第三十六話 招待
そこは無機質な場所だった。
そこにはベッドに医療機器、大がかりな設備等、病院それも大病院にある様な物が揃えられていた。
それでいて病院とはまるで違う、不必要な物の一切存在しない寒々とした空間だった。
そこにいたのは白衣を着た研究員と思われる者達と拳銃で武装した警備員らしき男達がそれぞれ十数人。
それに簡素な服を着た人々が数十人。彼らは年齢も性別もバラバラだが生気のない虚ろな目だけは共通していた。
研究員と簡素な服の人々だけならやはり病院に見えたかもしれないが、武装した男達と人々の虚ろな目がそれは違うと物語っていた。
そこはある目的の為には非合法な実験さえ行う研究施設。
故に世間からは徹底的に隠されていた。
研究成果を実用化した技術が用いられ、部外者には到底発見する事の出来ない様な対策が施されていた。
外界とは完全に隔離された場所。
それがこの施設の姿だった。
ほんの数分前までは。
何故、一体何故こんな事態になってしまったのだと一人の男は答え無き問いを重ねる。
男は警備の指揮を執る人物だった。
彼は自らの仕事部屋であるモニタールームで壁一面に写し出された施設内の映像を床に横たわって見ていた。
その映像こそ男の疑念の発生源。
モニターに写る施設内は今、様相が一変していたのだ。
まず、白衣の研究員も武装した男達も残らず床に伏せていた。彼らは皆意識はあるのだが、苦悶の表情で呻き声をあげるばかりで起き上がる事の出来る者は一人としていなかった。
反対に実験対象としていた人々は安らかに眠っていた。かつて生気のない虚ろな目をしていたとは思えない程に幸せそうな顔ですやすやと眠りについている。
正に天国と地獄に別れた研究施設。
その中で自由に動き回る事が可能な存在が一人だけいた。
監視カメラの角度の関係で顔は見えないが体つきからして恐らく少女。
彼女は行く道に倒れている者達にはひとかけらの注意も払わずに悠然と歩いていく。
それが指し示すのは信じ難い事実。
絶対不可侵の要塞はたった一人の侵入者、それも高校生程の少女によって崩されたのだ。
やはり解らない。
何をしたらこんな現象を引き起こせるのか、そもそもこの場所をどうやって発見したのか。
謎だらけの侵入者にどう対応すればいいのか。
全てが解らない。
そうして男が混乱している間も少女は一定のペースで歩みを続けていく。その足取りからしてモニタールームに真っ直ぐ向かって来ているのが解る。
やがて男の耳にカツカツと響く足音が届いた。少女がたどり着いたのだ。
室内に入ってきた少女は部屋の奥に倒れたままで動けないでいる男の所へ歩み寄ると、立ったまま男を見下ろした状態で声をかける。
「お留守番ご苦労様、小ボスさん。少し聞きたい事があるのだけれどいいかしら」
少女の言動は男を見下しているとはっきり告げていた。
男は屈辱に身を震わせるも立ち向かう気力は残されていない。それでも、彼にはプライドがあり、忠誠心がある。決して情報は洩らすまいと抵抗を試みる。
が、
「……だ、れが、っ…………ぐっあああああああぁぁぁぁ」
男は突然走った鋭い痛みに絶叫した。
それは初めに男が倒れた時と全く同じ現象だった。何をしたかかは解らないが少女の仕業で間違いない。
痛みは長くは続かなかったものの男の抵抗する心を萎えさせるのには充分だった。
そうして弱った男に更に近寄ってきた少女は、幼い子供に視線を合わせる様にしゃがみこむと抑揚のない平坦な声で問いを重ねる。
「たかが小ボスなのだから立場をわきまえて答えなさい。ここのボスが居ないのだけれど何処にいるのかしら?」
少女が視線を合わせた事で男の目に彼女の顔が写る。
その瞬間、ゾクリと悪寒が走り、背筋が凍った。
そこには死神がいたのだ。
仮面かと思う程に感情がなく、人形よりも人間らしさが欠如した、機械の如く冷たきモノ。
禍々しい威圧感を放つ少女の形をした何か。
男は先程とは異なる理由でその身を震わせる。
それは原始的な本能からの警告。得体の知れない未知への恐怖と圧倒的な強者への恐怖。
自分が喰われる側の存在である事、少女がそれを実行出来る冷徹さを持ち合わせている事を男は悟った。
それによりプライドが、忠誠心が、怒りが、その他全ての刃向かう原動力が消え失せる。
彼の心は完全に折れてしまった。
「……忌崎様、はスポンサーへの報告で……出られている。……場所は、知らない。……明日の明け方まで、には戻られる、予定だ」
「そう。ならもう用は無いわ」
「ぐっ、あっ、がああああぁぁぁ!!!!」
少女の突き放した言葉と共に男を三度目の激痛が襲う。
それは今までよりも遥かに強く、とても耐えられるものではなかった。次第に意識が遠のいてゆく。
「さて、どうしましょうか。待つ訳にはいかないし、もう一度探知するしかないのかしら」
少女はそんな男の様子を意にも介さず今後の行動を検討している。
その姿をはっきりしない頭でぼんやりと見ていた男は、幻覚を目にしたと思ったのを最後に意識を手放した。
「…………いえ、これは……丁度いい機会かもしれないわね」
ついさっきまで人間らしさを感じられなかった死神は悪戯を思いついた様にニヤリと笑っていた。
*
「だから黄山も買おうぜ。面白さは保証するからさ。あと一人足りないんだよ」
「……えっ、いや、僕は下手だし……」
「大丈夫、大丈夫。最初は誰だって初心者なんだから。なんならしばらく貸すよ」
「あ、えぇと、それは、有難いんだけど……」
時刻は四時頃。季節柄日の入りにはまだ余裕がある時間帯。
部活動等の用事がある生徒は既に去り、暇をもて余した者だけが残る教室にはだらだらとした空気が流れている。
その一角で透人は充、力雄と共にそういった環境の形成に貢献していた。
いつもは紅輝も一緒にいる事が多いのだが、朝の一件で澄に連行されてしまったのだ。
二人のゲーム仲間への勧誘に歯切れ悪い受け答えをしていた力雄だったが、ふと時計を見ると言いにくそうに自分から話題を変えようとする。
「……あ、もうそろそろ……」
「おう、そうだな。そろそろ……ゲーセンでもいくか?」
「え? あっ、いや、その……」
ゲームセンターで遊ぶというのは普段からよくある選択であったのだが力雄は戸惑っていた。恐らく、というか間違いなく望む話の展開ではなかったのだろう。
しかし、透人の方はあっさりと提案を受け入れた。
「じゃあ、それでいいよ。黄山君は?」
「……えっ、あ、うーん。僕は……その、早く……」
尚も迷いを見せつつ何かを言おうとする力雄。
この言おうとしているのが何なのかは透人は解っている。妖怪の出現に備える為に帰ろうとしているのだ。
ただ、「妖怪なんて滅多に出ないし、出たとしても私達で何とかするから大丈夫」と保護者から許可は貰っていた。
だから透人は「黄山君が心配することは多分ないからとにかく行こう」としつこい位に誘い続ける。
その結果、とうとう力雄は根負けしてしまう。
「えー、あっと、じゃあ……うん」
「よし、決まりだな。行こうぜ」
力雄も肯定した事で話がまとまり、充の声で三人が立ち上がった。
正にその時。
『いつもの場所に来てくれないかしら』
透人の頭にテレパシーによる声が響いた。
簡潔で理由も何もないその要請を、透人は僅かに躊躇したものの実行する事にした。
「…………あー、ごめん。先に帰ってていいよ。先生の所に呼び出されてたの忘れてた」
「……あっ、うん。それなら仕方ないよ」
「まあ、そうだな。んじゃあ、また明日にするか」
「うん。じゃあね」
挨拶もそこそこに透人は二人に見送られて教室を出ていく。
笑亜から呼び出されるなんて初めて理事長室に行った時以来だった。
透人には何事もなかったのだから、呼び出しの理由は間違い無く笑亜の欠席と関係があるのだろうと当たりをつける。
先生に聞いてみても教えてもらえず、冷たくあしらわれてしまった疑問。
それが解消出来ると足早にいつもの場所に辿り着いた透人を笑亜は立ったまま迎えた。
「いきなり呼び出して悪かったわね」
「んー、まあそれはいいんだけど。何の用なの? 今日休んでたのと関係あるの?」
ソファに座っていない事を怪しむ透人だったが、一先ず棚に置いて早速質問を繰り出す。
「あると言えばあるけれど……細かい理由は後にして先に結論だけ言わせて貰うわね。
今日は両親がいないのよ。だから……家に泊まりにこない?」
妖しく微笑む笑亜からの誘い。
年頃の男子としては見逃せないイベントだろうそれを透人は、
「いいけど……何で?」
実にあっさりと承諾した。
口調も落ち着いていて無表情の顔にも変化は見られない。本心を隠すのが上手いというより本気で心は動かされていない様だ。
その反応を見た笑亜は不満そうに口を尖らせる。
「ちょっと貴方、リアクションが薄すぎるわよ。もっと喜んでくれないと」
「そんな事言われてもなぁ。じゃあ、もっと大袈裟に騒げば良かったの?」
「そうよ。そうして喜んだ貴方に、招待するのは組織のアジトだから元々両親なんて住んでいないのだけれど。と言う予定だったのに」
からかうつもりだったと告白した笑亜の台詞を聞いて透人の雰囲気が変わった。
「組織の……アジト?」
目を鋭くして身を乗り出した、いかにも興味津々といった様子の透人。
彼に呆れた笑亜が溜め息を一つ。
「だから貴方、ここはがっかりするところよ。……まあ、予想していた反応ではあるのだけれど」




