表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

血は生温かく、鉄の匂いがした

 呼び鈴の音で目を覚ます。

 机に突っ伏した体勢から体を起こす。

 寝ていたようだ。

 頭に靄がかかったように、意識のピントが合わない。

 しばらく呆けていると、玄関から鈍く大きな音がして、ようやく意識が覚醒する。


 鉄製の扉を激しく蹴っているのか、蹴破られるのではないかと思うほどに大きな音が断続的に響いている。

 椅子から重い腰を上げ玄関へと向かう。

 一人暮らし用の1Kの家だ、短い廊下を抜ければあっという間に玄関へたどり着く。

 眠りをあまりに非常識な方法で邪魔された腹いせに、声をかけることなく扉を乱暴に押し開けた。


 すると丁度扉を蹴ったのだろうか、手に衝撃が走った。


「ひあっ!?」


 情けない女の悲鳴。

 手の痺れに顔をしかめながら、顔を半開きの扉から覗かせると、そこには人間大の西洋人形が尻餅をついていた。


 驚きのあまり思わず言葉を失う。


 いや、でもさっきの悲鳴は彼女のものだろうし、何よりこちらを見る紫の瞳には生気が宿っていた。人形では無く人だろう……恐らく。

 つり目を更につり上げ、口を大きくへの字に歪ませ、眉間にはしわを寄せている。不愉快だと顔に書いてあるかのようだった。

 透き通るような白い肌、後髪とサイドは胸までの長さで軽くロールしたボリュームのある金髪、前髪は眉の長さで切りそろえられている。服装はいわゆるゴスロリだった。

 やはり西洋人形のようだとしか形容できない容姿である。

 

 その有り得ない容姿に釘づけにされていると、彼女はその口を開いた。


「そこのアホ面で醜い人間、私にこんな仕打ちをしておいて、謝罪も出来ないのかしら?しかも呼び鈴をいくら押しても出てこないし、呼び鈴というものが何なのかすら知らないのね!きっと知能は猿以下だわ!何故人間として生きているのか疑問でしかないわね。いや、それ以前に生きていることそのものが不愉快よ。命令するわ、今すぐ死になさい」


 鈴の鳴るような可憐な声で、猛烈な罵倒を始めた。

 現状の意味不明さに眩暈を覚えていると、その女は服の汚れを軽く払いながら立ち上がった。

 身長は150cmくらいだろうか、僕の胸元くらいまでしかない。


 彼女はこちらを見下したような目で見上げながら、


「猿以下だから言葉も話せないのかしら?倒れた私に手を差し伸べるような紳士的振る舞いを期待したところで無駄なのは当たり前だったわね。それにしてもなんでこんなグズをあの方は選ばれたのかしら。こんな無能に私を殺すことなんて出来っこないわ」


「殺す……?」


 反射的にその物騒な言葉を聞き返す。


「ええ、貴方は私を殺さなければならないの。

 ……まさかこんなところで説明させたりしないわよね?」


 説明が聞きたければ家に上げろということか。

 見た目からは想像できない口の悪さと図々しさである。

 どうみても危険人物だ。こんな電波女を家に上げるつもりは毛頭無い。お引き取り願うために口を開いた瞬間、


「へえ、案外綺麗にしてるのね。貴方の評価を掃除の出来る猿に格上げしてあげましょう」


 そんな言葉が背後から聞こえた。

 振り返ると、彼女は既に部屋の中へと侵入していた。

 目を離した覚えなどない。さっきまで確かに彼女は扉の向こうにいたし、僕は顔しか出しておらず扉に密着していたため、彼女が通れる隙間など絶対に無かった。瞬間移動でもしないと無理だ。

 混乱しながらも静止の言葉を投げかける。


「僕はまだ入って良いなんて一言も」


「貴方の言うことなんてどうでもいいわ。初めから猿の言うことなんて聞くつもりは無いの。ゴチャゴチャ言う前に、早く客人である私をもてなしなさい」


 こちらを振り向きながらこう言った彼女は、ニヤリという形容詞がぴったりな表情を浮かべていた。

 殺さなければならないという言葉が脳裏をチラつく。どう考えても普通の人間ではない。

 しかしもう家に入られてしまったわけで、それにこちらに危害を加えるつもりはないようだ。

 僕は追い出すことを諦め、扉を閉めた。




 部屋中央にある座卓の上座に彼女は座っていた。

 何故か湯気の立ち上る湯呑みを両手で持って、ずずと啜っている。

 一体どこから取り出したのだろう。この家にそんなものは無かったはずだが。

 西洋人形風の彼女に湯呑みは全く似合っていないということは伝えないことにした。


「何故私がここにきたか、わかるかしら?」


「さっぱりわからない」


 こう答えると、その女は溜息を吐き、そうしてこう質問してきた。


「あの世界に行ってきたことは覚えているかしら?」


「……あの世界って?」


 何かが引っかかった。曖昧すぎるその言葉を何故か知っているような、そんな不思議な感覚。

 きっとただの錯覚、デジャヴだろう。気にしないことにする。


「私の主が貴方に見せたはずなのだけど。主が忘れさせたのかしら……。まあいいわ。きっとそのことにも意味があるのでしょう。今の言葉は忘れて頂戴」


 何を言っているのかさっぱりわからなかったが、ここで口を挟むと余計に話がこじれる気がしたので、大人しく彼女の話を聞くことにした。


「では、貴方に課された試練を伝えます。私を殺しなさい。これがあなたの試練よ」


 あっさりと彼女はこう言った。


 やはり殺すというのは聞き間違えではなかったようだ。

 つまり、この女は間違いなく頭がおかしい。


「殺すなんて……そんなことするわけないだろ」


 人を殺すなんてするわけがない。

 殺すこと自体は確かに可能だ。

 しかし、この国には法律というものがあり、それによって殺人は重罪と決められている。人を殺せば証拠は残り、それから間もなく僕は逮捕されるだろう。こんなか弱い女を殺したとなれば、良くて終身刑、最悪死刑だ。

 だからこそ、理由も無く人を殺すなんてことをするわけがない。


「君を殺す理由も、メリットも無い」


 彼女は説明するのが面倒だと言うように溜息をついてから、


「理由とメリットは貴方の望みが叶うことね。試練を達成することで、あなたの望むものが主より与えられるわ。というか、メリットも無しにこんなこと言うわけないじゃない。こういう時は、スマートに「得られるメリットは何だ?」と尋ねるものよ。そんなことまで頭が回らないなんて致命的なおバカさんね」


 僕が望むもの?そんなものは存在しない。

 というかさっきから言ってる主って誰だ?

 あまりの意味不明さに頭痛がしてくる。


「さっきから意味のわからないことばかり言ってるけど、試練?主?苦痛の無い死が与えられる?意味不明だ。その妄言を信じさせたかったら証拠を見せてくれ」


 さっきの瞬間移動のタネ明かしでもしてもらうつもりだった。それだけが僕の脳内ではひっかかっていたからだ。

 他の言葉は全て電波女の妄言で、真面目に受け取る価値も無いと思っていた。


「主を疑うとはいい度胸ね。証拠ねえ。まあ貴方みたいな想像力の欠片も無い、くだらない常識に縛られた人種の典型的な反応と言えるかしら。しょうがない、じゃあその証拠を見せてあげましょう」


 どうやらタネ明かししてもらえるようだ。彼女を注視する。

 するとお女はおもむろに右手を前に出し、


「顕現せよ」


 静かにこう唱えた。

 その瞬間、右手の前の空間が紫色の炎に包まれる。その炎が短刀のような形に収束、彼女がその柄を掴み横に軽く振ると、炎が散って刃渡20cm程の短刀が姿を現した。

 それを回転させて逆手に持ち、彼女は無表情でこう言った。


「よく見ておきなさい。これが私のキョウキよ」


 あり得ない光景だった。

 紫色の炎が何もない空間から現れて、その中から短刀が現れた?一体どんな仕掛けだというのだろう。

 頭の中は疑問符で埋め尽くされていたが、その片隅に彼女の言葉が引っかかった。


 キョウキ……凶器という字をあてるのか?短刀のことを言っているのだろうか?

 そんな疑問を浮かべていると、彼女は短刀を逆手に持っている右手を覆うように左手を添えた。まるで自身に突き刺そうとするかのようだった。

 

 そうして、何の躊躇いなく突き刺した。


「は……?」


 刃は何の抵抗も無く肉に沈む。

 突き刺した短刀を捻り、抉った。

 おそらく肋骨の隙間を通っていたであろう刃が、肋骨を砕き、肉を引き千切る不快な音がした。

 肺も傷ついたのだろう、咳込み吐血しながら、しかしまるで何事も無いかのように刃を引き抜く。

 心臓の大動脈も切断したのか、夥しい量の血液が鼓動に合わせて噴出し、辺り一面が真っ赤に染まった。

 僕にも大量の鮮血がかかる。むせ返るほど強い鉄の匂いと生温かい感触が肌を犯した。


 言葉が出ない。呼吸すら忘れていた。目の前の光景にただ圧倒されている。

 血の匂いも、温度も、正常に感じているのに現実感なんて皆無だった。

 けれど規則正しく刻まれる鼓動の音が、その脈動が、これは現実だとうるさいくらいに主張している。

 鼓動が一つ刻まれる度、徐々に、徐々に現実へと引き戻されていく。


 酷く気分が悪い。

 目の前に明確な死がある。

 そのことがたまらなく恐ろしかった。


 死


 僕は叫んでいて、そうして、


 気がつくと、周囲に飛び散っていたはずの血が消えていた。

 それどころか、目の前の女の服もシミひとつない状態に戻っていて、当然のように短刀で刺した跡も無くなっている。

 

 それはまるで場面を切り貼りしたような、あまりに唐突な変化だった。


 茫然とする僕を嘲笑うかのように、彼女は短刀を手で弄びながら、何事もなかったかのように話し始める。


「もちろん私がこの短刀で死んだのは現実よ。夢でもまやかしでもなくてね」


 理解の範疇を超えている。

 まるで時間が巻き戻ったような現象で、けれど「彼女は短刀で自殺した」という記憶は確かにあった。

 血の生暖かさ、匂い、これらの感触がまだ残留している。


「私は死ぬことが出来ないの」


 彼女は淡々と話す。

 その顔に張り付く微笑みは、狂気という言葉の体現だった。


「それが私の叶えた奇跡、叶奇きょうきよ。私が死ねば、死ぬ前の状態に世界は戻る。これで私の主のこと、そして試練のこと、信てもらえたかしら?

 さぁ、貴方の試練を始めましょうか。


 私を殺して?」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ