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第39話 噂

【倉田 奈央】




「ねー!ねー!倉田さん!尾関さんと香坂さんがそうゆう仲ってほんとなんですか?!」



 バイト上がりの休憩室で着替えていると、渋谷(しぶや)さんという女子高生の子にそう聞かれた。



 あのクリスマスからは一ヶ月ほど経っていたけど、尾関先輩とは何も進展はないままだった。それどころか、年明けの再会からすぐにシフトが重ならなくなってしまい、顔を見ることすらなくなっていた。



 というのも、夜勤の人が突然辞めてしまい、次の人が見つかるまでの穴埋めを尾関先輩が頼まれたからだ。



 店長は私に気を使って「倉田ちゃん、ごめんね!すぐにバイトの募集かけるから!少しの間だけ!」とわざわざ謝ってくれた。



 それから私がバイトに入る時は大体、渋谷さんと金城(きんじょう)さんという高3の女の子2人と一緒だった。



 もしもこの子達と同級生で同じクラスだったとしたら、大人っぽくて物怖じしてたと思う。だけど、その枠から抜けた今では、いくら大人びている高校生も中学生と大差ないほど子どもに見える。



 以前、尾関先輩に『ガキすぎて男か女かってことすら考えない』と言われたことをふと思い出した。

 あの時は『意味が分からない』と怒ったけれど、そう言い返すこと自体が、もう本当に子ども丸出しだったな……と、今になって私を目の前にした時の先輩の感覚が悲しいくらいによく分かった。



「そうゆう仲って?」



 質問してきた渋谷さんに質問で返すと、



「付き合ってるってことですよ!だって、尾関さんてそうゆう人ですもんね?」



 と、今度は金城さんが補足するように言った。



「尾関先輩はそうだけど、香坂さんは違うでしょ。結婚してるんだから」

「あれ?知らないんですか?香坂さん、離婚したみたいですよ」

「え!?そうなの!?」

「なんだぁ〜、倉田さん尾関さんと仲いいから色々聞いてるのかと思ったのにぃー」



 渋谷さんが残念そうに言うと、入れ変わるように金城さんが意気揚々に話し始めた。



「それでね、最近お二人いつも夜勤で一緒じゃないですか?その夜勤明けによくファミレスに行ってるみたいなんですよねー」



 女子高生の情報網に敬服する。

 香坂さんが離婚したなんてビッグニュース、どこから仕入れてきたんだろう……。



「まぁ……バイト終わって疲れてたら、朝ごはんくらい食べに行こうって流れになってもおかしくないでしょ」

「……でもですよ?」



 さっき一旦落ち着いていた渋谷さんがパイプイスを引きずって私に少し近づくと、



「私、学校に行く時あのファミレスの前通るんですけど、こないだ遅刻して9時過ぎに通った時、まだいたんですよ!夜勤終わってどんなに遅くたって6時には着いたとして、ただのバイト仲間と朝ごはん食べるだけで3時間も一緒にいます?絶対、普通の関係じゃないですよ!」



 と言った。



「きゃー!やっぱりそうなのかなっ!?お客さんの次は離婚したての主婦に手出すなんて、尾関さんやり手すぎるんだけどー!!」



 渋谷さんの断言するようなセリフに、金城さんはお祭りのように楽しそうにはしゃいだ。



「そうゆうの好きだねー」



 2人の手前、精一杯大人ぶって振る舞ったけど、心臓はどんどんどんどん速まっていった。尾関先輩と香坂さんがすでにそんな関係になってるとはさすがに思わないけど、私の誘いを何度も断ったのに香坂さんとはそんなに時間を割いて過ごしてるなんて……それだけで谷底に突き落とされたような気持ちになるには十分だった。



「ごめん、明日朝早いからそろそろ帰るね!」



 

 これ以上は演じ続けられる気がしなくて、私は唐突に話を切って休憩室の扉を開けた。



「さすが、彼氏いる人は下世話な話にも食いつかない余裕があるなー」


 

 と金城さんに最後に投げかけられ、

  


「まあね」



 と笑って扉を閉めた。





 家までの道を歩きながらも、早くなった鼓動は全然おさまってくれなかった。



 夜勤に移ってから、先輩と香坂さんの距離がそんなに近くなってるなんて知らなかった。今まで、あの二人が食事に行った話すら聞いたことなかったのに……。



 確かに、明さんから尾関先輩に好きな人がいると聞いたあの時は、その相手は香坂さんしかいないと思った。だけど、年明けの先輩の様子を見て、もうその可能性はほぼないと勝手に決めつけて自己解決をしていた。でもそれこそが最大の思い違いだったのかもしれない。



 尾関先輩が明さんに話した『どうやっても結ばれないワケアリ』というのは、やっぱり一番初めに思い浮かんだ通り香坂さんが既婚者という意味で、それが解消された今では遮るものはもう何もなくなり、運命的とも言えるそのタイミングで深夜シフトが重なったことにより急激に関係が進展した……



 そう考えると恐ろしいほどに辻褄が合った。




 次のバイトの日、その日は珍しく香坂さんと一緒だった。最近時間に余裕のある香坂さんは、バイトが足りない時はどの時間帯でも協力しているようだった。



 仕事中、品出しをしている香坂さんを見ていた。もう何年も一緒に働いてるから最近はそこまで意識してなかったけど、よくよく改めて見ると、本当に綺麗な人だなと思った。



 私が言うのもなんだけど、30歳を過ぎた香坂さんは、バイトを始めたてだった20代の頃より、さらに女の魅力みたいなものが増している気がした。きっと尾関先輩が好きな感じだ……



 長いことぼーっと見ていると、時折指先で軽く耳もとに触れる仕草をしていることに気がついた。なんだろう……?と凝視すると、そこにはあのハートのピアスがあった。



「えっ!なに!?」



 あまりにも見つめ続けていて、ついに香坂さんに気づかれてしまった。



「ごめんなさい!なんか綺麗だなぁって見とれちゃってました……」



 私は素直に思っていたことを言った。



「えー?やだぁ!やめてよ、奈央ちゃん!」

「香坂さん、最近夜勤も出てて大変そうなのに、なんだかキラキラしてますね」



 なんとなく探るようなことを言ってしまった。



「ほんと?!?……もしかして恋してるからかなぁ……なんてねっ!」



 香坂さんは冗談のように言ったけど、その表情は本当に恋をしている人の顔に見えた。




 その日のバイトの後、店を出て歩いていると、



「奈央ちゃーん!」



 と後ろから声をかけられた。



「少しだけどこか寄ってかない?ご馳走するから!」



 声をかけてきたのは香坂さんだった。香坂さんからそんなことを言われたのは初めてで、私は驚きを隠せなかった。



 私まで誘うなんてやっぱりよっぽど寂しいのかな……と思う気持ちと、もしかしたら尾関先輩のことで私に何か用があるのかもしれないという猜疑心を抱きながら、二人の関係を少しでも知りたい気持ちで私は香坂さんについて行った。



 軽い雑談をしながらいつものファミレスへと向かい店内に入ると、前に尾関先輩とも座ったことのある席へ案内され、私たちは向かい合って座った。



「ここ、よく来るんですか?尾関先輩と」



 私から話を振ると、



「うん!最近夜勤上がりにね!」



 と、香坂さんは少し照れるように言った。



「夜勤て本当に大変そうですよね……」

「そうだね、今まで寝てる時間帯だったから、慣れるまでは本当にただただ眠くて辛かったなー。でももうだいぶ慣れたよ」

「そうですか。でも私には絶対無理そうです……」

「私も本当はね、どちらかと言えばもちろん昼のがいいんだけど、今は……夜の方が家に居たくないってゆうのがあってね……。奈央ちゃんももう知ってるでしょ?私が離婚したこと」

「あ……はい……。実はつい最近耳にしました。……すみません」

「そんな謝ることじゃ!いいの、いいの!別に隠してるわけじゃないから!」

「……そうなんですか?」

「うん、もうとっくに籍も抜けてて本当は香坂じゃないんだけど、突然変えると周りのみんなに気を遣わせちゃうからそのまま香坂にしてるだけで、むしろ腫れ物に触るような扱いされるより、全然話題にしてほしいくらいだし!」

「……そう言ってもらえてよかったです。知ってるのに知らないように振る舞うの、私も気が引けてたから……」

「ありがとう。これからはもうそんなに気にしないでね」

「……はい、香坂さんご本人がそう言うなら。あの、夜勤も出てるってことは、娘さんとも離れて暮らしてるんですか?」

「やっぱり、奈央ちゃんも尾関ちゃんと同じだね!素直でうれしいな。言葉ではそう言ってても、みんなそんなすぐに突っ込んだ質問はしてこないから」



 香坂さんは本当に嬉しそうに笑った。



「切り替え早くてごめんなさい……」

「ううん!私、奈央ちゃんのそうゆうとこ好きなの!……娘はね、尾関ちゃんにも話したんだけど、元々旦那の連れ子でね。だから私が引き取るわけにはいかなくて……。本心は、シングルマザーでも私が育てたかったんだけどね。まぁ、それで今は完全に一人になっちゃって……。昼はまだいいんだけど、夜はちょっとね。……部屋に一人でいると落ち込み気味になっちゃうから。だから今は夜勤に入れて逆に助かってるの!」

「そうだったんですか……」 

「ごめんね!奈央ちゃんにまでこんな話しちゃって!」

「全然気にしないで下さい!ていうか、私が立ち入った質問しちゃったんだし……。私みたいな子どもが言うのも失礼かもしれないですけど、想像も出来ないくらいの寂しさなんだろうなって思います……」

「そんなふうに言ってくれてありがとう。今日も突然ごはんに付き合ってくれて。一人の部屋に帰るのが嫌でつい誘っちゃうんだ、最近。それで尾関ちゃんにもよく付き合わせちゃって……」



 香坂さんの話を聞いて少し安心した。本当に今は離婚の寂しさが大きくて、とにかく一人の時間を作りたくないようだ。同じ深夜のシフトに入っていてきっと誰よりも香坂さんの事情を聞いている尾関先輩は、誘われれば断るわけにはいかないだろうなと理解出来た。



 渋谷さんが言っていた長時間ファミレスの真相は、本来優しい尾関先輩が、自分からそろそろ帰るなんて言えなかっただけなんだろう。



「……尾関ちゃんてほんと優しいよね。毎回のように誘ってもいつでも嫌な顔せず付き合ってくれて……。面倒なはずなのに、彼女と別れたからちょうどいいなんて、私に気を遣わせないように言ってくれて……」



 私からの誘いは全て断ってるのに、香坂さんからの誘いは一回も断ってないんだ……。それを知って一瞬胸がギュッとした。



 でも落ち着いて考えてみれば、先輩はいつもライブ関係のことで私の誘いを断っていて、香坂さんの誘ってくる早朝にはその影響がないから付き合えるのかもしれない。



 きっと私だって、早朝に誘えば先輩は付き合ってくれるはず。そう自分を納得させた。



「尾関先輩って香坂さんのこと好きだから、迷惑なんて思わないと思いますよ」



 自分で自分を騙して余裕なフリをしてそう言うと、



「……その好きって……どうゆう好きなのかな……?」



 私から視線をそらして、両手で包んだホットコーヒーの水面を見つめながら香坂さんは言った。



「……尾関ちゃんて、その……そうゆう子でしょ?……女の人が好きな……。いつも優しくしてくれたり、これくれたり……」



 初めて恋を知った少女のようにたどたどしくそう話すと、耳もとのピアスに指先で触れるあの仕草をする。胸の中から、ざわざわと音が聞こえてくる気がした。



「……正直、私にも分かりません。昔から香坂さんに懐いてるし、綺麗だってずっと言ってるけど、それがどこまで本気なのか、私にも……」

「やだ!私、バカみたいなこと言って恥ずかしい……。お酒を飲んでるわけでもないのに何言ってるんだろう……たぶん、寂しすぎて人恋しくなっちゃってるだけなの!今のは忘れて!変なこと言ってごめんね!」



 香坂さんはそう言うと、取り繕うようにガラリと話題を変えた。




 香坂さんは結婚してるし、女の人を好きな人じゃない……だから、もし尾関先輩が香坂さんに想いを寄せていたとしても、どうにかなるなんてことはまずない……



 そう安心しきっていた。



 それが今、私の知らないところで何かが動き出してるのかもしれない。



 たった一つの小さなきっかけで、二人はどうにかなるような気がした……























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