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1.クラリス・テイラー(3)


 ノワール中心街の入り口に、その店はあった。

 バー・エルドラド。ノワールでも屈指の金持ちが集い、「勝ち組」としての栄光を誇れる場所。基本的に一般庶民はお断りの店であり、ましてやレノや雅のような血生臭い人間が入れるような場所ではないのだが――実はここにはもう一つの「顔」が存在していた。

 上流社会の人間が少々汚いコトをするための取引場、という。

「ほーう、ここが・・・」

 華やかな外観に興味津々の凛だったが、おにーさん達はその手を引いてとっとと裏口に入っていった。

「リン、くれぐれもはぐれたらいけないよ?」

「わかってまーす」

 裏口を三回ノックすると屈強な男の人が現れ、見慣れた二人の姿を確認すると中に通した。だがやはり彼らに付属する未成年の少女の姿を不審に思ったのか、彼は止めることは無いものの一言声をかけてきた。

「この方は・・」

「俺達のツレだ」

「そうですか」

 ツレってどういう意味だろう。凛がちょっと考えていると、二人がさっさと行ってしまうので走ってそれについていった。周りには凛にとって好奇心をくすぐるものがたくさんあったが、保護者二人はそれこそ「取り付く島」も与えなかった。

「こっちだ」

 濃い紫色のカーテンを越えると、外に負けないほど煌びやかで、なおかつお上品な大ホールに辿り着いた。そこにはもういくつもの金持ちの(グループ)が居座っていたが、白と黒(+少女)になど気も止めず、彼らはそれぞれでワインを傾けていた。

 レノと雅はカウンター席に腰掛け、凛はその間にちょこんと座った。

「すごーい」

「何が?」

「うーん、何かとにかく色々」

 ブラックライト。ムーディーな曲。お酒の匂い。

 多少興奮気味に辺りを見回す凛をよそに、二人はスマートにバーテンダーのおじさんから逆円錐のグラスを受け取った。何だか慣れたような、寛いだ態度。きっと、此処にはよく来るのだろう。

 凛がその“かくてるぐらす”に釘付けになっていると、バーテンダーさんは微笑んで凛にもジュースを入れてくれた。

「わあ、ありがとうございます」

 凛は六分め程度に満たされた逆円錐を見つめ、考えた。

 ブドウジュースなんて、いつぶりだろうか。かつて父上や家の人達は、体に悪いからと絶対にこういう嗜好品は許してくれなかった。

「(あ・・・)」

 なるべく思い出さないようにしていたことをつい考えてしまって、不意に瞼が熱くなった。気付かれないように、こっそり、ごしごしと目を擦る。

「・・・ここ、とっても素敵なところだね。それで、誰に会うの?」

 凛が取り繕うようにそう尋ねた時、レノは困ったように苦笑していた。多分、全て見抜かれていたんだと思う。それでも、わかっていても、彼は凛の為に敢えて何も言わなかった。

「そうだな・・・もう少し待って」

「もうちょっと?」

「うん。もうちょっと」

 そのうちにふっと周囲が暗くなり、歓声が沸いた。何事かと凛が目を瞬かせている間に、ステージがライトで照らされ洋琴(ピアノ)の生演奏が流れ出す。そして、会場中から沸き起こる拍手と共に一人の女性が観衆の前に現れた。


『――本日は当店にお越し下さり、ありがとうございます。今宵は愉しめていただけているでしょうか。ここで私から、感謝の意を込めて皆様へささやかな贈り物をさせて頂きたいと思います・・・・』


 華やかなライトを浴びる、長い蜂蜜色の髪と白い肌をした麗美な女性。レノは「彼女」を視界に入れると心なしか嬉しそうに、そしてどこか切なげに眼を細めた。

 彼女は両手を広げて瞳を閉じると、大きく息を吸い、赤い唇を静かに開いた。

 人々の吐息すらなくなったように、静まり返る空気――。

「――うわぁ・・」

 凛は不意に呟いていた。

 響き渡る旋律に、全身があわ立つ。これは何ていう歌なのだろう。名前なんて知らないのに、それを唄っている人の声に温かみがあったからなのだろうか、なんだかすごく懐かしい感じがした。

 時間が止まる。その中で、ピアノの音と歌い手の声だけが流れ続ける。

 聴衆を魅了する高らかな歌声が暗いホール中に響き渡り、暫くの間そこに居た皆がうっとりとその響きに聴き入っていた。


「久しぶりね、二人とも」

 大歓声の後歌姫は裏側に消え、会場が明るくなって熱が冷めた頃、彼らの元を訪れた。どうやらこの人は、二人の知り合いだったらしい。

 それで凛はこの歌姫こそが例の「会いにきた人」なのだとなんとなく理解した。

「相変わらず、見事だったよ」

「ありがとう」

 レノは周りの目を引かないよう、音の無い拍手をする。

 彼女はバーテンダーからお酒グラスを受け取り、カウンターを背にもたれかかった。

「この頃ご無沙汰だったわね。お仕事だったの?」

「まあそんなところかな」

「色々大変そうね」

 蜂蜜色の髪の女性と他愛の無い会話を交わした後、レノは凛を振り返った。

「紹介するよ、リン。彼女はこの店の唄手で、オレたちの友人だ」

 そのときの彼は、どこかすごく優しげな面持ちをしていたと思う。

 凛を正面から見据え、穏やかに微笑む彼女は、あまり「外」の人間を知らない凛の眼から見てもとても綺麗な人だった。

 彼女は胸に手を当てて一礼し、誰か高貴な人間に相対した時のように、言った。柔らかくほほえんだ。


「ようこそ、エルドラドへ。私はクラリス。クラリス・テイラー」

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