第八十一話 エメラルドの魔女さん
笑亜と市乃の来訪から一夜明けた翌日、夏休み十三日目。
朝の走り込みや一日分の宿題を終わらせた午前十時頃。
日が上ってむしむしと暑くなってきた時間帯に、透人は自転車を走らせてある場所へとやって来ていた。
そこは一般的なものより大きな敷地を誇る立派な住宅の玄関前。庭にはよく手入れされた花壇があり、敷地全体から洒落た印象を受ける。
透人は額の汗をタオルで拭いながらチャイムを鳴らす。
それに応えて出てきたのは、金髪と青い瞳を持つほんわかした雰囲気の少女。
「あ、とうどくん。おはよう!」
「うん。おはよう」
アンナの朗らかな挨拶に対し、透人は無表情で返した。お互いに普段となんら変わらぬ様子だ。
ここはアンナの自宅。
透人が訪問した理由は、笑亜のアドバイスに従ってアンナに魔法を教わる事である。
前日に連絡をとったところ、彼女は快く承諾してくれた。
ただ最初は以前のように外で教えて貰おうと思っていたのだが、そうできない事情があるとの事でアンナ宅を訪ねたのだ。
挨拶を交わした後は自転車を指示された場所に停め、速やかに中に入る。
そして案内されたのは広々としたリビング。明るい色合いの家具が揃った華やかな雰囲気の空間だ。
だがよく見ると、日本人形や達磨など趣の異なる物が幾つも置いてあった。和洋折衷というより、ちぐはぐで噛み合っていない、一種の独特な仕上がりとなっている。
透人は無遠慮に見回しつつ、にこやかな表情を浮かべる女性に近づく。
ソファに腰をかけていた彼女は立ち上がり、優しげな声をかけてきた。
「君が明海透人君ね。私はアンナの母親よ。ジニーさん、と呼んでくれたら嬉しいわ」
「あ、はい。どうも、はじめまして」
ジニーはアンナに似て整った顔立ちをしていて、純粋なイギリス人らしく髪も目も西洋風。
なのに着ている衣装は和風な割烹着だった。
日本語も一切違和感がなく流暢。アンナから母親は日本好きだとは聞いていたが想像以上だった。日本人形や達磨も彼女の趣味なのだろう。
色々と間違っているような気もするが、それも個性の一つかもしれない。
母は娘に目配せし、先程とは違う緊張感の伴う一声をかける。
「アンナちゃん」
「あ……うん、わかった。……とうどくん、ごめんね」
「いやぁ、別にいいよ。ちょっと面倒かな、ってくらいだし。そもそもは俺の方が悪かったんだし」
アンナが弱々しく口にした謝罪の言葉を、透人は冗談めかした態度で受け入れた。
それを聞いた彼女はほっとしたように小さく笑い、そしてリビングから去っていく。
足音が完全に聞こえなくなってからジニーは話を始めた。
「それじゃあ聞かせて貰うわね。君は魔法を教わりたいそうだけど、それはどうしてなのかしら?」
優しげな中にも厳しさが介間見える表情。自然と姿勢を正してしまうような緊張感を感じさせる、貫禄のある笑顔。
大層な呼び名を与えられた大魔法使いとしての顔つきとなったジニーにより、透人への尋問は開始された。
これが外で教わる事の出来ない事情である。
今までアンナには、他の魔法使い達に透人の存在を秘密にして貰ってきていた。
組織や他の裏の世界の秘密を守る為になるべく接触を避けたかったからだ。それに正式に認められると制約等がありそうで面倒臭そうだったのだ。
透人の頼みはそんな勝手な思惑のものだったのだが、発覚すると自らも立場が悪くなるアンナは了承し、これまでひっそりこっそり魔法で遊んでいた訳である。
だが今回、勉強の為に普段見もしないような魔法書を持ち出そうとしたところ、とうとう母親に見つかってしまったらしい。
そしてアンナの釈明の結果、魔法を教えるに足る人物かどうか見定めたいと呼び出されたのだ。
返答次第では新たな魔法を得られないどころか、魔法を使えなくなる可能性もある。
とはいえ本来の理由は隠さねばならない。
だから透人は張り詰める緊張感の中で唾を飲み込むと、アンナ相手にも使った言い訳を口にする。
「えー……そうですね。やっぱり……危ない事に何回も逢ってきたんで、魔法があれば安心だと思ったんです」
「危ない事って、例えばどんな事?」
「えー……ですから、交通事故とか、高い所から落ちたりとか、ですかね」
「突然悪い魔法使いに襲われる……とかじゃなくて?」
形だけは笑顔のまま、ジニーは急所へ鋭く突き込むように訊いてきた。
責められているように感じた透人は思わず頭を掻き、つっかえながら発言する。
「あー……それは、まあ、ない事もない……ですね。アンナさんから聞いてますよね。すいません」
「謝らなくていいわよ。君のおかげでアンナちゃんは助ったんだもの」
ジニーが優しげに言ったのは確信を持った断定。
違和感を持った透人の頭にある疑念がよぎる。
「今までの戦いを見ていたんですか?」
「ええ勿論、といっても二回目の時だけよ。一度襲撃があったばかりだったから、念のために見張っていたの。いつでも助けに行けるように準備もしていたわ」
緊張感を崩した笑顔でジニーはしれっと暴露した。
つまり透人の存在をずっと知っていながら、見逃していただけらしい。
よくよく考えれてみればアンナに隠し事は苦手そうだった。相手が親ともなればバレるのは必然だろう。
ただし、そうなるとまた一つ新しい疑問が生じる。
「でしたら、最初からそうしていればよかったのでは?」
「……邪魔したくなかったのよ」
「邪魔?」
経験豊富な大魔法使いなら助かりこそすれ邪魔にはならないだろう、と意味を掴めず首をかしげる透人。
そこに幸せそうな弾んだ声がかけられる。
「うふふ。だって、やっとアンナちゃんの下に王子様が現れたのだもの。二人きりにの時間は大切にしてあげたいじゃない。魔法を教わりたいのもあの子を守りたいからなんでしょう?」
「いえ、違います」
透人は間髪入れずキッパリと即答した。
どうやら勘違いされているらしい。
いつの間にか緊張感が綺麗に消え去った、にやにやと緩んだ口に手を添えているジニーに対し、微妙に眉を寄せた透人は口早に話し出す。
「確かに今までアンナさんを助けた事はありましたけど、それはお互い様です。アンナさんとはただの魔法仲間ですよ」
「あらあら、否定しなくていいのよ? 男の子が女の子を助けるなんて理由は一つじゃない」
「いえ、俺は目の前で何かあったら性別関係なく誰でも助けようとしてますよ」
「またまた、照れちゃってぇ。あの子の相手は大変でしょ? 色気より食い気でごめんなさいね」
「色気より食い気で構いませんよ。照れじゃありませんから」
「ムキになっちゃってまあ。青春っていいわねぇ」
透人が否定を重ねるも、ジニーにはことごとく聞き流されてしまった。全く聞く耳を持ってくれない。
言動が完全にお節介なおばさんである。
それでも透人は否定する。
話を聞いてくれるよう、身代わりを用意して。
「ですから、王子様なら他にいるんですよ。俺はむしろその人の応援をしている立場です」
「あらぁ、そうなの? ……その彼も魔法を?」
ジニーの柔らかな表情の中で目だけが細くなった。緊張感が再び戻ってくる。
それに負けないように気を引き締めた透人は、秘密を守る事と勘違いを解く事を両立させる為に頭を使う。
「あー……それは……はい、知っています。あの時も三人で追い払ったんですから。それは見ていなかったんですか?」
「もしかしてビルの中に移動した時かしら。その時監視魔法の具合が悪くなったのよ。……それより、新しい魔法使いがもう一人いるのね?」
「いえ、知ってるだけで使えません。ですが鍛えているので魔法以外の力は頼りになります。彼……御上君がいなければ負けていました」
霊能力の存在を誤魔化しつつ、清慈郎の存在をアピールした。
その成果か、ジニーは興味深そうに尋ねてくる。
「へえ、そう。その彼はどんな人なの?」
その時、軽快に鳴り響く電子音が割り込んできた。
発信源は透人の携帯電話である。
持ち主は少しばかり気まずそうな声音で謝罪する。
「すいません。電源を切っていませんでした」
「いえいえ、そんな堅苦しくしなくていいわ。私に構わず出てもいいのよ」
「あー、いえ。これはメールで……」
透人は僅かに強ばった顔で言葉を詰まらせた。
相手の名前が市乃だった事に嫌な予感を感じたからだ。
彼女がわざわざこのタイミングでメールを送ってきたという事実。単なるおふざけである可能性は、ないとは言い切れないが、流石に少ないだろう。
そこで透人は言葉に甘えてメールを確認させて貰う事にした。
まず、件名には「これ使ってぇぇぇぇぇ!!」とあった。次なる本文に文章はなく、何かを投げているような顔文字のみ。
そして添付されていたのは、隠し撮りと思われる画像の数々。全て清慈郎とアンナのツーショットだ。
清慈郎は顔を赤くしたり表情を崩したりしているのに対し、アンナはシチュエーションを気にしてない楽しそうな笑顔だ。
メールのタイミングといい、隠し撮りといい、市乃に思うところは山程あった。
しかし透人はそれら全てを呑み込み、躊躇なく使わせてもらう事にした。
「ジニーさん。例の王子様の画像ありますけど見ます?」
「ええ、是非見させて貰うわ。どれどれ…………まあ! 本当に王子様みたいね!」
透人が携帯電話を差し出すとジニーは興奮気味に派手なリアクションをした。
そのまま話は見事に脱線し、透人は清慈郎の情報を洗いざらい吐かされた。ただ、彼は彼で饒舌であり、面白がっていた節があった。
だが、ここへはそんな話をする為に来たのではない。
と思い出した頃に透人が魔法の話を出したところ、ジニーからはあっさり許可を得られた。
結局何の為に呼ばれたんだろう。
そう思った透人だが、細かい事は気にしないようにして感謝の言葉を述べた。
*
豪華な調度品ばかりが揃う一室を、痛い程の静寂が包んでいた。
高級なソファには二人の少女が向かい合って、しかしそれぞれ別々の物を見ながら座っている。お互いに会話する意思は無く、微動だにせず各々の作業をこなしていた。
しかし沈黙は唐突に終わりを告げる。
微笑みを浮かべて手中の鏡を見ていた笑亜が、イヤホンを耳につけノートパソコンのモニターを熱心に見ている市乃に話しかけたのだ。
「第一段階は無事に終わったわ。今のところは順調ね」
「私のアシストも役に立った?」
「ええ、存分に活用していたわ。そちらの方はどう?」
「こっちも異変は無し。接触は予定通り三日後かな」
「そう。だったらあとは彼次第ね。でも……それこそ心配は要らないわね」
「うん、要らない要らない。あの明海君だもん。期待には応えてくれるはずだよ」
「ええ、私達は期待して待ちましょうか」
笑亜と市乃は顔を見合わせると、悪巧みに似合う、含みを持たせた顔で笑い合った。




