第五十五話 曇り空
深山食堂。
それは中心市街から外れた静かな地域にある、それほど広くない敷地に建つ店舗だ。
現在は準備中という看板が掲げられており、数台分のスペースしかない駐車場には一台の軽自動車が停まっている。
その車から一人の少女が降りたった。十代前半程のまだ幼さが残る顔立ち。しかし背筋をピンと伸ばした、隙の無い凛々しい姿からは大人びた印象を受ける。
彼女は従業員用の入り口から店内へと入っていった。
内装は和風な造りで、掛軸や提灯等の装飾がされている。そこにいたのは小柄な少年。掃除をしていた彼を見た少女は丁寧な仕草で挨拶をする。
「力雄さん、美夏さん。おはようございます」
「えっ、あ、うん。おはよう……朝佳さん。えっと、今日はどうしたの?」
「……おはよう」
店内に入ってきた少女、朝佳が呼んだ名前は二つ。返ってきたのもか細い声と何処か不機嫌な声の二つ。
しかし人影は一つしかなく、もう一人の人物は見当たらない。にも関わらず、朝佳は気にせずに言葉を続ける。
「ええ、今日は父の代わりに。それともう一つ用事があって来たんです。……力雄さん」
「あ、えっ、と……何……かな?」
朝佳は冷たい眼差しで力雄をじとっと見つめた。何やら剣呑な雰囲気。それに力雄は挙動不審な反応を返した。
「球技大会での話は聞きましたよ。力を発揮して活躍されたそうですね?」
「あ……うん……ごめん、なさい……」
「何も謝る必要はありませんよ。それに学校で力を発揮する事の全てが悪いとは言いません。ですが、黄山さんは人に変化して力を抑えていても、普通の人より力が強いままなんです。ちゃんと自覚して下さい」
「はい……以後、気をつけます……」
静かでありながら有無を言わせぬ口調の朝佳に諭され、力雄は消え入りそうな声で反省の意を示した。
そこに割り込んだのは高い大声。先程美夏と呼ばれたもの。
「ちょっと、あんた! 立場ってもんをわきまえなさいよ!」
「……私達の立場は平等の筈ですよ。それに、今言ったのは全て事実です」
「言い方とかあるでしょ!? 年下の癖に!」
「……あなたに年齢の話題をされると困るのですけど」
「私の話じゃないわよ!」
それからしばらくの間、騒々しくきつい声が難癖をつけ、静かで丁寧な声が受け流すという攻防は続き、その場は緊張した空気に包まれる。
それが終結したのは、力雄が挙動不審におろおろし始めた時だった。美夏の声が「ふんっ!」という感嘆詞を最後に黙り込んだのだ。
そしてもう一人の当事者は溜め息をつき、力雄の方向に向き直ると穏やかに問いかける。
「……泉さんは奥ですね?」
「あ……うん」
返答を受けた朝佳は店の奥へと進む。足を止めた場所は厨房。
そこで作業をしていたのはエプロンをかけた妙齢の女性。朝佳は彼女に丁寧に会釈をしながら声をかけた。
「おはようございます泉さん。書類を預かって来ましたよ」
「あら、おはよう朝佳ちゃん。今日はあなたが来てくれたのね」
「ええ、父も他の者も忙しいので……」
「とりあえず場所を移しましょう。お話はそれからね」
「はい」
二人は休憩室として使われている和室へ移動し、ちゃぶ台を挟んで座った。双方ともに礼儀正しい正座であり、凛としている。
朝佳は鞄から書類を取り出し、泉へと差し出した。
「これが前回こちら側で現れた妖怪の資料です」
「わざわざ悪いわね。直接手渡し以外の方法で出来ればいいのだけど」
「いえ、そうする訳にもいきませんし。それに……これは私達の当然の義務ですから」
妖怪という非常識な言葉を平然と口にし、相手も当然の事の様に受け取った。
それは泉本人が妖怪であり、朝佳もそれを知っているから。
彼女らにとって妖怪は、確かに存在する日常的なものであるからだ。
妖怪を知る人間の少女、源朝佳の義務。
それは人間と妖怪の橋渡しをする事だった。彼女の血筋は、代々この地域で妖怪にまつわる仕事を行なっていた古くから続く家柄であり、それは現在も続いている。
妖怪にまつわる仕事というのは、なにも人間に危害を加える妖怪を退治する事だけではない。人間に悪意を持たない妖怪を人間社会で生活させる為の様々な協力もしているのだ。
それは戸籍を用意する事であったり、住居や仕事の提供であったりする。ここ、深山食堂も源家の協力により建てられたものであった。
そして、泉達人間との共存を選んだ妖怪は源家の行為に対する見返りとして妖怪退治の協力をしている。退治の対象は、知能が低く肉食獣同然に人間を襲うもの、知性があっても人間との共存を拒み悪事をはたらくものだ。
それらを退治あるいは捕縛する活動を、泉達は食堂を経営しながらこなしているのだった。
前置きの後は朝佳による資料についての説明が始まる。事務的に淡々と述べる彼女だったが、資料に無い話題になると幾分か緊張した声になった。
「……それと、以前に事件を起こした鬼が目撃されています。現在、行方が解らず捜索中ですので、そちらでも警戒しておいて下さい」
「…………そう、分かったわ。気をつけておくわね。他には何かあるかしら?」
朝佳が言った警告にぴくりと反応し、一瞬顔を強張ばらせた泉だったが、すぐに不穏な影を笑顔の奥に隠して朗らかに振る舞った。
「いえ、報告は以上です」
「そう。ご苦労様、朝佳ちゃん」
「……ただ、個人的に少々お話が……」
「何かしら?」
報告の時とは異なる歯切れの悪い朝佳の様子に、泉はにこやかな笑顔で聞き返す。すると朝佳はそれまでの凛とした雰囲気を崩し、顔に戸惑いの色を浮かべながら追及しだした。
「何故、わざわざ普通の人間のアルバイトを雇ったのですか?」
それは純粋な問いかけ。
特殊な事情を考えれば、そんな平穏を壊す可能性のある事をする必要は何処にもない。人手不足だというなら源家の方で用意すれば済む話だ。
源家当主である父は許可したらしいが、その理由を聞いても、「信用しているからだ」としか言わなかった。
泉は疑問を正面から優しく受けとめ、用意していたのだろう答えをすらすらと語る。
「あの子達にも人間のお友達がいた方がいいでしょう? 人間と妖怪の共存には若い世代の友情が必要だと思うの」
「……それは解ります。その目的自体は問題ではありません。ですが人間との交流という話なら私達がいます」
「でも、それだと世界が狭くなってしまうでしょう? あの子達にはもっと広い世界を知って欲しいのよ。……それに、力雄にはちょっとした荒療治が必要なのよ。それは元々妖怪を知らない人だからこそ意味があるの」
「……荒療治ですか……その人は、本当に妖怪を認めて受け入れられるんですか?」
心配と不安で顔を曇らせながらも、泉をまっすぐに見据えて質問する朝佳。
その心遣いに泉は嬉しそうな笑みを浮かべる。そして朝佳の意思に応えるように、強い口調ではっきりと言い切った。
「それなら大丈夫。あの子は信頼出来る人間よ」
「……そうですか。そうまで言うのならもう何も言いません」
泉の表情や口調から信用したのか、朝佳はその言葉を柔らかい表情で受け取る。そんな朝佳を、泉は似たような表情で優しげに見ていた。
それから数秒後。
そこで難しい話は終わり、と泉が空気を一変させる。面白がっている様子で思い出話を始めたのだ。
「ふふっ。そういえば前にもこんな事があったわよね。力雄が学校にスカウトされた時かしら」
「あの時反対したのは、あの組織の人間があまりにも胡散臭かったからですよ」
力雄が通う学校は、実は「全国的に人間と妖怪の協力関係を築こうとしている組織」が経営しているらしい。その為、妖怪であろうと受け入れる、と話を持ちかけてきたのだ。
しかし、学校の話を持ってきたのはローブで全身を覆い、顔も隠した人物。それにそんな組織の話はそれまで聞いた事がなかった。
だから朝佳は反対していたのだ。
「……正直に言うと私もそう思ってたわ。でも学校自体の説明には問題はなかったでしょう? だから広い世界を知る一番いい方法だと思ったのよ。私も、あなたのお父さんもね」
「……ええ、確かにそうですね」
「あ、そうそう。子供に広い世界を見て欲しいのはあなたのお父さんも同じみたいよ。だから学校やアルバイトの件を許可してくれたんじゃないかしら」
「そうでしょうね……父には、少し甘いところがありますから」
「……そうね。そういう面はあるかもしれないわね。あなたの事になると特に」
「……………………少し、話し過ぎましたね。それでは、これで失礼します」
朝佳は泉の台詞に肯定も否定もせずに立ち上がると、丁寧なお辞儀をしてから深山食堂をあとにした。
*
一台の軽自動車が深山食堂の駐車場から出発した時。
その様子を、少し離れた場所に建つ住宅の二階の一室から覗き見ていた人影があった。
カーテンの隙間から窓の外、深山食堂を注意深く見張っているのは人相の悪い男。善良な一般人とは明らかに異なる粗暴な雰囲気を纏っている。
その一室には家具の類は見当たらず、ガランとしており生活感が全く無かった。
見張りの男以外にも数名の男が居たが、全員似たような雰囲気だった。彼等は床に直接座り込み、難しい顔つきで沈黙を保っている。
精神的に強い者でなければ、見た瞬間に逃げ出すか、下手すれば失神しそうな光景である。
重い緊張感が漂う中、見張りの男が窓の外を見たままに不満げな声を出した。
「頭、あの小娘は退治屋の跡取りなんでしょう? どうして見逃すんで?」
「裏切り者への制裁に使うんならこの小娘でもいいじゃねえですか。今からでも充分追いつけますぜ?」
「これだけ数が揃っていれば楽に潰せるでしょう」
見張りに同調して幾人かが強行論を唱える。頭と呼んではいても命令には不満があるらしい。
それに対して頭と呼ばれた男、一際恐ろしい顔をした巨体は薄気味悪く笑い、吐き捨てるように否定した。
「あひゃひゃひゃ。テメエら阿呆か。退治屋連中を舐めるんじゃねぇよ。マトモにぶつかりゃこっちの被害もデカくなる。たいして俺達の得にゃなんねえよ」
「……少し弱腰過ぎるんじゃないですか」
「あひゃひゃ。実際ぶつかった経験もねえ奴がほざくなよ。犬死にするぞ。大体退治屋じゃあ、奴への制裁に不十分なんだよ。元々無関係だった人間が自分のせいで傷つくってぇ方が……奴の中身を抉れるだろ?」
頭は一旦言葉を切ると胡座をかいたまま部下達を見渡し、それから恐ろしい外見を更に恐ろしくさせて言った。
「裏切り者にゃ、外にも中にも徹底的な粛清を与えとかねえと気が済まねえんだよ」
ギロリと見開く血走った目。口元に浮かぶ醜く下卑た笑み。有無を言わせぬ口調の、頭に重く鈍く響いてくる低い声。あらゆる要素が恐怖感を抱かせる。
更には体が実際に変化を遂げた。額には角が生え、肌は黒く変色し、体を包む筋肉は膨れ上がる。
全身から噴き出るのは悪意と狂気。
ただの雰囲気や錯覚ではなく、実際に計り知れないエネルギーを持つ何かを放っていた。
獰猛な迫力に満ちたその姿に部下達は息を呑む。震え、怯え、恐れ、そして逆らってはいけない事を理解した。
「分かったならもう無駄口は叩くんじゃねぇよ」
黙りこみ、態度を改めた部下達を見た頭はそれだけ言うと元の状態に戻る。
つい先程までとは別種の緊張感に支配された空間で頭だけが以前と変わらぬ様子である。
やがて、視界に変化を見つけた見張りが、張りを取り戻せていない堅い声で報告する。
「……来ました! 例の奴です!」
「おう、分かった。他の場所の連中にも連絡しておけよ。準備に失敗すると祭りは盛り上がらねえからなぁ」
「はい!」
歪んだ笑みの頭の命令を受け、途端に室内は慌ただしくなる。
見張りの視線の先では、曇天の下を無表情の少年がぼーっとした様子で歩いていた。




