本編
私は新しい世界の空気を吸う前に、二度目の生を終えた。
一度目の生の終わりはよく覚えていない。ただ、終わったことだけは覚えている。
もしかしたら、ものすごい苦しい死に方だったのかもしれない。
神、としか呼べない存在が私に話しかけてきて、第二のチャンスをくれたのは、死に際があまりにも無様過ぎたからかもしれない。
神は言った。――ある条件を達成すれば、すべてを手にするチャンスが来るだろう、と。
その条件はすぐに分かった。
ピロンッ。
間抜けにも聞こえる電子音とともに、目の前に青い半透明のウィンドウと文字が現れた。
=====
<二度目の人生>
達成条件
・妹の命を吸収する
=====
文字を理解した瞬間、この世に神などいないと思った。
今回私は双子の姉らしかった。そしてどうやら、どちらかの命しか助からないようだ。
私は、自分の命を妹に渡した。私の体は産声を上げることなく息絶え、代わりに妹の元気な声が辺りに響いた。
私という自意識は、それで消えるはずだった。
しかし一体どういうことか。私という意識は妹の中で残り続けた。
とはいえ、何が出来るでもない。私の声は周囲にはおろか、妹にも届かない。ただ妹の五感を通して世界を眺める日々が始まった。
私とともに母も亡くなってしまったのだが、悲しみの中で妹を抱きしめ、震えていた父の姿には罪悪感を覚えた。あまり深く考えず、勝手に自己犠牲してしまった。もしかしたら母も私も妹も、全員が助かる何かがあったかもしれないのに、私は考えることすら放棄したからだ。
私の記憶には別の父親もいるのだが、それでも今回の父も私の父であることには違いない。泣き叫び、涙や鼻水やよだれでぐちゃぐちゃになった顔をしていた父が、笑った妹につられて笑顔を浮かべた時、とてもホッとした。
父は旅の吟遊詩人だった。
あちこちで演奏する父の唄は様々なものがあった。恋愛物から、神話、冒険もの、地域に根付いた伝承、復讐劇もあった……そんな中でも私が好きだったのが冒険のお話だ。
人々を困らせていた龍を倒した若者の話。
地獄の業火の中で宝物を見つける話。
ただの村人が、やがて国を作るまでの話。
もちろん、大仰に表現されてもいるのだろうけれど……妹も好きだったのか。父が亡くなると、冒険者になってしまった。
正直なところ、とても危なっかしかった。妹は喧嘩は強かったが、他に関しては「あー、うん」としか言えない子だった。
とは言え私に出来ることはほぼ見ているだけ。
ほぼ、と言ったのは一日五分程度だけ、妹の体を借りて動くことが出来ることに、年齢を重ねるうちに気づいたからだ。
まぁもっとも、五分では出来ることが限られすぎている。
それに私の存在をバラしたくもなかった。だってどう考えても、自分の中に別人がいる、など怖い。
何よりも、生を無理やり押し付けた姉のことなど知らないほうが良いし、彼女の人生を邪魔したくもない。この体はあくまでも妹のものなのだから。
行ったことと言えば、鞄の中の整理や寝相の悪い妹が蹴飛ばした布団を永遠にかけなおしたり、味音痴の妹の代わりに料理の味付けをすることくらいだろうか。
心配している中、妹の周囲には仲間が増えていった。奴隷として売られかけていた美しい少年。妹と同じく一人で冒険者をしていた剣士。戦争に負けてすべてを失った騎士。腐敗していた教会を立て直そうとして破門された神父。
一癖も二癖もある人たちだったが、妹の足りない部分を補ってくれる人たちで、みんな笑っていた。友人とも家族とも言い切りにくい関係。
と、最初は微笑ましく見守っていたのだけれど
「んむっ、ちゅぷっはぁっ」
唐突に濃厚なキスが始まり、私は意識を奥底へと向けた。何も聞こえない、何も感じない場所まで。
『なんで! また突然あんなところで始めるのよ、この子は』
うぎゃーと頭を抱えるように(体などないので本当に感覚だけ)叫ぶ。
昔から奔放な子だと思っていたのだが、大人になってきて性にも奔放になったのだ。野営の準備中。水を汲みに行き、その途中で突然初めてしまった。
それに乗る相手も相手だが……妹と仲間たちは全員がそういう関係だった。
『いやまぁ、この世界はパートナーが多いほど力の象徴として推奨されるハーレム推奨世界だから……うん』
前回の私の生きてきた世界とこの世界は常識が大きく異なることがある。魔法とか妖精が普通にいる世界というのもそうだが、考え方も違う。一夫多妻、一妻多夫はよくある話だった。むしろたくさんのハーレムを築くことが正義という世界だ。
多くのパートナーがいるということは、それを支えられるほどの力――強さ、権力、財力、魅力……そのどれか、もしくは複数を保持しているということ。なので複数の相手がいることはこの世界では隠さないし、隠さないことが正義で浮気とは言われない。
ただ逆に、周囲に隠してこそこそ付き合うことは、元の世界よりももっと悪いこととして捉えられる。相手の人生を支える実力も責任もないにも関わらず手を出したという事実が周囲にバレれば、人生が終わると言われるほどだ。
だから複数と関係を持つことはそうおかしなことではなく、彼らもそれを隠してはいないから問題ではない。
ただ、妹たちの場合はどうにも関係性がおかしい。肉体関係はあるものの、恋愛感情は互いになさそうなのだ。つまりパートナーでもない。
『……うーん、みんなソレで納得してるように見えるから、私が口出すことではないんだけど……というか、口出し出来ないけど』
割と性に関して奔放なこの世界では、正式に付き合う前に肉体関係を持って相性を調べることは普通にある。そして妹たちのように戦いに身をおいているものたちが、気の高ぶりを抑えるために肉体関係を持つこともおかしくはなく、これまた大勢と結んでいることは力の象徴の一つであり、むしろ好まれる。
妹は冒険者として名を馳せていた。
彼女に抱かれる、彼女を抱くことはそれだけでも名誉あることになるし、そんな彼女が5人程度と肉体関係を持ち続けていることも、この世界――少なくともこの地域の人族においては――好ましいことだ。
ただ私が気になるのは……妹が仲間たちと行為をするのは、どこか義務的なものを感じる点だ。
それは妹だけでなく、仲間たちもだ。まるでそれをしなければならないかのような……。
互いの信頼も、愛情のようなものもしっかりと感じるものの、それでもやはり恋愛感情のようなものは彼らの間にはない気がする。ただ、誰か好きな人がいる素振りはある。
時折彼らは妹に向かってせつなそうな顔をすることがあった。だから最初は彼らの片思いかと思ったのだが、なんだか違う気がしてきた。妹を通して、誰かを見ているように思う。妹に見た目が似ているのだろう。
『でもあの子がただの同情で彼らの想いを受け止めるはずはないし』
妹は、誰かの代わりに自分の体を差し出すような性格ではない。何か大きな見返りを要求しているか、彼女にとっても必要かのどちらかだ。
分からない。分からなくて……寂しくもなる。
おかしな話だ。
私は妹の中から彼らの冒険をのぞかせてもらっているだけ。時折妹の代わりに動くことはあってもわずか数分だけで、一緒に旅をしているわけではない。
楽しいだけではない冒険の苦しみを手助けしたことなど一度もなく、危険に身をさらすこともなく、一緒にいた気になっている。自分も仲間になった気がしている。なのに誰も自分のことを見てくれないと勝手に寂しくなって拗ねている。
なんでこんなことになったのだろうかという疑問は、もう浮かぶことすら無い。
(罰だ)
第一の生の時のものか。第二の生でのあの選択のせいかはわからないが、これは罰に違いない。
覚えていない罪。覚えていても、罪だと思っていなかった罪。もしくは罪を犯したとハッキリ自覚している罪。
その罰が、こうして孤独に耐え続けろということなのだろう。少し手を伸ばせば届くようで、けれど決して届かない。届けてもいけない。
ただ彼らの伝説級の冒険を当事者目線で見ることが出来て、一緒に旅をした気分に浸れている。それだけで満足しなければ。
「カリア様? 大丈夫ですか?」
声に顔を上げる。なんのことかと思って、さっき妹が寝不足でふらついたことを思い出す。倒れそうだったから表に出て体を支えたのだ。
「ああ。昨晩は中々盛り上がったから」
妹の口調で、妹が良いそうな表現であくびをする。なるべく声の持ち主の方は見ない。
とろけそうな声。ただの世間話が美しい歌声に聞こえてしまうほどの麗しい声の持ち主が、その見た目もまた麗しすぎることをよく知っている。
妹たちはあまり気にならないようだったが、中身は庶民である私にあの美は眩しすぎるのだ。
体勢も整えたし裏に引っ込もう。
「……ッ!」
「たしかに、足に力が入っていないようですね」
ぐいっと腰を引き寄せられ、バランスが崩れる。それでもなんとか踏ん張ろうとしたのに、いとも簡単に体が反転させられた。
金糸が見えた。
黄金を溶かし、職人が一本一本作り上げたような麗しい髪がさらさらと揺れている。
陶器のようなすべらかな肌には、碧く輝く宝石が埋まっている。この宝石を売ればさぞかし高値になるのではと思いたくなるような、そんな美しい輝きを帯びた宝石……としか思えない瞳。大きすぎず、切れ長すぎるわけでもない大きさの目は中性的で、細めの眉と共に穏やかな印象を抱く。
頬骨もやや丸みを帯びており、濡れた唇は触れると柔らかいに違いない。
目の前に存在するのは、『美』を人の形として顕現させた存在だった。神が作った彫刻と言われても信じられる。
言葉を出さなくてはと思う。妹らしい軽口をと思うのに、急に視界に広がった圧倒的『美』に上手く動かせない。
彼の唇が弧を描き、真っ赤な舌がかすかに見えた。
「ルカ」
なんとか彼、ルカの名前を口にできたものの、気づけば彼の顔が見えなくなっていた。
「むっ、んんんっ」
またしても唐突に始まった口づけに、奥へと引っ込まなければと思うのに、ぬるりと中へ侵入してきたルカの舌がそれを邪魔するようにこちらの舌を絡め取った。
逃げなければと下がろうとも、後ろは壁だった。では押しのければ良い。妹の体ならばそれが可能だ。しかし問題は、私に妹の力を制御できるかどうかが怪しいということ。制御を誤れば、ルカが怪我をしてしまう。
そんな躊躇をしている間に、ルカの足がこちらの両足を割って入る。体の中心が痺れるような感覚がする。
昨日の夜、妹は街で声をかけた見知らぬ相手と寝たのだが、相当激しいものだったようだ。ベッドの乱れ具合はすごかったし、まだ体はどこか敏感で、世話をしてくれているルカの手がかすかに当たるだけでも感じていた。
その時はただ見ていただけなので他人事だった。けれど今は自分が体を動かしている。目と耳だけでなく、接触による感触もハッキリと感じ取っている。
寒気のような感覚が背中を走る。その感覚は初めてのもので、頭が混乱していた。
プツリ。
どうしたら良いのかと思っていたら、意識が切り替わる。妹が続きをしているのがわかって……とにかくひたすら意識の奥へと向かって目を閉じて耳をふさぐ。
一体全体何が起きたのか、今もよく分からない。
ルカとキスをしてから、なぜかそういうことが増えるようになった。
たとえば剣士……ギリアンと並んで料理をしていた時。
妹は、味付けはともかく刃物を使うのはお手の物なので下ごしらえだけ手伝う。逆に私は刃物には慣れていなくてすごいなぁと眺めていたら、唐突に意識が切り替わった。なぜなのか分からない。私が知る限り、妹は健康だった。こんな唐突に意識がなくなるなんて何か病気だろうか。
そんな心配を抱いたのがよくなかった。今は刃物を持っていたのに。
「ッつぅ」
「どうした」
低く荒々しい声。よく日焼けした肌と黒い短髪。輝く翡翠の瞳がこちらを睨むように見ていた。
多くの人間を恐怖させる視線だが、これが彼の通常時で別段怒っているわけでないことは知っている。むしろこの仲間たちの中では一般的な優しさを持っていて、面倒見も良い。
ギリアンは自身の手元からこちらを見て少し目を見張った。そして彼らしくなく、慌てた様子で食材とナイフを置き、こちらへ近寄ってきた。
「切ったのか」
「ん? ああ。これくらい問題な」
「……たしかに、そんな深くはなさそうだな」
言いながらもハンカチを取りだして大仰に巻き付けている。
(ハンカチもしっかり持ってるし、料理上手だし、面倒見良いし、相変わらずお母さんみたいだなぁ)
「おい。今、変なこと考えただろ。言ってみろ」
「なんのことだか」
「よし。お前、飯抜き」
「母さんみたいだなって思いました」
素直に口に出すと、ギリアンは頬を引きつらせ、ギラリと睨んできた。言えというから言ったのに。
「やっぱり飯抜きだな」
「なっ! ちゃんと言っただろ」
「言ったら飯抜かないとは言ってねー」
「詐欺だ! 横暴だ」
焦る。私のせいで妹のご飯が抜かれてしまうのは申し訳無さすぎる。
どうしようかと慌てていたら、ギリアンがフッと笑った。
「お詫びに別のものをもらおうか」
「別のものって、な」
言葉が途中で途切れる。抗議の声が、ギリアンの喉奥へと吸い込まれた。
(なんでまたキスされてるの、私)
いや、今までだって妹は突然キスをしていたけれど、この前のルカも、そしてこのギリアンも。いつもとは違う気がした。いつもの……義務感がない気がした。
抵抗しようにも、ギリアンは妹以上に近接に強い。それでも妹本人ならば抜け出ることは可能なのだろうけれど、自分は妹の体を借りているだけでその能力のすべてを使えるわけではない。
なすすべなく、自身の口元から響く粘着性のある水音から意識をそらすが、彼の片手が腰を撫でるように動かしていったところで、また意識が切り替わる。
『なっ、なんなの~~~~~~!』
うわぁっと叫びながらまた意識の奥へと引っ込んだ。
そんなことが、何度もおきた。
寡黙な騎士、アルデリノは、私が一人で街を歩いている時に唐突に路地裏に私を引っ張り込んでキスをしてきた。言葉はなかったが、ただギラギラとした赤い瞳が獲物を捉えたかのように私を見ていた。
破門された元神父のフェルデルニグは、昼寝から目を開けた瞬間にのしかかってきた。淡い栗色の髪がふわりと私の頬にかかってくすぐったかった。誰よりも穏やかな表情と所作なのに、誰よりもそのキスは荒々しく激しかった。
一体全体、どういうことなのだろうか。
最初は偶然私が表に出ている時にそういう気分になったのかと思ったものの、考えてみると……妹から彼らにキスをしたのは見たことがあるが、逆は見たことがなかった。
おかしい。
もしかして、と思った。
自分の存在がバレたのかもしれない。妹の人生を邪魔したのかもしれない。――ゾッと血の気が引いた。私に引く血はないけれど。
このままではいけない。いけない。いけない、のに。
(気づいて欲しい。一緒に過ごしたいなんて)
そんなこと考えていけないのに、気づいてくれているかもと思ったら、そんな期待が押し寄せてくる。
ああ。私はなんと心が弱いのだろうか。
「カリア……やっぱりあなたに生きてもらって正解だった」
鏡を見る。燃えるような赤い髪と、青と緑が入り混じった瞳。全体として気が強そうな美人がそこにはいて、フッと笑う。
妹、カリアは見た目だけでなくてその体も中身も強い。私だったならば、こんなにも強くたくましく生きられなかっただろう。
そしてこの体は私のものではなく、私にカリアの人生を奪う権利はない。
もしも私の存在を彼らが認識しているならば、消えなければならない。死んでいる私が、生きている彼らの人生を邪魔してはならない。
ドアが開く音がした。
「カリア様、皆さんがそろそろ夕食に……ッ! どうされたのですか!」
鏡越しに目があったルカは、手にしていた荷物を放りだして駆け寄ってきた。カリアのフリをしないといけないのに、ただ顔を手で隠した。手が濡れる。
「どこか怪我でもされたのですか?」
慌てた声すら聞き惚れそうなルカに、ただ首を横に振る。
「ではなぜ泣いておられるのですか」
「…………」
答えないでいると、手首を優しく掴まれて、外される。その仕草と、こちらを見つめる碧い宝石を見て、確信した。
ルカはカリアではなく、『私』を見ている。見てくれている。
苦しい。
ルカが私の名前を呼ぼうとして、顔を美しく歪めた。名を呼べないのは当然だ。だって私は生まれる前に死んだ者。名前などあるわけがない。あってはいけない。
頬を包まれる。優しく涙が拭われた。
「あなたの涙は美しいですが、出来ればその苦しみを除く手助けをさせていただけませんか?」
「…………」
「私では、頼りないでしょうか?」
悲しそうなルカに、ただ首を左右にふる。違う。ルカたちが悪いのではない。気づかれて、こうして気を使わせてしまっている自分が悪い。
「私が、悪い」
「それはどうして」
「駄目だから……私は、いてはいけないから」
「そんなこと!」
ない、と否定してくれようとしたルカの口を塞ぐ。
考えたら、始まりもルカとのキスだったから、終わりもこれでちょうどいいのかもしれない。
びっくりしたし混乱したけど、最後の思い出だとしたら、幸せなことだと思える。
「今まで邪魔してごめんね。ありがとう……さようなら」
「ッ! 待っ」
ルカが何か言いかけている途中で、意識を奥へ奥へと向けていく。今まで行ったことないほど奥へ……もう浮上することが出来ないくらいに、奥へと。
なにもない場所だった。
今までは聞こえていたカリアの体を通した世界の音は何一つとしてなく、光も見えない。
ふと怖くなって後ろを振り返ってみるものの、果たしてそちらが本当に通ってきた道なのかわからない。いや、もうこうなってくると、どちらが奥なのかもわからない。
暗闇の迷宮に囚われた。
『でも、これが本来の罰だったのかも』
以前の状態は、たしかに罰というには弱い。なんだかんだ、みんなとの冒険を楽しんでいたのだから。罰というならこれくらいすべきだろう。
しかし、だとするならば、私は一体どんな罪を犯したのだろうか。
分からない。
分からないことが罪深い。
謝罪を口に出そうとして、誰になのか何になのかが分からなくて止めた。理解していない謝罪は、ただの傲慢だ。だって相手が謝罪を求めているかどうかもわからない。
謝罪とは、謝罪した側が行って満足するものではない。謝罪を受け取るべき相手が謝罪を求め、その求められた形で謝罪することで成立するものだ。
ああ、苦しい。
罪が何かわかれば償う方法も分かるのに、罪がわからないから何も出来ずにいるしかない。
足を止める。いや、足などないけれど。
動きを止めたという感覚はあるものの、実際その場に留まっているかは分からない。もしかしたら落ちているかもしれないし、登っているかもしれないし、水平に流されているかもしれない。
位置が変わっているか分かるものは周囲にはなく、風を感じる体もない。
ただあるのは自分という意識のみ。
――みんなと過ごした、冒険の記憶のみ。
ある日の野営中。夜空を流星群が覆っていたのを、皆で座って眺めた記憶。
ある日の馬車の中。うつらうつら寝ていたら馬車に頭をぶつけてしまい、くすくすと笑われた記憶。
ある日の街中。市場で格安で売られていた古代の壺を買って、骨董品店で高値に変えた記憶。
ある日の依頼中。凶悪な魔物を前に、皆が息ぴったりに合わせて戦っているのを、どうか無事でと祈った記憶。
あの日の依頼帰り。無事に依頼を完了したと、酒場で酒を酌み交わし、初めて飲んだお酒にむせそうになって必死に誤魔化した記憶。
思い出せば思い出すほど、泣きたくなった。
だけれども、私には涙を流す目はなく、声を上げる喉はなく、涙を拭う手もない。
泣くことが出来たならば、少しは楽なのに、楽をするなということか。
一体全体、本当に私は何の罪を犯したのだろう。こんなにも苦しまなければならないなんて。
私は……私は……わたし……わた……?
あああ、あああああああ。
…………。
…………。
……一体、どれくらい経ったのか。
私が私であることを、なぜかふと、唐突に思い出した。
……?
温かい気がした。おかしい。ここに光はない。温かさとは無縁だったはずなのに。
けれど、たしかに光を感じた。――光を感じる目はないはずなのに。
けれど、たしかに温度を感じた。――温度を感じる肌はないはずなのに。
それだけではない。
酸素を感じた。――酸素を感じる肺はないはずなのに。
音を感じた。――音を感じる耳はないはずなのに。
空を見上げる――どちらが上かも分からなかったはずなのに、今はなぜか……分かった。
『……目覚める時だよ』
ハッとする。聞き覚えのある声だった。ありすぎる声だった。
カリアの声を、聞き間違うはずがない。
どういうことだろう。聞こえないほど沈んだはずだ。
駄目だ。もっと、もっと奥に沈まないと……あの子の人生を壊さないように――。
思って下に向かおうとしたはずなのに、カリアが何かを口にした瞬間、強い力で引き上げられた。
そして、何か……温かいものに包まれた。
***
その方と出会ったのは、うねる赤い波の中だった。
「ぎゃああああっ熱いっ熱い、誰か、誰か助け」
赤い波に飲まれた男が、ごろごろと床を転がって叫んでいるのを、その方はつまらなさそうに見下ろしていた。
不思議に思った。
なぜなら、男が熱いと言っている赤い波は、自分が触れても全く熱くなかったからだ。
周囲を見やると、自分のように熱さを感じていないものと、熱いと叫んで焦げているものに別れていた。その基準は――奴隷か、そうではないか、のように見える。
一体どうやっているのかはわからないけれど、それを行っているのが誰なのかは一目瞭然だった。
大パニックに陥っている者たちの中で、何も気にすることなく佇んでいた。
周囲の奴隷商人たちへの嫌悪感も、奴隷たちへの哀れみもない。
ただ、何かの義務のように奴隷商人たちを追い詰め、奴隷たちの檻や手枷を溶かし、奴隷契約書を燃やしている。
ガチャンッ。
今度音がしたのは自分の間近。見れば手枷がハズレていた。
現実だと思えなくて、逃げることも忘れて炎が踊るその光景を見つめていると、この景色を生み出した人がこちらを見た。
何もかもに興味がないそんな目……ではなかった。
「ぁ」
何かを言いたくなったのに、言葉にならない。
彼女は一瞬悲しそうな顔をして、それからこちらを安心させるように微笑んだ。
そして声に出さずに口を動かしている。
『もう大丈夫だから』
こちらを見つめる目は、もう自分にはいなくなった家族を思い出させた。
「それで、お前さっきから何なんだ」
彼女が不機嫌そうにこちらを振り返った。ここは奴隷市場から遠く離れた場所で、混乱するあの場所から静かに去るその背中を必死に追いかけていた。
彼女の目を見て、「違う」と思った。思ったが、ひとまず頭を下げる。
「助けていただいてありがとうございました」
「ああ、奴隷か……それにしてはきれいな格好してるな?」
納得した彼女は、同時に不思議そうに首を傾げた。もう不機嫌そうな雰囲気はない。感情がコロコロと変わるタイプらしい。
であるならば、先程見たのもその一つか。
(いや、違う。あれは――)
「私はルカと言います。
あの、あなたは誰ですか? さっきの人をどこへやったのですかっ?」
聞けば、彼女はピタリと動きを止めた。そしてまたあの、何の興味もない目でこちらを見ている。
「さっきの人?」
「はい。私の方を見て、大丈夫だからって言ってくれた方です」
「お前を見た?」
彼女は「ふむ」と顎に手を当てた。何か考え込んでいるようで、それからパァっと顔を輝かせてこちらに駆け寄ってきた。
「そうだよな! やっぱりいるよな!」
「え? いたっ」
バンバンと背中を叩かれる。かなり痛い。けれどそれは彼女の喜びを表していた。
「その人はな! たぶん私の姉だ!」
「……たぶん?」
たぶんとおかしなことを言いながらも、彼女は確信しているようだった。
「お前……ルカだっけ? 行く所あるのか?」
「いや、ない、です」
「なら一緒に行こうぜ。私も姉さんの話できる会話相手ほしかったし」
なんだかよく分からない展開に唖然としてしまう。
けれども彼女が自分の正体を知って利用しようとしているのでないことは分かるし、彼女といればまた『あの人』に出会えるのもまた確実だった。
差し出された手を取る。
「はい。お願いします」
「よっし! 行こうぜ。宿に……って、お前目立ちそうだな。これ被ってろ」
彼女は自分の外套を被せてくれた。私の方が小さくてぶかぶかだったけれど、たしかに私の見た目は目立つのでありがたかった。
上機嫌そうな彼女についていきながら、おずおずと問いかける。
「あの……それであなたの名前は?」
本来はありえない話だった。名前も知らない相手についていくなんて。けれども不思議と不安はなかった。
「カリアだ。冒険者してる。よろしくな」
にかっと笑うカリア様の向こうに、あの人の笑顔も見えた気がした。
それからカリア様について行くことになった。様なんてめんどくさいと言われたものの、私はそういうものなんだと言って納得してもらった。
宿に戻ってすぐは、流石に疲れたらしく、体を軽く拭いてから寝てしまったが、次の日に説明してくれた。
カリア様には双子の姉がいるらしい。
正確に言うならば、いた、だろうか。
誕生とともに命を落としてしまった双子の姉。
「私には父さんしかいないってずっと思ってたんだが、だんだん違和感を覚え始めたんだ」
例えば宿題をしていて眠ってしまった時。起きたら記憶していたよりも進んでいたり。
ソファで寝ていたはずなのにベッドで眠っていたり。
料理をしている途中で記憶が飛んだかと思えば、料理ができあがっていたり。
ぼーっとしていたのか。記憶違いかと思うようなことで……そして記憶を探ると、たしかにそんなことをした記憶もあるのに、自分が行ったのだという感覚がない。
「でも不思議と怖くなかった。むしろ嬉しかったんだ。私を見守ってくれている誰かがいてくれてる気がして。
で、そんな時に父さんが教えてくれたんだ。実は私には姉がいたってこと。
まぁ……教えてくれたっていうか、遺言みたいだったけど」
「カリア様」
「それでさ。その話をした時に、私の中で何かが込み上げたんだ。それは最初私の感情だと思ったけど、違った。だってそれは……罪悪感だったから。
姉さんを助けられなかったって泣いている父さんに対して、そして私への罪悪感だった」
「……お母様かもしれないのに?」
「んー、ソレに関してはもうカンだな」
にひっとカリア様が笑う。
彼女の話は信じがたいことだ。一人の身体に2つの魂など、普通ではない。下手すればどちらの魂も砕ける。
(無事なのは双子だから、と考えるとたしかにまだありえますね……母親と思うよりは)
魂についての研究自体、そう進んではいないのだがその中でも双子は謎が多い。有り得る話だ。
何よりも、自分で見たあの方とカリア様は確実に別人だった。
(双子でも性格は似てなさそうですね)
「とはいっても、声が聞こえるわけでもないし、どれだけ集中しても姉さんの姿や存在をハッキリ捉えられるわけじゃない。
他の誰かも存在に気づいたやつはいないけど私はいると信じてた。奴隷市場で暴れたのも姉さんのためだし」
カリア様は若干眉を寄せて話す。
「奴隷を見かけると、姉さんが悲しむんだ」
自分ではない悲しみ、苦しみの感情が沸き起こるのだと。
(だから奴隷市場を壊して回る、というのは極端すぎますけど)
一応この国が奴隷を禁じているためにカリア様は捕まってはいないものの、合法な国もある。カリア様はかなりの実力者ではあるようだが、それでも多勢に無勢。後先考えずに行動していては、その先に待つのは破滅だ。
お陰で自分はあの方と出会えたわけだが、勝手に破滅されてしまうと、あの方に会えなくなる。私としてはもう一度あの方に会いたい。慎重に行動するように促さないといけないだろう。
「しかしあなたに何かあれば、一番悲しむのはあの方でしょう? これからは慎重に動かれたほうが良いかと」
「うーん……でも姉さんが悲しんでるのに何もしないのか?」
「そうですね。何もしないのではなく、根源を立ちましょう。
ああいう輩はいくら潰してもどこからともなくでてきますから」
「どうすればいいんだ?」
「もっと力をつけないといけません。仲間も必要ですね」
「んー、まぁそうだな。私もまだ子どもだし」
「ちなみにおいくつなのですか?」
「この前13になった」
「えっ?」
驚く。てっきり16の成人は迎えているだろうと思っていた。カリア様は「私、同年代と比べても体格が良いらしいんだ」とからから笑う。
「そうなのですか……ふぅ。すみません。人族の年齢はよく分からず」
「そっちは?」
「8歳です」
「ルカ、チビだもんな……それにしちゃ大人みたいだな」
「私の種族は早熟なので」
少しだけ警戒しつつ言ったものの、カリア様は「ふーん」と興味なさそうだった。――まさか私の種族に気づいてないんだろうか。
「あ。んなことより飯食いに行くか。腹減ったし」
「……はい」
本当に気づいていないどうでも良さそうな表情に、良かったのだけれども、なぜか複雑な心境に陥った。
そうしてカリア様と行動することになった。
私としてはあの方と再会して、お礼を言えればそれで良かった。その目的の半分はすぐに達成できた。
夜。
ベッドに寝ていると物音がした。悪意は感じないし、音がしたのはカリア様のベッドの方角だ。
喉でも乾いたのだろうと気にせずにいたらカリア様は私のベッドのすぐ近くで動きを止め、ズレていた布団をかけ直してくれた。
ここで違和感を覚えた。
カリア様の性格を考えると、こんな行動するだろうか、と。
「ん、かりあ、さま?」
なんとかまぶたを開ければ穏やかな瞳と目があった。
「悪い、起こしたか?」
口調も表情も動作も、ここ数日過ごしたカリア様のものだった。でも
(違う)
間違いなく、あの方だった。
「まだ寝てていいぞ」
お礼を言おうと思ったのに、優しく頭を撫でられる。それがあまりにも心地良くて、気づくとまた眠ってしまっていた。
それから、そんなことが何度もあった。ほんの短い間だけの接触。
お礼をと思うのに、言えないままでいた。お礼を言ってしまうと、もう二度と会えない気がした。もう二度と撫でてもらえない気がした。
お礼が言えないことを、あの方がカリア様に扮していることを理由にした。カリア様を真似しているのは、カリア様の人生を奪わないためだろう。
僅かな時間でも自分を主張し、好きに生きたとしてもカリア様は怒らないだろうに、あの方はカリア様以外の存在だということを隠していた。
「あ、ルカ。ちょっと味見してくれ」
「はい……うん、美味しいです」
「そっか。良かった」
野営の最中。味付けだけが壊滅的なカリア様の代わりに味を整えたあの方の笑顔に意識がとらわれて、ドキドキした。
もう一度会えたらそれだけでいいと思っていたのに、もう一度、もう一度が続いていった。
ある時は、ただ自分の足で歩き、ただ呼吸をするだけでとても大切なことのように味わっていた。
ある時は、なんの変哲もない会話に微笑んでいた。
ある時は、仲の良さそうな幼い姉妹を見て、微笑ましそうな顔をしながら、どこか心苦しそうだった。
そんなあの方に、私は恋をした。
肉体を持たず、他の人物の中にいて、毎日表に出てくるかもわからない上に、表に出てきても五分も姿を表さない、そんな人に恋をした。
しかも自分がカリア様でないことを決して認めないだろう人に。
叶うことのない初恋に胸を苦しめながらも、傍を離れるという選択肢はなかった。
あの方もそうだが、カリア様自身にも惹かれていた。恋ではなく、人として。この人についていきたいと思っていた。
そうやって数年を過ごし、いろいろと気づいたことがある。
どうやらあの方は、表に出て来ていない時も外のことを見ているらしい。ずっと見ているわけではないみたいだが、カリア様を通じて外を見ている時、私達はあの方の話題を口にすることも文字にすることも出来ないという事実が発覚した。
あの方が、優しい瞳の奥に寂しさを隠していることに気づいたのに、あなたの存在に気づいている、と伝えることが出来ないのだ。
いつしか私達の最終目標があの方の開放になったのは、自然な流れだったろう。
どちらにせよ、仲間は必要だった。
ギリアン様と出会ったのは偶然だった。
街から街への移動中、魔物の群れに襲われていたところに偶然通りがかった。
もしも私とカリア様だけならば放置するところだけれど、あの方は間違いなく罪悪感を覚えるだろう。だから助けた。
それだけだったけれども、ギリアン様の怪我の治療の時に少しだけ顔を出したあの方に、ギリアン様が気づいた。
ギリアン様は、あの方に一目惚れしたから私達についていきたい、と言った。
私の本音としては断りたかった。ギリアン様が信用ならないからではない。ただライバルが増えてほしくなかった。あの方に気づいたのが、自分だけでありたかった。
しかしながらカリア様はあの方に気づいたギリアン様を気に入ったようで、すぐ返事をしてしまった。リーダーは彼女だったから、仕方ない。実際に必要な人材でもあった。
(それに人族はパートナー……ハーレムの数が多いほど良い、という考えだったはずですし、仕方ありませんね)
カリア様が喜んだのは、姉に惚れる人が多ければ多いほど、姉がすごい人である証明になるからだ。
一夫一妻の私達とはまるで違う考え方だが、場所や種族が違えば考え方が大きく異なるのは当然。自分が受け入れるしかない。
(はぁ……まだまだ増えそうです)
その予測は当たった。
ただ、おかげでわかったことも多い。
聖騎士アルデリノ様の国では、魂に関する研究がほかより進んでいる。国は滅びてしまい、資料は中々手に入らないが、アルデリノ様自身が博識であり、情報を提供してくれた。
私達はあの方の存在を確信はしていたものの、一つの体に魂が2つなど聞いたことがなかった。しかしアルデリノ様は他にもそういう事例があることを知っていた。
「特に双子は特殊だ。親和性が高く、一つの体に存在しても他の例のように壊れず、調和しやすい」
となってくると、やはりあの方はカリア様の双子の姉である可能性が高くなった。
しかしそんな魂についての話もまた、あの方が起きている時にはできないのだった。あの方の存在と関わる話題だからだろう。
破門された元神父のフェルデルニグ様と初めて出会ったのは、カリア様の体調が悪くなったときだった。
誰より健康的で風邪など引かないカリア様が、最近すぐに息切れし、ふらついていた。顔色は青白く、食欲もあまりない。
医者に見せたが原因は不明。実力ある神官を探している時に、教会の罠で異端者にさせられて殺されそうになっている彼と出会った。
カリア様は不調で、あの方もここしばらく姿を表していなかったが、私達はフェルデルニグ様を助けた。あの方ならばそうすると思ったからだ。
お礼にとカリア様を看てくれることになったが、
「んー、これは病気と言いますか……生気渇望性ですね」
「生気渇望性?」
「はい。名の通り、生気が足りていないのです。
通常、生気は食事をしたり眠ることで回復しますが、消費が上回ってしまえば当然、体に変調をきたします。
かなり珍しい体質ですが、生気の生成があまり出来ない方。もしくは生気の消費が多い方……燃費が悪い方が時折いらっしゃるんです。
最近始まったということであれば、消費が多いタイプかと思われます」
解決策は、他者が生気を注ぎ込むこと。
「あなたたちは若くて生気余ってそうですし、注いであげればひとまず症状は落ち着くかと」
「放置していれば」
「当然、死にます」
フェルデルニグ様はハッキリそう告げた。
フェルデルニグ様が出ていったあと、アルデリノ様が珍しく口を開けた。
「あの方が関わっていらっしゃるかもしれない」
「あいつが? どういうことだ?」
話を聞くと、あの方の魂が強いのかもしれない、と。
「前、主君にあの方が表に出ている時の状態を聞いた」
カリア様が体験したところによると、体の感覚はなく、ただ闇の中に浮かび、外の世界も見れず、いくら叫んでも外に声は届かないそうだ。
「暴れたくても体はないし、魔法も一切使えない。あそこに長時間いるのは耐え難いな」
何度かそれを経験したカリア様はゾッとした顔をしていた。恐れ知らずのカリア様が、だ。
今では裏側に引っ込む時は眠っているらしい。
「そんな状態で自分を保ち続けてるということは、魂の強度が増している可能性がある。
魂は、マナを食う」
生気はなくなれば死だが、マナはなくなってもすぐ死ぬことはない。生気が減れば、そのマナが代わりに消費される……ああ、そういうことか。
カリア様はかなりマナが多い。今までは戦闘に使っても、あの方のエネルギー分は余裕で足りていたのだろう。しかしあの方のマナ消費量が増え、足りなくなった。
足りなくなった分を、カリア様は生気で補っているのだろう。きっと、無意識に。
(マナから生気はともかく、生気からのマナ変換はかなり効率が悪い……辻褄は合いますね)
生命力に溢れまくっているカリア様でも、さすがにマナへ変換していてはいくらあっても足りないだろう。
二人を助けるためにすべきことは一つだった。
「おい、無理するな。お前、神族なんだろ」
ぜぇぜぇと荒い息をしながら、カリア様はそういった。真っ青でこちらを気遣うところは、姉妹でよく似ている。
私は神族だ。
神族は人族とは違い、一夫一妻だ。一人にすべてを捧げ、一人から愛を受ける。もちろん行為もだ。
「一応、神族がなんなのかはわかってたんですね」
驚いて言えばカリア様は意味がわからないという顔をした。 初めて会ったときから何も気にしてなかったので、そもそも神族について全く知らないのかと思っていたが、そうでもなかったようだ。彼女にとっては、目の前にいる誰かが何族で今まで何をしていたかなど、どうでもいいのだろう。
「ふっ、心配いただきましたが大丈夫です。私が捧げるのは、あくまでもあの方にですから」
「……けどお前じゃなくても」
「今のあなたはマナも枯渇してます。あの二人は生気はともかく、マナはあまりありませんから……私なら両方渡せます」
生気をいくら送っても、それをまたマナに変換してあの方に送っていてはキリがない。今は緊急事態。二人を助けるには、どちらも送れる私が最適だった。
「ただ、あなたと違ってあまり慣れてないので、そこはご容赦くださいね」
「……姉さんの時は苦しめるなよ」
どこまでもあの方優先な姿に笑ってから、その服に手をかけた。
そうしてカリア様が元気になるとまたあの方が顔を出すようになり……フェルデルニグ様が案の定、あの方に惚れ込んでしまって仲間(フェル様)が増えた。
カリア様は、あまり魔法を使わなくなった。代わりに剣と剣気を使うようになった。剣気はマナではなく、生気を使う。
それからというもの、カリア様がどちらかが枯渇しだしたと思ったら合図として口づけをし、補充をした。
カリア様はあまり私達に迷惑かけないようにと街で適当な相手を探そうとしたが、一般人では中々私らほど生気やマナを持っている相手は少ない。結局私らでするのが一番良い。
それらが当たり前になった頃、あの方と二人きりになった。
心臓が激しく脈打っていた。
最初はちゃんと、カリア様として接しようと思っていたのだ。なのに、なのに。
ちらと見えたその横顔が、深い悲しみに沈んでいて、放っておけなくなった。
「たしかに、足に力が入っていないようですね」
そんなことを言いながら気配を消して近寄り、その体を反転させる。あの方はカリア様のフリが出来ないほど動揺していて、目に少し涙を浮かべながら「ルカ」と私の名を呼んだ。
それ以上、我慢するのは難しかった。
初めて、あの方とキスをした。
その体はカリア様のもので、カリア様とは何度もしてきたというのに、まったく知らない感覚だった。か弱い抵抗を押さえて、口内へ侵入する。上顎を舐めると、首の後ろがぞぞっとするような快楽が走る。
(はぁ、甘い)
舌を絡め取って唾液を吸い取れば、初めて口づけを甘いと感じた。
この人と決めた方とのキスが、こんなにも幸せで心地よいのだと初めて知った。知ってしまった。
知ってしまったらもう、歯止めは効かなかった。
私があの方とキスしたことは、カリア様によって他の仲間にもバレてしまった。
「いいよなぁ、姉さんとキスできて……私はできないのに」
「は? あいつとキスって、おい! どういうことだよ」
少々揉めたものの、アルデリノ様が
「……直接吹き込んだほうが効率がいいかもしれない」
ぼそっと呟いたことで免罪符ができた。それ以来、私達は我慢できなくなった。
なんとなく存在していた、あの方に手を出さないという決め事が崩壊した瞬間だ。
「はむんっ、はぁ、んんっ」
なんとか必死にカリア様のフリをしようと、慣れているかのようにこちらの体を抱き寄せるあの方が、可愛らしくて仕方ない。
私は……浮かれていた。
こんなふうに私達の態度が変われば、人の機微に敏感なあの方がどう思うのか、当然だったのに。
「ごめんね。さようなら」
「ッ! 待っ」
あの方を泣かせてしまった。
別れを告げて、消えたあの方は……あの日以来一度も姿を出さない。
私達はそれから行動を加速させた。
研究を重ね、深く研究するための施設をつくるための基盤をつくり。同時にあの方が安心して過ごせる場所をつくるためにも国を作った。
人族も獣人族も精霊族も……様々な種族が入り混じった国。
それらを成し遂げるにはどうしても時間がかかってしまった。なるべく早くあの方を救いたかったが、こればかりはどうしようもなかった。
ただ不幸中の幸いなのは、私以外の仲間たちが因子覚醒してほぼ寿命に際限がなくなったことだろう。
いつかみんなは先にいなくなって私だけが残るのだろうと思っていたから、そのことに安堵して泣いてしまったのは、一生の不覚だ。未だにギリアン様によくからかわれる。カリア様は嬉しそうに笑ってくれるのだが、それはそれでむず痒い。
(あなたなら……どんな顔をしてくださったのでしょう)
一緒に泣いてくれただろうか?
そうして……あの方を最後に見た日から300年が経った。
正直、今もあの方が無事なのかはわからない。生きていることはカリア様の反応からわかっていても、孤独の闇に覆われて魂に変異が起きても仕方ない。
私は不安だった。
あの美しい魂が変わっていたらどうしようかと。自分が不覚にも苦しめたせいで、あの方を――。
「だーいじょうぶだって、ルカ。なんせ私の姉さんだから」
そんなに自分を責めるなといつものように笑うカリア様。本当、どうしてこの人はこんなにも強いのだろうか。
(だからあなたは自身の命をカリア様に渡したのですか?)
呼吸が整い始める。
「よし……はじめるか。
ごめんな、姉さん。待たせてしまって」
カリア様の声は、いつもより穏やかだ。きっと、こんな風に語りかけ続けていたのだろう。慣れた素振りだ。
どれだけ返事がなくても……いるかいないかわからない時から、ずっと。
カリア様がそっとあの方を抱き上げて、魔法陣の中心へと運ぶ。エメラルドグリーンの柔らかくうねった髪や可憐を形にしたような顔貌は、双子なのにまるで似ていない。
(まさか妖精族の純血とは思いませんでしたが、これもまた幸運でした)
あの方の身体は、墓の中で腐らずにあった。心臓は確かに動きを止めていたのに、だ。
そして棺桶から出してカリア様が生気も積極的に送り始めることで身体は成長し、今の姿になった。
純血種は突然変異、先祖返りとも言われるが、妖精の純血種は寿命がない。それもまた不幸中の幸いだった。そうでなければ、さすがに身体は持たなかっただろう。
術者たちが魔法陣の決められた場所に立つ。
カリア様が手を傷つけ、血を一滴、あの方の口に垂らした。
魔法陣が輝く。色が変わっていく。様々な色をなした後、まるで虹のような多くの色のグラデーションになる。
誰かが見惚れるように息を吐き出した。
静かに、と言いたいが気持ちはわかった。とても美しい色だった。そしてこの色は、その人の魂を表す。
「姉さん、目覚める時だよ。あなたの、名前は――」
カリア様があの方の近くで膝をつき、その耳で何かを囁く。起こすためのキーワード。それはなんだろうかと私達は頭を悩ませたけれど、カリア様は最初からそんなものは一つだと胸を張っていた。
まったく内容を教えてくれなかったため不安でもあったが、名前だったか、と納得した。
そう。あの方は生まれる前に亡くなったため、名前も呼ばれることもなく、当人もきっと知らない。それでも名前というものとても大切なもので、それこそ魂と体を結びつける鎖だ。それがなかったからこそ、あの方はカリア様の体に入れたと言える。
「……んっ」
そして、あの方が……目を開けた。
***
「……んっ」
聞き覚えのない声がした。それと、温かさ。肌に刺す光。
あたたかさ……ひかり?
訳が分からなかったけど、目が反射で開くと、眩しかった。
けど、手は重くて光を遮ることが出来ない。
と思っていたら、すぐに影ができた。目の前には赤い髪の毛。見覚えがある。
しかし、覚えているよりも大人になっているその人物は、どう考えてもカリアに見えた。
――おかしい。どうして鏡でもないのにカリアの顔が見えるのだろうか?
恋しすぎて、夢でも見ているのだろうか?
呆然としていると、カリアがにぱっと笑う。
「姉さん! おはよう」
大きな声が耳を震わせ「う」と呻き声がした。なんだかとても可憐な声だ。どこかに幼い少女でもいるのだろうか。
……いや、待って? 今カリアはなんと言った? 姉さん?
ぱちぱちとまばたきしてカリアをじっと見る。……まばたき?
「……え?」
また可憐な声がした。自分のリアクションと一緒だ。
視線を彷徨わせて少女を探そうとする。……視線を彷徨わせる?
どういうことだろう。私に目などないのに、さっきから変なことを考えている。
と、息苦しくなって、空気を吸い込んだ。吸い込みすぎて、咳き込んだ。
「けほっ」
「姉さん! 大丈夫?」
カリアが慌てて私の背中を抱き上げ、体を起こしてくれた。更に
「何も考えず、今は呼吸してください。吸って……吐いて……吸って」
耳が蕩けそうな美声が耳元で聞こえ、その通り何も考えずに息を吸い、吐いた。――ああ、酸素ってこんな感じだったっけ。
息苦しさがなくなって、声の主を見れば……太陽を直視してしまったかのような眩しい美形がそこにいた。
「る、か?」
思わず名前を呼ぶと、その美形は一瞬驚いてからそれはもう恍惚とした笑みを浮かべるものだから……目が溶けるのではないかと思った。
いや、待って。名前を呼ぶ? 目が溶ける?
ルカの名前を呼んだ時、またあの可憐な声がして。そしたらルカが明らかに反応した。
「え? 私……この声、私の?」
まさかと思ったけれど、カリアが満面の笑みで頷いた。
「そうだよ! その体は姉さんので、そのとっても可愛い声は姉さんの声だよ!」
衝撃を受けすぎて思考が止まる私に、ルカが優しく分かりやすく説明してくれた。
いや、カリアが最初してくれたけど、訳が分からなかったので、ルカが説明を変わってくれた。
彼らが言うには、私のこの体は本当に私の体そのもので、死んだと思われていたけど、仮死状態で成長し続けていたらしい。
そんなことあり得るのかと思ったら、
ピロンッ。
間抜けにも聞こえる電子音とともに、目の前に青い半透明のウィンドウと文字が現れた。
=====
<二度目の人生>
達成条件
・妹の命を吸収する(達成)
=====
唖然とそのウィンドウを見た。
皆にはウィンドウは見えないのだろう。虚空を見つめて黙り込んだ私を心配そうに見ているのが分かったけど、それどころではなかった。
勢いよくカリアを見た。
「カリア! 体は大丈夫? 魂は? どこか変なところはない?」
カリアは目を白黒させながら炎を顕現させたり、剣気を見せたりしてくれた。
「ほらっ、元気だよ!」
元気な様子を見てホッとする。
それから、また考え込む。……そして、一つの仮説に思い至った。
私という存在(魂)を存続させるために、妹は私にマナや生気を与え続けてくれていたのではなかろうか、と。
考えてみれば当たり前のことだ。私は確かに存在したのだから、維持するためにはどこかしらエネルギーが必要だ。
気づけば、自然と目に熱がこもっていた。
まだ慣れなくて動かしにくい手を伸ばし、カリアを抱きしめた。
「ありがとう」
私の二度目の人生は、こうして始まった。




