俺様と紳士とイケズと
糸川さんから先日密会の件で釘を刺された喫茶店にまた呼び出された。
M&Aにむけ上条製菓と話が進んでいるそうで、糸川さんが勤めるM&Aコンサルティングの社長姫路典久氏も同席するとのこと。姫路さんは70代くらいのお爺さんでシックなブラウンのスーツを着こなし、派手にならない抑えめのルージュのネクタイとポケットチーフの組み合わせがオシャレだ。ロマンスグレーの優しそうな紳士で、遅れてきた私をたしなめもせずニコニコと迎え入れてくれる。カフェオレを注文すると、糸川さんが喋り始める。
「上条製菓は、今回栄芳堂の株式譲渡に大変興味を持っておられる。ここ5年の決算書のほか定款や登記簿の写しはすでに送っていますが、更に人事や労務関連の書類が欲しいとの要望がありました」
「……はあ」
人事や労務関係? 新しい呪文を聞かされたようでチンプンカンプンだ。
「そんなのあるのかな?」
首を捻って呟くと、
「いや、あるでしょ! 御社だって社会保険に入っているんだから、当然!」
糸川さんが語気強めにつっこむ。姫路社長は糸川さんを制して、
「雇用契約書はございませんか?」
穏やかな声に心が潤う。取り調べで刑事は二人一組で犯人を追い詰めると言うけれど、片方が優しいと犯人もつい口を割ってしまうのかもしれない。もちろん私は犯人ではないけれど
「総務に確認してみます。必要な書類はなんでしょうか?」
この人の言葉には素直なれる。バッグから手帳を出しメモを取る。
「では、今糸川が申し上げた雇用契約書に就業規則。あれば給与体系資料。それからーー知財資料」
「チザイシリョウって何でしょう?」
私はボールペンを止めて質問する。
「御社が有している商標や特許などの資料です。今回はなくても大丈夫ですが、必ず先で必要となりますので」
うまく話を飲み込めてない私に、糸川さんが横から口を挟んでくる。
「ほら、栄芳堂の銘菓があるでしょ?」
「え? 小判きんつばですか?」
「まあまあそう言うたぐいです」
「はあ……」
「栄芳堂は江戸時代創業なんですから他にもまだあるかもしれない」
「何がですか?」
「商標登録されている銘菓が! ですよ。お菓子!」
「いや、多分無いかと」
「けいこさん、あなたね、調べもせずに良くそう言い切れますね!」
少し腰を浮かせた糸川さんをまあまあとなだめながら姫路社長が尋ねる。
「これは御社のためなのです。商標が多いほど御社の価値が上がる。価値が上がれば交渉は有利に進む。この機会に調べていただけませんか?」
「はい」
なぜだろう? 姫路さんは波長があうのに糸川さんとは会話が噛み合わない。ちょうどその時スマホの振動音がして、すみませんと中座する糸川さん。糸川さんが離れると姫路さんがこっそり、
「糸川はお嫌いですか?」
と返答に困る質問する。そんなストレートに聞きます? ええ嫌いですよ! と言ってやりたいが、さすがにそれははばかられる。
「そんなには……いえ、まあ、嫌いというより……苦手?」
はあ〜、私ってつくづく日本人だな〜っとため息が出る。外国人ならこんな時思ったように発言するのかしら? 外国人になったこと無いから知らんけど
「糸井はとっつきづらいかも知れませんが悪い奴ではありません。むしろクライアントサイドに立ってM&Aを行う熱い男です」
「そ、そうですか⁈」
糸川さんはとっつきづらいと言うより、上から目線なんですけどね〜。の気持ちを込めて強めの返事をしておく。
「ハハハ、そうですよ。M&Aは担当者との相性が大切です。私には、お嬢さんと合っているように見えますが」
「えーーーーーっ! そんな〜」
どこが〜っという言葉が危うく口から飛び出しそうになる。紳士はニコニコと微笑み、
「糸川はきっとお嬢さんのお役に立つ男だと確信しております。ですから安心して弊社にお任せいただきたいのです」
お嬢さん呼ばわりされて嫌な気はしない。
「糸川を信用してもらえませんか?」
姫路さんが頭を下げる。紳士に頭を下げられたら嫌だとは言えない。
「わ、わかりました」
「それからもう一点、お嬢さんにお願いがあります」
「え? はい」
「雇用契約についてです。仮に買収がうまく行って、お義母様やあなたが経営から退いた後も、従業員の方達は変わらず栄芳堂で働いていただけますでしょうか?」
従業員の方たち? 経理部のウメさんや工場長のトクさん営業部の沢村さんといった古参社員の顔が浮かぶ。社員さんは引き続き栄芳堂で働いてくれるものと勝手に思い込んでいた。むしろ新体制になってリストラされないかそっちの方が心配。だって、行くあてのないしょぼくれたオジサンたちだもの。
「辞めたって、きっと行く当てはないでしょうから」
と答えてしまう私、性格悪いな〜。
「しかし、M&Aを機に独立を考える従業員は少なくないんですよ」
「え? そ、そうなんですか⁈」
独立? しないしないあの3人に限って、と思うが紳士がそう言うのなら、そんなこともあるのかもしれない。あの年で辞めちゃうのかな〜ウメさん。辞めちゃって大丈夫かな〜。
「あのぅ、そうなった場合は?」
「社員さんが何人か抜けた場合ですか? 仮にそうなったとしても売上に響かなければ問題はありません。ただし『売上に影響あり』と判断された場合は最悪、契約が白紙になる怖れがあります」
「白紙って、ダメになるってことですか⁈」
「企業は安い買い物ではありません。利益が出るという思惑があればこそ買収にも乗り気になる。逆に、先行きに不安を感じればおのずと慎重になるものです」
それはそうかな〜とも思う。会社を売るって思ったより大変そうだ。
「M&Aを成功させるにはお金の流れだけではなく、人の流れも大切な要素になります。いや人事の方がむしろ大事かもしれない。『企業は人なり』とは経営の神様松下幸之助の言葉です。ですからお嬢さん、是非とも従業員の気持ちを掌握しておいて下さいね」
「ショウワク?」
「社員の気持ちをつかんでおいていただきたいのです」
「誰が?」
「あなたが、ですよ」
「私⁈ いえいえいえ、そんなの無理ですーー」
「あなたならできる。きっとできるはずです!」
買い被りです。姫路社長の自信は一体どこから来るんですか? 私は、この世の中で一番自分が信用できないのに。
「無論根拠はありませんよ。そんな気がするだけです」
でしょう?と思っていると、
「でもね、私のカンはよく当たるんです」
とシワクチャな手が差し出される。
「一緒に頑張りましょう!」
握手? こんなところで? 姫路社長の人懐っこい笑顔に引き込まれてつい右手を差し出してしまう。大きくて温かい手の平に包まれると父を思い出す。
「あくしゅ♬」
姫路社長はお茶目に握った手を上下に振って、
「これで契約成立です。大丈夫、困った時には私と糸川がついています。私たちは敵では無い。同志であり友です。日本経済という大きな湖に浮かんだ栄芳堂という名のスワンボートの同乗者です。心を一つにして漕がないとスワンボートは前には進まない」
私は、ヘラヘラと愛想笑いを浮かべて、そうかしら? と首を傾げる。私が学生だった頃は、井の頭公園のスワンボートに乗ったカップルは破局するっていう都市伝説があったけどな〜、そんなイケズなことを考える私って、本当に性格が悪いかもしれない。頭の中で、3人の乗ったスワンボートが沈んで行った。




