第四十話 試練
「うっ……! 少し、力を使い過ぎたみたいね……!」
突然笑亜がガクッと膝をつき、弱々しい声を発した。疲労が滲む苦しげな表情には余裕も微笑も見当たらない。
端からは先程の大技のせいで力尽きたように見えるだろう。事実立ち上がった指揮官はそう思っているようだった。幾分か落ち着いた様子で言う。
「ボス以上の能力者かと思えばもう打ち止めか。残念だったな」
しかし、透人にはそうではないと解っていた。そうであるからこそ「何やってんの?」と戸惑う。
そんな時、普段通りの笑亜の声が頭に響いてきた。
『折角ここまで来たのだから貴方も見せ場が欲しいでしょう? そういう訳で私はもう手出ししないから』
どうやらこの行動は透人を矢面に立たせる為のものらしい。
わざわざそんな事をする必要があるのかと思うものの、相手も騙されているのだから意味はあるようだ。
ただ、透人としてはどうしても言っておかねばならない事があったので、笑亜にしか届かない程度の声量で尋ねる。
「……演技はしたくないんじゃなかったの?」
「もう、限界ね……悔しいけれど、あとは貴方に任せるしかないみたい……」
『何事にも臨機応変な対応が必要なのよ。あ、そうそう。超能力以外はバレないようにね』
相手用の弱音とほぼ同時に副音声がテレパシーで伝わる。それなのにどちらの内容も理解出来るという何とも不思議な感覚を透人は味わった。
一方、指揮官は腰を落として構えていた。恐らく部下を一掃した笑亜が任せると言った透人を警戒しているのだ。
しかし、透人はそれをぼーっと見ていた。
別に見せ場が欲しいとは思わないし、悪人とはいえ話を聞いただけの相手に闘志が湧かないのだ。
見ているだけなのは確かに嫌だが、これは何かが違う。と、複雑な感情が行動を阻害する。
それでも、足を引っ張る思考を打ち切り気持ちを切り替えようとした。
指揮官は今もジリジリと距離を詰めているのだ。何もしないままでは危険すぎる。戦いたくなくとも許してはくれないだろう。
そこかしこに大の男が倒れている中、中央に空いたスペースで向かい合う両者。敵意と悪意を持ちながらも理性を残した視線と感情の読みとれない視線が交わされる。
緊迫した空気に息が詰まる。喉が乾く。体が重くなる。耳鳴りすらする。
それに構わず、気合いを入れる。
こんなもの笑亜と先生の睨み合いに比べればたいしたレベルじゃない。
そう己に言い聞かせた透人は鞄に手を入れ、最近常に持ち歩くようになった物を取り出そうとした。ところ、嘲るような声がすぐ近くから聞こえてきた。
「遅ぇな」
瞬時に加速した指揮官が至近距離にまで迫っていたのだ。振り上げられた脚が空気を引き裂ながら襲ってくる。
避ける時間もガードする時間もない。為す術もなく指揮官の右脚が脇腹に刺さり、透人は空中を舞っていった。
床を転がり、倒れている男にぶつかって止まる。何とか上体を起こすも立ち上がれはしない。
そんなチャンスに、指揮官は追撃を仕掛けてこなかった。苦い顔で右脚をさすっている。
「チッ……何か仕込んでやがったか」
透人はあらかじめ制服に硬化の魔法をかけていたのだ。即席とは言え硬度は金属並みになっており、正に鎧。
おかげで大きなダメージはないが、運動エネルギーを打ち消せる訳でもないので吹っ飛ばされてしまった。それに加えて制服ごしに強烈な衝撃が伝わり、体全体が軽く痺れている。
「だがまあ、これなら問題はないな」
そこに再び指揮官が迫る。
左脚での前蹴り。しかも狙いは顔だ。
二回目なら注意していたし心構えも出来ている。動き始めに反応し、痺れる両手に鞭を打って顔の前で交差させた。
直後に衝撃。
もたれていた男も巻き込んで吹き飛び、壁に叩きつけられる。肺の中の空気が押し出され、全身に鋭い痛みが走った。
そこに更なる衝撃。
顔の前で交差させたままの両腕の上から踏みつける様な蹴り。
腕に大きな問題は無い。しかし、壁に頭を打ってしまった。
痛みのせいで床に転がり、そのまま起き上がれない。気を抜くと今にも気絶してしまいそうな程。
そんな弱った透人の鼓膜を侮辱に満ちた低い声が震わせる。
「こっちは大した事なかったか。向こうの方が手強そうだ」
指揮官は嘲笑を残し、背中を向けて遠ざかる。
もう警戒する存在ではないと見なされたのだ。
この様じゃ仕方ないな。
そう思った透人は気を張るのを止め、目を閉じる。
刹那。
『もう、終わりなのかしら?』
そんな声が脳に響き、朦朧としていた意識が一気に覚醒した。
姿は見えずともあの妖艶な微笑が脳裏に浮かぶ。
何を考えているのか、何をしでかすのか分からない表情。
そんな顔をした笑亜なら、透人が負けても本当に最後まで手を出さない可能性すらある。だったらあの指揮官は透人が倒さねばならない。
それは何の根拠もない想像。
しかし、そうだろうと関係ない。
昨日笑亜は「実力を見誤ったりしない」と言っていた。その口で「任せる」と言ってきたのだ。
ならば、目の前の男は勝てる相手だ。
勝てる勝負を落としては格好がつかない。
ここが危険だという事も、本来なら自分は必要ない存在だという事も理解していた筈だ。
その上で自分で来ると決めたのだ。
自分で決めた事柄なら投げ出す訳にはいかない。
戦う理由も勝因もある。意地もある。
一つずつ考えを整理した結果、動きを鈍らせていた違和感は消え去った。
ようやく、ようやく頭と体に活力がみなぎってきた。
もう大丈夫。だから、テレパシーへの答えは決まっている。
いや、まだ。
そう笑亜に伝わるように念じた。
『フフフ。だったら情報を提供してあげましょう。この中ボスは脳のストッパーを外して身体能力を向上させる類の能力者よ』
うん、分かった。短く返した後、透人は反撃を開始する。
まずは状況確認。
指揮官は背を見せたままキョロキョロしている。何をしているかと思って見回せば、笑亜の姿がなかった。いつの間にやら隠れていたのだろう。
つまりこれは笑亜がくれたチャンス。
身体能力を向上させる能力というのはサイコキネシスやパイロキネシス等のように派手さは無いが厄介だ。あれだけの速度を出されたらこちらは何かをする前に全て潰されてしまう。
速いというのはそれだけで有利。
だから、ここからは先手を取り続けなければならない。
まだまだ痛みは残るものの、問題はない。今のところ立ち上がる必要もない。
まず最初は失敗した行動から。
鞄の中から静かに厚い布製の巾着袋を取りだした。そして、口を開くと手を入れ、中身を掴む。
その際にジャラッと音がしたせいか、指揮官が素早く振り返った。
「な、んっ!?」
その眼前には透人の武器の数々が写っただろう。
釘、螺、石に硝子片。軽くて小さくても、固くて鋭い危険な代物。
弱いサイコキネシスを活用する為に集めたものだ。
それらを顔や手等素肌が露出している部分を狙って飛ばしていく。
結果、顔は腕で覆っている為に無事だが、既にその両手は血にまみれていた。といっても一つ一つの傷は浅い。
ただ、傷の深さはこの際問題ではないのだろう。
今は隠されているので顔は見えない。それでも、どんな顔をしているかは想像がつく。
「こんの、ガキィ!」
指揮官が冷静さを欠いた怒声を上げるとともに、重心を下げ脚に力を入れた。飛来する武器は無視して突っ込んで来る気なのだろう。
しかし、それを実行する前に、
パリンパリンパリンパリン!!
「っ!?」
天井から破砕音がし、次いで室内が暗闇に包まれる。
透人が武器の一部を天井に向かわせ蛍光灯を割ったのだ。
周囲の変化にすぐには対応出来ず指揮官の動きが止まる。
それを透人は霊視で知った。通常の視覚が役に立たなくともこれなら視る事が可能だ。
相手だけの視界を封じた圧倒的に有利な状況。
指揮官が戸惑っている間に痛みを堪えて立ち上がり、次の一手の準備をする。
その前に全てを終わらせようとしたのか。
「逃がすか!」
指揮官が突撃を敢行してきた。
とても捉えられない速度で迫る男。霊視が使えなかったとしても空気の震えで解ってしまう。
それに透人は自分の耳にも幽かにしか聞こえない程小さく呟いただけだった。それだけで魔法が発動する。
「ブロック」
二人が接触する寸前、ドカッという鈍い音と男の低い呻き声が辺りに響いた。暗闇になる前に目測した壁までの距離を信じていたのだろうが、それでは本来の壁より手前に作られた空気の壁にぶつかって当然だ。
攻撃を防いだ透人は空気の壁を迂回して指揮官の背後に回り込む。それまでの間にメモ帳のページを覚えている回数捲り、新たな魔法を使っていた。
硬化と重力増加。それを鞄に用いて武器へと変える。
そして、未だ衝撃と混乱から立ち直れていない指揮官に力の限り叩きつける。
再びの鈍い音。はっきりとした手応え。
ただし、それを受けても尚、指揮官は倒れない。
「ぐっ……! 舐めるなっ!」
それどころか態勢を崩しながらも無理矢理拳を振るってきた。
それを霊視で察知した透人は鞄を盾にして防ぎ、後退る。
しかし、それからも指揮官の攻勢は続いた。
音か勘か経験か。視界の効かない中でも正確に透人の位置を狙ってくる。
振るわれる拳も脚も重く、硬化した鞄越しでも衝撃が響き、腕が痺れる。何度も耐えられはしない。
だから、一度大きく距離をとる事にした。
「ショット」
「っ!? チッ!」
魔法の空気弾。これに指揮官は踏ん張りきれずに吹き飛び、二人の間に空間が広がる。
そして、静寂が訪れた。
空気がはりつめ、プレッシャーを感じる。
霊視によれば指揮官に動く様子は無い。ただし何が起きても対応出来るように身構えているのが解った。
少しでも音を立てれば位置を悟られてしまい、一撃を加えられそうな気配。それだけの実力はあるだろう。
だからといって手をこまねいていては向こうも暗闇に目が慣れてしまう。
そこで透人は鞄にかけた魔法を一度解いて細工を施し、サイコキネシスで浮かせた。ゆっくり慎重に操作して目的の場所へもっていく。
霊視では魂の位置しか察知出来ない。故に感覚とこれまでの経験だけで為さねばならない。
確認も出来ないので不安が残る。だからこれは一種の賭け。
あと数手。自分を信じて行動する。
まずはサイコキネシス。
キキキキキキキキキキキンキンキキン!!!!
「っ!?」
鳴り響く甲高い金属音。釘や螺を可能な限り一斉に操作しての演奏。
それに指揮官は視るからに動揺した。構えが緩み、力も抜けている。思考も定まっていないだろう。
その隙をつく。
鞄に仕込んだ魔法陣を発動。
硬化に重力増加。
更に今回は頭上からの落下だ。
サイコキネシスにより天井近くまで持ち上げられ、重力の恩恵を最大限に得た凶器が、常識外の加速をもって襲いかかる。
「がっ!?」
意識を乱され集中力の切れた指揮官は反応する事すらなく脳天に直撃を受け、遂に倒れた。
しばらく様子を見ても起き上がる気配はなく、ピクリとも動かない。逆に心配になったものの霊視では魂は無事だった。
つまり、透人の勝利。
とは言え、まだ首謀者が残っている。笑亜の言うところの中ボスなのだ。
それでも、一つの戦闘を切り抜けたのもまた事実。
透人はひとまず床に大の字になって休んだ。
「あぁ~……疲れた」




