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それをなんと呼ぶべきか?

作者: ky5912
掲載日:2025/11/11

 残った仕事を必死にこなす金曜日。週末になるため、滑り込みの連絡が多くてスケジュール通りには仕事が進まない。それでも、今日だけは残業が出来ないと必死にパソコンを打ち進める。

 本来は金曜日に外周りも入れていたが、今日は一日社内でのスケジュールにしていた。

普段は仕事を最優先に動いている。時には私的な予定のためにスケジュールを組んだって許される。

 所詮、うだつの上がらないサラリーマンの思考なんてこんなもの。思い描いた自分のキャリアから遠く離れていても、目の前の仕事を必死にこなしていくしかない。さぼってなんかいられないのだ。

「笹本、今日は仕事終わりに一杯行かないか」

「すみません。今日は先約ありです」

 先輩に断りを入れた。普段なら喜んで付き合うが、今日はそういうわけにはいかない。鞄に必要最低限の荷物を入れて、急いでオフィスを後にした。

 正面の入口で、既に同期の三木雄太は待っていた。同じ営業でも、彼は一課の期待のホープ。配属直後から成績優秀で、上司からの受けもよい。異例のスピード出世で一課に異動になった男だ。

 細身に見えるがサッカー経験があり、筋肉もついた体をしている。端正な顔立ちと優しい性格のため、他の部署の女子社員からも目を付けられている。

「遅くなった。ごめんな」

「同じくさっき来たところ。忙しいのにすまんな」

 なぜ、この男が自分なんかと仲良くしてくれるのかはわからない。不器用で大した外見もしていない自分に対して、引く手あまたの彼はいつもこちらとつるむ。もしかしたら、自分をよく見せるためにこちらを選んでいるのではないかと考えたこともあるが、そもそも彼は女性からの受けなど望んでいないように振舞っていた。

 以前聞いた話では、女性と一緒にいるのが面倒だと話していた。学生時代に付き合っていた相手の束縛が強く、行動を制限されてから全く異性との交遊に興味をなくしたらしい。女性は見ておくのがちょうどよい。冗談のように、彼は語っていた。

 その彼が、一人の女性に恋をした。

 企画部の華村みのり。自分たちとは二年下の後輩ではあるが、社内でも有名な女性社員だ。童顔の小柄な女性だが芯が強く、上司相手でも意見をきちんと言えるタイプ。美人でよく飲み会では口説かれるが、相手にしないらしい。

 そんな彼女だったが、部内の知り合いを通して何回か食事に行くうちに彼女のまっすぐな性格に惚れたらしい。社内でも有名な若手同士。お似合いではあるが、この二人の関係を繋ごうにも自分は何もできないと思っていた。

 三木は彼女に対してアプローチが出来ておらず、連絡先すら知らない状況。中々周りに言い出せない八方ふさがりのタイミングで、風が意外なところから吹いてきた。

「とりあえず、こんなところから一緒に向かったら変な噂になるだろう。現地集合にしておいたから、ゆっくり向かおう」

「そうか。もう向かっているのかな」

「いや、もう少しは掛かるらしい。大丈夫だよ、プレイボールには間に合うそうだ」

 恋愛となると、この男は弱々しくなる。普段見ない姿に、若干の戸惑いを受けた。

「そうか。急な対応悪かったな」

「いいよ、野球が見られるわけだから問題ない。合コン形式の方が面倒だから」

 企画部には、大学からの同級生である山名莉子がいた。山名は後輩の華村と仲が良かったらしく、偶然三木の話をしたところ、この機会を設定するにあたったのだ。

 まさか、こんな形でこいつの役に立つとは。

 仕事の相談で、三木には助けて貰ってばかりだった。対等に接してくれるのが時には嫌な気持ちになったのも事実だが、三木の役に立てる機会は最大限力になりたかった。

 まさに、主人公のストーリーをつなぐ存在。

 昔から、主人公に憧れていた。しかし、勉強もスポーツも中途半端で、自分は社会の主人公になれる機会はないのだと噛み締めた。キラキラ輝く場所を探してなんとか入社したこのメーカーでも、三木のように真ん中に立つために生まれてきた人間の前で何もできずに生きていくしかないと実感している。

 せめて、彼らの幸せを見守れればいいのではないのか。

 言い出せないダサい感情をしまいながら、今を必死にもがいている。

 まるで子供だな。

 自嘲と一緒に笑みがこぼれた。

「どうした。俺、今日変かな」

 三木が髪を触りながら訊ねた。こちらの笑みを、自分に向けたものだと勘違いしたらしい。

「大丈夫、外見はおかしくない。少しテンションが上がっているのだけ、どうにかしろよ」

「ごめん、恋愛なんて久しぶりでさあ」

 頭を掻いた。照れている姿もかわいらしさがあって、この性格が女性には受けるのだと見ていてわかる。

 最寄りの駅に着くと電車を待つ。到着には充分余裕がある。

「なあ、なんで華村さんをそこまで好きなの」

 ソワソワしている三木に話しかけた。

「前言っただろう」

 恥ずかしいのか、直ぐには答えない。

「忘れたよ。数か月前に簡単に聞いた程度で覚えていられるか」

 一度目を泳がせると、こちらに目を向けた。まるで今からこちらに告白するかのようで、笑いがこみ上げる。ただし、ここで笑ってはからかっているようにいるように誤解されそうなので我慢した。

「一緒に飲んでいるときは、お互い離れた場所だったから最初は興味もなくてさ。いつだったかな、飲んでいる奴が飲み過ぎてトイレで吐いたことがあって。その時に、彼女は迷いなくそいつの面倒を見て、吐き跡とか、自分のハンカチで躊躇いなく掃除している姿を見たら惚れていたって流れ」

 雑な言い回しだが、簡単に言えばギャップに惚れたということか。こういう感性は同じようなものを持っているのかと親近感がわく。確かに、あの華村がそんなことをしていれば、惚れてしまうのも分かる気がする。

「話したことはあるの」

「少しだけな。あの時の話をしたら以前野球部のマネージャー経験があるから、そういうのは慣れているって笑っていてさ。また惚れたね」

 いつの間にか、遠くを見るように話を続けた。自分にとっては高嶺の花過ぎて近寄れない女性。しかし、三木なら似合っている気がする。

「よし、今日思い切り距離を縮めような」

「サンキュー、笹川。こんな悩みはお前にしか相談できない」

 よく言われる言葉だ。学生時代の部活でも、主力からウォーミングアップの相手に指名される経験が多かった。気が付けばサポートはうまいと信頼を受け、重宝されていた。

 本当はレギュラーになりたかった。

 自分の欲しい能力は常に手の届かないところにあって、欲しくもない能力があると言われる。嫌いではないが、この能力に何も憧れはない。

 電車で数駅。地下鉄の後楽園駅に到着すると、長い階段を上って目的地はあと少し。

「俺初めてくるけど、すごいものだな」

 三木が隣で呟いた。球場は周りの雰囲気からワクワクする。ユニフォームを着たファンの姿や選手のポスターを見ただけで、試合の前から楽しくて仕方ない。

「だろう。久しぶりだから、俺も楽しみだ。中でも飲食物は帰るから、待ち合わせの前のゲートでしばらく待とうか」

 三木が初めての観戦なので、三塁側の二階指定席にした。華村の野球熱も分からないので、あまり応援ばかりの席で温度差があってもよくないと判断した。山名もその辺は把握しておらず、無難だねと笑っていたので正解だったはずだ。

 しばらく他愛もない会話で笑って待っていた。もう始まる前だが、中々二人は現れない。まあ、最初から見たい気持ちはあるが、途中からでも問題はない。

 ドームの中から聞こえる音が大きくなっていく。もう始まるのかなというタイミングで、二人が小走りでこちらに向かってきた。

「ごめんなさい」

 山名が手を合わせて謝罪した。後ろの小さな女性が深く頭を下げた。ショートカットの色白な美人で、二重の大きな目から強い瞳が見つめていた。

「初めまして、華村と申します。今日はお誘い頂き、ありがとうございます」

「ああ、こちらこそ来てくれてありがとうございます」

 噂には聞いていたが、実際にあうと緊張してしまう。三木は、逆に山名に自己紹介をしていた。

「じゃあ、行きましょうか」

 まだ入場ゲートには人が多い。自分たちと同じように仕事帰りの観客も多いのだろう。スーツ姿の観客もちらほら見かける。

「山名、今日はありがとう」

「こちらこそ、久しぶりだから楽しみにしていたよ」

 相変わらずの大きな声。華村さんのような可憐さはないが、明るくていつも輪の真ん中にいるタイプの性格をしている。細い目でケラケラ笑い、周りへの気配りが上手なタイプだったので今も頼りにしている。大学の頃はショートにしていた黒髪は随分長くなり、綺麗な髪留めを付けている。

 軽い雑談をしながら、四人でゲートを抜けた。大きな音響が響いている。ちょうど一回の表が終わったあたりだった。まずは席の確認のため、階段を上って二階に上がった。

「いつもながら、ワクワクするよね」

 指定された通路を抜けると、グランドが見えてきた。視界にグランドの風景が移る瞬間はいつも胸を熱くしてくれる。

「席は少し離れてしか取れなかった。ごめんね」

「いや、仕方ないよ。今人気だものね」

 自然に山名が合わせてくれた。離れすぎてはいないが、席はあえて二席ずつにして切り離している。

「そうしましたら、席は・・・」

「みのりん、三木さんとは何度かあっているらしいけど、一緒に座れそう」

 若干動揺した感じで、華村は山名を見つめる。

「笹本と久しぶりに話したいことがあるの。あとで席替えるから、その時は一緒に見ましょう。三木さんが初めてらしいから、色々教えてあげてね」

「わかりました・・・私が隣でもいいですか」

「こちらこそ、素人が横ですみません」

 緊張で固まっている三木の姿が滑稽だが、強引に隣にして大丈夫か心配になった。困惑はしているが、嫌そうには見えない。

「じゃあ、お互い好きに観戦しましょう」

 随分な丸投げになっているが、山名は強引に離れた。空気の読める奴だったはずなのだが、こんな力技で大丈夫なのか心配になる。

「飲み物どうする」

「一緒に買いに行こうよ。ついでに食べ物も欲しいかな」

 もう一度通路をくぐって、売店へ足を進める。

「大丈夫か、あの感じで」

「問題ないよ。実はね、みのりんも三木さんに興味があるのだよ」

 冗談めかして、彼女は笑った。ネイビーのパンツスーツで若干ヒールの高いパンプスの足音が聞こえている。

「そうなんだ」

「いやあ、笹本がまさか三木さんと繋がっているなんて思わなかったから、私からしても渡りに船だったのよ。今日の私たちは見届け人だし、ゆっくり野球見ていましょう」

 近くの売店に並び、ビールと軽食を購入して席に戻った。二人は既に席に座って野球を見ている。ビールは売り子さんから買ったようで、手にはビールのカップを持っていた。

「カンパーイ」

 まるで、大学時代に戻ったような気分だ。野球サークルで、選手とマネージャーの関係。大会にも出るようなチームだったので、うまいやつは沢山いた。自分はうまくないので、色々片付け等の雑務もこなす立場だったが、彼女はいつも気遣ってくれていた。

「乾杯」

「暗いよ。全然変わらない」

 眉間にわざとらしく皺を寄せると、ビールをごくごく飲んでいる。サークル内の仕事を終わらせると、いつもこうやって自分のところに来ては声をかけてくれる。

「いや、とりあえずはよかったかなって」

「みのりん、可愛いでしょう。あれで性格もしっかりしていて、気遣いも出来るのよ。趣味は料理だってさあ」

「すごいなあ」

 返事に困って、曖昧な言葉で返してしまった。さらに彼女の眉間に皺が寄る。

「なによ、そういう子がタイプなの」

「大体の男はタイプだよな。まあ、自分には高嶺の花だから何も思わないけど」

「ふーん」

 そう言って、買ってきたポテトをつまんだ。

「逆に雄太はどうだよ。仕事も出来るけど、優しいぞ」

 からかうように質問した。山名はグランドを見つめて、しばらく野球を見ていた。

 同じ質問したのに、自分は聞こえないふりか。責めるつもりはないが、若干腹が立つ。まあ、野球は面白いので自分も視線を移した。

「みんながみんな、四番打者に恋をするわけじゃないの」

 ぼそっと、彼女は呟いた。

「どういうこと」

「野球だって、四番もいれば、それを支える存在もいるじゃない。チームのために、それぞれが役割を持っている。私は、見えないところでチームを支える選手の方が好きかな」

 ビールをさっさと喉に流し込み、近くを歩いている売り子さんに声をかけた。

「山名がそういうタイプだとは思わなかった」

 大学時代はエースの先輩と付き合っていた彼女の印象とは真逆の印象。今も関係は続いているはずだ。

「そんなに派手に見える」

「いや、そうではなくて・・・」

 ホームの選手にヒットが出て、球場が盛り上がる。動きがある度に、前に座っている二人が体を寄せて何かを話していた。

「作戦成功だね。席を切り離したのもファインプレーだよ」

 ニヤニヤしながら、山名はビールを喉に流し込んでいる。二人で話し合って、わざと席を話したのは成功だった。話が途切れたのは残念だが、変な期待はしていない。女性関係は希薄な自分にとって、なんでも話せる女友達は貴重な存在だ。

 試合は拮抗した投手戦。席は変わると言いながらも、そのまま放置しても華村は何も言ってこなかった。このままいけば、距離はかなり近づくはず。少しは友人の役に立てたのだから、今日は成功だ。

「ねえ、私って派手好きかな」

 思い出したかのように、彼女は呟いた。目がかなり落ちている。ペースがいつもよりも早かったので、酔いが回っているに違いない。

「いや、派手ではないけど・・・」

「ないけど、なによ」

 面倒な絡みで初めて見る姿。髪留めを外して、束ねていた髪をほどいて頭を軽く振った。香水か、花の香りがほのかに香る。

「山名は昔からモテていたし、彼氏もエースとかレギュラーばっかりだったじゃないか。だから、そういうタイプが好きなのかなって・・・」

 歯切れが悪い回答をした。よく考えれば、話はよくする仲だったものの、恋愛について話した機会はなかった。細い目をグランドの試合に向けたまま、彼女は口をぎゅっと結んだ。

「その方が私らしいかな」

「らしいというか、山名の雰囲気を考えれば、そういう表に立てる男と一緒にいる方が似合っている気がする」

「そうか」

 均衡が破られたように、連続ヒットで点が入る。周りが湧きたつ中、まるでここだけが

別の空間のように、表情を変えずに目を落としていた。怒らせたり、傷つけたりしたわけではないが、何か彼女の心情に触れたような複雑な表情だった。

「人から見えるものと本心は、ズレがあるものか」

 怒りではなく、からかうようにこちらを見た。

「なんだよ、それ。意味がわからない」

「深く考えないで。ほら、売り子さん呼ぶから付き合いなさいよ」

 そう言って、こちらのドリンクホルダーに目を向けた。残り四分の一程度になったビールを空けろということか。

 目の前では、三木と華村が得点に喜んでハイタッチしている。ヒットは打てない自分だが、今回の送りバントは成功したようだ。

「すみませーん」

 もはや二人に興味がないように、ハイテンションの山名が売り子さんを呼ぶ。大きなサーバーを担いだ売り子さんが、こちらに笑顔を向けた。

「ありがとうございます」

「今日はビールがおいしい」

「あんまり飲み過ぎるなよ」

 週末とはいえ、あまり飲み過ぎるのもよくない。帰れなくなっても困るので、軽くたしなめた。

「ここに二つと、あの前にいる席の二人にもお願いします」

 前にいる席の二人を、彼女は指さした。

「お知り合いですか」

「そう。今日はあの二人をくっつけるための日なの」

 ケラケラと山名は話している。少し汗ばんだ売り子さんがこちらに視線を向ける。

「うわあ、素敵ですね。ということは、ダブルデートですか」

「違う。ここは昔からの友達ってやつ。お互いの友人同士で気があるからって設定したのよ」

 事実は事実だが、あまりの速さで否定されて若干の寂しさを覚える。売り子さんは気まずそうに視線を外した。別に、自分は山名を狙っているわけでもないのに。

 スマートフォンで支払いを済ませると、ドリンクホルダーを指さした。黙って、残りの分を飲み干すと、彼女はニッと笑顔を向けてホルダーにビールを置いた。

「ビール代払うよ」

「いいよ。チケットの手配とか日程の調整とか諸々のお礼させてよ」

 首筋まで真っ赤になった山名がこちらに視線を向ける。同じ勤務先で働いているので、給与に差がないのは予想がつく。しかし、やはり女性にごちそうになるのは気が引ける。

「いや、いいよ」

「じゃあ、次に行くときにはごちそうになりたいな」

 すっと視線をグランドに戻した。昔からそうだが、どこまでが本音か嘘かわからない人間だった。

 数か月に一回電話がかかってきて、他愛ない話をするだけの仲。食事もほとんど行かないうえに、メールのやり取りもほとんどない。ただし、一度話すと数時間はお互いの本音を気軽に言える不思議な関係。

「また行こうよ。野球見に行くの、楽しいから」

 ぼそぼそと、こちらを見ないで言葉をつなぐ。

「えっと・・・」

「もちろん、三木さんとみのりんを連れてね」

 心を読まれたのか、いたずらな表情でこちらを見た。別に二人で行くのを期待したわけではないが、ドキッとする。

「そうだな」

 本音がばれそうなので、必要最低限の返事にとどめた。

 どうしてなのか、彼女には恋心が生まれない。愛嬌のある性格に、女性として魅力を感じる瞬間は何度もある。それでも、彼女にそういった感情を持つのは違和感があった。

「空気合わせている感じ」

 眉間に皺を寄せて、彼女は訊ねた。

「いや、いいのかなって。山名、先輩と・・・」

「大丈夫だよ。ずっと一緒にいても、息が詰まるから」

 試合は順調に進み、七回のラッキーセブンの演出が始まっている。球団応援歌に合わせてタオルを振っているファンを声援が、近いのに頭の中では遠ざかっていく感覚に陥る。

「うまくいってないの」

「ううん、順調。そういうことじゃないんだよね」

 彼女というものがしばらくいない自分の回答は、山名にとっては歯痒いものばかりに違いない。応援歌が終わった拍手に合わせて、山名が手を叩く。絶対聞いていないだろうが、まるでイラつきをごまかすように目を背けた。

「ごめん」

「別に、分かりにくい話をしているのは私だから。彼のことは好きだよ。でもさ、好きな人となんでも話せる人は違うってこと」

 せっかくのいい試合なのに、頭が彼女の言葉で埋め尽くされる。面と向かって話す機会がなかったからなのか、こんなにお互いに本音を向けたのは初めてだ。

 もしかして、惚れているのか。

 嫌な感情が現れる。彼女はかけがえのない友人。こちらも、彼女には遠慮をせずに自分の気持ちを伝えられる存在。会社の中では、三木以外には彼女しかいない。

「あの・・・」

「だからさ、あまり言えなかったけど、改めていうね」

 たどたどしく、山名は吐き出した。

「これからもずっと友達でいてね。笹本は私の気持ちを理解してくれるから、いつも頼りにしている。普段言えないけど、ありがとう」

 無音。

 こんなに騒がしい球場で聴覚が消え去ったのではないかというほど、頭の中を静寂が襲ってくる。

 期待していたわけではないから。いや、むしろこの言葉を期待していたから。

 メンタルを立て直すように、自分に言い聞かせた。確かに、先ほどまで自分は山名を大切な友人という枠に入れていた。彼女は貴重な女友達。これからもこうやって、沢山他愛ない話を出来る関係でいたい。

 しかし、なぜか落ち込む自分がいるのも事実。何というのか、この事実は恐らく予測の範疇で置いておくのが良かったのだろう。

「こちらこそ、いつもありがとう」

 誰も見向きもしない裏方仕事をする自分に目を向けてくれたこと。男女構わず友達が沢山いるにもかかわらず、自分にまで気さくに話しかけてくれたこと。こうやって、今も大切な友人としてくれていること。すべてを込めた短い言葉だった。

「これからも友達でいてほしい」

「もちろんだよ。私たちは友達だよ。大切な友達」

 繰り返すのでしつこいようにも聞こえたが、彼女も確認をするかのように呟いているようだったので、何も言えなかった。

 試合は盛り上がったまま終了した。ホームのチームが勝ったので演出も大きくなっており、前の二人はヒーローインタビューまでしっかり見ていた。

「私たちの試合も、おそらく勝ったかな」

 山名が右手にこぶしを作り、差し出した。

「そうだな。あの雰囲気ならうまくいってそうだけど」

 同じく右手にこぶしを作り、合わせた。ずっと楽しそうに話す三木の姿に、羨ましさもある。 

 二人は荷物をまとめると、直ぐにこちらに来た。

「山名さん、ビールありがとうございました。あの、お支払いしますよ」

「いいの。いいもの見させて頂いたからねえ」

 わざとらしく、二人に目線を送る。二人は照れたように目を背けた。

 三木も山名にお礼をいうと、出口に向かって足を進めた。

「今日はありがとうございました」

 一番後輩の華村が大きく頭を下げた。試合の興奮もあって、声が大きくなっている。

「いやあ、みんな楽しんだわけだし、また行こうね」

「ぜひ、お願いします。あの、笹本さんも三木さんもまたご一緒してもいいですか」

「もちろんですよ。三木も楽しかっただろう」

「そうですね。またよろしくお願い致します」

 次回の約束も出来たところで解散になった。山名と華村の背中が小さくなるまで二人で見送ると、三木と二人で駅へ向かった。

「笹本、本当にありがとう」

 手を合わせて、三木はお礼をしてきた。

「よかったじゃないか。華村さんはどうだった」

「予想通り、いや、それ以上にいい子だった。今度飯に行くことになったし」

 いつものようなクールなイメージとかけ離れた三木の姿を見て、達成感で胸が温まる。友達の力になれたのであれば、問題ない。むしろ、自分も何か一つ大切なことに気が付けた日だった。

「よかったな。うまくやれよ」

「ありがとう。笹本は山名さんとはどうだった」

「いや、あいつは大切な友達だから」

 先ほどの気付きをそのまま伝えた。これでいい。三木と山名は自分にとって、大切な友人なのだ。

「山名さんは、笹本の良さを知っているってことか」

 予想外の言葉が返ってきた。同じように帰宅するファンに群れの中に入りながらも、三木は話を進めた。

「笹本は人の気持ちを理解して話を聞いてくれるから、心から信頼できる。多分、山名さんも同じ気持ちなのだろうけど」

 勝手に答えを出して頷いている。三木からは初めて言われたが、悪い気はしなかった。

「そうなのか」

「そうそう。だから、困ったときは言ってくれ。俺は笹本に助けて貰ってばかりだから、困ったときは力になりたいから」

「ありがとう。気持ちだけ受け取っておく」

 素っ気なく返した。こういう言葉は、リアクションに困る。

 自分は主人公に憧れていた。そのうちなる気持ちはこれからも付きまとうに違いない。しかし、こうやって舞台の真ん中に立つ人間たちから慕われるのは一つの自分の長所なのかもしれない。

 スマートフォンは震える。相手は山名だった。おそらく、今日のお礼だろう。開こうとした指が止まる。

 人から見えるものと本心は、ズレがあるものか。

 彼女の言葉が蘇る。この言葉の意味は・・・。

 まあ、いい。

 想像していた友情というものは綺麗な結び目の紐だが、山名とは何かこじれてしまったまま強く繋がっている気がする。お互いにすれ違いが生まれ、その結果がこの形ならそれでいい。

 あくまでは『今』はという話ではあるが・・・。

 ふっと、鼻から息が漏れた。これもまた思い込みなのだろう。深く考える必要はない。裏でどう考えても、表向きは友人なのだから。

 なりたい自分と求められている自分。どちらも素直に自分自身なのだ。今はみんなと一緒に楽しめる自分を大切に生きていこうと思う。

 スマートフォンをポケットにしまい、三木と共に駅へゆっくりと足を進めた。

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