第一話 通知:自分が送ってきたメールが、今日は自分に届いた。
AIが国を管理し、国が人を分類する時代の、ある朝の話です。
全十二話完結。続きはそのままお読みいただけます。
メールは午前九時ちょうどに届いた。
件名は「雇用形態変更のご案内」。その一つ上に、「本日限り!ピザ三枚目無料クーポン配布中」とあった。
谷口航は画面を見たまま、コーヒーを口に運ぼうとしていた手を止めた。開封するより先に、内容がわかった。ここ半年、同じ件名のメールを部下に転送し続けてきたからだ。
部屋はいつもと同じだった。窓の外、駅前のロータリーにはすでに人がいなかった。タクシーもバスも、三年前から無人になっていた。
メールを開いた。
「誠に遺憾ながら」という書き出しで始まり、「業務効率化の観点から」と続いた。退職金の計算式は、在籍年数に〇・七を掛けるだけだった。手続きの締め切りは来月末。変更後の雇用区分は「市民労働者C」。何がAからCを分けるのか、メールには書いていなかった。添付ファイルには「よくあるご質問」とあった。最後の一行は、「どうかお体に気をつけてお過ごしください」だった。
猫が膝に乗ってきた。
橙色の縞模様で、名前はハル。三年前、妻が保護施設から連れてきた。妻はもういない。離婚ではなく、去年の夏に病気で逝った。保険の給付金は、介護AIの利用料でほとんど消えた。
ハルは何も知らないように喉を鳴らした。
二十三年間、毎朝この会社のシステムにログインしてきた。最初の十年は現場で、次の八年は係長で、残りは部長として。去年の春からは、部下の「雇用形態変更」の通知文を確認するのが主な仕事になっていた。
自分が送ってきたメールが、今日は自分に届いた。
習慣で、社内システムを開いた。ログインはできた。ただ、画面の上部にあったボタン群が消えていた。送信も、承認も、検索も。残っていたのは「閲覧」だけだった。まだ読んでいない部下のレポートが三件、そこにあった。航には、もう何もできなかった。
ハルが爪を立てた。ズボンの生地に引っかかる感触だけがあった。
スマートフォンに着信が来た。画面には「長男」と表示されていた。航は電話を取らなかった。息子は去年、大学を中退していた。就職活動をやめたのではなく、そもそも求人がなかった。最後に話したのは三か月前で、息子は「AIの使い方、教えてくれないか」と言った。航は「お前には必要ない」と答えた。今もそれが正しかったのかどうか、わからない。
電話が切れた。
航はメールを閉じ、天気予報のアプリを開いた。今日は晴れで、風は南から。どこへ行くかは、考えなかった。考えても意味がないことは、わかっていた。
ハルが床に降りた。玄関のほうを向いて、一度だけ振り返った。
航は立ち上がった。行き先のない靴を履いた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
メールが届く朝の話から始めました。誰かが設計した制度の中で、それぞれが断片しか知らないまま生きている。そういう話を書きたかった。
第二話以降も続けてお読みいただけると嬉しいです。




