第十話 署名:誰かが、今日もどこかで名前を書いた。
今回は初めて登場する人物、運動側の視点です。
全十二話完結。最初からお読みでない方は第一話からどうぞ。
長田は、今日も名簿を更新した。
画面の中に、名前が増えていた。昨日より三十七人多かった。先月より二千人多かった。「AI個人所有禁止・国家管理反対」の署名サイトは、長田が立ち上げたわけではなかった。でも今は長田が管理していた。なぜそうなったのか、うまく説明できなかった。
元々は中学校で国語を教えていた。五年前に早期退職した。理由はAIではなかった。生徒数が減り、学校が統合され、担当クラスがなくなった。AIはその少し後から来た。
「先生」と後ろから声がした。
振り返ると、二十代の男が立っていた。今日の会合に来た中で、一番若かった。名前は聞いていなかった。
「署名、何人集まったら動けますか」と男が言った。
「動く、というのが何かによります」と長田は言った。
男は少し考えた。「国会に届ける」
「今の規模では難しい」
「じゃあ、何人いれば」
長田は答えなかった。正直に言えば、わからなかった。何人集まれば何かが変わるのか、誰も教えてくれなかった。制度を作った側が何人で動いたのかも、知らなかった。
会合は公民館の一室でやっていた。参加者は今日十四人だった。職業はばらばらだった。元会社員、主婦、学生、自営業。共通しているのは、AIに何かを奪われたか、奪われそうだと感じているか、どちらかだった。
「署名した人たちは、何を望んでいるんでしょう」と男が言った。
長田はしばらく考えた。「元に戻りたいんだと思います。でも、何に戻りたいのかは、人によって違う」
男は黙った。
「だからまとめるのが難しい」と長田は続けた。「怒りは同じでも、向かう先がばらばらで」
会合が終わった後、長田は一人残って椅子を並べ直した。誰も手伝わなかった。手伝ってほしいとも思わなかった。
帰り道、スマートフォンを見た。署名数がまた増えていた。知らない名前が並んでいた。どんな顔をしているのか、何を失ったのか、何を望んでいるのか、わからなかった。
バス停に着いた。バスが来た。無人だった。長田は乗った。
車内には三人いた。みんな画面を見ていた。長田も画面を見た。署名数がまた一つ増えていた。
誰かが、今日もどこかで名前を書いた。それだけは確かだった。
バスは走った。どこへ向かうのかは、長田には関係なかった。降りる場所だけを知っていた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
誰かが、今日もどこかで名前を書いています。それだけの話でした。
第十一話に続きます。




