出た、妖怪メガネ爺
姫路社長に言われてM&Aの資料を本店に取りに行く貴女。昼なお薄暗い事務所には、昔から巣食っている妖怪が現れる。
栄芳堂本店に到着すると、店頭で商品を並べていた松山さんにご挨拶をする。
「あれ? けいこさん珍しいわね。きんつばが足らなくなりました?」
きんつばとは銘菓小判きんつばのことでデパ地下の在庫が不足して来たと思ったのだろう。
「いえ。それは大丈夫です。今日はあのぅ、事務所に用があって」
「そう」というと「ウメさんか〜」と軽くため息をついた。ウメさん、栄芳堂の財政面は、経理部長で大ベテラン社員のウメさんこと梅田嘉郎さんが把握しているはず。でもため息のワケはすぐに分かった。
「では」
と会釈をして奥の事務所へ移動する。本店の売り場はリニューアルしていて、入り口側の壁は自動ドアとガラスが嵌め込まれ、たっぷりと外の日差しが降り注いでくる。しかし事務所に入ると、ここまでは予算が回らなかったのか昭和レトロなまんまで、突然視界が悪くなって転びそうになる。真っ暗な事務所の真ん中でカリカリと音を立てている丸い背中に声をかける。
「あのう、すみません」
小さな背中は小刻みな動きを止め、大きくて分厚い黒縁メガネの皺くちゃ顔が振り返る
キャーッ、妖怪メガネ爺……
「なんじゃ?」
「ヒィ! あ、あの、けいこです」
「ん? ああ、すいません、こちらはお店ではないんですよ。入口は表通り方からーー」
「いえ、お客様ではありません。けいこです。覚えていませんか?」
「ん?」
じーっと見つめ返すメガネ爺。あれ? という表情になり、おもむろに白髪の頭を掻きむしる。牛乳瓶の底のような分厚いメガネ、ヨレヨレの白いシャツに元は黒かったであろう灰色に色褪せた袖カバー、間違いないウメさんだ。20年前に初めて会った時もお爺ちゃんだったけど、さらにヨボヨボになっている。
「ウメさん?」
「はい、どちら様で?」
私はニッコリと微笑み、自分を指差し、
「わたしわたし」
「……あれ? もしかしたらーー」
「そうそう」
「誰だろう?」
ガックシ、お爺ちゃん、お願いしますよ。
「はら、幸隆さんの嫁のーーー」
「ああ、美鈴さん?」
「それはお義母さん! 宮部隆行の息子の幸隆さんの嫁のけいこです」
「ああ!」
メガネ爺は顔をほころばせて、
「おお! 久しぶりです。お元気でしたか? お嬢様!」
ヨロヨロと立ち上がると抱きつかんばかりに喜んでくれる。
「ご無沙汰しております」
「こちらの方こそご無沙汰しております。ああ、すっかり大人になられましたな〜。見違えましたぞ」
ん? でもなぜか感じる違和感。まだちゃんと誰かか把握してないような気がする。まあ良いか。
「ウメさんはお変わりないですか?」
「けっこう歳を取りました」
「そんなことーー」
ありませんよとは言いづらい。
「体力気力共に衰えましたな〜。ウヒョヒョヒョヒョヒョ」
笑うと喉の奥からヒューヒューと息が漏れる。大丈夫かしら?
「ところで、本日はどうなさいました? 社長ならまだ出社しておられませんがーー」
「お義母様はほら、このあいだ転んで骨折して」
「ん? ……おお、そうでした。そうでした!」
ちゃんと連絡したはずだけど分かっているのかな? 松山さんのため息の理由が分かった。
「ところでウメさん」
「はい、お嬢様」
「実は秘密のお願いがありまして」
「秘密? 分かりました。この爺に何でも仰って下さい」
「えーっと」
私はメモを取り出し
「全従業員さんの雇用契約と、弊社の就業規則、それから給与体系史料を出して下さい」
「は、はあ……」
「あ! そしてあれば、チザイシリョウ!」
「うむ、それは新しい呪文でございますか? お嬢様!」
「私ももう何のことか分からずチンプンカンプンで。でもその資料がないと困ることになるの。ウメさん、探してたいただけないかしら」
「はあ、お嬢様がお困りになるのなら、この梅田嘉郎。命にかえても探し出して見せます」
ありがとうお爺ちゃん。でもそんなに大袈裟でなくて良いんですけど。
「それに美鈴さんから、いろいろ事情を伺っております」
「え? そうなんですか?」
さすがお義母さん、ウメさんにはM&Aの件は相談したのね。
「うううう……」
ウメさんが突然泣き始める。
「急にどうしました? な、泣かないで下さい」
「お嬢様! お嬢様もご存知の通り、我が栄芳堂は江戸時代から続く由緒正しき和菓子屋でございます」
「はい」
「一宮神社の参道に居を構えて幾星霜。ご維新の折は、西郷陸軍大臣閣下に小判きんつばを献上いたしました」
「すごいですね」
「ですが……近年のこの体たらく……小豆や砂糖といった原材料が値上がりし、人件費も高騰。頼みの銀行からは、経営不振を打開する案を示さない限り来期の融資には応じられないと通告されております」
「お金を貸していただけない、という事ですね?」
「さよう」
メガネ爺は大きくうなずき、
「遠からぬ将来、栄芳堂は倒産してしまうかもしれません」
やっぱりそうか! お義母さんが説明してくれた通りだ。長い付き合いがあった信用金庫からは冷たくあしらわれ、かわりにM&Aコンサルティングを紹介されたのだ。
「知っています。お義母さんからも伺っています。ですから倒産してしまう前にーー」
「お嬢様が跡を継いで、栄芳堂を立て直していただけるんですよね?」
「へ?」
嫌だ〜。何何? 怖い怖い怖〜い! 勘違いにもはなはだしい。しかし、妖怪メガネ爺はメガネをキランと光らせて、
「何でも仰って下さい。不肖わたくし、お嬢様の右腕だとなり、いや左腕? せめて右手の中指くらいになって、お嬢様をお支えしていく所存でございます」
「え?」
「え?」
「いえいえ、違います違います。私は由緒あるこの店を売っぱらっちまおうとしてるんです」
と喉まで出そうなるのを飲み込む。M&Aの話は社員さんには内緒なのだ。例え長く勤めてもらっているウメさんだって例外じゃない。それにーー、もしかしたらこのお爺ちゃんなら、簡単に騙せるかもしれない。こんなこと考えるなんて、やっぱ私はワルだわ。
「そうなんです! 栄芳堂を立て直すためにも、さっき言った資料を急ぎ集めてもらえませんか?」
「銀行から借り入れを行うために。ですね?」
「はい!」
「分かりました! ではもう一度呪文をお聞かせ下さい」
もう忘れたのねお爺ちゃん。私は姫路さんに教わった呪文をもう一度ゆっくり繰り返す。妖怪メガネ爺は
「ウヒョヒョヒョヒョヒョ、それでは探して参ります。少々お待ち下さい」
楽しそうに蔵に向かって歩いていく。
ごめんねお爺ちゃん。でも、これであなたの雇用が守れるのよ! うん! たぶん! きっと! ……知らんけど……




