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第8話 余り物のチョコレート




「娘がね、幼稚園の好きな子にあげるんだって昨日一緒にチョコ作ったんだけど、材料が余っちゃったから私もみんなに作ってみたの。ほんと一人にちょっとづつだけど……」



 香坂さんがバイトの帰り際、可愛らしくラッピングした手作りのチョコをその場にいた子たちに配り始めた。



 今日はバレンタインだ。



 本人の言う通り、片手にちょこんと乗るサイズの小さな包みだったけど、それに一人だけ異様に喜ぶ人がいた。



「わー!!いいんですか!?香坂さんの手料理だー!!」



 尾関先輩だ。



「手料理っていうのかな?手作りではあるけど……。でもそんなに喜んでくれて嬉しいな。一人2個づつしかなくて申し訳ないけど」

「この一つに100個以上の価値がありますから!」



 香坂さんは尾関先輩の言葉に笑いながら私にもチョコをくれた。



「はい!奈央ちゃんもどうぞ!」 

「ありがとうございます!」



 他のみんなと同じように、私はすぐにその場でもらったチョコを食べた。それは、悲しいくらいに甘くておいしかった。



「尾関先輩は食べないんですか?」

「そんなにすぐ食べたらもったいないじゃん。しばらく冷蔵庫に保管して観賞してから食べる」



 あのクリスマスデートから約二ヶ月。こんな先輩の姿を見てると、あの日の幸せな時間が幻のように思えてきた。



 バイトの入れ替わりの時間で一瞬人が溢れた休憩室は、香坂さんが帰り、出勤の人たちが次々と店へ出ていき、気づけば私と尾関先輩だけになっていた。



「倉田は?倉田も彼氏に手作り?」

「……私は買ったやつです」 

「愛ないなー」

「考えが古いですよ!別に買ったチョコだって、心がこもってれば愛はあります!」



 私のバッグの中にもチョコが入っていた。尾関先輩のために買ってたチョコが一つだけ。



 数日前に少し遠くのデパートまで行って、どれにしようか散々悩んで買ったのに、この後に渡せる気がしない。

 それに、どんな理由をつけて渡すかもまだ決めていなかった。困ってバッグの中をじーっと見つめていた私に、先輩が近寄ってきた。



「あ、まだ渡してないじゃん!もうバレンタイン終わっちゃうよ?今から渡しに行くの?」

「……今日はもう渡せないと思います」

「ケンカでもした?」

「……まぁちょっと」

「へー、珍しいじゃん。ケンカの話は初だね。浮気でもされた?」

「そんなんじゃないですけど……」

「じゃあそのチョコちょうだいよ」

「え?」 

「あ、今日渡さないだけで後で渡すのか!」

「いえ!これ生チョコで、賞味期限今日までだから、どうせもう渡せないし……いいですよ、食べたいならあげます……」

「ほんとに?!」

「……はい。どうぞ……」



 私は両手で先輩にチョコを渡した。



「やったー!わっ、コレすごい高そうじゃん……気合入れたなー、ほんとに私が食べちゃっていいの?」

「いいんです、別に……」

「じゃあもーらお」



 そう言うと、先輩は美しく巻かれた赤いリボンを簡単に引っ張って箱を開け「おいしそー!」とそのままの流れでその一つを手に取って口に放り込んだ。



「ちょっと先輩!私のチョコ食べるの早すぎません?!」

「だってこれ今日までなんでしょ?もう二時間切ってるし、賞味期限」



 そっか、それもそうだ。



「おいしいですか?」

「うますぎる……。食べる?」

「……じゃあ一コだけ」



 尾関先輩にハートの形のを食べてほしくて、私はただの四角いチョコを手に取った。



「おいしー!」

「ね?彼氏もったいないね!」

「いいんですよ、もう……」



 甘いものが大好きな尾関先輩は、私のあげたチョコにご満悦な様子だった。その顔が見れたことが嬉しくて、やっぱり買ってきてよかったと思った。




 それから数日後、バイトで会うと「仲直りした?」と尾関先輩はおもしろがって聞いてきた。そのやりとりが面倒だったので、私はさっぱりと「しました」と答えた。



 また高いチョコを買い直して渡したのかと聞かれると、板チョコのガーナをあげたと私は言った。それは本当の話で、毎年バレンタインにはしょうにガーナをあげていた。そうとも知らない先輩は「倉田、彼氏の扱いひどすぎ!」と言ってころげるように笑っていた。



 そして一ヶ月が経ったホワイトデーの日。



 奇しくもこの日も私と尾関先輩、そして香坂さんの三人のシフトだった。



 出勤前、私と香坂さんのいる休憩室に入ってきた尾関先輩は、簡単に私へのあいさつを済ませるとまっすぐ香坂さんの元へ向かった。



「香坂さん、これチョコのお返しです!今日ホワイトデーだから」

「え!?」



 そう言って先輩が差し出した小さな白い手さげの紙袋は、あきらかに“ちゃんとしたもの”だった。



 たかが二かけの手作りチョコにそんなお返しをしてくる尾関先輩に、香坂さんは少しひいてるようにも見えた。



「すっごい美味しかったです!ごちそうさまでした!」

 


 先輩はそんな香坂さんの反応に気づいていないのか、気づいていてそれでも気にしていないのか、私には決して見せない子どものようなあどけない笑顔で笑った。



「あんなの残った材料で作ったオマケみたいなチョコなのに、こんなしっかりした物もらえないよ……」

「別に大したものじゃないですから、気にしないで下さい!」



 本気で困っている様子の香坂さんに強引に紙袋を手渡すと、一番遅く来た先輩は2秒でユニフォームをはおり、早々に店へと出て行った。



 その後ろ姿を見届け扉が完全に閉まると、隣に並んだ香坂さんはすがるような目で私を見て言った。



「……どうしよう」

「尾関先輩、イカれてますよね」

「……気持ちは嬉しいけど、さすがにあのチョコでこれは……」

「……中身、なんなんでしょうね?」 



 尾関先輩が香坂さんに何を渡したのか知るチャンスは今しかないと思い、私はちょっとした誘導をしてしまった。



「……開けちゃっていいのかな?でも、開けたらもう返せないよね?」

「いいんじゃないですか?どうせもう受け取らないですよ」

「そっかぁ……」

 


 観念した香坂さんは、恐る恐る小さな白い包みを開けた。その中にはまた、作りのしっかりとした同じく白い箱が入っていた。香坂さんがそのフタを開けるところを、一緒になって上から覗き込む。



「え……」



 中身を見た香坂さんは開ける前よりさらに困惑していた。そこには、シルバーに輝くハートのピアスが入っていた。想像以上に高そうな代物に、私は香坂さんに受け取るよう促したことを心の底から後悔した。



「尾関ちゃん!あんなちゃんとしたものほんとにもらえないよ!」


 出勤時間になって店内へと出て行った香坂さんは、そのままの足で尾関先輩に駆け寄り、申し訳なさそうに言った。



「ほんと気にしないで下さい。あ、でももし趣味じゃなかったら無理に使わなくてもいいですから。なんならお友達とかにあげちゃってもいいし」

「そんなことないし、そんなことはしないけど……」

「他意はないんで。純粋にチョコのお返しと、日頃お世話になってる気持ちですから!」

「そんな、お世話になってるのはこちらこそなのに……。でも……じゃあ、本当に申し訳ないけど、せっかくのお気持ちだから頂くね……。ありがとう、尾関ちゃん」

「よかった!こちらこそもらってくれてありがとうございます!」



 そんな二人の会話を聞いていて、私は今すぐにでも帰りたくなった。



 尾関先輩に気を使って、香坂さんは次のバイトの時に早速あのピアスをつけてきた。それを見ると「やっぱり香坂さんにすごい似合います!思った通りだな〜」と、尾関先輩は満足そうに喜んでいた。



 香坂さんの耳にあるのは本物のハートだけど、私の胸にあるのは偽物のハート。並んで立っていると自分がみじめで仕方なかった。














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