上条雅之の憤慨
ここは有楽町にある上条製菓本社ビル最上階の大会議室。ここで今期の買収計画のプレゼンテーションが行われる。出席するのは、M&A部門責任者の上条雅之専務、9つ上の兄の上条敬之社長、そして亀山崇彦弁護士が父である上条紀之会長の代理として立ち会っている。上条製菓の重役たちもずらりと控えていた。
雅之の秘書田村が議事進行役で、その田村から紹介されて雅之が立ち上がる。照明が落とされ中央のスクリーンに右肩上がりの折れ線グラフが表示される。雅之はマイクを握り、
「ご覧いただけますように、上条製菓の株価は、2年間で約2倍になっております。これは積極的企業買収を行った成果でありーー」
続いて画面に株主アンケートの結果が映し出される。
「株主からもその点を高く評価いただいています」
雅之の左側を陣取ったいわゆる専務派のグループからいっせいに拍手が起こる。
「さらに企業価値を高めるべく今期は、江戸時代から続く老舗和菓子屋『栄芳堂』を傘下に収めたいと考えております」
雅之が着席すると田村がプレゼンを引き継いで、
「それでは事前にお配りしております栄芳堂の資料をご覧ください」
説明に合わせスクリーンに栄芳堂の概要が投影されていく。雅之の対面に座った亀山弁護士は、しばらく大人しく聞いていたがおもむろに片腕あげ、
「ところで専務」
突然プレゼンに割り込んでくる。
「今回の買収金額はおいくらほどで考えていらっしゃいますか?」
「まだ説明の途中ですが」
「確認したい懸念事項がありましてーー」
「そうですか?」
雅之は少し思案したのち、
「他社との競合もあるため、現段階ではっきりとした金額は申し上げかねます」
「ここはいるのは社内の取締役ばかりです。他社に漏れることはない」
そうだろうか? と雅之は考える。どこから漏れるか分からない、身内とて油断はできない。いや身内だからこそ油断できないのだ。
「本日の会議で具体的な金額が明示できないのなら、賛否は計りかねます」
亀山弁護士はそう述べると横を向き、右サイドに陣取った社長派の重役たちに視線をおくる。「それはそうだ」と頷いたり「確かに」といった亀山の尻馬に乗った発言が起こる。
雅之は、亀山のやたら勿体ぶったキザったらしい仕草が気に入らない。実務経験もないくせに「資産を守る」をお題目して父紀之に取り入り、雅之の新規事業に難癖をつけてくる。どうして父がこんな男を代理人としたのか気が知れないが、買収計画を頓挫させるわけには行かない。
「もちろん概算は検討しております。3億から5億といったところでしょうか?」
金額に含みを持たせて言うと
「3億から5億では倍くらい違う。はたして栄芳堂にそれに見合うだけの価値があるでしょうか? それに洋菓子メーカーの上条製菓の傘下に和菓子屋が入ってメリットがあると、専務はお考えですか?」
亀山がねっとりと食らいついてくる
「確かに仰るとおりです。ですので、栄芳堂のブランドは残します」
会議室にざわめきが起こる。雅之はその波を鎮めるように、
「栄芳堂のブランドはそのまま残します。昨年のイチゴ屋のように」
と繰り返す。イチゴ屋は去年買収した洋菓子屋だ。ブランドは残し、上条製菓の資金力で駐車場を完備したロードサイド店を東京郊外に展開した。まだ3店舗だが業績を伸ばしている。だが亀山は、
「そのイチゴ屋の経常利益ですが、ここ最近は前年比割れを起こしている月もあるとか?」
さすがによく調べている。買収したからといって、こちらの思惑通りに利益が出せるわけではない。企業買収はある種ギャンブルだ。だがリスクを取らなければ企業成長はないと雅之は確信している。
「仰る通りです。しかし営業不振ではありません。3店舗はすべて顧客数は増え売上は上がっている。確かに経常利益は前年を下回っている月もありますが原因ははっきりしている。今年に入ってからの原材料費と人件費の高騰です」
亀山は銀縁メガネを指先で上げて、
「イチゴ屋は、多少の不振であったとしても洋菓子メーカーである上条製菓にとってシナジー(相乗)効果が期待できます。しかし栄芳堂は和菓子屋です。弊社としては初の試みだ。その点はどうお考えです?」
「栄芳堂は、江戸時代から長きに渡り老舗としてやってきました。そのノウハウが蓄積されていると信じています」
「しかし、ノウハウ代として5億は割に合わないと思いますが」
「そうでしようか? われわれはPBR1を脱却しなければならない。東証からは資本効率の悪さ、成長期待の低さといった問題点を指摘されています。だからと言って、会社は急に成長できない。こつこつと実績のある中小企業を傘下に収めて、上条製菓を魅力ある企業へ発展させていこうではありませんか?」
左サイドから拍手がおこると亀山は手のひらを上下に振ってそれを制して、
「企業に成長戦略は必要です。しかし安易な買収は上条製菓の体力を削ぎ信用を失いかねない。M&Aはあくまでも慎重に取り組むべきだと考えます。それに、買収先の栄芳堂は近年赤字経営に苦しんでいる。そこで私は、弊社に有利な価格での買収案を提案いたします」
「はあ?」
買収協議の最後にしゃしゃり出て来て何を勝手なことをほざいている、雅之は亀山をつかみかからんばかりに睨みつける。
「買収価格は、1億5千万です」
「そ、それは……」
思わず雅之は絶苦する。その金額では今回の話は破談となってしまうだろう。
「そんな金額ではお話にならない。買収をやめさせるつもりですか?」
「いえ、この金額での買収を進めてください。すでに会長の承諾を得ております」
「何を根拠に!」
亀山は、田村が作った栄芳堂の書類をデスクに放り投げて、
「栄芳堂は黙っていてもやがて資金繰りに困って潰れる運命です。だが栄芳堂本店が建っている土地、あの辺りは第二種住居地域でマンションも建てられる。ただ第一抵当権は地元の信用金庫にある。経営者にはこの1億5千万で借金を返済してもらい、土地は弊社が譲り受ければ好都合だ。マンションの一階にイチゴ屋の店舗が入れば良い。この物価高騰のおりにわざわざ赤字和菓子屋でギャンブルを打つ必要はないと考えます。そう思われませんか、社長?」
亀山は、雅之の揚げ足を取った上に敬之社長に同意を促そうとニヤリを笑う。
会議は結局、亀山にかき回され、栄芳堂の買収はいったん保留となり、買収提示額を再度検討するという流れになった。
役員が去った会議室で、肩を落とした雅之を敬之が呼び止める。
「雅之、お前のやりたいことは分かるが、会長を含め、古くからの取締役たちは急速な変化を望んではいない。今回の買収は少々強引すぎたんじゃないか?」
といさめられる。
「だから? だから現状維持のままで良いと思っているのか? 兄貴だってそう思っているんだろ?」
雅之は批判的な視線を敬之に向ける。
「うちは銀行じゃない。会社の精算を前提に、残った土地を狙って買収するのか? 誰がそんな会社に事業継承を委ねる?」
興奮気味に続ける雅之。
「親父も兄貴も何も分かってない! 俺は、ここ何年かM&A市場を見て来て知っている。何もやらなければ、やがて株価が下がった上条製菓が買収のターゲットにされる! 大きくものが小さいものを飲み込んていく。それがM&Aの世界、われわれ上場企業が置かれている立場なんだよ」
敬之はため息をつくと、少しは力を抜けと雅之の肩をポンポンと叩いて、会議室を後にした。




