃れるように、土煙を上げながら道路の上を勢いよく転がった。


 それから暫く経って、自分の身体に鈍い痛みが少しずつ浮き出るように感じ始める。

 

 だが、自分がちゃんと生きていると認識出来たのは、腕の中で泣き喚く少女の声と周りに居た目撃者達の歓喜の声が聞こえてからだった。

 少女は無事だった。掠り傷一つ負っていないことを確認してから、アイリスはそこでやっと安堵の溜息を吐いた。


 しかし、その場に響いている拍手と喜びの声は一瞬で消されてしまう。


「何をしておるっ!! 危ないだろうが!!」


 そう言って怒鳴り散らしたのは馬車の御者ではなく、中に乗っていた客の男だった。顎鬚(あごひげ)を蓄え、身なりの良い格好をしている。


 恐らくどこかの貴族だろう。窓から乗り出して御者に対し乱暴な言葉を浴びせた後、今度は道路に座り込んだままのアイリスの方に顔を向けると一言、言い放った。


「この下民が! そのまま泥でも被っておれ! ……全く、停まらずに轢いてしまえば良いものを……」


 男の最後の一言が耳に残り、アイリスは思わず眉を潜めた。額に青筋を浮かばせるも、そこは黙って耐えるしかない。

 これ以上、この場に居ては腕の中の少女の心にも傷を付けられてしまう。


 傲慢そうな男は御者に走るように指図し、さっさと行ってしまった。


「ふぇっ……ふぇぇ~ん……!」


 腕の中の少女がさらに大きい声で泣き出し始める。

 馬車に轢かれそうになった事が怖かったのか、それとも先程の男の怒鳴り声が怖かったのか、もしくは両方かもしれない。


「大丈夫よ……。もう、大丈夫だからね……」


 アイリスは赤ん坊をあやすように少女の頭を優しく撫でる。


「――ダリア!」


 集まってきた群衆を掻き分け、一人の女性がアイリスの前に現れ、膝を折って少女に手を伸ばした。


「うっく……。おかあさんっ!」


「あぁ、ダリア! あなたって子は……! いつもこの道は気を付けなさいと言っているでしょう⁉」


 少女を叱りながらも母親は安堵の涙を流していた。少し目を離した隙に、このダリアという少女は母親の前から姿を消して馬車に轢かれそうになったのだから、その無事を喜ばずにはいられないだろう。


「この子を助けて下さり、本当に……本当にありがとうございました……! 何とお礼を言えばいいのか……」


 母親は少女を抱えたまま、アイリスに何度も頭を下げる。様子を見ていた周りの人達からもアイリスの行動に対する賞賛の声と拍手が次々と上がった。


「あ、いえ……。その子が無事なら、それだけで十分です。……じゃあね、ダリアちゃん。今度からはちゃんと周りを見て、道を渡るのよ?」


 もう一度、少女の頭を撫でてから、立ち上がろうとした時だ。右足に電撃が通ったような痛みが走り、身体の軸が一瞬だけ崩れる。


 だが、身体が前のめりに倒れる事は無く、気付いた時にはクロイドにもたれ掛かるように支えられていた。

 いや、正確に言えば、倒れかけていた自分をクロイドが伸ばしてくれた腕で支えていると言った方がいいだろう。


「クロイド……」


「……馬鹿じゃないのか」


 アイリスだけに聞こえる程の小さな声が耳元でぼそりと囁かれる。ばっと頭を上げるとクロイドの顔は陰り、険しいものになっていた。


「なっ……。馬鹿とは何、……よっ⁉」


 しかし、アイリスの抗議の声に反応することなく、クロイドはアイリスの身体を軽々と両手で抱えると、人目を避ける様に細い路地裏へと進んでいく。


「ちょ……ちょっと降ろして! 降ろしなさいよ!」


 アイリスの訴えも無視し、クロイドはさらに奥へ進んだと思えば、今度は急にぴたりと足を止めた。そして、アイリスをその場にゆっくりと降ろしたのである。


 アイリスが地に足を立てた途端に、再び右足に激痛が襲ってくる。しかし、クロイドに覚られるわけにはいかないと思ったアイリスは表情を作り、無痛なふりをした。


「な、何? 私なら大丈夫よ?」


「……みろ」


「は?」


「本当に大丈夫なら、歩いてみろ」


 クロイドと自分は十五センチ程の身長差しか無いはずなのに、見下ろされる威圧感は半端ではない。

 無表情なように見えて、彼の眉は少しだけ吊り上がっている。これは怒っているのだろうか。しかし、恐怖としての感情は湧かなかった。


「……」


 アイリスは自然を装い、クロイドの方へと歩み寄る。ゆっくり歩いても痛みが和らぐ事は無い。その痛みで表情が歪みそうになるのを堪え、必死に無表情を繕った。


「……無理しているだろう?」


「……していないわ。それにこれくらい、すぐ治るもの」


 見える傷は我慢していればそのうち治る。今までそうだった。 

 クロイドの視線が気になったアイリスは頭を自然に下へと向けていた。


「これくらいだと⁉ もしかすると死んでいたかもしれないんだぞ! 後先、考えないにも程がある!」


 張り上げられた声に、アイリスは少しだけ震えるように肩を揺らした。


「で、でも……私が行かなかったなら、あの女の子が馬車に轢かれていたかもしれないわ!」


 口をしっかり結び、アイリスはクロイドを睨む。

 痛みよりも、感情が強く前へと出てしまう。クロイドについ先ほど、感情的になり過ぎると注意されたことは頭から抜けてしまっていた。


「それに……それに、身体が勝手に動いていたんだもの……。仕方ないじゃないっ」


 少女が道路に飛び出した瞬間、声を上げるよりも早く身体が動いてしまっていた。例え自分にも危険が迫ってきていたとしても、止める事は出来なかったのだ。


「お人良しめ……。それで自分の命を無下にするというのか?」


「そういうわけじゃないけど……。他人であれ、人が悲しむ姿を見るのは嫌だもの……」


 だが、自分の突拍子もない行動に対して、ここまで注意してくれる人は初めてだった。


 嘆きの夜明け団に入り、任務を遂行する時は、どのような内容であっても命を懸けてやっている。任務というものは危険なものの方が多いからだ。


 だから、当たり前の事が身に染み付いた上でいつも行動していたのに、まさかここまで怒られるとは思っていなかったのだ。


「……でも、君が居なくなる事で悲しむ奴も居るだろう?」


 少し項垂れるアイリスを見て、先程よりも柔らかい口調でクロイドは問いかけてくる。


 分かってはいるのだ。頭の中では理解している。

 それでもあの日、家族を全て失い、天涯孤独となってしまった自分には何も無いのだ。


「本当に……居るといいんだけれどね」


 自嘲するように顔を下げたまま低く呟く。我慢だ。

 顔を上げたら瞳の奥に迫ってきているものに対して、抑えが効かなくなってしまう。

 今までそうやって生きて来たように我慢することが、一番の最良なのだ。


「……俺はまだ、君の事は良く知らない。だが、情報課の奴とブレア課長は君が居なくなったら悲しむと思う。他にも……友達や知り合いもたくさん居るだろうし……。それに俺は相棒となった君の身に何か起きたならば……少なくとも悲しいという感情は持つと思う」


 その言葉にアイリスは目を開く。


「……君は一人しかいない。それは他の誰にも代わりが出来るものじゃないだろう? だから……もう少し自分を大切にしてもいいんじゃないか?」


 気付いてしまった。いや、気付かされてしまったのだ。


 自分の存在価値なんて小さいものだと知っていながら、それでも誰かに必要とされるならどんな危険でも受ける覚悟だったのに。


 ……どうして、あなたがそんな言葉を言うのよ。


 優しいと思ってしまったクロイドの言葉にアイリスは唇を噛み締めて、顔を上げた。そこに自嘲は存在していない。


「……分かったわよ。次からは気を付けるわ」


 アイリスは軽く目を擦って、クロイドを真っ直ぐ見る。


「泣いているのか……?」


「なっ……泣くわけないでしょっ! 子どもじゃないんだから……」


 そう、もう子どもではない。一人で泣いていたあの頃とは違うのだ。


「歳は関係ないと思うが……」


 クロイドは少し首を捻り、左手をアイリスに差し出した。


「肩に掴まれ」


「……え?」


「そんな状態で本部まで帰るとなると、さらに右足に負担が掛かって悪化するかもしれない」


 自分を心配するその言葉に少しだけ驚いたが、右手をゆっくりとクロイドの左手に重ね、アイリスは小さく笑った。


「あなた、昨日は私に自分に関わると呪われるなんて言っていたのにね」


「それは……」


 クロイドはすぐさま苦い顔をした。


 だが、彼の表情に構わずにアイリスはクロイドの左肩をがっしりと掴んだ。これで歩くのは少し楽になるだろう。

 ハルージャにこのような姿を見られたら笑いの種にされるかもしれないが。


「そういう風に言うしかなかったんでしょ? 別にいいわ。呪いのことを言いたくなければ。……でも、言いたくなったら私が聞くから」


 そう言ってアイリスはクロイドの顔を覗くように見上げる。一瞬だけ、黒い瞳と視線が重なったが、すぐに逸らされてしまった。


「……また、今度にな」


 気まずそうに視線を空に泳がせつつも、クロイドは小さく呟いた。そのはっきりした答えに、嬉しくて笑みが零れてしまう。


 ……少しは前進、出来たかしら?


 クロイドは無自覚かもしれないが昨日と比べれば、お互いに歩み寄れた方だと思う。きっと、そうやって少しずつ相棒になっていくのだ。


「……それじゃあ、歩くぞ」


 アイリスが無理しないようにと気遣ってくれているのか、歩幅と歩く速さを合わせてクロイドはゆっくりと歩き出した。

 

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