2.薔薇の幻(1)
男は「アリアス」と名乗った。
どういう類の人間かはそのご立派な身形と両脇の屈強なボディーガードを見ていれば解ったが、やっぱりあまり仲良くするのは遠慮したいなと思った。
「いやいや、凄腕で特徴的なコンビだと聞いていたが・・・こんなに可愛らしいお嬢さんがご一緒とは」
話を振られた凛は、ぎゅっとレノの腕を握る。
雅は答えることも無く、そっけなく言い放った。
「用件は何だ」
「みーちゃん、仮にもお客さんだよ」
「まだ『客』にするか否かは決めてないだろ」
おっかないボディーガード達が危ないものを出しかけるが、アリアスは手を上げてそれを止めた。賢明な判断である。この青年の場合、売られた喧嘩は基本的に倍以上の値段で返した揚句プラスアルファでお礼参りをつけるから。
「おや、これは手厳しい。だがせめて説明だけでも聞いてくれないか?」
相手の返答を聞く前に彼は鞄をまさぐり始め、そして三人の前に薔薇の形を模した小瓶を出した。その珍しい造形に目を輝かせ、「きれい」と呟く凛。彼女に軽く笑いかけて、男は続けた。
「私は一応これでも裏世界ではそこそこ名の通ったブローカーでね。これはとあるルートから手に入れたものだ」
「これは、香水?」
「ああ・・・・“薔薇の幻”という。これが実は、厄介なシロモノでね」
その「厄介」の始まりは数週間前のこと。彼の話によると、とある貴族がこの香水をどこからか手に入れてきたという。
俗には“パーティ”と呼ばれる金持ち達の特殊な集会でそれは瞬く間に人気を博し、以来、本物も贋物も合わせ密やかに市場に出回るようになり、貴族たちの下で広がっていった。しかし、一番初めに香水を手に入れた一家の謎の心中を皮切りに、それを所有していた人間にはことごとく悲劇が起こったという。
「私は、今ではもう『呪い』と呼ばれつつある“薔薇の幻”の実態を知りたいと思っている。そして一体誰がどうやってそれを作ったかを調べている。そのために、君たちにも協力を仰ぎたいのだ」
「・・・・協力するも何も、『呪い』の調査とは。俺達を祓魔師か何かと勘違いしてるんじゃないか?」
「おや、似たようなものだろう?」
その一言に、レノと雅は一瞬表情を堅くした。アリアスはそれを確認し、何処か愛おしそうに眦を下げた。
「レノ・ル・ミラージュ。元はアトルリア屈指の公認魔術師であり、また話によれば、あの帝国十賢者の一人、アザイラ枢機卿の愛弟子だそうじゃないか・・・」
アザイラ枢機卿、か。その名を聞き、レノもまた少し挑戦的に鼻を鳴らした。
「よく調べていらっしゃるようで」
お褒めに預かり光栄ですと、軽くその言葉を受け流した後、男は次に雅に目を留めた。
「・・・そしてミヤビ・ド・エルニス・リヴェルディ。元はリヴェルディ侯爵家の子息であり、そしてなんでも、あの『マンティコア』の――」
殺意を宿す紅眼。すると、突如アリアスの咥えていた葉巻の火が燃え上がり、瞬く間に消し炭になった。
迸る殺気でボディーガード達は武器を上げることも忘れ、凍ったようにそこで立ち尽くす。そんな中、その男だけが泰然と悦さえ滲む微笑を浮かべていた。
「・・・・・・解るだろう?君たちは、君たちが思うよりこちら側では有名なのだよ」
彼はすっと視線を逸らし、今度は二人の後ろに居た少女を見つめた。凛は本能的に二人のうしろに隠れる。レノは不興さを露わにし、彼の人物を軽く睥睨した。
「どうだい?少しは興味を持ってくれたかな?」
「・・興味があろうとなかろうと、オレたちが貴方のために動くとは限りませんよ?」
「構わないさ。だがこれで、君たちは何にせよこの件に関わることになった。それを今更無しにはできないはずだ」
嫌らしい笑み。乱れた世の中にこそ薄汚ない利益を生み出すのがこういう手合いだ。この男は密かに広がりつつある混乱とやらを利用し、また自ら混沌を生み出そうとしているのだろう。
「(いや・・・あるいは――)」
それすらも建前であり、真の思惑はもっと他の場所にあるのかもしれない。それが何かまでは、今の段階では判断がつかないが。
大方のことを話し終えるとアリアスは時計を見てソファ立ち上がり、言った。
「無理にとは言わない。だが、期待しているよ。ああ、その“薔薇の幻”のサンプルは差し上げよう」
「それはまたどうも、ありがとうございます」
いやはや全く、また厄介な相手と関わってしまったものだ。
吟味するようにその瓶の蓋を開ける。立ち香る甘い香り。
その魅惑的な匂いからは、薄気味悪い「異物」の気配を感じた。