第二十二話 人外の戦い
轟音が響いた直後、近くにいる蜘蛛に動きがあった。透人を放って音のした方に向かっていったのだ。
もう一匹が倒された事が解り、危険な存在を先に排除しようとしたのだろうか。
透人は蜘蛛との距離が充分に開いた事を確認すると、路地から出て様子を窺った。
新しく現れた人物も近づいてきていたので何とかその姿が見えた。はっきりとは解らないが、どうやら小柄な少年のようだ。
その少年が射程距離に入ると蜘蛛は糸を吐きかける。
それに対し少年はただ真っ直ぐ立ち向かっていくだけだった。そして、案の定糸に絡みとられる。
そのまま糸ごと引っ張られた。少年は小柄な分軽いのか、蜘蛛との距離がぐんぐん縮まっていく。
その先には蜘蛛が脚を広げて待ち構えている。
だというのに少年の顔に焦りや恐怖の色は無い。いたって落ち着いている。
それは、完全に蜘蛛に引き寄せられ脚で押さえつけられても変わらなかった。
糸を避けられなかったのではなく、わざと捕まったのだろう。
ただ、そんな事は蜘蛛には関係無かった。
警戒する様な素振りも見せず少年の肩口に牙をつきたてる。
が、蜘蛛の牙が獲物を食い破る事はなかった。牙はほんの少し傷をつけただけで止まったのだ。
何度も繰り返すが結果は変わらない。
その間に少年は自身に絡みついた糸を力任せに引きちぎった。
そして、左手で蜘蛛の頭を抑え、握り拳をつくった右手を振り上げる。
そのまま力を溜め、やがて蜘蛛に叩きつけるべく右手を勢いよく動かし始めた。
その時。幽かに、だがはっきりと聞こえてきた声があった。
それは、謝罪。
「ごめんね」
その直後に轟音が響き渡る。
少年の一撃を喰らった蜘蛛は完全に動きを止めた。その数秒後に体がさらさらと崩れ始め、最終的に跡形も無く消滅した。
やはりまともな生物ではなかったのだ。
とはいえ見ていて気分の良いものではない。
それは少年も同じなのだろう。
悲しそうな表情で蜘蛛の最期を見届けていた。
色々思うことはあったが、とりあえず透人は言うべき事を言おうとした。
どう声をかけようかと悩みながら近づいていく。すると、突然少年が透人の方を向いた。
「えっと、大丈夫でしたか? って、え?」
少年は透人の顔を見ると驚いて固まってしまった。
その顔は確かに知っているものだった。小柄な体型も一致している。
驚いた理由は恐らく、誰かがいたのは分かっていたがそれが透人だと今気づいたからだろう。
しかし、透人が知っている少年とは明らかに違う点がある。
まず、顔だけでなく見えている肌が全て赤黒かった。次に、頭には二本の突起、というより角が生えていた。更に先程の蜘蛛との戦闘で見せた怪力。
透人はこれらの情報をまとめて一つの結論を出した。
「ありがとう黄山君。それにしても実は鬼だったんだねぇ」
「……え? あ、えっ……ええっ! あれっ!? 何で!?」
この慌てている声や仕草からも間違いない。突然現れて蜘蛛を倒したのは力雄だったのだ。
何でと言うのは正体をあっさりと見抜かれたからだろうか。
とりあえず周りに危険は無いようなので情報収集をする為にも力雄を落ち着かせようとする。
「黄山君一旦深呼吸してみようか」
「えぇーと、うん。分かっ……………いやいや待って。僕は君の知ってる人なんかじゃないよ。どう見ても人間じゃないでしょ」
最初は透人の言う通りにしようとした力雄だったが、話の途中で我を取り戻したのか落ち着いて否定しだした。しらばっくれようとしているらしい。
今更遅いのだが。
「うん。黄山君が妖怪だなんて知らなかったよ」
「…………だからその、黄山君って人とは違って」
「いやぁ、確かに変身してるけど顔はそのままだしなぁ」
透人は自身の意見を一切疑っていなかった。何を言ってもその自信は揺るぎそうにない。
それを理解したのか力雄は否定するのは諦めた。
普段と同じ様な気弱な表情で恐る恐る透人に尋ねる。
「普通にしてるけど……えっと、その、僕が怖くないの?」
「あれだけあたふたされたら怖がるのはちょっと難しいかな」
鬼の姿で慌てふためいたり、気弱な表情をしたりしていたのはなかなかにシュールだった。
力雄は恥ずかしそうに顔をうつむけた。が、それはわずかな時間だった。すぐに顔を上げると透人に詰め寄る。
「でも、ずっと皆を騙してたんだよ? 皆とは違うんだよ?」
「人間に味方する妖怪ってやつでしょ? だったら別にいいと思うけど」
「えっ……あれ、え?」
透人は妖怪という存在をあっさりと受け入れる。すると予想外の返答だったのか力雄は再び思考停止状態に陥った。
このままでは話が進まないと透人が力雄を落ち着かせようとした時、
「リーキーオー!!!」
大音量の叫び声が響いてきた。
その声の主は必死に走っている少女だった。少女は勢いをほとんど緩めることなく体当たりするようにして力雄の肩を掴む。
それでも力雄は全く揺るがずに受け止めた。流石は鬼といったところだろう。
「やっと追いついた! 一人で突っ走るんじゃないわよっ!!」
「ごっ、ごめん美夏っ。でも、誰かが中に入ってきてるみたいだったから」
力雄の言い訳を聞いた美夏という名前らしい少女は隣で傍観していた透人をキッと睨む。
その少女は見たところ透人達と同年代のようだ。女子としては平均的な身長なのだが力雄と並ぶと高く見えてしまう。
「そこのアンタ、一体どうやって入ってきたのよ?」
「さあ。俺も知らない。というよりここはやっぱり結界かなんかなの?」
その返答に美夏は黙りこみ、考え事をしているような仕草を見せる。まだ透人を睨んでいるところからすると透人の言葉を疑っているのかもしれない。
「ところで黄山君。この人……あ、妖怪? は誰?」
「あっ、名前は美夏っていって、えっと、その、僕の……仲間だよ」
その間に透人は美夏について力雄に尋ねる。
結界の事はとりあえず後回しにした。
専門家が解らない以上、透人がここに入りこんだ理由は他の裏の世界に関わるものかもしれないからだ。結界について話を広げるとその事を追及されるかもしれない。
それを避けたかったのだ。
力雄が更に話そうとすると二人のやり取りに美夏が割りこんできた。
「ちょっと力雄! もしかして正体バラしたの!? しかもウチのことまで言ったの!?」
「いや、えっとそれは……」
「黄山君がバラしたんじゃないよ。それに美夏さんも黄山君の仲間なら妖怪だと思っただけだし」
力雄が言いよどんだところを透人が代わりに答える。
そして、美夏が来るまでの事を簡単に説明した。
「じゃあ何!? 素人の癖に全部自分で理解したの!? おかしくない!?
…………って、どうしてウチらの方が動揺しなきゃなんないのよ!? 普通逆じゃないの!?」
「まあ、たまにはそういうこともあるんじゃない?」
美朱が声を荒げて捲し立てるが、当の本人はあっけらかんと他人事のような発言をした。
それに対して美夏は何かを言い返そうとしたが、どうしていいか解らないのか口をパクパクさせている。
そんな中、力雄がおずおずと切り出した。
「えっと、そろそろ次にいかないと時間がなくなっちゃうよ?」
「……しょうがないわね。行くわよ力雄」
「う、うん」
力雄の言葉で元に戻った美夏は来た道とは逆方向に歩き出す。力雄もそのあとについていく。
どうも力雄は美夏に頭が上がらない様だ。
透人もそんな事を考えながら続く。
「って、どうして普通についてくるのよ!?」
「ん? だって一人でいると危ないし、安全な場所なんて無さそうだし」
「ウチらだってこれから戦うのよ!?」
「えっと、僕も一緒にいた方がいいと思うよ?」
「…………しょうがないわね」
透人が言い返した時は何が何でも止めさせようという雰囲気だったが、力雄も同意すると渋々といった感じで了承した。
そうして同行を認められた透人だが、当然黙ってついていく訳はない。早速質問した。
「ところで何処に向かってるの?」
「えっ…と、その……」
「適当に探し回ってるだけよ」
力雄が答えにくそうにしていると、美夏がぶっきらぼうに答えた。
時間がないと言っておきながら何の当てもなかったいうのなら言いにくいのも頷ける。だが、それでいいのだろうか。
「妖気の探知とかできないの?」
「今日の相手にはそんなの出来ないわよ。上手く変化して妖気を隠してるみたいだから」
「そんな妖怪でも泉さんになら出来るけどね」
創作ではよくある事を出してみたが簡単に出来るものではないらしい。
最初に力雄が来たのは蜘蛛が本性を現していたからで、女性に変化していたら分からないようだ。
泉さんというのはこの二人よりも強力な妖怪なのだろう。
「その泉さんは?」
「最初に位置を教えて貰った後は別行動だよ」
残りがどれだけいるか分からないが、このままでは全てが終わるまでに日が暮れてしまう。
そこで透人は一芝居うつことにした。
「ん? あっちから何か音がしなかった?」
「え? 何も聞こえなかったよ?」
「気のせいじゃないの?」
当然透人にも何も聞こえていない。
霊視で位置を探ったのだ。
透人は疑う二人を余所に芝居を続ける。
「いや、気のせいじゃないと思うよ。だからちょっと様子を見てくる」
「えっ? ちょっ、待って! 僕も行くよ!」
「アンタ、さっき自分で言った事忘れたの!?」
透人が進んでいくと慌てて二人も追いかけてくる。
そのまま先導していくと見覚えのあるシルエットが道の先にいた。
それが着物姿の女性だと確認すると透人は二人の後ろへと下がる。
「本当にいた……」
反対に力雄は驚きつつも前に出る。
すると着物姿の女性はみるみるうちに変貌を遂げ蜘蛛の本性を表した。
力雄が妖怪で、なおかつ敵対する存在だと察知したのだろう。
「色々言いたい事はあるけど……まあいいわ。いくわよ力雄!」
透人への疑問を呑み込むと美夏は気合いを入れ、右手を前に出す。
その瞬間、その周りにいくつもの青白い火の玉が現れた。
「うーん。これは鬼火? でも、それは鬼が出す訳じゃないし。妖怪と言えば狐火とかもあるよなぁ。いや、そもそも動物の妖怪なら他にも火を出せるのは多いか。それに提灯とか……」
「ブツブツうるさいのよ! 止めてくれる!?」
美夏は後ろで正体を推測していた透人に抗議した。
そうしている間に力雄は走りだし、蜘蛛も口から糸を吐いてきていた。
「あぁ、もう! アンタのせいよ!」
力雄に遅れて美夏は火の玉の群れを蜘蛛に向けて飛ばした。
その火の玉は蜘蛛が吐いた糸を焼きつくし、そのまま本体へと燃え移る。
青白い炎に包まれた蜘蛛はじたばたともがく。
力雄はその隙をつき、一気に距離をつめた。そして、組んだ両手を思いっきり叩きつける。
爆音が轟き、潰れた蜘蛛は崩れさっていく。
その様子を見ながら力雄は立ち尽くしていた。
後ろ姿しか見えないが力雄はまた悲痛な顔をしているだろう。
どんな思いがあるかは知らないが、いちいちそんな事をしていては大丈夫なのかと心配になる。
しかし、それは力雄の問題であり、透人は関わったばかりだ。
透人も目を逸らさずに見届けようと思った。
のだが、状況は変わってしまった。
美夏が怒った顔をしてずんずんと力雄に向かって歩いていったのだ。
「力雄! 先走らないでって言ったでしょ!?」
「……ごめん。でも僕なら平気だから」
「それじゃあ、力雄が危ないでしょうが!?」
「えっと、心配してくれるのは嬉しいよ。でも、僕が……」
「あぁもう、うるさい! ウチだってもっと力雄の為になれるんだから!」
力雄と美夏はこれからも妖怪に関わっていくとしたら頼りになる存在だ。
どんな人物像なのか知る必要があるだろう。
透人は黙って見守っていた。




