(10)
色を塗り、パンを頬張り、また色を塗り。
そんな時間が幸せだった。
素朴でいて、何気なくて、温和な日々が。
変わらない時間。
少し前までは、それが私の日常だった。
シキが現れてから、その日常が変わった。
世にも不思議な喋る鳥は、何の前触れもなく、緩やかな日常に風穴をあけ、そしてその穴にすっぽりと身を収め、新たな日常が始まった。
全ては、夢か幻だったのか。
そうだ。普通に考えればおかしな話だったのだ。
鳥が喋るはずがない。
インコが人の言葉を真似る姿をテレビで見たことがあるが、所詮あれはモノマネで言葉を理解している訳ではない。しかしシキはそうではなかった。シキは、真似ではなく話していた。意志を疎通していた。
ファンタジーの世界の話。荒唐無稽なあり得ない存在。
私がシキと過ごしたあの時間は、何かのイタズラで起きた世界のズレのようなものだったのかもしれない。
だが、納得しきれなかった。
最後に見た、夜空を駆ける虹の姿。
それはまぎれもなく、私がシキの体に塗ったものだった。
喜び飛び回った姿も、小さな瞳から流れた涙も、しっかりと私の記憶に残っている。
なのに、その姿は今どこにもない。
過ぎていく時間の中で、私は納得の答えを探すようになっていた。
ぽっかりと空いてしまった穴を、はりぼてでもなんでもいいから塞ぎたかった。
私は単純に、悲しく寂しかったのだ。
当たり前のように傍にいた存在がいなくなるのは、やはり辛さを伴う。
でも答えが分かれば、そんな感情が変えられる。
私は穴を埋める為に、答えを考えた。
“色を塗ってもらえないでしょうか?”
自分が何者なのか分からない。
自分を探す為に、色を宿す事を求めたシキ。
シキはひょっとすると、答えを見つけたのかもしれない。
そう考えれば、図鑑の中にいる数多の鳥の姿にも、己の身に塗った他の鳥を模した色にも、シキが納得出来なかった理由がなんとなく頷ける。
シキはそもそも、鳥ではなかったのではないか。
何かの手違えで鳥の姿にされてしまっただけで、本来であれば青空の下に大きな七色の弧を描いている存在だったのではないか。
そんな考えが頭を過る。
シキとは一体、何だったのだろうか。
雨が降った。
全てを貫く弾丸のような雨粒と、全てをなぎ倒すような強い風。
少し開けてある店の戸から入る雨風は、容赦なく店内をかき乱していく。
過ぎていく時間の中で、シキの存在していた記憶が薄らいでいく。
でも私はまだ信じていた。
シキとの時間が嘘であると思いたくなかった。
「いやーすごい雨ですね」
ひょっこりそう言って、戸の隙間から入ってくるのではないかと、そんなイメージが何度も頭を行き来する。
でも、シキは現れない。
雨は降りやまない。
――シキ、お前は……。
その日雨は一晩中降り続いた。




