2.薔薇の幻(2)
「ヘイ・・・いえ、アリアスさま!」
「アリアスさま、お待ちください!」
一歩歩くたびに纏わり付いてくる声に、その男は溜息をついた。
「そう何度も言わずとも聞こえている・・・」
小言と忠言は必ずしも異なるわけではないが、彼らの声の大きさの場合小言というよりもむしろ騒音になる。この遅い時間に近所迷惑になることこの上ない。案の定、窓の向こうから住人に睨み付けられたのを感じた。
「一体何だ」
「なぜ、あのような者達を・・・・・」
「危険な連中です。わざわざ貴方様が出向くことは」
「であるからこそ、だろう。お前たちに任せては返り討ちにあい、次の日には畑の中で肥料になっている、なんてことになりかねなかった」
「しかし・・・」
解った解ったと手を振って、会話を強制終了する。なおも言い募ろうとする部下達を遮り、男は言った。
「使えるものは全て利用してやればいい。ただそれだけのことさ」
あの奇矯な二人組と、その横にいた少女を思い出す。話には聞いていたが、なるほど、あれが霜月伯爵の遺児か。しかしまさか、彼が本当にあの青年たちを「選んだ」とは。
「(ラングレイの死神と、マンティコアの粛清者か・・・)」
面白い組み合わせだ。
ううむと唸り、「アリアス」はどこかとても楽しそうに破顔した。
「さて、お手並み拝見と行こうか・・」
***
『薔薇の幻?・・・ええ、その話なら聞いているわ』
画面の向こうにいる褐色の肌の女性は頬杖をつき、大して興味もなさそうに言った。
こういうとき彼女に物を尋ねるのは気が引けるのだが、彼女の情報網は内からも外からも確実性が高いというのは事実だ。ただし、多少値が張るのと決して良心的ではないことにさえ目を瞑れば、だが。
思えば、霜月の一件も始まりはこのヒトからだったんだっけ。
『んで、何が知りたいって?』
「“薔薇の幻”について、できるだけ詳細を。あとは、現在の所有者も判れば」
あのアリアスとかいう男のことも聞いておこうかと思ったが、料金が笑えるだけじゃ済まなくなりそうなのでやめておいた。
『わかった。ちょっと待ってて』
ルーシアが向こうでコンピューターを弄り始めたとき、レノの後ろから細い手が伸びてきた。
「ねえレノ。それ、なに?」
「ん?ああ、これはパソコンっていってね。言うなれば、一般化している機械技術の最たるものかな」
「ふうん」
凛は頷くと機械の箱をしげしげと見つめ、今度はレノの目前に回りこんだ。
「ね、触ってもいい?」
「いいけど、後でね」
「うん」
「でも、勝手に弄るなよ?」
テレビのときもこうだった。小さい物体の中から声だの映像だのが流れる神秘に歓喜し、片っ端からいじくり回した結果、一台ボンッ!といってしまったのだ。幸い彼女は放電系魔力の保持者というわけではなかったため、中身まではイカれず(半日がかりで)何とか修理できたが。
「そんなことよりリン。もう七時だけど、仮面ガイガー始まっちゃうよ?」
「え、うわあ、たいへんっ!」
そう言ってパタパタとリビングに駆けていく後姿を眺めていると、ふふふ、という声が聞こえてきた。
『あの子が例の?』
「そうだよ」
『そう・・・』
少し物憂げな面持ちを浮かべるルーシア。凛とレノたちを結びつけたのは、結果的には彼女だ。レノは何一つ彼女に話していないが、電脳の魔女のことだ、大方のことは知っているのだろう。
たとえ通称イタチ女、あるいは拝金の魔女と呼ばれる彼女であっても心を痛めることはあるのか。
『まあ、それはそうと、さっそく商談の件だけど』
いや、うん。やっぱりそんなことないか。
あまりに切り替えの早いルーシアの態度に、レノはちょっとがっかりした気分になった。
『逆に情報が氾濫しすぎていて、今すぐにはどれが正確なものか判断が取れないわ。だから、先に確実と思える持ち主の居場所を教えてあげる』
「待って、それいくら?」
『うーん、通常なら前金十万は取るところだけれど、大負けに負けて七万ぷらす税でいいわ』
何だ、そのよくわからない計算式は。彼女の気まぐれはいつものことだが、今回はまた意味が解らない。しかし、それは次の意外な一言で解消された。
『余ったお金で、あの子にお洋服でも買ってあげなさいな』
「え」
『懐かれてるみたいじゃない。なら、ちゃんといいお兄さんになってあげなさい』
「・・・・・」
女の人って、やっぱり最終的にはこういうものなのかな。でも、何かいきなりマトモな心遣いをされると、調子が狂う。
レノはどうしようかと考え込み、やがて素直に「光栄だよ」と頷いた。