神魔―Evil God― 神雨編
遥か昔。太古の昔。
地上が三つの勢力によって分割されていた時代。
三つの勢力とはすなわち
竜族 神族 魔族
長きにわたって、三つの勢力は均衡を保ってきた。
竜族の長・・・神を超えし神獣・・・神竜。
神族の長・・・全てを見通す眼を持つ女神・・・瞳神。
魔族の長・・・破壊を司り闇のみを友とする神・・・魔神。
この三つの王はそれぞれを牽制し、諌め合ってきた。
あるとき、あっさりとその均衡は破れた。
それぞれの王と上位の眷属でしか持ち得なかった「神なる壁」
それが、魔族の全てに付加されたのだ。
世界は一変した。
魔が世に蔓延り、生命を蹂躙し、甚振り、殺した。
魔族の王、魔神は世に君臨し、全てを統べるのは自分であると公言した。
かくして、神魔大戦が始まった。
最初、神族と竜族はそれぞれ独立して戦っていたものの
魔族の圧倒的な力を前に、ついに同盟を結んだ。
しかし、それでも戦いは一方的であった。
全ての兵に「神なる壁」が出現した魔族は、
神族と竜族の連合軍を次々に握りつぶして行った。
連合軍の数が底を突きかけた時、神竜、瞳神は重い腰を上げた。
「我々が自ら前線に立ち戦おう」、と。
戦況は一変した。
もともと、「神なる壁」を持ち、その性質を把握していた彼らは
あらゆる魔族の猛攻をいとも簡単に防ぎ、これを殲滅した。
そして、とうとうそれぞれの長同士の戦いとなった。
魔神に対するは神竜と瞳神。
大戦は神竜と瞳神の勝利にて終わった。
長きに渡る神魔大戦の終わりである。
しかし、その代償は少なくはなかった。
神竜は、己の翼を焼かれ、目を潰された。
瞳神は、魂を貫かれ、命の炎を消そうとしていた。
さらに、魔神は倒したものの、死んではいなかった。
力の大部分を分離させ、封印したのみである。
最後の会議の結果、神竜と瞳神は一つの決断をする。
・・・神歌を用いた神魔の生成である。
神魔の生成は成功する。
しかし、そのあまりにも強大な力を恐れた神竜と瞳神は
最後の力を以って、神魔を精神と肉体に分離させ、肉体を封じた。
残った、精神は輪廻をめぐり、目覚めのときに戻り一つになるよう、
―その時までは見つからぬよう―転生の輪へと埋め込まれた。
こうして、輪廻は廻る。転生の輪に埋め込まれた精神は、廻り廻って我ら人の身へと受け継がれる。
神歌を操る者、神魔を受け継ぐ者。
その性を李昌とす。
――神魔伝承より抜粋。
「はぁ……。」
昼休憩時間。
僕は今日何度目か分からない溜息をついた。
僕が座っている窓際の席から外に目線を移すと、雲一つ無い青空が視界に入る。
今の自分の気持ちを正反対に顕している様な天気だ。
そもそも、僕が何でこんなに溜息をついているかと言えば、ある悩み事を抱えているからなのだが…。
「おーい、昼飯食おうぜ…って何暗い顔してんだよ。どうせ、山岸の事なんだろ?」
声がする方へ顔を向けると、仲の良い友人の東野裕也が購買で買ってきたらしい
コロッケパンを持ってやって来た。
「うん…、まあそうなんだけど。」
そう。僕が悩んでいる事というのは、ありきたりだが恋の悩みというヤツで。
「あのなぁ、そんなにウジウジ悩んでる暇があったらいい加減に告白しろって。
告白しなかったら何も始まらんぞ。」
「それが出来たらこんなに悩んだりしないよ…。」
また一つ溜息を吐く。と、不意に、
「何の話してるの?」
「うわぁッ!」
慌てて振り返ると、彼女がそこに立っていた。噂をすれば何とやら、か。
「って何?何なのそのリアクション。私何かした?」
「な、何でもない。…ごめん。」
山岸晴香。
僕と同じクラスの女の子で、異性の中では一番仲のいい人。
そして……僕、如月誠一の想い人でもある。
片思いなのは言うまでもないけど。
「何でそこで謝るかね、キミは。」
山岸さんが苦笑する。
「よ、山岸。お前も昼飯か?」
「まあね。一緒に食べてもいい?」
「いいぜ、なぁ誠一?」
裕也がにやりとして僕の方を見る。
「あ、う、うん…。」
…また溜息が増えそうだ。
「あのさ、今週の日曜暇だったらカラオケでも行かない?」
僕の机の横側に持って来た隣の席の椅子に座る山岸さんがそう提案した。
「今週の日曜だったら俺は暇だな。」
僕の正面に座る裕也が、コロッケパンを頬張りながら言う。
「如月君は?」
「多分僕も大丈夫かな。でも、いきなりどうしたの?」
「いや、最近三人で遊ぶ機会が減ってきてるでしょ?だから遊べる内に遊んでおこうと思って。」
僕達三人は中学の時から仲が良く、一緒に遊ぶ事もよくあった。
けど、高校に入ってからはその機会も減ってきている。
高校に入ってそれぞれ違う友達が出来たというのも原因の一つではあるけど、最大の理由は…
「いや、悪い。中々フリーになれなくてな。」
裕也に彼女がいたからである。
裕也は顔もカッコいいし、元々モテてはいたけれど、高校に入ってから以前にも
増して節操なく彼女を作り始めた。
早い時だと一週間。長くても三ヶ月ぐらいで別れてしまい、次の彼女を作る。
理由は"何となく"だそうだ。
「まったく、すっかりナンパ男になっちゃったねぇ。」
呆れた顔で裕也を見る山岸さん。
「そうか?俺って元々こんな感じだったと思うが。」
「少しは否定しようよ…。」
何か情けなくなってくるし。
「っていうか別に俺に気使わなくても、二人で遊びに行けばいいだろうに。」
裕也がちらりと僕を見る。
「いやまあ、そうなんだけどねー…。如月君が何かイヤみたいで。」
少し悲しそうな目で僕を見る山岸さん。
…うぁ、この目は辛い…。
「あぁ?どういう事だ誠一?」
少し驚いた様子で裕也が僕を見た。
「いや…、裕也がいないと何か寂しいなぁ、って…。」
「ふーん、へぇ…。」
山岸さんの視線が痛い。
裕也は僕をじっと見ながら何か考える様な素振りをしていたが、
「…まあ、その話は置いといて。取り敢えず日曜は皆でカラオケだな。」
「うん。で、待ち合わせ何時頃がいい?」
「そうだな…。」
こうして、久しぶりに三人で遊ぶ事になった。
それはいいんだけど…
「おい誠一、お前何やってんだよ。」
その日の放課後、僕は裕也に昼休憩の時の事について問いただされていた。
「俺が折角お前等を二人きりにする為に彼女作りまくってたっていうのに。」
それは多分嘘だ。
「そんな事言っても…、二人きりで何話したらいいのかとか分かんないし…。」
「そんなのいつも通りにしてりゃいいだろ。っていうかさっさと告白しろ!」
モテ男の裕也が言うには、
"お前は顔も悪くない。カッコいいじゃなくて可愛い系だがな。
で、俺が思うに、山岸の方も中学の時から多分お前に気があった筈だ。だから告白すれば絶対OK貰えるって。"
…だそうだ。
「っていうかだな、お前告白出来る時にしとかないと後で告白出来ない状況にな
って後悔しても知らねーぞ。」
「うん…。」
後悔する前に、か。
確かにそうかもしれない。けど…
と、考えていると、
教室のドアががらり、と開いて、中からアイドル並の顔立ちをした女の子が顔を出した。
「あ、いたいた。おーい如月君。」
僕と目が合うと、嬉しそうに手をぶんぶんと振ってくる。
彼女は李昌晶子。
隣のクラスの女の子で、高校に入ってから友達になった人の一人だ。
"ごめん、ちょっと行って来るね。"と裕也に言い残し、僕は席を立った。
「何か用事ですか?」
彼女の元へ行くと、
「うん。はい、コレ借りてたノート。すごい分かり易かったよ、ありがとう。」
笑顔で言われると、どきりとしてしまう。
彼女の美少女と言ってもいい程の容貌に未だ慣れない。
「で、ここの訳が分かんなかったんだけど…。」
「あぁ、そこはthatが強調構文になってるから…」
僕は李昌さんに時々国語や英語を教えたりしている。
逆に僕は理数科目が苦手なので李昌さんに教えてもらったり。
要するにギブアンドテイクっていうヤツだろう。
「…あ、そっか。やっと分かった。ありがとう、危うく今日気になって眠れなくなるトコだったよ。」
「あはは、どういたしまして。」
「それにしても、如月君ってやっぱいいなぁ。一家に一台欲しいよ。」
「何ですかそれ、僕はロボットじゃないですよ。」
僕は笑おうとしたが、彼女は予想に反して真面目な顔だった。
「……ううん、絶対手に入れてみせる。」
「え…?今何か…?」
「ううん、何でもない。今度一緒にお昼ご飯食べたいなぁ。」
「あ、はい。それは別にいいですけど…。」
「やったぁ!ってもうこんな時間か。私そろそろ帰るね、じゃ。」
手を振りながら走って行く李昌さん。
何かに違和感を感じつつ、僕は教室へと戻った。
「ごめん、遅くなって。」
裕也に謝る。
「いや、それはいいんだが…。」
裕也がふと真面目な顔になった。
「どうしたの?」
「…お前、あの女にはあんまり関わらない方がいいぜ。」
李昌さんに関わるな?
「何で?裕也ならあの子も狙ってると思ったんだけど。」
李昌さんは、眉目秀麗、成績優秀、運動神経も良いといったまさに完璧な人で、
学校内には彼女のファンも多いらしい。
それなのに、何故?
「いや、まあ…な。」
言葉を濁す裕也。…こんな裕也初めて見た。
「…まあ、いい。そろそろ帰ろうぜ。」
裕也が席を立つ。
「あ、うん。」
僕は、裕也と別れた後の帰り道、裕也が何故李昌さんの事をあんな風に言っていたのかについて考えていた。
「成る程、アレがヤツの転生した後の精神が宿った肉体か。」
夕焼けに空が赤く染まる中、その赤よりも紅い髪と瞳を有した存在が呟く。
端正な顔立ちには少年の様な幼さも混じっていて、彼がこの世界にとって異様な存在である事を如実に表していた。
「そしてヤツの周りには月の一族と、…李昌か。中々面白い。我を楽しませるには丁度良いといった所か。」
そして、"何か"が始まろうとしている。
同時に、それは"何か"の終わりでもある。
「クク、人間とは何故こうも愚かなのか。…だが、だからこそ我を飽きさせない。」
その少年が翼を拡げる。
「せいぜい踊るが良い。全ては我の意思のままに、か。」
その紅い存在は、心底面白がっているかの様に哂った。
誠一と別れた後の帰り道、裕也は先程の事を考えていた。
李昌晶子。
果たして、奴は何を考えているのか…。
ふと、視線を感じて顔を上げる。
そこにいたのは、
「や、こんにちは。東野裕也君。」
何の穢れとも無縁な顔をした、
「…李昌、晶子。」
夕日の逆光で顔は見え辛いが、この声は間違いなく。
「奇遇だねぇ。今帰る途中?」
裕也は一歩を退いて身構える。
「…何の用だ。」
「ありゃ、冗談も通じないの?って、君のその発言が冗談か。」
晶子はがクスクスと笑う。
「何の用って、君を殺す為に決まってるじゃん。」
何でもないといった様に自然と言う。
「如月君を手に入れる為には、やっぱりどうしても君が邪魔だからね。」
"だから死んでもらうよ。"と晶子。
「チッ、今日は厄日かよ…。」
裕也は考える。
コイツに勝てる見込みはあるか?
否、十中八、九は俺が殺される。
何故なら、コイツが李昌だからだ。
だが…
「覚悟は出来た?」
晶子が笑う。
「そうだな…。だが、残念ながら俺もタダで殺られる程お人好しじゃあないんでな。せいぜい足掻かせてもらうさ。」
月の一族として。
たとえこの身が破滅しようとも。
相手を見据えて、構える。
そして、自分の存在を名乗る。これが最初で最後だろうな、と思いながら。
「東野流武神術正統後継者、東野裕也。――参る!」
世界が夕日で照らされる中を、神速で駆けた。
この世界の全てが欲しい。
私にはそれを達成出来るだけの力がある。
私はこの世界の真理になる。
その為に、私は彼を手に入れなければならない。
その為に、私は彼を殺さなければならない。
――その為に、私は**を手に入れなければならない…。
「…が…は…ッ…!!」
もう何度目か分からない程、俺の体が地面に叩きつけられた。
意識が一瞬飛ぶが、すぐに取り戻して状況を確認する。
両腕が激しく痛む。…辛うじて動くから折れてはいないだろうが、ヒビが入って
いる事は間違いないだろう。
肋骨も何本かイッた。息をする度に痛みが込み上げ、血液が逆流しそうになる。
肺に貫通しているのかもしれない。
両足はまだ大丈夫か…。だが、これも何時まで保つか。
一番ヤバいのが現在の出血量。特に頭からかなり流れている血が目に入り、左目が見えない。
そして、俺の攻撃は一度もヤツに届いていない。
結論。――多分俺はこのまま死ぬ。
「あれ?まだ生きてるの?しぶといなぁ。どうせ勝てないんだからいい加減諦めて死んじゃえば?」
李昌が何か言っているが、耳鳴りが酷いせいでほとんど聞こえない。
体を動かそうとするが、体がだるくて言う事を聞かない。
…もう無理か。
何か全てがどうでもいい様な感覚。
とりとめもない事が頭に浮かんでくる。
アイツを手に入れるとか言っていたが、アイツは大丈夫だろうか?
…大丈夫じゃないだろうなぁ。いくらアイツが神でも。
まったく、だから早く告白しておけって言ったのに。
このままだと、本当に告白なんて出来ない状況になっちまうぞ。
こんな状況だっていうのに、何だか笑いたくなってくる。
…不意に、ある観念が頭を過ぎった。
――本当にそれでいいのか?
しょうがないだろ。もう体が動かないんだから。
――本当にそれでいいのか?
…いや。本当はこんなんじゃ駄目だっていうのは分かってるさ。でも…
――本当にそれでいいのか?
…やっぱり駄目だ。このままじゃ終われない。
――思い出してしまったんだ。
――山岸と笑い合っているアイツの顔を。
――あの顔を。
――あの幸せそうなアイツの表情を。
――それを奪おうとするお前を。
――俺は、一発殴ってやらないと気が済まない……!!
「あああああぁぁぁぁあぁぁあぁぁ!!!!!!」
全身に力を込める。
体が悲鳴を上げる。そんな事はどうでもいい。
両腕が軋む。そんな事はどうでもいい。
口から鮮血が逆流して溢れ出す。そんな事はどうでもいい。
立った。
再びこの世界に。
ちっぽけな存在でしかない俺が、ちっぽけなプライドの為に。
この世界にとってどうでもいい俺が、この俺にとって大切なエゴの為に。
「えぇー?立っちゃうの?そのまま死ねばいいのに。」
ヤツの声を遮って。
奔った。両足に力を込めて。
再び紡ぎ出される神速。
「え、そんな!?」
ヤツが驚きの声を上げる。当たり前だ、俺自身でも驚いてるんだから。
完璧に不意を突かれて反応が追いついていないヤツに、俺は自分の全てを叩き込む。
「東野流武神術、弐式戯龍弐番、紅蓮天謁!」
拳に炎が宿る。
そのまま力の限り顔面を穿った。
「―――ッ!!」
声にならない悲鳴を上げて、ヤツが真後ろに吹っ飛ぶ。
その後に神速で追い付き、
「東野流武神術、壱式演舞奥義弐、月下円舞陣!」
踏み込んだ左足を軸に体をひねり、円を描く様にしてヤツの胸に拳と蹴りを打ち出す。
ヤツの体が更に吹っ飛び、壁に激突する。
倒れてくるヤツの体を蹴り上げ、落下してくるヤツの背に完璧なタイミングで最後の拳を放つ。
「東野流武神術、参式術演技奥義壱、無甲点!」
しかし、俺の最後の力を持ってしても李昌を倒す事は出来ず、
「…もう、許さない…!!絶対に絶対に殺してやるんだから!!」
血を吐き、よろめきながらも立ち上がったヤツから、膨大な魔力が流れ出した。
息はかなり荒く、目も血走っている。かなり興奮しているようだ。
ヤツの魔力によって生成された無数の炎弾がヤツの頭上で待機している。
「…死んじゃえ!」
その合図に従い、無数の炎弾が俺を焼き尽くそうと襲い掛かってくる。
もう、これを避けるだけの力は俺には残っていない。
…悪い、やっぱり無理だった。出来る事ならお前達の未来ってヤツを護りたかったんだがな。
それが当たる瞬間、俺は自分が笑っている事に気付いた。
――誠一。
――がんばれ。
日常と非日常は繋がっている。
僕はまだその事を知らなくて。
日常だった日々が非日常に塗りつぶされていく感覚。
僕はまだその事を知らなくて。
そして、非日常だった筈のモノは簡単に当たり前の日常になっていく。
その事も、僕はまだ知らなくて――
「如月君!」
「うわ!」
学校からの帰り道。
突然後ろから声を掛けられて、僕は情けない声を上げた。
慌てて振り向くと、
「何?そんなに驚かなくてもいいじゃんか。」
思った通りの可愛らしい顔がそこにあった。
「あ、うん。ごめん、山岸さん。」
山岸さんが苦笑する。
「まったく…、そうやって必要以上に謝るのは良くないっていつも言ってるでしょ。」
「うん…。ごめん。」
「また……。まあいいけどね。君がヘタレなのは今に始まった事じゃないし。」
「そうだけど…。」
そこで何も言えないから僕はヘタレなんだろうなぁ…。
などと考えると、自然と溜息がこぼれた。
「そういえば、東野どうしたんだろうねぇ。」
隣を歩く山岸さんが、僕の方を見ながら言う。
「そうだね。どうしたんだろう…。」
今日、裕也は学校に来ていなかった。
昨日裕也が言った事が気になって、今日聞こうと思ったんだけど。
「欠席届けも出してなかったって言うし…。」
それを考えると少し心配になってくる。
「大丈夫だって。どうせサボってどっかで遊んでるんでしょ。」
そう言って微笑む山岸さん。
どきり、とする。
「…どうしたの?」
その言葉で、はっと我に返る。
「い、いや、何でもないよ。」
それから、他愛もない雑談をしながら帰り道を歩く。
ある時、話題が最近ニュース等で話題に上っている事になった。
「最近ここら辺って結構物騒だよね。」
「ああ、ニュースとかで騒いでるアレ?」
そう、最近この辺りでは謎の失踪事件が多発している。
ニュース等では、"神隠しなのか。"とか"北朝鮮拉致の可能性も。"といってこの事件を取り上げている。
担任の先生も、今日のHRで"決して一人では下校しないように。"と念を押していた。
「で、もし私が拉致されそうになったら助けてよ?」
僕の前に回りこんで悪戯っぽく笑う山岸さん。
また鼓動が跳ねた。
「僕なんかじゃ無理だと思うけど…。」
「ここは"うん"って言う所でしょ。相変わらずヘタレだねぇ…。」
もしかして裕也も…。と考えそうになったが、あまりに不吉なので止めた。
そんな事を話しながら、いつもの角を曲がった。
次の瞬間、
「え……?」
世界が、凍りついた。
「どうしたの?如月君。」
急に立ち止まった僕を不思議に思ったのだろう。山岸さんが振り返る。
僕は何も言えない。頭の中が真っ白になって何も考える事が出来ない。
「どうしちゃったの?先行くよー。」
山岸さんが前へと歩き出す。
そんな…、彼女には"アレ"が見えていないのだろうか?
それとも、僕が幻覚を見ているだけなのか。
一回目を閉じて再び目を開く。
しかし、そこにある光景は、今僕が見ているモノが現実であるという事実を突きつけるだけだった。
アレは日常じゃない。
アレは非日常の産物だ。
アレは日常じゃない。
アレが日常である筈がない。
ゲル状の様な透明の体をしたアレは、
目の前に来た山岸さんを、
まるでエイの様に体を広げ、
ぞぶり、と飲み込んだ。
「あ、あぁ……、」
目の前の光景に体がどうしようもなく震える。
歯がかちかちと音を立てる。
吐き気が込み上げる。
足ががくがくと揺れて、今自分が本当にちゃんと立っているのかが分からなくなる。
逃げろ。 息が出来ないのか、山岸さんが金魚の様にぱくぱくと口を開閉する。
逃げろ。 辺りに今まで嗅いだ事の無い異臭が立ち込める。
逃げろ。 これは山岸さんが溶けている臭い。
逃げろ。 山岸さんの肉が焦げて溶けていく臭い。
逃げろ。 アレの体は硫酸か何かで構成されているのだろう。
は、と息を吐く。
固まっていた体が動き出す。
両足が、一歩一歩地面を踏みしめる。
アレが在る場所へと。
山岸さんの元へと。
…嗚呼、これは多分僕自身が望んでいる事。
だったら僕はそれに従う。
後悔は、ない。
そしてふと、
山岸さんの元へと向かう途中で、
僕の意識は、真っ白な光に包まれた。
――力が欲しいか。
欲しい。
――どの様な力を望む。
大切な人を、護れる力が欲しい。
――この力が呪われたモノでも?
それでも、僕は。
――いいだろう。力の代償として、貴様には神になってもらおう。貴様には素質がある。
神…?
――我が名は神魔。
神魔…?
――神魔の名の下に、目覚めよ、神雨――
「あああぁぁぁあぁぁぁぁあ!!!!!!」
僕という存在が、今、覚醒する。
頭の中で大量の情報が駆け巡る。
体の中に、血液以外の何かが流れていく感覚。
前を見る。
山岸さんは、まだ完全に溶けてはいない。あれから時間はほとんど経っていないらしい。
倒すべき敵を正面から見据えて、右手の掌を敵に向ける。
今まで幾度となくそうして来たかの様に。
「術式構成――開始。」
――僕の口からこぼれたその言葉は、
――自分でも驚く程、感情が籠もっていなかった。
それからの事は覚えていない。
気付けば、敵はいなくなっていた。
辺りを見回す。
僕の目の前の道路が一直線に抉られている。
両側に一列に並んで建っていた一軒家は、全壊していたり半壊だったりと様々だ。
ふと足元を見ると、水溜りがいくつも出来ていて、今もその水溜りに無数の水滴が落ちて跳ねている。
雨が降っていた。
暗い雲が覆う空を見上げて、そこでようやく悟る。
終わったんだ、と。
再び前を見ると、そこに何かが落ちていた。
それは、痛々しい片腕。
山岸さんの物だろうという確信が過ぎる。
それを拾い、俯くと、そこに見えるのは水溜りに映った自分の顔。
しかし、それは僕の物ではなく、見慣れたもう一つの顔。
髪が蒼くなってはいるが、それは間違いなく。
山岸さん……。
手の中にある山岸さんの腕に話しかける。
山岸さん、
結局、護れなくてごめん。
こんな頼りない奴でごめん。
結局、言えなかったけど、
僕は貴女の事が好きでした。
それは今でも変わらなくて。
だから、だからどうか――
泣けない僕の変わりに、空が泣いてくれた。
どれくらいの時間が経っただろうか。
雨に濡れるのにも構わず空を見上げていると、突然パシャという音がした。
その音に振り返ると、そこにいたのは見知った人物。
「こんにちは、如月君。」
「李昌、さん…?」
「あ、今は神雨って呼んだ方がいいのかな?」
「え…?」
どういう事だ?何故李昌さんが神雨って…?
「あれ?知らないの?さっきの使い魔を呼び出したのは私なの。」
思考が再び停止した。
今、彼女は何て…?
「ついでに、東野君を殺したのも私。」
裕也を、殺した…?
「そ、そんなの嘘」
「本当だよ?信じてくれないの?」
僕の言葉を遮って、近づきながら話す李昌さん。
「何なら、証拠見せてあげようか?」
僕の目の前まで来ると、にやりと笑って手を僕の顔に当てる。
「悪いけど、これが真実なの。」
次の瞬間、僕の目の前は真っ暗になり、次に見えてきたのは裕也と李昌さんが戦っている場面。
血まみれになった裕也は、それでも立ち上がり、炎によって焼かれて…
「どお?これで信じてくれた?」
体が震える。李昌さんの言う言葉が耳に入らなかった。
「さすがにあの時のダメージが残ってたし、まああのコの性能を確かめる為もあって、彼女は生贄の一人になってもらったんだけど…」
死んだ。
裕也が死んだ。
山岸さんも死んだ。
誰のせいで?
あの魔物のせいで。
「…で、私は貴方が欲しい。あなたの持つその力だけが欲しい。だから貴方には死んでもらって、その力だけを…って、聞いてる?」
あの魔物のせいで山岸さんは死んだ。
李昌さんがあの魔物を呼び出したせいで山岸さんは死んだ。
李昌さんのせいで裕也が死んだ。
李昌さんがいたせいで全てが終わった。
何だ、答えはこんなにも簡単。
全ては李昌さんを殺せば解決する。
だったら、殺そう。
さあころそう。
いまころそう。
ぼくからたいせつなひとをうばったこのおんなを。
ころせ。
ころせころせころせころせころせころせころせころせころせ。
殺せ。
次の瞬間、どん、という衝撃が誠一の体を貫いた。
「あ…。」
衝撃の原因が何なのかと思い、誠一が体を見ると、自分の胸から手が突き出ていた。
その手が何かを握っている。
その血まみれの手が握っているものは、
誠一と同じテンポでどくんどくんと脈動している、
「あ、あぁ…。」
"それ"が何なのか理解した瞬間、誠一の口から"それ"と同じ色の血が吹き出た。
首を動かして後ろを見る。
そこにいたのは、誠一の血よりも紅い髪と目を持った端正な顔立ち。
「神魔ッ!」
晶子が叫ぶ。
この人が、神魔…?
誠一がその顔に見とれていると、
「貴様がこれから在るべき場所へと還るがいい、神雨。」
そう告げて、神魔は手の中にある誠一の心臓をぐしゃり、と握りつぶした。
「神魔ッ!何をした!?」
晶子が叫ぶ。
「貴様のせいで神雨が穢れてしまったからな、その魂を浄化して天界へと送っただけだ。」
誠一の体を地面に棄て、神魔が言う。
「さて、貴様は我の計画を邪魔した。その罪、死んで償うがいい、人間。」
言葉とは裏腹に、神魔の顔は可笑しそうに哂っていた。
晶子は思う。
邪魔をされたのはこちらも同じだ。そちらこそどうしてくれるのか。
だが、今自分の目の前には自分の計画の最終目標がいる。
このチャンスを逃してはならない。
神魔をこの場で殺してその力を手に入れる。
そうすれば神雨なんてどうでもいい。
そうと決まればさっさと神魔を殺そう。
だって、私はこんなにも強いのだから――。
「ふん、貴様にはこの姿で相手をする事すら生温い。特別に我本来の姿で相手をしてやろう。
泣いて喜べ、愚かな劣悪種。」
地の底からか天からか。
どちらとも区別のつかない声が響いた。
ぞわり。
世界がおそれた。
その姿に。
世界がおびえた。
その力に。
そうして全てが跪く。
何もかもを超越した、超え、勝つためのみに創られたその力が今、その真実の姿を見せた。
――それはもう人の姿ではなかった。
――それはもう生物の姿ではなかった。
――それはもう世界が許容することは出来なかった。
――それはもう理が支配することは出来なかった。
――それはもう終わりを意味していた。
「あ、あぁぁぁあぁぁぁ………。」
晶子は恐怖した。
目の前の遥かに強大な存在に。
何故自分はこんなモノを手に入れようとしたのか。
体をガタガタと震わせて晶子は涙を浮かべた。
しかし後悔しても、それはもうあまりにも遅すぎて。
――汝、我が姿を見た。
――汝、今死を悟る。
「うあぁぁあぁ、神魔あぁぁぁぁぁぁ!!!!」
――我が名は神魔。全てを超える究極。
――我が名は神魔。この世の全ての真理。
――我が名は神魔。この世の全ての正義。
――我が名は神魔。我こそは全ての勝利者。
――我が名は神魔。そして我こそは、永遠の敗北者。
――今ここに汝は死に絶える。さらばだ。
「…ここは何処だろう。」
よく事態が飲み込めない。
気がつけばここに居た。
辺りを見回してみる。
薄暗い中で、この世の物とは思えない程の神秘的な光が辺りを包んでいる。
洞窟…だろうか…?
そんな事を考えていると、
「神雨様。」
という綺麗な声が僕の思考を遮った。
「え…?」
神雨…?
その名前に聞き覚えがあった。
どくん、と鼓動が跳ねる。
そうだ。その名前は…
頭の中で記憶がフラッシュバックする。
下校途中に山岸さんが異質な何かに襲われて。
僕は何も出来なくて。
…いや、違う。
僕、"如月誠一"では何も出来なかったけど。
"神魔"と名乗った人物のおかげで僕は力を得た。
神になるという約束で。
魔術を使って山岸さんを助けようとして。
でも結局助けられなくて。
そして、李昌さんから告げられた真実。
それを聞かされた後から記憶が飛んで、気付いたらここに居たんだ、と。
やっと状況整理が出来た所で、
「あの…神雨様?」
という綺麗なソプラノの声が再び聞こえた。
声のする方を振り返ると、ショートカットの黒髪をした女性が立っていた。
確かこの服は……めいど服という物だっただろうか。
「あの…僕のことですよね…?」
一応確認してみる。
「はい。…瞳神様がお待ちです。差し支えなければ私がお送り致しますが。」
淡々と言葉を紡ぐ…ええと、めいど服を着た女性。
「あの、瞳神様というのは…?それと、ここは何処ですか?」
「瞳神様は、此処、天界にいらっしゃいます"神"の御方々を統べる方でございます。」
「天界…ですか。」
ようやく"自分は神になってしまったのか"という自覚が生じてきた。
「そろそろ瞳神様の許へお送りしてもよろしいでしょうか?」
つまり、僕は今から神の中で一番偉い人(なのだろうか?)に会わなければならない、という事か。
「…はい、お願いします。」
僕の返答を聞いて、めいど服を着た女性が詠唱を始める。
こんな状況を違和感無く受け入れている自分を、不意に虚しく感じた。
それにしても、神の中で一番偉い人か。
…少し、緊張してきた。
あっという間に視界が変わる。
どうやら魔術で飛ばされたらしい。
今度は…どこかの宮殿の中に来てしまったのだろうか?
そう思える程、僕が今居る建物の中は豪勢な造りをしていた。
「来ましたね、神雨。」
と、後ろから声がした。
急いで振り返る。
…綺麗だ…。
思考が一瞬にしてその感情に支配される。
呼吸をするのを忘れてしまう。
それ程に、目の前に佇む女性は美しかった。
…まるで、全てを浄化し、包み込んでくれるマリアの様だった。
「…貴女が、瞳神様ですか…?」
「ええ、待っていましたよ。私も、そして多分神夢も。」
「神夢…?」
聞き覚えの無い名前。
なのに、何でこんなに懐かしい感じがするんだろう…?
「ところで、僕を待っていたというのはどういう意味ですか?」
「貴方は、神魔に見込まれて神になる決意をしたのでしょう?」
神魔。
その単語に過剰に反応してしまう。
神魔とは、一体何なのだろうか…?
「あの、神魔というのは一体…。」
「…神魔とは、魔族の長、魔王を打ち滅ぼすための兵器。…私と竜族の長―神竜の子供…のようなものです。」
そう言う彼女の表情が悲しげに映った。
「…神魔は今、少なからずとも貴方に興味を持っているのです。そんな貴方は一体どの様な人物なのか、と私も興味を持っていました。」
「…僕は、何かを期待されているのですか?貴女と、…神魔に。」
「…神魔はそうかもしれません。ですが、私は違います。私はただ貴方という存在が見たかった…そして、貴方に謝りたかった。」
「謝る…?」
意味が分からない。何故初対面のこの人に謝られなければならないのだろうか。
「貴方を巻き込んでしまった事。…興味が無くなれば、神魔は貴方を殺すかもし
れない。神魔を生み出してしまった私達の責任でもあります。」
そう言って、瞳神は目を閉じた。明かな悔恨の色が窺える。
「…でも、」
言いたい事を頭の中で整理する。笑みがこぼれているのが自分でも分かった。
「神魔のおかげで、僕は助かりました。…僕はむしろ感謝しているんです。」
―――許せないのは、大切な女性を救えなかった僕自身だから。
「貴方は強い。…いえ、今はそうでなくても貴方は強くなる。…貴方は心が強いから。」
瞳神も少しだけ笑みを作ってくれた様だった。
「…謝罪の気持ちとして、私が出来る事なら何でもします。何か希望はありますか?」
何かあるだろうか、と少し考えてみる。
…そうだ、あると言えばこれしかない。
「…あの、僕を男に戻す事は出来ますか?顔は残したいんで、性別だけ…。」
そう、今僕の体は女性の体(多分山岸さんのものではないかと思う)で、顔は僕の想い人の山岸さんの物であった。
神になる時に受けた呪い。
好きな人の面影を背負って生きていかなければならない。
もう彼女はいないというのに。
でも、
「それならば、出来ますが。…顔は元に戻さなくてもいいのですか?」
「ええ、…お願いします。」
そうしなければ、
―――僕は、力に溺れてしまうと思うから。
瞳神の許を離れて外に出ると、太陽が眩しくて思わず僕は手を顔の前にかざした。
と、逆光で見えにくかったが、僕の数メートル前に誰かが立っている事に気付いた。
誰だろう。…ずっとこっちを見ている気がする。
そんな事を考えていると、その人は僕に近付いて来た。
「キミが神雨だよね?」
「あ、はい。…えっと、貴女はもしかして…神夢さん、ですか?」
その人はとても綺麗な顔立ちで、僕を見つめてきた。
先程の瞳神との会話が頭を過ぎる。
"多分神夢の事だから、外で貴方を待ち構えているかもしれませんね。"
「当ったり!どうして分かったの?」
とても嬉しそうな笑顔になる神夢さん。
…不意に彼女を思い出してしまい、その姿を重ねてしまう。
「いえ、先程瞳神様に聞きましたから。…貴女が僕を待っているかもしれない、と。」
「そっか、さすがにバレバレだったかな。」
そう言って、少しばつの悪い顔をしてはにかむ神夢さん。
その顔を見た瞬間、どくん、と鼓動が高鳴るのを感じた。
…まただ。
また、山岸さんと重なる。
この人…、山岸さんに似てる…。
「あの、…それで僕に何か…?」
「うん。神雨はまだこっちに来たばかりで行く宛てもないでしょ?」
「はあ…、そうですね。」
そういえば、これからどうやって生活したらいいのか、と瞳神に尋ねたら、
"多分、神夢がいるから問題ない"と、何だか曖昧に返されてしまった。
「だったら、私と一緒に暮らさない?ね、いいでしょ?」
「え…?」
言われた意味が分からない。
一緒に暮らす…?
僕が、女の人と?
「あの…神夢さんって、今…」
僕の言いたい事が分かったのか、
「私、今一人暮らしで独身、さらに彼氏もいないから問題ないよー?」
あっはっは、と笑い飛ばす神夢さん。
…正直逃げ出したくなった。
問題ありますよ!
そう言おうとしたが、彼女が突然真面目な顔になったのでそれが出来なかった。
「それに、私と神雨って姉弟なんだし、それが一番自然で良いと思うんだよね。」
思考が一瞬停止した。
「…僕が、神夢さんと、きょう、だい…?」
「うん。…関係上、神夢という存在と神雨という存在は姉弟って昔から決まってるらしいの。…私、少しだけ未来が見えるんだ。だから、キミの事も知ってた。
キミが人間界にいる時の事も。…キミがどんな経緯で神雨という存在になったのかも。」
悲しげに言葉を紡ぐ神夢さん。
「あ…。」
そんな間抜けな声しか出せなかった。
声ガ震エル。
体ガ震エル。
思イ出シテシマッタ。
アノ時ノ
山岸サンノ表情。
アノ表情ヲ奪ッテシマッタノハ僕ジャナイノカ。
結局、
彼女ヲ殺シタノハ僕ジャナイノカ。
俯いて、感情が暴走するのをじっと耐える。
…ふと、温かいものが僕の体を包み込んだ。
驚いて顔を上げると、すぐに状況が理解出来た。
神夢さんが僕を抱きしめてくれていた。
思わず動揺してしまう。
「あの…ッ、神夢さん…?」
「…大丈夫。大丈夫だよ。彼女が死んだのは、キミのせいじゃないから。」
その声が、あまりにも優しくて、
「…う…あ、あああぁぁっぁぁぁぁぁっぁああ!!」
あの時流せなかった涙が溢れ出した。
何て格好悪いんだ、と思う。
でも、溢れ出した感情を止めることは出来なかった。
涙が止まるまで、神夢さんは"大丈夫だから"と言い続けて抱きしめてくれた。
「…あの、すみませんでした。」
涙が止まった後、開口一番に僕は謝った。
「いいよ。辛いのに無理してたんだよね?」
「…すみません。」
謝る事しか出来ない僕。
…やっぱり、まだヘタレみたいだ。
「だから、謝らなくていいって。…今みたいに神雨が無理してると、私まで辛く
なるから。…少しでも心を癒してあげたいから。だから、一緒に暮らそう?」
そう優しく言ってくれるのに、断ることなんて出来なくて。
「…はい、宜しくお願いします。」
僕はそう言うしかなかった。
「決まりだね。…じゃあ、今から一緒に生活していく上でのお願い…っていうか
命令なんだけど。」
「…何ですか?」
…ものすごく嫌な予感がする。
「私の事、これからは"お姉ちゃん"って呼んで。」
「は…?」
思わずそんな言葉が漏れる。
神夢さんは、"だって姉弟なんだし。"と続けた。
そんなの恥ずかしすぎる。
っていうか、拒否権無し…?
「ほら、言ってみて。」
ものすごく嬉しそうに催促する神夢さん。
…覚悟を決めた方が良さそうだ。
「えと…お、…ねえちゃ……姉さ…ん。」
最後でギリギリ呼び方を変えた所為か、言葉が尻すぼみになってしまった。
多分、今僕の顔はトマト状態に違いない。
…少しだけ。
…ほんの少しだけ、後悔した。
この世界は不公平だ。
力の在るものが正義を語る事が出来、
力の無いものは、その力にただ平伏すしかない。
この世界は不公平だ。
それならば力を手に入れるしかない。
全てを掌握出来る力を。
この世界の全ての正義。
それは神魔。
この世界の絶対者。
それは神魔。
ならば、力の無い自分はどうするべきか。
答えは一つ。
手に入れろ。
力を。
神魔を。
「神雨、か。」
静寂の中で彼は呟いた。
神魔の魔力の因子による夢幻の力を持つ存在である"神夢"の弟。
神魔を手に入れるには、彼女の夢幻の力が最低限必要になるだろう。
幸い、現在神夢は力が使えないと聞いている。
理由は知らない。
そんな事はどうでも良い。
今重要なのは"神夢は力を使えない"、という事実。
そしてその弟、神雨も神になったばかりで力はほとんど使えない筈。
今なら神夢を手駒にして、そのついでに神雨も掌握出来る。
全ては神魔を手にする為の布石。
これならば、必ず上手くいく。
「待っていろ、神魔…。」
自信に満ちた笑い声が、静寂にざわめきをもたらした。
…何回このループを繰り返しただろうか。
「ね、もう一回言って。」
「…ね、姉さん。」
「…もう、可愛すぎッ!!」
そう言って、神夢…もとい、姉さんが僕に抱きついてくる。
慣れないことで、ただでさえ恥ずかしいのに。
抱きつかれるせいで余計にその感情が高まる。
そのせいで、さっきからずっと顔が熱い。
…姉さんって、抱きつき癖でもあるのだろうか…?
「…あの、そろそろ離れてくれると助かるんですけど。」
そうしてくれないと、心臓が保たないし。
「あはは、ごめんごめん。…さてと、何か飲み物でも作ってくるね。紅茶でいい?」
「あ、はい。ありがとうございます。」
辺りを見回してみる。
女性らしい雰囲気のある空間。
ここは姉さんの家のリビング。
色んな所が綺麗に整頓されていて、さすがは女性だなぁと感心してしまう。
台所に視線を移す。
姉さんがお湯を沸かしながら、ティーカップを食器棚から出している所だ。
ふと考える。
…これから僕はどうするべきなのだろうか。
神魔が僕に興味を持っている、と瞳神様は言っていた。
神魔。
たしか、魔王を打ち滅ぼすための兵器で、瞳神様と神竜様の子供のようなもの…
だっただろうか。
瞳神様が悲しい顔をしたからそれ以上は聞けなかったけど。
…とりあえず、僕としては神魔に会ってみたい。
会って、聞きたいことがあるから。
その為に、神魔に関しての情報が欲しい。
姉さんは、神魔について何か知っているだろうか…。
「…神雨?」
「うわッ!!」
考え事をしていた所為か、姉さんの気配に気付かなかった。
姉さんの顔が僕の目の前――すぐ近くにある。
鼓動が一気に跳ねた。
「どうしたの?何か考え事でもしてた?」
…う、なかなか鋭い。
「…いえ、何でもありません。」
「そっか、まあいいんだけど。…はい。」
そう言って、紅茶がテーブルの上に置かれた。
「ありがとうございます。」
紅茶のいい香りが辺りに広がる。
「さて、じゃあこれからについて少し話でもしよっか。」
僕と向かい側の席に座って嬉しそうに言う姉さん。
「これからの事…?」
「うん。私に聞きたい事とかない?お互いに聞きたい事があるなら最初に済ませておいた方がいいんじゃないかって思って。」
「…じゃあ、聞いてもいいですか?」
"うん、いいよ。"と言われたのを聞いて、先程考えていた事を口に出す。
「…姉さんは、神魔について何か知ってますか?」
紅茶を一口飲んで、姉さんは少し考えるそぶりを見せた後、
「うん、それなりには知ってるよ。」と答えた。
僕も紅茶を一口飲む。
「っていうか、この世界で神魔を知らない人は居ないんじゃないかな。」
「そんなに有名人なんですか?」
「…まず、魔力がハンパじゃないからね。無限の魔力。圧倒的な力。絶対的な存在。」
…息を呑む。言葉越しでもその凄さがはっきりと伝わってくる。
「…魔王を倒す為だけに生み出された存在、ですか。」
「そうらしいね。瞳神に聞いたの?」
首肯する。
「まあ、そこは同情するけどね。…でも、今度は誰も神魔を殺せない。その為に
生み出されたのが、神歌っていう抑止力。…幾ら私でも、神魔には勝てないし。」
「え、それってどういう…」
「あ、知らないのか。私って、神魔の魔力の因子を受け継いでるんだ。神魔が無限の魔力、そして私は夢幻の魔力を持ってる。
神雨はたしか知識の因子だったと思うけど。…私の言ってる事分かる?」
「あ、はい。何とか。」
記憶が自動的に引き出される。
神魔の因子。
それは神魔の可能性。
神魔はそれら全てを持っている。
故に、それらの内の一つしか持っていない僕たちでは神魔には勝てない。
…これが、神魔の知識の因子の力…?
「だから私って結構強いんだよ?神魔程じゃないにしても、魔力で言えば神魔の次に多いんじゃないかな。」
「全然そんな風には見えませんね…。」
思わず苦笑してしまう。
だって、そんなのとはかけ離れてる端整な容姿なのに。
…見かけで判断しちゃ駄目という事だろうか。
姉さんも笑みをこぼす。
「ひどいなぁ。…でも今、私その力が使えないんだよねー。」
「使えない…?」
「どうも誰かが私の力にプロテクトかけてるみたいなんだよね。でも、私の"夢幻の魔力"を封じる事が出来るなんて一人しか考えられないんだけど。…誰だか分かる?」
今までの話を整理して考えてみる。
姉さんは魔力の因子による"夢幻の魔力"というものを持っている。
でも、その力は今何者かによって封じられていて使えない。
そして、姉さんの魔力は神魔の次に多いという程だ。
…ということはもしかして、
「神魔…?」
「当ったり!まあ瞳神でもそれは可能だろうけど、彼女がそんな事をしても何のメリットも無いだろうし。」
「でも、もしそうだったら何で…?」
「そんなの私が知りたいわよ…。まあ、相手が神魔じゃ私にはどうしようもないんだけど。」
苦笑する姉さん。
「…私が知ってる事はこのぐらいかな。少しでも参考になった?」
「…はい、ありがとうございます。」
満足そうな笑みを浮かべる姉さん。
つられて僕も口元を笑みに結んだ。
「じゃあ、今度は私の番だね。」
「僕が答えられる事なら何でもどうぞ。」
姉さんの表情が少し強張ったのが分かった。
「…神雨は、神になったこと、後悔してる?」
その言葉に、どきりとした。
動揺が顔に出てしまったかもしれない。
「答えたくないなら答えなくていいから。…変な事聞いてごめんね。」
「僕、は……」
頭の中は真っ白だ。
言うべき言葉が浮かんでこない。
口が勝手に動いた。
「…後悔は、してないと思います。…でも、神になってもならなくても、結局は――」
―――彼女を助ける事は出来なかったから。
「…ごめん。やっぱり卑怯だよね、こういう聞き方。…うん、この話はお終い。
そういえば、神雨は食べ物の好き嫌いとかある?」
「え…?いえ、特にないです。」
それから、一時間程度姉さんと雑談をした。
とても楽しくて、優しい時間。
けれど、僕の頭の隅には"この幸せは長く続かないかもしれない"という思いが渦巻いていた。
夢。
夢を見ている。
あの日の夢だ。
山岸さんが、僕の隣で笑いかけてくれる。
いつもの曲がり角を曲がったその先。
非日常の始まり。
山岸さんが飲み込まれる。
山岸さんの溶ける臭い。
神魔の声。
長い眠りから目覚める僕。
しとしと、しとしと。
雨の音。
後に残った山岸さんの片腕。
しとしと、しとしと。
降り続ける雨。
神雨。
しとしと、しとしと。
―――夢の中で、
―――僕は何度も貴女を失う。
…目が覚めた。
窓の外に広がる月が視界に入る。
…何故か嫌な予感がした。
体を起こす。
刹那、
「やっと起きたか、神雨。あまり僕を待たせないで欲しいな。」
耳元で囁くような声。
…殺気!
本能で窓を突き破って外に出る。
次の瞬間、家がごう、という音を立てて燃え上がった。
夜の闇に上がった紅が幻想的とも言える。
「へえ、思っていた以上に動けるね。」
先程聞こえたのと同じ声。
家が燃えている明かりに映し出された少年。
…多分、敵に違いない。
「…貴方は誰ですか?」
「僕は華月。この世界を修正する者さ。」
華月。
その名前に聞き覚えがあった。
初めて会った筈なのに。
…あ、
そういえば、姉さん!!
「ふふふ。その顔、もしかして君の大切なお姉さんが心配なのかい?」
心底楽しそうに聞いてくる華月。
…吐き気がした。
「安心しなよ。彼女は教会の連中に可愛がってもらってる所だから。」
パチン、と指を鳴らす。
すると、闇の向こうから牧師の格好をした男二人が現れた。
男達の間には姉さんが取り押さえられていた。
「姉さんッ!!」
「…神雨!!」
「感動のご対面、かな。…さて、今日のメインイベント。神夢を囲んでの乱交パーティーでも始めようか。」
「な…?」
乱、交…?
「君のお姉さんが目の前で壊れていく様…、見たくないかい?」
何だ?
何が言いたいんだ?
「…何でこんな事をする必要があるんですか?」
「神夢だけじゃなくて、君も僕の仲間に入れたいからさ。…取引しないか?」
「取引…?」
「神夢が犯されていく様を見たくなかったら、僕に忠誠を誓うんだ。神夢共々ね。僕の目的はただ一つ。…神魔を手にする事さ。
僕に協力しないと言うなら、神夢を犯し、壊した後で、魔力の器になってもらう。協力するなら、君たちの身の安全は保障しよう。」
そんなの…。
いや、姉さんの無事が最優先だ。
僕は…
「さあ、どうする?」
華月の目には、自信が満ち溢れていて、相手に拒否を許さない。
「僕は…」
従うしかないか…。
神雨はそう告げようとしたが、
「神雨、従っちゃ駄目!!」
神夢の叫び声が耳に届いた。
「でも、姉さん…!!」
「従ってもらっては我が困るな。」
一度だけ聞いたことのある声。
空気が震えた。
抗う事の出来ない魔力の圧力。
華月が舌打ちをした。
「神魔…ッ!!」
咄嗟に華月が身構える。
声がする方を振り仰ぐ。
その存在を見た瞬間、
神雨は言葉を失った。
血のように紅い髪。
闇に溶ける漆黒の翼。
そして、何もかもを掌握する魔力量。
だが、不思議と恐怖は沸いてこなかった。
神雨はただ、美しいとだけ感じた。
果たして、それは神魔の端整な顔立ちの所為か。
それとも、全身から溢れ出るオーラの所為か。
「そう身構えるな、羽虫。我は貴様を殺しに来たのではない。」
口元を歪ませて、神魔が呟く。
「だったら何をしに来た!?」
「何、貴様が神雨に殺される所を見物しに来ただけだ。」
僕が、華月を殺す…?
神雨が神魔に視線を移す。
華月は高々と笑い声を上げた。
「とんだ戯言だな。こんな奴に僕が殺される?貴様でも冗談が言えるんだな、神魔。」
「冗談かどうか、その腐りきった両眼で確かめるがいい。」
華月が苦虫を噛み潰したような顔になる。
「…興が冷めたな。もういい、回りくどい事は止めだ。力で服従させてやる。」
華月がまた指をパチン、と鳴らす。
すると、牧師の格好をした二人組が待ってましたと言わんばかりに神夢の服を脱がせ始め、自身のズボンのチャックも下ろし始める。
「あ…。」
どくん、と鼓動が跳ねる。
何らかの記憶が脳裏を過ぎる。
暖房のない一室。
あるのは一枚の毛布だけ。
その毛布に僕と姉さんは包まって眠っていた。
寒かった。
寒かったけど、姉さんがいたから僕は幸せだった。
そこに、あいつらが来た。
汚い奴ら。
教会に勤める牧師が一人。そして学園に勤める教員が一人。
牧師が言った。
"こいつらはどうせ身寄りのないガキだ。何やったって文句言われねぇよ。"
教員も言った。
"そうだな。どうせ、こいつらもゴミなんだ。やっちまって殺すくらい神が許してくれるよな。"
そうして二人は下品に笑った。
教員が僕を殴りつけた。
そして、押さえつけられる。
牧師が姉さんを殴った。
そして無理やり押さえつけた。
僕は教員を押しのけて姉さんの下に走り寄りたかった。
でも僕には力がなかった。食べるものもなかった。
姉さんの衣服が剥ぎ取られた。
―――助けて神雨っ!
…僕には助けることなんて出来ない筈だった。
…力が無かったから。
…目を閉じて意識を体の内に向ける。
…今は、力が僕の中に在る事を確かに感じ取れる。
…手を伸ばした。
…もう二度と後悔しない様に。
…もう二度と失わない様に。
―――助けて神雨っ!
…うん、今助けるよ。
―――頑張ってね、如月君。
―――頑張れよ、誠一。
…うん、頑張る。だから、
―――もう一度、力を…ッ!!
「…何だ…、何だ貴様はああぁぁぁぁ!!」
華月が叫ぶ。
先程とは比べ物にならない魔力圧を放つ目の前の存在、
神雨に。
「…静まれ、この屑が。」
そんな華月に対して、神雨はそう吐き捨てる。
その言葉に、華月が怯む。
正確には、その言葉に含まれている神雨の莫大な殺気にだが。
神雨は、華月を一睨みした後、
「汚い手で姉さんに触るな、汚蟲の分際で。」
殺気を込めてそう呟いた。
次の瞬間、見えない衝撃波が神夢を犯そうとしていた男二人を吹き飛ばした。
さらに、かまいたちが巻き起こって、二人の体を切り刻んでいく。
声にならない悲鳴を上げて、二人の男は肉塊に解体された。
「な、んだ…?何が起こった…?」
一瞬の出来事で、華月の頭には理解が浸透していない。
目の前に広がるのは、二人が殺されたという現実。
血の匂いが辺りに渦巻いた。
神雨は、一跳びで神夢の許へと降り立つ。
「神雨…?」
神夢が心配そうに神雨を見つめる。
神雨は答えない。
今は、何を言っても意味はないと知っているから。
「さて、次は貴様の番だ。」
華月に向き直って真っ直ぐに睨み付ける。
「調子に乗るなあああぁぁぁ!!」
興奮した華月の叫び声。
次の瞬間、無数の炎弾が神雨を襲った。
神雨は冷静に掌を炎弾の方へ向ける。
すると、神雨を焼き尽くす筈の炎弾は見えない壁によって弾かれた。
「魔力障壁か…。」
忌々しげに呟く華月。
「終わりか?」
絶対零度を感じさせる程の神雨の声。
次の瞬間、神雨の体から膨大な魔力が溢れ出す。
「果てろ。」
感情のない声で呟く。
神雨の魔力と意思に呼応し、数百に及ぶ雷の刃が華月の体を貫いた。
辺りに静寂が満ちる。
それを破ったのは神魔だった。
「…ふむ。魔力のオーバードライブによるモノではあるが、思ったより使えそうか。」
「オーバードライブ…?」
神夢が神魔の方へ振り返る。
「今の神雨は自分の現在の力量を超えた魔力を体内に持っている。それを一気に行使しようとするとこうなる。」
「…あ…。」
神雨の体が不意にぐらつく。
「神雨ッ!」
前方に倒れそうになったのを慌てて神夢が支える。
「まだ余力を秘めていそうな気もするが、そこは次第点という所か。」
「…僕は…貴方に…聞きたいこ…と…が」
苦しげに言葉を紡ごうとして、そこで神雨は気を失った。
「…で?本当は何をしに来たの?」
神雨を木陰に横たえた後、神夢は神魔を見据えた。
「転生した神雨の力を見極めに来たというのは事実だ。その為に華月を今まで泳がせ、貴様の力を封じておいたのだからな。」
つまらなそうに言う神魔。
「…神雨も巻き込むつもり?」
「無論だ。ヤツも運命の歯車の一部。利用出来る価値があると分かった以上、それを利用しない訳にはいくまい。」
神夢は奥歯を噛んで、神魔を睨み付ける。
「神雨――私の弟に危害を加えるつもりなら、…私はあなたを許さない。」
その視線を意にも解さず、神魔は嘲笑とも取れる笑みで返す。
「聞こえなかったのか?神雨も運命の歯車の一部。魔力の因子を受け継ぐ者――神夢。貴様の弟であろうと我の知った所ではない。
貴様が我を許そうと許しまいと、それも我には関係の無い事だ。貴様が我に背こうと――運命を受け入れまいとも、な。」
神夢は自然と俯いていた。そう、これが"神魔"という存在である。この他者を受け付けない絶対性こそが。
…忘れていた訳ではない。神魔の絶対性。運命の絶対性。…逃れられないまだ見ぬ私の運命。
…でも。それでも。私は破滅してしまうかもしれないけれど。神雨――私の唯一の家族。私の弟。私にとって大切な存在――には私と同じ運命を背負わせたくなくて。
私と同じ運命を持っている事を認めたくなくて。
「…まあいい。神雨の力もある程度見る事が出来た。今日は我は退く。その前に、貴様の家と封じていた力は元に戻しておいてやろう。
…運命の歯車が完全に回り始めるその時まで、安寧の日々でも過ごすがいい。」
そう言って神夢に背を向けると、神魔は翼をはためかせて夜の闇へと消えていった。
元に戻った家と魔力。胸に痛みを覚えつつ、神夢は神魔の消えた夜闇をしばらくの間眺め続けていた。
「如月君、」
「え…?」
目を開けた瞬間、目の前にある山岸さんの顔。…どういう事だ?
「どうしたの?考え事でもしてた?」
周りを見回してみる。…ここは、"あの時"の帰り道?
「…ごめん。何でもない。」
夢だろうか?とも思ったが体に感じる感覚がリアルだったので、その考えをとりあえずは保留しておく。
「まあいいけど。そう言えばさ、最近ここら辺って結構物騒だよね。」
「…うん、そうらしいね。」
"あの時"と同じ会話。時が戻ったとか…だろうか。普通では考えられないが…
体の内側に意識を向けると、自分の意思に応えてくれる"あの力"をはっきりと感じる。
だとすると、これは…?
「…如月君、私の話聞いてる?」
「あ、…うん。聞いてる。」
「そう?…で、もし私が拉致されそうになったら助けてよ?」
あの時と同じ悪戯っぽい笑顔。
どくん、と鼓動が跳ねる。
あの時とは違う、罪悪感によるものであるのは否めない。
小さく深呼吸を一つして、一度目を伏せる。
「…うん。そうなったら、僕は必ず山岸さんを助けるから。」
自分に言い聞かせる為でもある言葉。
すると、山岸さんの顔が心底驚いていると言わんばかりの表情を作った。
「…どうしたの?何かいつもの如月君とは思えない発言だけど。」
「まあ、たまにはね。全然柄じゃないけどさ。」
少しだけ笑みを作る。山岸さんもそれを見て笑ってくれた。
そうして、"あの角"に差し掛かる。
体に緊張が走る。心臓が早鐘を打ち始めた。
一歩、また一歩と歩を進めていき、角を曲がった所で反射的に身構えた。
が、
「あれ…?」
そこには、ある筈の"非"日常が無かった。
思わず立ち止まる。そんな、まさか…。
「何やってるの?先行くよー。」
僕より少し先まで進み、振り返ってくる。
その笑顔が、とても眩しくて。
「…うん、ごめん。」
小走りで山岸さんの許へ。
隣に並んで再び歩き出す。
山岸さんの笑顔が僕に向けられて、
「…まったく。まだまだヘタレだけど、ちょっと見ない間に少し頼もしくなったね、"神雨"君。」
「…え…?」
しんう。
神雨神雨神雨神雨神雨神雨神雨神雨。
思考が停止する。
ぼくがきさらぎせいいちでぼくがしんうでわからないわからないぼくがだれなのかぼくはいったいどちらなのか。
世界が、ガラスのように砕け散った。
「どうだ、面白い余興であっただろう?」
何もかも真っ白な空間。
僕の目の前に在るのは、この空間において尚更に鮮やかに感じる紅い髪。忘れもしない自身に満ちた端正な顔。
「神魔…さん。」
「中々暇が潰せそうだった。故に貴様の精神に干渉させてもらった。」
口元に笑みを浮かべる神魔。
段々と理解が染み込んでくる。
つまりは、やはり。
「……何故、こんな事を?」
それを聞いて神魔は怪訝そうな顔をする。
「やはり神夢の弟か。…聞いていなかったのか?暇つぶし――我の気まぐれ。それ以上でも以下でもない。」
嗚呼、
やっぱり、あれは。
あれは神魔が創り出した一時の幻。
あるかもしれなかった僕のもう一つの未来の可能性。
ある筈だった日常の続き。
…胸が、悲鳴を上げた。
「どうした、やはり人間の生活に戻りたいという事か?」
僕の苦い表情を見て、神魔がさらに面白そうに続ける。
確信する。気まぐれではない…これは意図的なものだ。
だとしたら神魔がそうした目的はある程度検討がつく。
…こんな事では負けられない。
ここで負けたらそれこそ…
「…いいえ。そう思ってしまえば、彼女達の死が無駄になってしまいますから。」
目を伏せる。…負けてられない。
過去を振り返る事に意味はあるのか?
僕の場合は否、だ。
僕が今まで通ってきた道は、暗く閉ざされた道だった。
後ろを振り返ってみても何も見えず、何の意味も無い。
そこに戻る事も出来なければ尚更。
僕は前に進まなければならない。立ち止まる事も許されない。
故に、今日神魔が見せたモノはただの過去の模倣。
それを辿る事に意味はない。…その筈なのに。
僕は、あの時に一瞬感じてしまった感情を否定出来るのだろうか?
矛盾している、と思う。
でも、この感情を否定してしまったら僕は…
朝日に瞼を刺激され、目が覚めた。
覚醒し始めた頭を押さえつつ、上半身を起こして昨日の事について考えてみる。
…華月を倒した後からの記憶がない。それに、家も燃やされた筈なのに…。
と、突然ドアが開き、その音で思考が遮られた。
「あ、神雨。もう起きてたんだ。つまんないの…じゃなくて、体の調子はどう?」
ドアから顔を覗かせた姉さんの微笑。
「…えぇ、もう大丈夫です。おはようございます、姉さん。」
僕もつられて笑みを浮かべたが、すぐに頭を切り替える。
「ところで、昨日は迷惑をかけてすみませんでした。…昨日の事について聞きたい事があるんですが、いいですか?」
姉さんは微笑を崩さず、
「だよねぇ…。まあ、朝ご飯作ってあるから、食べながら話すってのはどう?」
「…って感じだったんだけど、何か質問とかある?」
姉さんが、コーヒーカップをテーブルに置く。
「そうですね…」
思考を展開する。
今姉さんから聞いた話によると、結局華月を殺したのは僕らしいが…正直記憶が曖昧でよく覚えていなかった。
それは魔力のオーバードライブとかいうヤツの影響だろう、という事らしい。
つまり、僕は有り余る力を持っていながらそれを完全に引き出せていない、という事。
少し情けなくて、でも何処かでほっとしている気分。
力に溺れるのは嫌だ。それで自分を見失ってしまうのならば、そんな力は要らない。
でも、力を使いこなせなければ、最悪僕は滅びるだろう。それに、この力が無ければ僕はあの時…
この力を否定する事は出来ない。
「…神魔の目的って、何だと思います?」
「…さあね。アイツの考えは私には理解できない。本当に自分の愉しみの為に行動してるのか、それとも別の思惑があるのか…。どちらにしても、私達にとってはよくない事。」
姉さんはそこで一旦言葉を切り、俯く。
次に顔を上げた時、その瞳には決意の光が灯っていた。
「…結局、神魔を止めるなんて誰にも出来ないだろうし、私達は神魔に――運命に踊らされるだけなのかもしれない。でも、私は出来る限りの力を以って、神雨を護る。――護ってみせる。」
その表情を、僕は純粋に美しいと感じた。僕には多分一生辿り着けない領域。
でも、
「ありがとうございます。…でも、それだと僕は姉さんに甘えてしまいます。そうなると、僕は多分また後悔してしまうと思うから…」
あの日を想う。
結局、護れなかった大切な人。
あの日噛み締めた後悔と情けなさ。
あんな思いはもう御免だ。だから僕は強く在らなければならない。
「僕に、この力を操る方法を教えてください。もう、後悔はしたくないから…駄目ですか?」
姉さんの表情を窺う。最初は驚きの表情を作っていたが、それも徐々に笑みに変わっていった。
「…そっか。うん、分かった。…神雨の気持ち、考えてなかったね。ごめん。」
…今は、僕も微笑む。
多分、これから僕は神魔を追って、最後には破滅してしまうだろう。
神魔の本質を知ってしまったから。
でもその前に、僕は神魔に聞かなければならない事がある。
出来るだけ長く護っていきたいモノもある。
まだ、終われない。
終末への音色が響き渡り始めるその前に、
悔いの残らない様に、
贖いの時に震えずに立っていられる様に、
――今は、安らぎに身を委ねよう…
下手ですいません。




