1.クラリス・テイラー(1)
ノワールの夜は長い。
太陽が山脈の合間に隠れると間も無く目に痛いネオンが燈り始め、街はがらりと様変わりする。その場に生きる無法者達に主導権を取って代わられ、良い子はさっさとお家に帰ってネンネする。乱闘騒ぎだのバイクの騒音だのの中、時たま(よりももっと高頻度で)銃声が轟き、お日様がやっと起き上がってくるとぷかーっと川に酔っ払いやら死体やらが浮かんでいる。
そんな元気満々で愉快な中間達と過ごす日々は、一言で言うならてんやわんやだ。てんやわんや過ぎて、もう何がてんやわんやなのかも解らなくなり始めているが、それは一般人(自称)が悩むことではない。人間陽気に生きたほうが健康とお肌には良い。
民衆議会が治安確保のために躍起になっている中、そういう心意気で白と黒の二人は今日も物騒なものを平然と懐に引っ提げていた。
「わー、すごいっ!」
ふらりふらり、流浪奔放。
「えーっとえーっと」
きょろりきょろり、挙動不審。
「あ!何アレ!」
どどどど、猛突進。
でもって、失踪。
まるで猫を連れて散歩しているような気分だ。縄を持ってくれば良かった、と黒い青年は今更ながら後悔した。
この野良猫少女、もとい霜月凛が彼らの事務所にやってきて二週間。というか、箱入りだったお嬢さんが初めて外界の暮らしを始めて二週間。彼女が少しでも早くこの街に慣れるようにと(白い方の積極的な配慮で)公園だのデパートだの日々色んな場所を連れ回っているわけだが、お陰で連日のようにこんなことが続いていた。
「(・・レノの奴は甘過ぎるんだ)」
芯の無い顔つきでへらへらと笑う真っ白いどこかの誰かを思い出し、無性に苛立たしい気分になりながら青年は黒髪を掻き揚げた。
この少女、元は深窓で育った良家のオヒメサマである。悪気は無いにせよ、世間を知らないその言動に少々問題があるのは当然だ。ならばそういうのは早いうちに躾けなければいけないのだろうが――いやはや、手ぬるいのは自分も同じということか。
「雅~っ!早く早く、こっち――きゃっ!」
前を向いて歩いていなかった所為で誰かとぶつかり、凛はとてんと転んだ。ほら見ろ。
だが呆れて歩み寄る前に、黒の青年――雅は刹那眉を顰めた。
「・・・出会い頭にタックルかますたあいい度胸してんなァ?この、ガキ」
「あー痛え。骨が折れちまったよ!こりゃ病院行かなきゃなあ。そうだ、“カガイシャ”には治療代払ってもらおうか」
「ああ、それがいい。どうすんだお嬢ちゃん」
やれやれ。
典型的な頭の弱そうなチンピラ二人。軽い頭突きで折れるほどの骨とは骨粗しょう症か、それとも凛の頭がそれほど固いのか。だが世の中の仕組みがよく頭に入っていないこのガキんちょの場合、彼らが意図していることなど全く解らず。
「ええっ!骨!?大丈夫ですか?見せてください!」
勿論、彼女にとってはあくまで本気なのだが、茶化されたと受け取った男はキレて喧しくがなり始めた。
「舐めたこと言ってんじゃねえガキが!さっさと謝ってママ呼べやぁ!」
雅は小さく溜息をついた。
全く。あまりこういうところで問題は起こしたくなかったのだが、仕方がない。
「街中でギャアギャア騒ぐな、鬱陶しい」
「なんだと、この・・・・・・・ッ!?」
ゆっくりと歩いていくと凛の隣に立ち、彼女をコートの内側に入れた。腰にさした刀を見てか、それとも不気味な色の瞳を恐れてか、雅の姿を認めるなりうろたえたように一歩下がる二人。
「な、なんだよ、テメエは」
「これの保護者だ。それで、この子がどうしたって?」
半ば無法地区のこの街においてこういう手合いは少なくない。ただ、雅やその相方に喧嘩をふっかける輩など稀だが。
怯みながらもなお必死にガンを飛ばして威嚇しようとする根性は、まあ買ってやろう。
「・・っこのガキの所為で腕が折れたんだよ。これ、どう落とし前付けてくれんだ?」
「ほう・・ならいっそ一度切り落として、新しいのを付けてみようか?」
刀を指一本分浮かす。男達はひぃと息を呑んだ。
細まる紅色の双眸。
「――失せろ」
男達は数秒固まった後、何かが切れたように後ろを向いて一目散に逃げ出した。時折足をもつれさせて転びながら。その光景を不思議そうに眺めつつ、凛はぽつんと呟いた。
「あんなに腕ぶんぶん振って。折れた骨、大丈夫なのかな」
「・・・・・」
「あ、そうだ雅。言おうと思ってたけど、いっつもそうやって眉間にシワ寄せてるの、良くないよ?」
大きなお世話だ。
凛の頭を小突いて歩き出す。だが、彼女は雅のコートを引っ張り、それを妨げた。
「・・・何だよ」
「ありがと」
「あ?」
「よくわかんないけど、助けてくれたんだよね」
ありがとう、ともう一度言い、少女は他意などカケラもなく無邪気に微笑んだ。向けられる黒曜石の目と少しの間見詰め合っていたが、何故かいたたまれなくなって顔を逸らしたのは雅の方だった。
「みやび、だーいすきっ!」
いつものように、はしゃぎながら腕に纏わり付いてくる凛。道行く人々が振り向き、四方から注目が集まるが、彼女はそんなこと意に介する様子も無く怖い怖い男に甘え続けたのだった。