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Out siders  作者: 言乃葉
荒星の用心棒
2/2

♯2




 (くら)い意識に光が差して明るさを取り戻すわずか前、あの(こえ)が聞こえた。


「さあ、わたしに会いに来い。さすれば真の寵愛をもって愛でてやろう」


 気高く傲慢な声が何かのスイッチだったのか、沈んでいた意識は急速に浮上して肉体は反射的に目蓋を開けさせた。

 目の網膜に優しい緑の色彩が入って、嗅覚は森の中の草木と土の臭いを嗅ぎ取る。遠く近くから鳥の鳴き声がして、豊かな自然の中にいると瞬時に理解した。

 あの姫君と殺し合った場所も森の中だったがこの森の様相は全く異なり、別の森に居るのだと長らく山暮しをしている身として半ば本能的に判断できた。


 両足に感じる重力と視界で自分の身体が直立していると分かり、何やら奇天烈な現象によってここにいると思い知る。

 世間で言う常識などからは程遠い身の上ではあるが、流石に意識不明から目覚めたら全てが変わっているという経験はしたことがない。

 今まで暮らしてきた森(世界)から離れ、親族はなく、どうやら肉体さえも変容していた。こういうのを世間では超常現象というのかもしれない。またはもっと違う言葉を使うのかもしれないが、そこまでは知りようがなかった。


 周りは見たことのない樹木で構成された森の中で、立っている場所は白い石を積み上げて造られた舞台、あるいは祭壇だった。

 長い月日を経て祭壇の石材は風化し苔むし草に覆われ、ここに人が立ち入った形跡が失せて久しいのを物語っている。森の中の忘れられた遺跡なのかもしれない。

 意識を失う前と打って変わり、ここの空は晴れ渡って陽の光が森に柔らかな光を投げかけている。陽の高さからすると午前中らしい。森の緑は陽の光を一身に浴びようと活発に活動して、森の匂いが一番濃くなる頃合いだ。


 最後に自分の身体を見下ろす。一糸纏わぬ体は少女としてのなだらかな曲線を描き、未完成の完成品という矛盾した言葉を体現している。先程から森に吹いている緩やかな風は背中までの長く黒い髪をゆったりと揺らしていた。

 記憶にある肉体とは異なっている。おまけに性別まで違う。とりあえず元青少年らしく顔を赤らめて自身の身体から目を逸らした。

 これがあの姫君の仕業ならば、なかなかに趣向のある仕返しで思わず感心してしまいそうだ。


「……会いに来い、か」


 口から出る独白も幼い少女のような声だ。自己に愛顧や執着のある方ではないが、この変化には心中ごちゃごちゃして訳が分からない。

 それら全てを保留して思う事はあの姫君の事。自分を殺すのは簡単だったはずなのに、こうして戯れに巻き込み会いに来いと言っている。

 だったら――


「会いに行こうか」


 元々目標も目的もない人生だった。他にすることが無いのだからという理由で僕は一歩足を前へと踏み出す。

 僕――織上 憂(おりがみ ゆう)のユトヒの大地における第一歩目をそんな理由で踏んだ。

 見る人は誰もなく、とても閑かな森の中の出来事だった。



 ■



 ロンが旧知の人物に呼び出されツームストンの町にやって来たのは、グリーンビレッジに現れる二日前に遡る。

 交通の要所にあり、人、物、金が常に巡り交う地域でも有数の都市がツームストンの町だ。日干しレンガの建物に混じって本式の赤レンガの館、生体建材で建てられた【学院】関連の施設があり、見る人に町の繁栄を印象付けていた。町の通りも地面を踏み固めた物ではなく、熱吸収と水吸収に優れる【学院】製の舗装材でしっかりと舗装されて人や車両がスムーズに行き交っている。道の両端は歩道になっていて、等間隔に魔晄灯も立っていてこれだけでも豊かな都市だと分かる。

 汽車で町にやって来たロンはこの綺麗に整えられた通りを進み、招待された建物へ真っ直ぐに向う。そのすぐ後ろには和装の少女が静かに付き従っていた。

 向う先はツームストン市庁舎。町の中心にある生体建材製の白亜の建物だ。


「久しぶりだなロン、直接会うのは三年ぶりか。まずは座ってくれ、そこの葉巻もどうだ?」

「貰おう。三年か、もうそんなに時間が経っていたのか。数ヶ月の感覚だったんだが」

「歳を取ると時間が経つのが早いと聞くが本当らしい。お互いそういうのを実感する歳になったのだろう」


 案内されたのは外の暑く乾いた空気とは対照的に、空調によって快適な湿度と気温が保たれた一室だ。ツームストン市庁舎の最上階にある貴賓室、そこに招かれたロンは入ってすぐ旧知の人物に歓迎された。

 貴賓室らしく座るソファは上質で、勧められた葉巻も一嗅ぎで高級品と分かる極上品な香りをさせている。荒野では貴重な天然木材で作られた重厚なテーブルを挟んで旧知の人物と向かい合ったロンは、旧交を温めながら葉巻に火を着けようとした。

 葉巻を専用カッターで切って吸い口を作ると自前のオイルライターを取り出してホイールを回すが、出るのは火花だけで中々火が出ない。ふとライターのオイルを最後に補給したのは何時だったかと考え、オイル切れに軽く舌を打った。すると目の前の人物がロンの咥えている葉巻に人差し指を差し出してきた。指先から唐突に小さな火が起こり、葉巻の先端を炙る。

 ロンはその火を驚く様子もなく受け入れ、葉巻の紫煙を味わった。


「悪いな、オイルを切らしていたのを忘れていた」

「いいさ、この程度。それと、そのライターまだ持っていたのか」

「オレが手放せる訳ないだろう。知っているくせに」

「そうだった。下らんことを聞いた、忘れてくれ」


 ロンとその人物だけに通じる微妙な気まずさ、距離感から少しの間部屋に沈黙が降りた。葉巻から昇る紫煙が二人の周囲に漂い、やがて消えていく。


「それにしても美味い葉巻だな」

「天然栽培の葉を使った物らしい。もう一本ぐらいは土産に持って行ってもいいぞ」

「お、太っ腹だな。それじゃありがたく」


 強引に話題を切り換えたロンが吸っている葉巻の話をすると、一本ぐらいは土産にしてもいいと言われ嬉しそうな声を出した。すぐ隣に座る和服の少女がかすかに嫌そうな顔をしているが、気付いた様子はない。


「偉くなると羽振りが良くなるのはどの人種だろうと変わりはないのかな、ジークハルト・フリューリング地区統括官さま」

「茶化さないでくれ、偉くなると生活が窮屈になる。こうして外界に出向くにも手間がかかる。監察官として君と一緒に外界を駆け回っていた時が懐かしいよ」


 ロンの邪気の無い茶化しにジークハルトと呼ばれた男は、やや困った顔をして眉根を下げる。同時に彼の側頭部から伸びる笹穂状の耳も下がった。

 このユトヒの大地を支配する【エルフ】という種族の男性、しかも【エルフ】で構成されるユトヒを支配する組織【学院】における高官。それがジークハルトというロンの旧知の人物になる。

 二十代半ばの青年に見える外見に反して発している空気は外見の数倍の歳月分の重みがある。【学院】高官に支給される純白の制服を着こなすスマートな体躯に、綺麗に整えられ艶がかったブロンドの髪と端正な顔立ちは人を引きつける魅力を持っていた。

 【エルフ】は例外なく美男美女であるが、ジークハルトはその中でも頭一つ抜けている。端正ではあるが全体的にくすんでくたびれている印象のロンと向かい合うと対比がハッキリと現れる。


「大変だな、お偉いさんも」


 ロンは向かい合うジークハルトから目を横にずらす。彼の座るソファの横には女性の【エルフ】が静かに控えている。ポジション的にはジークハルトの秘書か副官だろうか。

 さらにその後ろには【ゴーレム】と呼ばれる【学院】が製造する自律機械歩兵が二体、直立不動で立っている。【ゴーレム】の手には【学院】謹製のスマートライフルがあり、仮にロン達が敵対的な行動をしたらすぐさま銃口が彼らを狙うだろう。

 ただ、【学院】の高官の護衛としては軽装でこれが自分への信頼に由来するものだったら嬉しいな、とロンは思った。


「本題に入る前に、いい加減そこのお嬢さんを紹介してくれないか。見たところユトヒの東部出身らしいことは分かるが」

「ん、分かった。と言っても大した紹介は出来ないぞ。コイツはユウっていうんだ。ユウ、この人はジークハルト、【学院】のお偉いさんだ」

「よろしくお願いします」

「訳あって、コイツの保護者なんぞやっている」


 ジークハルトが切り出してきて和装の少女、ユウの紹介が手短に行われる。ユウ自身は一言言うだけだったが、この辺りでは目立つ服装が印象に残りやすく、纏う浮世離れした雰囲気もあって見るほどに強烈な個性を持っていた。

 【学院】の広範な知識を持っているジークハルトは、少女の肌の色や体格、着ている服からユトヒの大地東部の人種だと見当をつけた。危険な荒野、砂漠を安全に行き来する技術は人類の手から失われ、ユトヒ東西の人の往来は極めて少なくなっている。それでも全くのゼロではない。ユウもそうした希少な旅人の一人なのだろうと彼は推察した。

 ただ、この少女の保護者をロンが務めていることについては疑問が湧いた。


「保護者、君がか?」


 ジークハルトは旧友を貶めるつもりはないが、それでもロンは幼い少女の保護者には不向きだと知っている。それは性格的にも生活面においてもだ。

 ロンもジークハルトが何を言いたいのか分かっていて、心配無用とばかりに隣に座る少女の頭に軽く手を置いた。


「保護者といっても身元を保証するだけだ。コイツ自身かなりしっかりしているし、かなり『使える』。実際のところは新しい相棒だな」

「……ほう」


 ロンの言葉にジークハルトは感心した声を出してユウを改めて見る。頭を押えられて動かないユウだが、表情は不満げだ。子供扱いが気に入らないのか、好奇の目で見られるのが嫌なのか、いずれにせよ外見からはロンの相棒と呼べるほどの凄腕に見えない。ただ、旧友はこんなところで下らないウソをいう人物ではない。ならばこの少女は見た目を裏切って相当な腕前を持っているのだろう。

 となれば今回彼に依頼する案件も安心して任せられる。依頼する側として成功率が高まる要因は多いに越したことはない。ジークハルトはそう考え、ユウという少女を早くも重要視すると決めた。


「では、これから切り出す本題も安心して任せられそうだ。リンデ、資料をテーブルに広げて。二人に良く見えるように」

「はい」


 ジークハルトは控えていた秘書のようなポジションの女性に声をかける。リンデと呼ばれた女性は腕に抱えていた紙の資料を、言われた通りロン達に見やすいようにテーブルに広げた。

 広げられた資料は地図に犯罪者の手配書、細かな報告書に依頼書という内容だ。資料が広げられる間にジークハルトは崩していた姿勢を正しており、発する空気も緊迫している。今までは近況を語り合う旧友同士、ここからは【学院】の地区統括官として現地協力者ロン・レイに向かい合うのだ。

 ロンもそこは察して同じく姿勢を正し、隣のユウもそれに倣った。【エルフ】の女性が資料を広げ終えた辺りでジークハルトが今回の本題を切り出した。


「一年前の事だ。【学院】の技術部門の男が一人失踪した。当然【学院】では全力の捜索が行われたが空振り、宇宙の海にある偵察衛星まで動員したが行方不明のままだった。それが一週間前、この町で死体で発見された」

「ああ、こっちに来た時やけに【ゴーレム】が多かったのはお前の護衛だけじゃないんだな」

「そうだ。情報統制、現場処理に今でも動いている。【学院】上層部としては男一人死んでも大した問題ではないと思っているが、私としては男が持っていた技術が外界に流出していないか懸念している」


 【学院】は構成員である【エルフ】が外界に出奔するのを恐れる。彼らが持つ技術や魔導が外界の人間の手に渡るのは旧時代の滅びの再現だと恐怖するのだ。

 だからこそ出奔した【エルフ】が出た場合、その捜索にかなり力を入れる。今回の場合、捜索する相手が死体となって発見されたため捜索は終了、後は事後処理という段階だ。

 後始末だけという【学院】の空気の中、ジークハルトだけは技術の流出を恐れた。【学院】上層部は、外界の人間に【学院】の技術は使いこなせないと断じ、捜索が終わった以上はさっさと戻って来いと催促している。それが今の現状だと説明する。


「上層部の人間は頭がゆるい。我々が持っている技術でも技術である以上は流出してしまう。外界の人間でも使いこなせない道理はないというのに。しかもだ失踪した技術者は一年もの間【学院】の捜索を逃れてどこで何をしていたのか。そんな疑問さえ横に置かれている……ふう……私は【学院】の現状が嘆かわしいよ」

「統括官、コーヒーです」

「ああ、ありがとう」

「そちらのお二方も」

「ん、悪いねお嬢さん」

「ありがとう」


 ジークハルトの説明に愚痴が混じりだしたタイミングで女性がコーヒーを淹れて三人に差し出した。

 広く普及しているプラントによって生成された人工豆ではなく、コーヒーの樹から栽培された高級品だ。1ポンドあたり一体いくらになるか、ロンとしては知りたくもない値段が脳裏をちらついた。外界のアウトローにはありがた過ぎて味が分からない。何も知らず美味そうに飲んでいるユウや、高級品でも悠然と飲むジークハルトが少し恨めしくなる。

 三人に出されたコーヒーが八割がた無くなった辺りでジークハルトの説明が再開された。


「私個人の権限で死体となった男の検死、及び脳の走査(サーチ)を命じた。するとだ、この男に技術が渡ったのではないかという記憶が出てきた」


 【学院】の技術には死者の脳から生前の記憶を抽出できる物がある。ジークハルトは彼の権限で検死を行わせ、技術流出の疑いを捜査していた。

 示されたのはテーブルに広げられた一枚の手配書。ユトヒの大地では保安官事務所の掲示板に張り出される賞金首の手配書だ。ロンにとってはお馴染みの書類であり、そこに載っている人物も見た顔だった。


「アシュトン・エルマー・エッケナー、コイツか」

「知った顔?」

「元はウマ泥棒で手配されていたが、良く回るオツムと腕っ節で悪党としてのし上がった奴だ。会ったことはないが、話には聞くな」


 手配書には刃物傷が印象に残る精悍な顔の男があった。直接の面識はロンにはないが、ユウにも言ったように最近活動している悪党として聞く名前だ。

 ジークハルトの説明は続く。死体の腐敗や損壊で脳から抽出できた記憶は限られたが、この男が技術者を誘拐し、技術を引き出した上で殺害した容疑が出てきた。これが本当なら【学院】全体の問題となり、全力で取り組まなくてはならない。しかし死体の記憶は不完全で証拠能力は低く、上層部を動かすには足りない。


「そこで君に依頼したい。このアシュトンという男に本当に技術が渡り、技術者を殺したかを調査して欲しい」

「オレは探偵ではないのだがな」

「知っている。調査の主体はリンデが務めてくれる。彼女は監察官になったばかりだが、手腕は評価できる。同行させて欲しい」

「それって、お目付役か? オレがサボらないよう監視するとか」

「いや……君のことはよく知っている。そこは疑っていないさ。その……彼女の現地協力者となってくれないか? かつての私と君のように」

「ああ、なるほど」


 つまりこの依頼は、ジークハルトの部下であるリンデという女性監察官のサポートという形で受けて欲しい、そうロンは察した。

 監察官(インスペクター)。【学院】の構成員たる【エルフ】が外界に出向く機会は少ない。その中で例外が監察官になり、その任務内容は今回のような技術流出、構成員の捜索、外界の調査全般と幅広いものだ。数少ない【学院】の対外的な役職であるため与えられる権限は多く、一種のエリートと見て良い。

 その監察官には外界の任務に就くにあたって現地の協力者を雇い入れるケースが多い。外界の事情に疎い【エルフ】の案内人といった立場だ。ジークハルトが言うようにロンはかつて彼と組んで監察官の任務を手伝った経験がある。それをもう一度やって欲しいと言われているのだ。


 ロンはコーヒーカップを左手に、葉巻を右手に持ってしばし考える。彼がユトヒの大地を渡り歩いているのにも目的、理由がある。ユウという少女と出会い、彼女の保護者じみた真似をしているのも利害の一致から。今回旧知の人物から依頼された仕事はその目的を達成する上で益になるか損になるか、頭の中で天秤にかけている。

 ジークハルトの依頼を受けるとこのリンデという監察官が同行し、今後【学院】のヒモ付きになってしまう。旧知の人物の依頼だけにその辺りはいくらか融通を利かせてくれそうだが、行動を制限される場合もあるのは面白くない。

 せっかく旧友の頼みではあるが、ここは断ろうとロンは決めた。


「すまないが――」

「それとだが、このアシュトンという男に手を貸している人物がいる。君も知っているあの【魔女(ヘックス)】だ」

「それ、早く言ってくれよ」


 ジークハルトが口にした言葉でロンは即座に手の平を返した。何よりも優先される名前が出て来たからだ。


「今後もリンデの協力者をやってくれるなら、報酬の一環として【学院】が察知した【魔女】の情報を優先して渡せるが、どうする?」

「聞くまでもないだろう。引き受けよう」


 さっきまでの渋る態度から一転、即答に近い素早さでロンはジークハルトの提案を受け入れた。リンデと呼ばれる女性は余りの即応ぶりに不審げな表情をしているが、反対にロンの事情を知っているジークハルトとユウは納得といった表情をそれぞれしていた。

 気怠げだったロンの表情は変わり、獲物を見つけた猛獣のような顔になっている。【魔女】はそれだけ彼にとって重要な位置を占める存在だ。

 ジークハルトの情報がまだ可能性の段階で、目的の人物が居ない事だってあり得る。むしろその公算の方が高い。【学院】からも目を付けられている【魔女】は一種の伝説的存在であり、一般的には荒野に伝わる与太話だと思われている。だけどロンはそれでも構わない。わずかでも可能性があるなら出向く価値は充分だった。


「契約成立だな、旧き友よ」

「ああ、それとあの女の情報はもちろんだが、相応の報酬(サラリー)も期待して良いんだよな?」

「月給200ゴルトでどうだ」

「月給制か、完璧にサラリーマンだな。都市部のホワイトカラーみたいにオレを雇うのか?」

「安定収入は欲しいだろう? それとも以前のように歩合制にするか」

「副業について文句を言ってこなければ月給でいいさ」

「なら、良いな」

「ああ。世話になる」


 ユトヒの大地の支配種族【エルフ】の男と荒野のガンマンの男が握手を交わして契約が成立した。

 この契約が何時まで続くかはこの場にいる誰にも分からない。ただ、願わくばロンが目的を達するまで続けばと思う者は二人いた。



 □



 ジークハルトとロンとの依頼契約が結ばれ、リンデと呼ばれた女性はその場でジークハルトから監察官としてアシュトンの調査任務を命じられた。

 それらが終わるとジークハルトは【ゴーレム】を引き連れて【学院】へと帰還する。地区統括官という役職は組織でもそれなりに多忙なポジションにある。普通ならば外界に出向くのが稀な役職だ。

 それだけロンと顔を合せたかったようだが、時間が充分取れなかったらしくジークハルトは貴賓室を慌ただしく出て行った。「また今度時間を取ってゆっくりと話そう。美味い酒も土産に持ってくる」と言い残して。


 貴賓室に残ったのはロンにユウ、そしてリンデと呼ばれた女性の【エルフ】の三人。ロンは先程から美味そうに葉巻を吸いながらダルそうに資料を見ている。隣のユウはテーブルに広げられた資料を手に取って内容を良く読んでいる。向かい合う席に座るリンデは居心地悪そうにそんな二人の様子を上目遣いに窺っていた。

 誰も何も喋らない。沈黙した空気の中、ロンが吐き出す紫煙と、ユウが手にする資料が立てる音が部屋に流れていくだけだ。カップにあったコーヒーはとっくに無くなっている。

 貴賓室に置かれた豪奢な作りの置き時計が時刻を知らせる。午後の二時。昼を過ぎて苛烈になる荒野の日差しも貴賓室までは届いていない。紫外線と熱をカットするガラスとカーテン、【学院】の技術が用いられた空調が快適な空間を作っているからだ。


「あの……何時までここにいるんですか?」


 沈黙に耐えかねたのか、リンデがロンに批難混じりの目を向けて口を開いた。


「なんだよ、少しゆっくりさせてくれ。こっちに来るとき汽車の三等客席だったもんで、固い座席に何時間も座って尻やら腰やらが痛いんだ。それにこういう高級葉巻を吸える機会はそうないからな、吸い終わるまでは居させてくれ」


 さっきの獲物を狙う目はすでに緩み、ソファにだらしなく座って葉巻をふかすロンの姿はお世辞にも上品とは言えない。その余りにも悪い態度にリンデの印象は最初から最安値になっていた。

 続いてリンデは彼の隣に座る異国の装束を着た少女を見やる。着ている服と浮世離れした雰囲気に目がいく彼女は、ほとんど口を利かず挨拶の時に一言言葉を発しただけだ。お喋りが苦手か嫌いなのだろう。資料をじっと見ている表情からは何を考えているのか分からない。

 だらしのないガンマンの男に、何を考えているのか分からない少女。どちらにしてもリンデにとって付き合いにくそうな相手だ。今回が初任務になるリンデだったが、出だしから躓きそうな予感に頭を抱えそうだった。

 それでも挫けそうになる気持ちを奮い立たせ、精神力を集めて咳払い。注目を集めてから口を開いた。


「ん、んんっ! 良いですかロン・レイさん」

「ロンでいい。あ、そうだアンタの名前は聞いてなかった。リンデとか呼ばれていたが、フルネームは?」


 今更に名前を尋ねるロンにリンデ内のロン評価はストップ安になり、怒るのを通り越して悲しくなってきた。


「ジークリンデ・フリューリング二級監察官です。後、リンデと気軽に呼ばないで下さい」

「お、その名前ってことはアンタ、ハルトの娘か?」

「外界の定義に照らし合わせるとそうなりますが、我々【エルフ】に親子の定義はありません。【エルフ】の出生については?」

「知ってはいる。人工子宮を使って人為的に遺伝子をどうたらこうたらして産まれてくるんだろ」

「そうです。確かにフリューリング統括官は私を生成する際の遺伝子ベース提供者でしたが、それ以上の関係はありません」


 【エルフ】は【学院】内にある生命生成施設にある人工子宮から産まれてくる。その工程は一般的な人間が産まれてくる過程と何も変わらないが、人工子宮を使う事で遺伝子の調整を行い、先天的な疾患を排除、優れた資質を最初からプログラムとして組む等を可能としている。

 さらには人口の調整にも一役買っているので、性交渉で産まれてくる個体は存在しないといっていい。この【エルフ】の出生事情は別段機密でも何でもなく、彼らと付き合いがある人間ならそれなりに知られている話だ。

 【エルフ】の名前の内、個体名を指すファーストネームの後に続く名は、ファミリーネームではく遺伝子識別名称、もしくは血統名称となる。ロンもそこは承知しているのだが、今回の依頼がどうして回ってきたのか邪推してしまいそうになる。

 もしジークハルトがこのリンデという【エルフ】に子としての感情を持って、心配だからと旧知の仲のロンに任務のサポートを頼んだのがこの依頼の実体だとするなら――


「とんだ親バカだな」

「なにか言いましたか?」

「いや、何にも。葉巻も充分に食ったし、そろそろお暇するか。ユウ」

「分かった」


 葉巻を最後まで吸い尽くして満足したロンは、吸殻を高級なクリスタルの灰皿に押し付けて捨てると相方に一声かけて立ち上がった。

 立ち上がってみると実感するが、背の高い男である。リンデはロンを見上げながらそう思う。頭の中に記憶している【学院】の資料では身長193cmと記されているけど間近に接すると数値以上に大きく見える。隣で席を立ったユウが小柄な事もあってより背の高さが際立っていた。

 部屋を出る時に葉巻を一本土産にして、貴賓室を後したロン。ユウは静かに彼の後ろに続き、リンデは二人から距離を取りながらも後をつけていく。市庁舎で通りかかった市職員達はこの奇妙な一行を不思議そうに見るだけだった。背の高いくたびれたガンマンに異国少女、さらに【エルフ】の女性という取り合わせは道を歩くだけでも注目を集める。

 それらの視線を感じたロンは、少し安請け合いしてしまったかと後悔の溜息を小さく吐いた。


「あ、あの! どこに向かうのですか? アシュトンの調査というならまずは私達三人で話し合ってブリーフィングから……」

「必要ねえな」

「ええ!?」


 市庁舎を出ても迷い無く道を進んでいくロンにリンデは堪らず声をかけてたが、返ってきた言葉に驚いてしまう。リンデの中では技術流出調査となると、綿密な事前調査と調査員、協力者との認識をすり合わせるブリーフィングが必須だと思っていたからだ。それがまさかいきなり行動に移るとは思ってもみなかった。しかも調査の中心になるべき監察官を差し置いてである。

 呆然としてしまうリンデに、ロンはここでようやく足を止めて振り返り新米監察官と相対する。


「いいかいお嬢さん。教科書どおりに話し合いをして事前調査して、っていうのも悪くはない。時間があればな。だけどこの手の話は大概時間がない。すぐにでも取り掛かってさっさと片付けるに限る。アシュトンみたいな悪党には時間をやってはダメだ。何もさせずに速攻で潰すのが一番良い。お行儀良くブリーフィングがしたいなら、この件を終わらせてからにしてくれ」

「い、言っていることは分かりました。ですけど、これからどこに向かうのかぐらいは言って欲しいです」

「おっと、そこは済まない。ユウ相手だといちいち口にしなくても良かったもので、ついな」


 この二人は普段どういう生活をしているのだろうか? そんな感想がリンデの頭に湧き上がってきたが、任務の達成を優先させる思考で打ち消した。


「それで、どこに向うのですか?」

「口利き屋だ」


 リンデの問いかけにロンは端的に答えを放り、歩いて行く。ユウはそれに影のような気配の薄さで付いて行き、リンデはその後を慌てて追いかけていった。


「口利き屋ってなんですかーっ」


 彼女の素朴な疑問も一緒に引き連れて。



 ■



 荒野の住人達の職業事情は都市部でもない限り大抵は自営業か雇われ労働者である。【学院】の管理と庇護の下、栄えている土地に人が集まって商売を始めたり、儲け話に乗ったりで人が流動していく。

 その人々の中でも取り分け激しく流動していくのは日雇いの労働者だろう。町から町へめぼしい仕事を求めてユトヒの大地を渡り歩き、財を成す事を夢見る人達だ。彼らは農場の次男坊三男坊、事業に失敗した人間、中には逃亡中の犯罪者までいる始末。

 金と仕事を求めて土地から土地へ渡り歩くそんな労働者達を、根無し草(タンブルウィード)最低野郎(ボトムズ)、渡り鳥等と人々は呼んでいる。世間一般から外れたアウトサイダー達の集団だ。

 そんな彼らに仕事を紹介し、斡旋し、雇い主との仲介役をしているのが【口利き屋】と呼ばれる職業になる。彼らに仲介料を支払えば必要な人材を紹介、派遣してもらえ、労働者側も仲介料を支払って仕事を斡旋してもらう仕組みになっていた。


「コネと口の上手さがあればそれなりに儲けられる仕事さ。その分、悪質な奴も多いけどな」

「ここの人は大丈夫なんですか?」

「何度か世話になったが、良心的な部類だろう。さあ、行くぞ」


 道すがらリンデに口利き屋について軽くレクチャーしていたロンは、一件の店舗の前で足を止めた。市庁舎から数百ヤード離れた市街地の外縁部、鉄道の倉庫が建ち並ぶ通りに木造の簡素な店が建っていた。『チャーリー人材派遣』とこれまた簡素な金属板の看板が扉の上にかかっていて、扉の向こうからは誰かの話し声が聞こえている。

 ロンは何の気負いもなく、友人の家に入る程度の気安さで扉を開けて中へと入った。ユウもこれに続き、最後にリンデが恐る恐ると店に入る。

 店の中もシンプルなものだ。接客用のテーブルとソファが手前にあり、奥にデスク、何らかの書類を収めている棚があるだけだ。デスクにいる男性が書類を片手にダイヤル式電話で話している最中で、三人が入店してきた事に気付いている様子はなかった。


「――そうだ、グリーンビレッジに行かせる人員はこれ以上集まらないだろう。出発は一週間後だが、もう今から汽車のチケット予約してもいいだろう。人数は――」

「三人だ」

「そう、三人……すまん、また後でかけ直す」


 デスクで電話に向って話していた男性の会話にロンが割り込んだ。男性は驚いた表情でロンを見て電話を切ると、にこやかな顔で対応し始めた。ただ表情を構成する成分には卑屈さと媚びが含まれているのをユウは嗅ぎ取ったが。

 見た目は四〇代前半、前髪が大きく後退して広くなった額とスーツ越しでも分かる痩せた身体が特徴の男性だ。どう見ても力仕事に向いた体ではなく、デスクワーク中心の人間だと分かる姿をしていた。


「久しぶりですね。いつツームストンに?」

「今日だ。お前に聞きたい事があって来たんだが、凄くタイムリーだな。グリーンビレッジの件だ」

「ああ、グリーンビレッジですか? 確かにウチの縄張りで、今話していたのもその町に関してですけど、それが何か?」

「そのグリーンビレッジから人を派遣して欲しいと話が来ているんだろ?」

「ええ、あんな田舎町から用心棒が五人程欲しいとか言われてまして。珍しい事もあるもんだって思いまして……何か知っているので?」


 デスクの上にロンが行儀悪く座り男性を見下ろし、男性は上目遣いで愛想笑いを浮かべながら対応する図式が一瞬で出来上がる。ロンは何回か世話になったと言っていたが、どちらの立場が上かは言うまでもない。

 大きな都市部に店を構えている口利き屋ならば、それぞれ縄張りというものを持っている。今回調査する対象のアシュトンが潜伏しているとされるグリーンビレッジを縄張りとする口利き屋がこの男、『チャーリー人材派遣』の店主チャーリーだ。

 ツームストンから離れた片田舎が縄張りとあって、彼の口利き屋としての力量は察せられる。他の縄張りからの儲けでトントンといったところで、都市部の典型的ホワイトカラーの人種だった。


「いきなりビンゴとは幸先が良いな。グリーンビレッジで用心棒か。人員募集の書類、見せてくれ」

「ええ、これです。あ、ちゃんと返して下さいよ、一応社内秘の書類なので」

「分かってる。何回お前の仲介を受けたと思っている」

「で、ですよね」


 チャーリーから書類を受け取ったロンは、ユウとリンデにも見えるよう書類を広げて見せた。この時チャーリーはロンの後ろにいたリンデに初めて気が付き、至近距離でいきなり目にした【エルフ】に驚き、大きく目と口を開いて金魚のようにパクパクさせた。

 一般人にとってユトヒの大地の支配種族はアンタッチャブルな存在だ。下手に関わったらどんな報復が待っているか分かったものではない。触らぬ神に祟りなし、一種の疫病神みたいに思われていた。そんな疫病神が目の前にいる。チャーリーの驚き様は無理もなかった。

 ロンは見知った口利き屋の驚愕の表情を一瞥して、その理由まで察したが無視して書類に目を通した。


 派遣先、グリーンビレッジ。仕事内容、用心棒、及び雑用。職務上、生命の危険もあり、注意。出発は一週間後、依頼主は――驚いた事に調査対象のアシュトン本人の名前で依頼が出されている。隠す気がないのか、無頓着なのか、荒野の無法者で見かける気性がこの辺りに窺える。書類の上から下までざっと目を通したロンは、ここまで手に入れた情報を頭の中で整理して吟味する。

 ジークハルトから渡された情報ではアシュトンが潜伏しているのはグリーンビレッジ。これは殺された【エルフ】の脳走査から得られた情報もあってほぼ確実。

 そのグリーンビレッジから出された用心棒の求人。依頼主の名前はアシュトン、求人が出された日付を見れば、【エルフ】が殺された日と同じだ。

 兵隊集めに口利き屋を利用すると考えてここに来たが、思った以上にきな臭い気配がしてきた。書類を見ながらロンはそんな所感を持った。

 ここで彼は一緒に書類を見ているリンデに目をやる。視線を向けられた彼女は不思議そうな顔をして「何でしょうか?」と小さく聞いてきた。ロンは軽く頷くと悪戯めいた笑顔をして口を開いた。


「ちょっと監察官の権力を行使してもらおうと思ってね」

「え? 何をするんですか」

「チャーリー、このグリーンビレッジの件だけどな、取り消しになるわ」

「何を言っているです、取り消し? 一体全体どうして」


 唐突に仲介する仕事が取り消しと言われて戸惑うチャーリー。ロンはそれを横目にリンデに対し合図のように腕を軽く小突き、耳に口を寄せた。


「監察対象が関わっている一件だ。監察官の権限でこの案件を取り消しにする程度訳無いよな」

「な、なるほど……チャーリーさんでしたか、貴方の仲介するこのグリーンビレッジの件は【学院】に所属するフリューリング二級監察官が取り消しを命じます。詳細は後ほど書面で通達しますが、今は口頭での簡易命令とします」

「え、えぇ……本当ですか。はぁ……分かりました」


 リンデが制服のポケットから出した監察官の身分を証明する手帳を出し、チャーリーに見えるよう提示する。その姿は旧世界における刑事が身分証明のために手帳を出すのと似ていた。

 刑事と違う点は監察官の権限の大きさだ。ユトヒの大地を支配する組織【学院】は伊達ではなく、捜査、調査に必要とされれば権限の許される限り独断的に外界組織に介入出来るのが監察官であった。そんな強大な権限を前に一介の口利き屋など逆らえるはずもなく、チャーリーはガクリと肩を落としながら命令を受け入れた。


「はあ、グリーンビレッジに取り消しの連絡を入れないとだな」

「ああ、それは必要無いぞ。オレが代わりに行くから」

「そうですか。まあ、何をするかは聞きませんが」

「あ、さっきも言ったが汽車のチケットは三人分頼むよ」

「もう好きにして下さい」


 ロンの言葉に肩を落としたまま頷くだけになったチャーリー。その状態はロンに振り回される事に不本意ながら慣れている様子だった。

 ここまで話が進むとリンデにもロンが何をしようとしているか理解できた。彼は募集されている用心棒としてグリーンビレッジに向かい、捜査対象のアシュトンに接近しようと考えているのだ。


「ロンさん、用心棒として対象に接近するのですよね? それでしたら私は?」


 もしそうなら外界で目立つ【エルフ】の自分が用心棒というのはありえない。その辺りどう考えているか、リンデは確認のため尋ねてみた。


「ユウと一緒に後詰めで待機だ。出番はアシュトンの野郎を取り押さえる時かオレが下手打った場合の時だな。ユウ、それでいいか?」

「うん、分かった。問題はない」


 話を振られたユウは気負う様子もなく頷いて答えた。気のない返事に聞こえるが、これまで彼女はロンの期待を裏切ったことはない。やってくれと言われた仕事は十全にこなしてくれる。ここ一年で信頼が置けるようになった相棒だ。


「旦那、お仲間内で話がついたところでこっちのお話なんですけど。今ちょうど裏の待機所にグリーンビレッジ行きを予定していた用心棒志望の連中がいまして、取り消しの話をするなら連中にもしないといけないと思うんですけど」

「何人集まったんだ?」

「五人です」

「この依頼書だと出発は一週間後だが、何で集まっているんだそいつら」

「一応説明会みたいなものでして、ほら、チャーリー人材派遣は親切丁寧がモットーですので」

「……親切丁寧、か。そういうところが胡散臭いと言われるんだよお前」


 横から口を出してきたチャーリーによると、グリーンビレッジに用心棒として向う予定の五人の渡り鳥達がいて、彼らにも仕事の取り消しの話をして欲しいと言ってきた。

 基本的に気性の荒い人間が多いのが渡り鳥達の世界だ。仕事取り消しの話をした途端、銃を抜いてズドンなんて珍しい話ではない。けどそこに【学院】の人間がいれば話は違ってくる。少なくとも表立って【学院】に刃向かう人間は荒野にいない。リンデをそこに同席させれば場を収めるには最適だ。チャーリーの言葉はそういう保身を含んでいる。

 チャーリーには何かと世話になっているロンは彼の保身に付き合う事とした。一つため息を吐いて案内するよう促した。


「それでロンさん、私これからその人達に仕事が無くなったと説明するんですか?」

「いや、オレが行く。説明もすぐ終わるさ、シンプルにな」


 外界の荒くれ者を相手にするのかと、身構えるリンデをロンは軽い調子で応えて店の裏手へと歩いていく。

 チャーリーの案内で三人が通されたのは暗い一室で、四人も人間が入るとギュウギュウ詰めになる狭い小部屋だ。窓も明かりもないのでチャーリーに指示されて扉を閉めると真っ暗になる。

 真っ暗闇の中でもチャーリーは手際よく壁の一画にかかっていた布を取り払う。するとそこには小さな窓があり、光がそこから差し込んできた。三人が覗きこめば隣の部屋にいる五人の荒くれ者の様子が見て取れた。


「これは、ハーフミラーですか」

「え、ええ。これで隣の待機所にいる人員の状態を確認するのに使っていまして……」

「こいつは要注意な奴とかめぼしい奴とかを見張るのにこの部屋を使っているんだよ。オレも初めて来た時はこうだったぜ」

「そ、そのこれも業務の内でして……」

「分かっているよ。だからこうして覗き見に付き合わせたじゃないか。それに、成果は出ている。アイツだ」


 狭い部屋で小さな小窓サイズのハーフミラーを三人が顔を突き合わせて覗き見る奇妙な状態の中で、ロンが待機所にいる一人を指さした。

 待機所は名前の通り派遣する人員が待機するための部屋で、仕事を貰った渡り鳥が駅で汽車がやって来るまで待機しているのに使われる。待っている間は手持ち無沙汰な荒くれ者達は、タバコを吹かしたり、世間話をして情報交換をしたり、興が乗ればカードで賭け事をする連中までいたりする。

 今の待機所では見られているのに気付く様子も無く、一人の男を中心にカード賭博が盛り上がっているところだった。ロンが指さした人物もその中心人物だ。


「見知った顔だ。三年前にオレがムショにブチ込んだ野郎で、終身刑を喰らったはずが二ヶ月前に自主的に切り上げてきた奴だ」

「自主的にって、それ脱獄ですよね?」

「ああ、だから今は手配犯で、生死に関わらず賞金が出る」


 ここまで言ったロンは、着ているダスターコートの内ポケットから一枚の折り畳んだ紙を取り出して広げて見せた。それは犯罪者の人相書きを描いた手配書で、名前、犯した罪、そして生死に関わらず出される賞金の額が書かれていた。

 それを見たユウはフンフンと軽く頷いただけで納得し、リンデは疑わしそうな目で手配書と待機所にいる男を見比べている。

 手配書の人相書きでは髪を短く刈り上げた若い男が描かれているが、待機所の男は髪と髭を伸ばして表情が今一つ分からない顔をしていた。同一人物だと言われてもリンデには信じ難い。


「本当にあの人はこの手配書の人なんですか? 人違いなんてことは」

「ない。一度捕らえた相手だぞ。臭いはキッチリ覚えているさ。チャーリー、奴の賞金をやるから色々と便宜を計ってくれ。ユウ、お前はオレが奴さんと話をしている間に変な横槍が入らないようにしてくれ。じゃ、行こうか」

「ん、諒解」

「わ、分かりました。余り無理は言わないで下さいよ?」


 リンデが疑問の声を出してもロンは確信した声で答えて小部屋を出て、待機所に入っていく。ユウは彼の脇を固めるように横に付き、チャーリーとリンデは遅れてそれに続いた。

 待機所に居た男達はロンが入ってきた時、ようやく説明会が始まるのかと待ちくたびれた顔をして、どうやら違うと分かると戸惑ったような顔に変わっていった。背の高いガンマンに異国風の少女という取り合わせはそれだけ異彩を放っている。

 ややあって男の一人、ロンに賞金首だと言われた男は急に笑顔になって一歩前に出てきた。ただし、その目は全く笑っておらず怒りに満ちていた。


「おやおや、誰かと思えばロンの旦那じゃないか、久しぶりだな」

「ああ、三年振りだな。まさかこんなに早く会えるとは思わなかったが。懲役300年だったはずだが?」

「これでも付き合ったほうさ。檻に入って五分で脱獄計画を練りだしたよ。そういう旦那は、なんでここに? かわいこちゃんまで連れてさ」


 ここで賞金首の男がユウを好色そうな目で見やる。彼の脳内ではすでに裸に剥いているのが丸分かりの顔だ。視線を向けられているユウはそれに構うことなく、他の男達に警戒の目を向けている。対応はロンに任せて無視しているのだ。

 けれどロンにだけ分かる変化としてユウの表情がいつも以上に固くなっている。これは早く片付けないと、とロンは思った。


「グリーンビレッジに用があったんだが、途中でお前を見つけたんだ。仕事をするにしても後ろから撃たれたくないんでな。それと、コイツに手を出すのはお勧めしない。フードプロセッサーにかけられたタマネギになっちまうぞ」

「ハッ、みじん切りってか。――やってみろよ!」


 賞金首の男が吠えて手が閃き、腰から銃が抜き出される。2インチの短い銃身の小型リボルバー、抜き撃ちの早さに自信のある彼が好んで使っている銃だ。

 以前に捕まった時は不意打ちで昏倒させられた。だが今は正面からの早撃ち勝負。ロンの銃は男の物よりも長銃身、抜き撃ちでは勝てる――そう思っていた。

 待機所に轟いた発砲音は一発だけ。倒れた人間の数も一人だけだった。床に賞金首の男が倒れ、ロンの手にはいつ抜いたのか手品のように現れた銃が握られており薄く硝煙を上げている。

 いきなり始まった早撃ち勝負に他の四人の男達は色めき立ち、各々の銃を手にしようと動く。だがその動きは果たされることはなかった。カードゲームをしていた席から立ち上がり、腰の銃把(グリップ)に手を伸ばそうとした姿勢のまま男達の体が固まってしまった。そこに彼らの意思は無く、強制的な金縛りを強いられていた。


「な、なんだ体が動かない」

「どうなっているんだ!」

「落ち着け。オレの目的はこいつだけだ。お前らには手を出さない。それともお前らこいつの仲間かお友達か? 楽しくカードをしていたが、仇でも討ちたいのなら受け付けるけどどうする?」

「…………」


 ロンの言葉を聞いた男達は、動かないなりに目線だけで顔を見合わせ、すぐに全員一致で首を横に振った。賞金首の男に人望は皆無だったらしい。それを見たロンはユウに視線を送って合図すると、男達は動かなくなった時と同じく一斉に自由を取り戻す。不自然な姿勢から自由になったせいで四人ともバランスを崩して床に倒れた。

 ここでロンとユウの二人の後ろにリンデの姿を認めた男達はさらなる動揺に襲われる。支配種族【エルフ】が間近に現れ、自分達を見下ろしているからだ。一体自分達は何に巻き込まれたのか? そんな言葉が顔に出ていた。

 すかさずロンは畳み掛けた。銃をホルスターにしまうと、作り笑いを浮かべて話を切り出す。


「【学院】の関係する仕事でこの男には死んでもらった。ついでに言うとお前らが受けたグリーンビレッジの用心棒の仕事も無くなった。保障とか、仲介料の払い戻しとかは後日ここの店主、チャーリーに聞いてくれ。だよな、チャーリー?」

「え、ええ、詳しい話は後日連絡します」

「だとさ。ほら、出て行った出て行った、解散」


 退出を促されて男達が待機所を出て行く。みんな急展開の出来事に戸惑いと不満の顔をしている。それでも口に出さないのはリンデの存在があったためだ。仕事が急に無くなったのは確かに不満だが、迂闊なことを言って【学院】に睨まれたくない。それが出て行った男達の一致した考えだった。

 残されたのは賞金首の男の死体。額に銃弾を受けて仰向けに倒れる男は、見開いた目を天井に向けたままだ。


「さてチャーリー、後はこいつを保安官事務所にでも届ければ賞金が貰える。その金をどうしようとオレは知らん、好きにしろ」

「は、はい」

「図って欲しい便宜だけどな、グリーンビレッジに用心棒の出発が早まったと連絡してくれ。出来るだけ早い便の汽車のチケットの用意もだ。ああ、そうだ。客室の等級も上の物にしてくれよ。三等客室の固い座席にはしばらく座りたくない」

「分かりました、あー、早速先方に連絡してきます」


 ロンから色々と注文を受けたチャーリーも笑みを引きつらせながら待機所を出て行き、この場には三人と死体が一体。ユウはこういう場に慣れているのか平然としているが、リンデは初めての外界で初めての殺人を間近に見てしまい、しかも死体が今もすぐ傍にある現実が受け入れられないでいた。

 【学院】に所属する監察官として外界に関する教育を受け、荒事にも対処できるよう戦闘訓練も重ねてきた。【学院】での教練成績は優良、だからリンデは初の任務に自信を持って臨んでいた。

 そんな自信の崩壊する音がリンデの耳には聞こえていた。


「それじゃあ、オレ達もお仕事頑張りますか。面倒なことはさっさと終わらせるに限る」


 今さっき人を一人撃ち殺したとは思えない軽い口調の現地協力者。そうだった、まだ任務はまだ始まっていない。今は準備段階だ。

 こんな事で無事に任務を果たせるのだろうか? 元から不安があったリンデの胸中は、不安の嵐が一層吹き荒れて崩壊した自信さえも吹き飛ばしていった。




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