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2.薔薇の幻(3)

 

 小刻みに揺れる小部屋。飛ぶ景色。

 その香水の所有者とやらは、最寄りでも結構距離のある郊外に住んでいるとの事だった。

「・・・それで、結局調べるのか。あの香水」

 列車での移動中、窓の外を眺めながらどうでもよさそうに雅が言う。凛は暫くまた新しい経験にはしゃいでいたが、やがて疲れたのか、今はレノの隣で丸まって眠っていた。

 レノは鞄から香水瓶を出し、殆ど空であるそれをふるふると揺らした。

「あの男に言われたからじゃないさ。でも、オレとしても興味があってね」

 少し開いた窓から吹き込む風が、雅の髪を揺らす。レノが香水瓶の蓋を開けると、相棒は風に乗ってきた見えない「何か」を黒の焔で燃やした。

「・・・“蟲”か」

「ああ」

 ムシ。それは所謂「虫」とは全く違った生き物である。

 プランクトンや細菌と言ったものと似て異なる微小生物の一つであり、その生態はまだ深くは知られていない。ただ、それは大概にして魔術師たちが請け負う範疇にあるものなのだ。

「そんな物騒なモンにわざわざ関わろうとするお前の気が知れないな」

「でも、お互い様だろう?全く興味無いなら、君の場合来なかった筈だ」

 雅はレノを斜視しながら、ふうと息を吐いた。

「・・・ま、実際興味は無いんだが」

 仕方なさそうに、規則正しい寝息を立てる少女を見る。仕事で少し離れた場所に行くといったら、自分も付いていくと言って聞かなかったのだ。すると必然、雅の行動は決まってしまって。

「律儀だねえ」

「別に、見てないとこで下手に死なれたら寝覚めが悪いだけだ」

「それはそれは」

 剣士にとって、刀の誓いってのはそんなに大事なものなんだろうか。

 この前の仕返しとばかりに、滅多に見られないご親切な彼に茶化した視線を向ける。て無視かよ、このやろう。

「あーあー、ほんっと可愛くないお兄ちゃんだよねー」

 よしよし、と凛の艶々した黒髪を撫でる。

 すると小さく寝言を言ってごろごろ身を捩じらせる様子が、なんだか猫みたいだった。



***



 列車での移動三時間。その後車での移動一時間半をかけ、目的地に辿り着いたのはもう夕方になった頃だった。

 貴族ではないにせよ、この辺りでは有名な銀山成金の一家。レノはその邸の荘厳な門の前で立ち止まり、さてどうしようかと腕を組んでいた。

「いきなりごめんくださーいって言ったって、入れてくれるわけ無いよね」

 そんな間抜けな一言を聞き、相棒はやれやれと肩をすくめた。

「考えてなかったのか」

「地図見んので精一杯だったんだもん」

「まったく、相変わらず・・・・・・って、おい!」

 雅が声を荒げたとき、凛はすでに「ごめんくださーい」ってインターホンを押していた。言った傍から、もう。まあ、肝が据わっているといえば据わっているのか。

「またストレートだね、君は」

「どうして?このお家に用があるんじゃないの?」

「そうだけど」

 普通に行ったって摘み出されるのがオチだ。けどこの際仕方ないか、と凛の髪をわしゃわしゃしていると、反応が無いことに焦れたのかお嬢さんはまた何度かチャイムを鳴らした(あらあら)。だが、それでも返ってくる声は無く、彼女は首を傾げてレノを見上げた。

「居ないみたいだよ?」

「居ない・・?」

 おかしいな、と首をひねる。こういう大きな家の場合、一家が外出していても大抵使用人の何人かは邸に残っているものだが。

 試しに門に手をかけるとそれは簡単に開き、さらに怪訝な色を強めると、そのとき邸の中からガッシャーン!って何か嫌な音がした。どうやら、ドンピシャで尋常じゃない事態が起こっているらしい。

「みーちゃん!」

 レノが叫ぶと同時に、雅は掌から焔刃を放って周りの装飾ごと扉をブチ破った(あとで弁償させられたらどうしよう)。すると、開いた風穴から漏れ出してきた匂いに、レノは口を覆った。

「・・・これ、」

 まぎれもなく、それはあの“薔薇の幻”の香り。そして何よりその空気は、アレに含まれていた“蟲”を高濃度に内包していた。

 あまりの胸の悪さに、レノはく、と喉を鳴らした。

「リン・・・悪いんだけど、此処に居て。動かないでよ?」

「え、うん」

「動くなよ、絶対に!」

 そう彼女に言い聞かせて、害が少ないよう周囲の空気を固定させ、中へと走る。あまり長居は出来そうにない。下手すれば、レノたちもまとめてこの蟲に犯されてしまいかねない。

 ガッシャーン、だけじゃなくパッリーンだのガッターンだの音がする元に向かい、そこで二人は予想通りのものを目にした。


 ぐったりとして転がる幾つかの人影。そして今まさに、倒れた男性にハサミを振り下ろそうとするご婦人。雅が神業と呼べる速さでナイフを投げ凶器を叩き落すと、彼女は明らかにヒトを逸脱した狂った眼差しをこちらに向けた。

「おー、こわっ」

 獲物を見つけた蛇のごとく、その目が光る。

 人外の動きで奇声と共に襲い掛かってくる女性を紙一重でかわし、瞬時に第九式幻縛術を紡ぐ。影から生まれ出でた鎖がその身を捕え、力の反転作用で相手を芯まで無力化する。そう言えばこの術、逆にあの遊園地で美人の姉さんに喰らったっけ。いや、苦い苦い。

「で、どうする?平和的解決をするにしても、人語はまるで通じそうに無いけど」

 人道的配慮で鎖の力を調節しながら言うと、相棒は面倒くさそうに肩をすくめた。

「ったく、仕方ねえ・・・」

 雅は掌に黒ではなく翠色の焔を宿し、それで彼女の口を掴んだ。自由を奪われて尚女性は暴れていたが、静かなる焔に包まれるうちやがて静かになった。人の身を傷めずに害悪だけを取り除く、浄化の焔。尤も、バリバリの武闘派のみーちゃんがこの力を使うことなど稀だが。

 彼はその後、爪先の方向を変えると、翠の焔を周囲に飛ばした。

「ほんと、火焔系は便利だよねえ」

 蟲達が焼け焦げていくのを感じながら、レノは羨ましげに呟いた。

 火焔系魔力は魔術師の中で保有者が最も多い系統だが、また同時にそれを極めきるのは最も至難だといわれている。まあ、彼の場合モトが特殊だから、難しいも何もないんだろうけど。

「感心してる間があったら働け。元々用があったのはお前だろうが」

「そうだったね」

 レノはさてと振り返り、床に横臥していた男性に歩み寄った。両手の指にはゴテゴテした金の指輪。それでもって、極度の肥満体型に立派な口ひげ。嫌だなぁ。なんだか、典型的過ぎて面白みがない。

「・・・ま、ヤローになら気を遣わなくていいか」

 この際、多少テキトーでも罰は当たらないだろう。

 意識のないその人に息があることを確認し、レノは術をこめた指で軽く男性の額をでこぴんした。すると、思い切り痛そうな形相をして呻くその人。

「大丈夫ですか?」

 だがその人は、目を開いてレノの姿を認めるなり怯えたように暴れだした。

「う・・・っ!!なんだね、君たちはっ!?」

「いや、あの、」

「だれかっ!だれかおらんか!盗人が侵入したぞっ!!」

「だから・・・」

 いきなり盗人扱いはひどい。

 ったくもう。レノはしょっぱい顔をしてため息をつくと、ばっとその人の目の前に手を突き出した。ひっ、と息を呑み、縮み上がる男性。レノは微笑み、その人の目の前にまた人差し指を向けて、トンボにやるみたくくるくると回し始めた。

「ぼくの質問に答えたくなーる、答えたくなーる…」

 幻に囚われてレノの指先を追わずにはいられなくなったその人の眼は、面白いほどぐるんぐるん廻る。数瞬の後、「声」の誘いに耐え切れずオチたその男を見て、レノはふむと頷いた。

「禁則事項」

 相棒が淡々とそう口を挟む。

 そう、この『開口術』は合法ではないというか思いっきり違法のシロモノ。だがこういう相手のときはとても便利だ。いっそ、最初からこうしときゃ良かったのだろうか。

 ・・・っていうか、まず雅にだけはそういうことを突っ込まれたくない。


 レノは気を取り直して男性に向き直り、その人の眼を覗き込んで話し掛けた。

「さて・・・では質問です。貴方達は、一体何処から“薔薇の幻”を手に入れましたか?」

 ぱくぱくと、男の口は動く。さながら操り人形のように。

「・・・つまが、『ぱーてぃ』のなかまから、ゆずりうけました。すうしゅうかんまえのことです」

 その奥さんとはきっと、さっき襲いかかってきた女性のことであろう。

 ところで、この幼稚園児が作文でも読むような喋り方は術の効果であって、べつにこの人の頭がイっちゃったわけではない。と一応なけなしの良心に従ってフォローしておく。

「じゃ、奥さんは一体いつから変になった?」

「こうすいをつかいはじめてからです。ひにひにつかうりょうがふえていきました。そのうちかおがやせこけて、だんだんへんになっていきました。そしてひとをおそうようになって、しだいにほかのひともへんになっていきました」

 急激な身体の変化。猟奇的な奇行。恐らくその症状が出てくるということは、“異物”により脳の一端が犯されたか、体内回路が正常に作用しなくなったのであろう。急激ではなく、さながら蓄積される毒物のように、少しずつ。これだから『呪い』扱いされるようになるわけだ。

 レノは床に転がっていた、自分が持っているのとはまた違う薔薇型の香水瓶を拾い上げ、こりこりと頭を掻いた。

「‥じゃあ、もうひとつだけ質問です。次の“パーティ”は、一体何処で開かれますか?」

 すると、返ってきたのは驚くべき返答だった。

「あしたです。あのまち・・・そう、のわーるで」

「ノワール・・・?」

 傍らにいる相棒と顔を見合わせる。余りに馴染みある名が思いがけず出てきたことに一瞬戸惑い、それと同時に自分たちの住処が「そういう」場所であったことを思い出した。

「それは一体いつ?どこで?」

「あしたのばん、ちょうどじゅうにじからです。せんとらるほてるのさいじょうかいで」

「そう・・・」

 レノは一度頭を整理するように息を吐き、瞑目する。

 やがて目を開け、今までとっても特殊な会話を続けていたその男に向けて、とっても好意的な笑みを向けた。

「ありがとう。とてもためになった」

 パチンと指をはじき、呪縛を解く。男は糸の切れた操り人形のようにくたっとなり、やがて呑気にも規則的ないびきをたてはじめた。


「・・・セントラルホテル。まあ、妥当なところか」

「そうだね。妥当すぎて・・・逆に誰もそんな所で秘密集会が行われてるなんて思わないよ」

 なるほど、これで繋がった。だから、あの男は――。

 ぴしり、と香水瓶にヒビが入る。

 何時もの『怠惰な青年』の仮面をひと時だけ脱ぎ捨て、白い魔術師は皮肉気に嗤った。

「どうやら、面白いことになってきたみたいだな・・・」

 冷たい一筋の風が邸を通り抜ける。

 そろそろ飽いたのであろう。凛の「まだぁ?」という焦れた叫び声が遠くから聞こえてきた。

 


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