おれさまとオジサマとおじゃべりオジサンとカルロストシキ
糸川さんから先日マー君との密会の件で釘を刺された喫茶店にまた呼び出される。M&Aにむけ上条製菓と話が進んでいるそうで、M&Aコンサルティング社長の姫路典久氏も同席するとのこと。姫路さんは70代くらいか? 格子柄のブラウンのスーツにおさえめなルージュのネクタイと同色のポケットチーフをオシャレに組み合わせているロマンスグレーの優しそうな紳士で、遅れてきた私をたしなめもせずニコニコと迎え入れてくれる。カフェオレを注文すると、糸川さんが待ちきれないように喋り始める。
「上条製菓は、今回栄芳堂の株式譲渡に大変興味を持っておられる。決算書のほか定款や登記簿の写しはすでに送っていますが、更に人事や労務関連の書類が欲しいとの要望がありました」
「……はあ」
人事や労務関連? 言葉は耳には入ってくるがチンプンカンプンだ。
「そんなのあるのかな?」
首を捻ると、
「いや、あるでしょ普通! 御社だって社会保険に入っているんだから当然!」
糸川さんが強めにつっこむ。姫路社長はそれを制して、
「雇用契約書はございませんか?」
穏やかな声色に心が潤う。よくドラマの取り調べで刑事が二人一組で犯人を追い詰めるが、片方が優しいと犯人もついつい口を割ってしまうのかもしれない。もちろん私は犯人ではないけれど
「総務に確認してみます。必要な書類はなんでしょうか?」
この人には素直なれる。バッグから手帳を出しメモを取る。
「では、今糸川が申し上げた雇用契約書に就業規則。あれば給与体系資料。それからーー知財資料」
「チザイシリョウって何でしょう?」
私はボールペンを止めて質問する。
「御社が有している商標や特許などの資料です。今回はなくても大丈夫ですが、先々で必ず必要となりますので」
話をうまく理解できない私に、糸川さんが横から口を挟む。
「ほら、栄芳堂の銘菓があるでしょ?」
「え? はい、小判きんつばですか?」
「そうそう、まあそう言うたぐいのものです」
「はあ……」
「栄芳堂は江戸時代創業なんですから、まだ他にもあるかもしれない」
「何がですか?」
「商標登録されている銘菓が! ですよ。お菓子が!」
「いや、多分無いかと」
「けいこさん、あなたね、調べもせずに良くそう言い切れますね!」
少し腰を浮かせた糸川さんをまあまあとなだめながら姫路社長が尋ねる。
「これは御社のためなのです。商標が多いほど御社の価値が上がる。価値が上がれば交渉は有利に進む。この機会に調べていただけませんか?」
「はい」
なぜだろう? 姫路さんとは波長があうのに、糸川さんとはちっとも会話が噛み合わない。ちょうどそう思った時、スマホの振動音がして糸川さんがすみませんと中座する。糸川さんが離れると姫路さんがこっそり、
「糸川はお嫌いですか?」
と返答に困る質問する。そんなストレートに聞きます? ええ嫌いですよ! と言ってやりたいが、さすがにそれは憚られるか。
「いえ特には……まあ嫌いというより……苦手?」
はあ〜、私ってつくづく日本人だな〜ってため息が出る。外国人ならこんな時は思ったままに発言するのかしら? 外国人になったこと無いから知らんけど
「糸井はとっつきづらいかも知れませんが悪い奴ではありません。むしろ、クライアントサイドに立ってM&Aを行う熱い男です」
「そ、そうですか⁈」
思わず反論してしまう。糸川さんはとっつきづらいと言うより上から目線なのだ。偉そうな俺様だ。
「M&Aは担当者同士の相性が大切です。私には、お嬢さんと合っているように見えますが」
「えーーーーーっ! そんな〜」
どこが〜っと危うく口から飛び出しそうになる。紳士はニコニコと微笑んで、
「糸川はお嬢さんのお役に立つ男だと確信しております。ですから安心してお任せいただきたいのです。糸川を信用してもらえませんか?」
姫路さんが頭を下げる。立派な紳士に頭を下げられて、嫌だとは言えない。
「わ、わかりました」
「それからもう一点、お嬢さんにお願いがあります」
「え?」
まだ何かあるの?
「雇用契約についてです。仮に買収がうまく行って、お義母様やあなたが栄芳堂の経営から退いた後も、従業員の方達は変わらず栄芳堂で働いていただけますでしょうか?」
従業員の方たち? 経理部のウメさんや工場長のトクさん営業部の沢村さんといった古参社員の顔が浮かぶ。みんな引き続き栄芳堂で働いてくれるものと勝手に思い込んでいた。むしろ新体制になってリストラされないかそっちの方が心配。だって、行くあてのないしょぼくれたオジサンたちなんだもの。
「辞めたって、きっと行く当てはないでしょうから」
と答えてしまう私、性格悪いな〜。
「しかし、M&Aを機に独立を考える従業員は少なくないんですよ」
「え? そ、そうなんですか⁈」
独立? しないしないあの3人に限って。と思うのだが、紳士がそう言うのならそんなことだってあるのかもしれない。あの年で辞めちゃうのかな〜。ウメさん辞めちゃって大丈夫かな〜。
「あのぅ、そうなった場合は?」
「社員さんが何人か抜けた場合ですか? 仮にそうなったとしても売上に響かなければ問題はありません。ただし『売上に影響あり』と先方に判断された場合、最悪契約が白紙になる怖れがあります」
「白紙って、ダメになるってことですか?」
「企業は安い買い物ではありません。利益が出るという思惑があればこそ買収にも乗り気になる。逆に、先行きに不安を感じればおのずと慎重になるものです」
それはそうかな〜とは思う。会社を売るって大変そうだ。
「M&Aを成功させるにはお金の流れだけではなく、人の流れも大切な要素になります。いや人事の方がむしろ大事かもしれない。『企業は人なり』とは経営の神様松下幸之助の言葉です。ですからお嬢さん、是非とも従業員の気持ちを掌握しておいて下さいね」
「ショウアク?」
「従業員の気持ちをつかんでおいていただきたいのです」
「誰が?」
「あなたが、ですよ」
「私⁈ いえいえいえ、そんなの無理ですーー」
「いえ、あなたならできる。きっとできるはずです!」
買い被りです。姫路社長の自信は一体どこから来るんですか? 私は、この世の中で一番自分が信用できないのに。
「無論根拠はありませんよ」
でしょう? やっぱり。
「でもね、私のカンはよく当たるんです」
と、皺くちゃな手が差し出される。
「一緒に頑張りましょう!」
握手? ここで? 姫路社長の人懐っこい笑顔に引き込まれてつい右手を差し出してしまう。大きくて温かい手の平に包まれ、ふと実父を思い出す。
「あくしゅ♬」
姫路社長はお茶目に握った手を上下に振って、
「安心して下さい。糸川の後ろには私がついています。我々は敵では無い。同志であり友です。日本経済という大きな湖に浮かんだ栄芳堂という名のスワンボートの同乗者です。心を一つにして漕がないとスワンボートは前には進まない」
私は、ヘラヘラと愛想笑いを浮かべて、そうかしら? と思う。学生だった頃は、井の頭公園のスワンボートに乗ったカップルは破局するっていう都市伝説があったけど。そんなイケズなことを考える私って、本当に性格が悪いのかもしれない。頭の中で、3人の漕ぐスワンボートが傾いて沈没する。
面談の翌日、私は姫路社長との約束を果たすべく本店へ向かう。
栄芳堂本店は、最寄の里咲ケ丘駅から徒歩15分という微妙な距離にある。近くに一宮神社があり、その参道で参拝客に餅を売ったのが商いの始まりだと言われている。駅からバスが出ているものの時間が読めないので、どうしても歩くことになる。
「必要な資料はこれで良かったっけ」
姫路社長の要望を思い出しながらトボトボ歩いていると、車がゆっくりと近づいて来た。不審に思い振り返ると、車の窓ガラスが開いて
「やっぱりお嬢? 後ろ姿でそうかな〜とは思ったんだけどさぁ」
声の主は沢村克弘さん。沢村さんは栄芳堂の営業部長だ。部長と言っても、部は沢村さんだけで部下はいない。なんちゃって部長さんだ。
「ああ、沢村部長」
「固いな〜カッちゃんで良いよ」
ベテラン社員さんにカッちゃんとは呼びづらい。私がヘラヘラお愛想笑いを浮かべていると
「何? 本店に用?」
ちなみに私はカタチだけ販売部部長である。後継息子の嫁の立場でついた役職で、販売部にはベテランパートの三田さんや松山さんが居て、彼女たちに任せた方が断然安心だ。本店は、松山さんが店番をやってくれている。三田さんと私は、市内にある竹乃岡デパートの地下のお菓子売り場に出向していて、本店へは滅多に来ない。
「はい。ちょっと」
「ちょっと何?」
「いえ」
「え〜⁈ 何よ?」
営業部長という立場だからか? 沢村さんは何にでも知りたがるし首を突っ込みたがる。M&Aの情報は、インサイダー取引に使われることがあるそうで、契約締結までは従業員さんにも内緒にして下さいと糸川さんから口酸っぱく言われている。沢村部長は口が軽そうなので、滅多なことでは話せない。
「ええ、ちょっと」
「ふ〜ん。ああ、良かったら乗って行かない?」
「いえ、お仕事中に悪いです」
「いや、こっちも戻るところだから遠慮しなくて良いよ」
「……」
「ほら、乗って」
オジサンの迫力に押され断りきれずに、
「そうですか? では失礼します」
助手席のドアを開けて乗り込む。
「さ〜て、どこへ行こうか?」
シートベルトを締めていると沢村さんが軽口を叩く。
「え? お店ですけど」
「それも良いけど、ちょっとサボらない?」
「いえ、サボりません」
「けいこは真面目だな〜」
ああ、この人だけには名前で呼ばれたくないな〜。
「お茶でも飲もうよぉ」
「飲みません!」
「愛想ないね。コーヒーでも飲みながら、けいこの秘密を教えてよ」
「じゃあ降ります!」
「……あ、そ、分かった。じゃあ大人しく店まで送るよ」
大人しくと言いながら、やたら一人で喋りまくってくる。
「古いんだよね〜ウチの社用車。今時ナビもついてない。カーステレオだってカセットテープだよ? 信じられる? 昭和かよ! 何か聞く? マイベストあるよ〜。オメガトライブ良いよ〜。聞かない?」
「いえ」
「……ふ〜ん、でさ、社長に何かあったの?」
社長とは義母のことだ。骨折して入院したことは伝えてある。
「何かあったから本店に来たんだよね? 違う? 何? 教えてよ〜? 大丈夫、ぜったいぜ〜たい他言はしないから、ね?」
すぐ噂話を広めるくせに、と私が黙っていると、
「……あれれ、信用ないな〜。若社長が連れて来た時から知っている仲なのに、かれこれ20年にもなるよね? カッちゃんさびし〜ぃ‼︎ あの頃はけいこはまだ学生さんだったけ?」
若社長とは義父からのれんを継ぐ予定だった夫のことだ。
「違います。もう社会人でした」
「そうなの? 当時から若く見えたよね〜」
若いといえば女が喜ぶと思っているのか、このオジサンは?
「社長が倒れて本当に心配しているんだよ〜」
「義母は転んで骨折しただけですから、じきに治ります」
沢村さんにはそう言ったものの、複雑骨折なのですぐの復帰は難しいらしい。本当は1日でも早く治ってM&Aの担当を変わってもらいたい。私には荷が重すぎる。社員さんの気持ちを掌握なんて出来っこない。
「社長ももう結構なお年でしょ? 急に何があるか分からないからね。
うちの母親もーー」
「あの、聞きます。オメガトライブ!」
「え? 聞くの?」
あなたの話を聞かなくてすむのなら、オメガトライブでも稲垣潤一でもテレサテンでも何でも聞きますよ。テレサテンは違うか? 沢村さんがカーステレオをガチャッと操作すると、カルロストシキの澄んだ声が車内に響いていく。音量が大きいのがかえって心地良い。沢村さんのお喋りから解放されてホッとする。
やがて本店前の、銘菓小判きんつば、赤飯などののぼりが揺れるお客様駐車場に車が到着する。私が降りようとすると、沢村さんが
「あのさ、お嬢が僕に心開いてないことは分かるよ」
「……」
その通りですよ、と言ってやりたいけど受け流してしまう。
「チャラチャラして信用できない奴と思うかもしれないけど、それは営業という職業柄だから仕方がないよ。仕事だからね〜」
「あ、いえ」
「でも僕はお嬢の味方だよ。仲良くしたいと心から願っている。だからお互いの理解を深め、距離を近づけていこうよ」
「え?」
どう言うこと?
「君が来ないなら僕から近づいて行っちゃおうかな〜」
どういう意味? 何なの、このオジサン?
「若社長が亡くなってもう年だっけ?」
「5年です」
「もう5年か……」
嫌な予感がする。
「失礼します」
そそくさとドアを開けようとした瞬間、沢村さんは私の肘に触れる。
「僕を信じて。ね?」
私を見上げる澱んだオジサンの瞳。お前なんてぜ〜たい信じられん!
なのに、
「ありがとうございます」
と答えてしまう私が信じられん!
「じゃあ、またお嬢」
満足げな笑みを浮かべて沢村さんが裏手に車を移動させる。
ふう〜、今回はうまく切り抜けた。でも次は?
生理的に嫌でも、グイグイくる人に案外弱いかも。
「気をつけろ私」と自分に言い聞かせる。




