【五之陣】 馬超、協力を要請す
土曜日 朝
閉じたカーテンの隙間から光が差し込み、新たな一日が地上にもたらされる。
夜通し大合唱していた虫の声は、いつの間にやら小鳥のさえずりにとって代わられているのだろう。
もっとも、室内には風情もへったくれも無いアラーム音が襲来するせいでそのさえずりも全く聞こえない。
李織は鉛のように重い腕を布団から伸ばし、10分置きに鳴り響く目覚まし機能を解除する。
もぞもぞと身体を起こしたまではいいが、謎の倦怠感でなかなか動き出せない。
さっきまで眠っていたのに疲れ果てているような感覚。
夜更かしなどした覚えはないのだが。
昨日はたしか――――
「げ。そうだ、馬超さん――――」
どういう訳かバイト帰りに三国志の馬超と遭遇、家まで連れてきてしまったのだ。
現代でしかお目に掛かれないであろう物体、つまりは殆ど全てについて彼から質問攻めにあったのを思い出した。寝坊した上に疲労感がまるで取れていないのも無理はない。加えて、久方ぶりに廻し蹴りなんて動きをしたせいか股関節が若干痛い。
「やば。さっさと着替えよ」
馬超がいま家のどの辺に居るのか、正確な位置は分からない。
まだ隣の部屋で就寝中なら助かるのだが、もし起きていたらあちこち徘徊した挙句ここに踏み込んでくる可能性は十分あるだろう。
急いで今日の服を引っ張り出し、パジャマを脱ぎ散らかして胸を下着で覆う。
またあのような悪意無き狼藉を働かれる前に、
素早く迅速に可及的速やかに――――
「敵襲か、ニシキ!?」
シャツを被る前に扉が勢いよく開いた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
「――――」
「……何故に怒っている。謝ったではないか」
「怒ってません。ませんので黙って食べなさい」
李織が馬超の顔面へ二度目の廻し蹴りを放った数分後、二人はちゃぶ台で向かい合い朝食のハムトーストを齧っていた。
〝怒ってるではないか〟と、視線で抗議してくる馬超に、
〝当たり前でしょ〟とじっとり視線で返す李織。
「はぁ……」
さすがは古代で戦いに明け暮れた武人。偶然とはいえ女子の着替え現場に乱入した重大さを正しく把握していないと見える。
そのクセ黙って食べるという言葉には大人しく従っているのだから溜息ものだ。この無駄な律儀さをもう少しまともに配分してくれないものか。
まあ、そもそも彼を同じ屋根の下に泊めた自業自得だと言われると反論しづらいのだが。
馬超はもちろん替えの服など持っていなかったため、上半身は袖の無いベストを羽織らせ、下半身はバスタオルを袴代わりに腰で縛る形で覆っている。
結果、現在の彼は岩のような胸筋、腹筋および腕を露出する蛮族めいたコーディネートとなっていた。余談だが、下着は履いていない。
「あのねぇ、既婚者のあなたにとってはあたしの身体なんてなんてことないかも
知れないけど――――」
「まさか、むしろ感心しているぞ俺は」
「えっ」
「威力こそ低いが、君の蹴りは動きにキレがあり力の入れ方も的確だ。
ただの庶民と思いきや武家の娘であったか」
「あ~はいはいそーですかわかりましたありがとう」
やはりズレている。どうせならもっと別の所を褒めてもらいたかったところだが、
彼にそうした期待をするのはもはや諦めるしかないのだろう。
(実は結婚できなかったのかなこの人……)
乱世のお偉いさんというのは必ず世継ぎを作っておくものだ。
だからきっとそんなことはない、と思うのだが、少なくとも李織が昔読んだ漫画には、馬超の息子は出て来なかったと記憶している。
「馬超さんってさ、奥さん居なかったの?」
自然と口に出してしまった李織の疑問に対し、馬超はしばし間を置いてから
「――――居たぞ」
と、一言だけ返答した。
「居たんじゃん……どんな人だったか知らないけど、馬超さんのそういうとこ我慢してたんじゃないかなぁ。いくら将軍家だからって――――て、聞いてる?」
「――――ああ」
やはり一言だけ、馬超は手にしたコップの中身に視線を注ぎながら声を発した。
「……?」
気のせいだろうか、ただでさえ真顔の馬超から表情が消えている。
李織は危惧した。ひょっとして地雷だったのか。
海と1800年ほどの時を隔てているとはいえ、女心が何もかも違うなんてことは無いと思う。
妻にはもっととびきりの何かをやらかして、スッパリ縁を切られたとか……?
そして馬超は、そんなトラウマを経てもなお悪気無く狼藉を働いてしまう呪いを断つことが出来なかったということか。
「……あのさ、トーストおかわり要る?」
「――――?お、おう。頂こう。」
李織は気まずさを紛らわせるように提案し、予想通りの返事を貰うやいなやキッチンに用意しておいた追加のハムトーストを運んだ。
「随分と早いな。ものの数秒で調理を済ませたというのか」
「どーせ馬超さんは一枚じゃ足りないと思って用意しといたの。
こんなこともあろうかとってね」
「ありがたい。このハムトーストなる料理はとても美味いからな。
しかも粟と肉と野菜を同時に食えるとは驚きだ。これほどの味と栄養がこうも手軽に食えるとは、遠方へ出陣した際の食事にもさぞ便利であろう」
「アワ?ま、まあ外で食べるならもっとサンドイッチとか……
ああでもパンって思ったより消費期限短いんだよね。作ったらその日のうちに食べないと悪くなっちゃうんじゃないかな」
挟んでるものを干し肉等にすればあるいは、という話でもない。
パンは発酵食品のクセに保存が効かない。いつか聞いた話では、含まれる水分や栄養成分のせいでカビが繁殖しやすいのだとか。
「なんと勿体ない。コレが戦場で携帯できれば兵たちの士気もさぞ上がるだろうに」
馬超は心底残念そうにつぶやいている。
地べたに腰を下ろした鎧姿の男たちが弁当箱を囲み、色とりどりの具を挟んだサンドイッチやらトーストやらをもっきゅもっきゅ頬張る様を想像してみる。
「なんだかなぁ……」
これから戦争だというのに、もはや遠足の如き絵面になってしまった。
ゲームか何かでこれから戦いという時に〝ピクニックと行こうぜ〟などと宣うキャラクターが居た気がするが、なるほど食べ物を入れ替えるだけで若干理解できてしまう。
「うーんやっぱり軍隊だったらカロリーメイク的な携帯食料の方が」
「かろりーめいく?想像がつかんな。いったいどんな作物か」
「あー……作物ではないけど食べ物だよ。今度見せてあげる」
面倒臭くなりそうな解説をはぐらかし、緑茶を啜りながら李織はカレンダーを見上げた。
――――これからどうしよう、この生活。
李織は昨夜放棄していた問題に向き直る。彼をこのまま自宅に置いておくのはいかがなものか。見知った相手にこんなことが知られたら説明に難儀するのは目に見えている。特に両親にバレるなどもってのほかだ。
いやそもそも説明なんて出来ない。空から三国武将が降ってきて助けてくれたから拾ってきたなどと、いったいどこの誰が信じるのか。
問題は外だけではない。言うまでも無く馬超本人も不穏分子だ。
一緒に居られる時ならまだしも、李織が学校やバイトに出かけている間に何をしでかすやら。
今日は土曜日、一日フリーの貴重な日だ。
今のうちにこの由々しき事態への対策を立てるべきだろう。
早い話、馬超が近くに別居でもしてくれれば全てが解決するのではないか。
自分がそうしたように、どこか近場のアパートなんかに馬超の部屋を――――
(や、無理でしょそれは)
そんな理想的環境を整えようと思うなら、まずは彼が現代における収入源を確保するところから始めなければならない。
そのためには馬超が偽りの身分を手に入れる必要があり、更にそのために現代日本での一般常識を身に付け……
いったい何か月、いや何年かかるのだろう。そんなことに付き合ったら最後、李織はもはや自分の生活どころではなくなりそうだ。
やはり当分は彼を李織の部屋に置いておく方がマシかも知れない。
何か良い打開策が見つかるまでの間、李織は2人分の食費と電気ガス水道代その他諸々を負担することになる訳だが。
「やば。頭痛くなってきた」
「病か?それはいかん。本格化する前に癒しておくべきだ」
ほらこれだ。茶化す意図が皆無なあたりなお質が悪い。
「別にマジで病気って訳じゃないよ。あたし今日一日は基本家にいるから、
馬超さんも適当にゆっくりしといて。隣の物置で」
外出は即ち出費だ。食事の買い物以外はなるべく控え、大人しくしていようと思った李織だが、指示を受けた馬超は急に改まった。
「それはできない。俺にはどうしても為さねばならぬことがある。
ニシキにも協力して貰わねばならない」
「へ?」
「武術に通じ、料理人であり、情報通でもある。
この不可思議な環境で調査を行うには、多芸な君の助力が不可欠なんだ」
「ちょ、ちょっといきなりそんなヨイショされたってねぇ……」
もちろん李織はただの女子高生である。空手は高校に入って以降やってないし、料理らしい料理は全然作っていない。今朝のトーストだって、トースターが焼いた食パンにハムとレタスを乗っけただけだ。ついでに別段情報通という訳でもない。
「だいたい為すべきことって何?」
「ニシキ。昨日は話せていなかったが、俺がこの国に居られるのは七日の間だけなのだ」
李織は聞かされた。本来の馬超は蜀で死ぬ直前で止まっているということ。
そして七日のうちに〝雪魂草〟なる薬草を使った万能の霊薬を服用すれば死病を克服できるということを。
「――――」
「君に何か心当たりは無いだろうか?
そうでなければ在り処を調べるのに力を貸して欲しい」
世界や時代を跨いで迷い込むタイプの話には、この手のガイド役が登場することは決して少なくないと聞く。なんだか本当にその手のフィクションめいてきたが、李織には馬超が嘘を言うタイプには思えなかった。
「そんな改まらなくても……うん。正直言って心当たりは全然無いし、あたしに出来ることなんてあんまりないけど、可能な限りだったら探すの手伝うよ」
霊薬なんて聞いたことも無く、学校もバイトもあるから本当に限られている。
そこさえ分かって貰えるなら、と李織はあっさり引き受けた。
「――――頼み込んでおいて難だが、こんな与太話をすんなり信用するのか君は」
「本当に難だよね。そりゃそうだけどさぁ……」
そもそも馬超と今こうして顔を突き合わせている状況自体が何かの冗談みたいな話なのだ。李織は気を取り直すように軽く息を吸って続ける。
「実際昨日はすごい助かったもん。唐突に謂れのない理不尽に取っ捕まってさ。
偶然とはいえ馬超さんがそこから引っ張り出してくれたの。で、その馬超さんだって死病になったりここに飛ばされたりっていう理不尽に捕まってた。
ある意味似た者同士だと思わない?こんなん聞いちゃったらそりゃ協力しない訳にはいかないよ」
「――――」
要約すれば、ギブアンドテイク。李織からすればそんな単純な話なのだが、
その手を差し伸べるように伝えた姿に何を感じたのか。
猛禽の如き目を僅かに見開き、馬超は再び改まった。
「かたじけない!この地で俺が出来る礼も限られてはいるが、
君が何か壁に直面した際は最善を尽くすと誓おう」
――――“かたじけない”。
現代で大真面目に使われることはないであろうその言葉には、実に真摯な感情が籠っていた。
あまりの真摯さと、仮にも相手の命がかかった問題ゆえに、言われたこちらが気負ってしまいそうになる。
「いや、くどいようだけど本当に見つかるって保証は出来ないからね?
見つからなくても怒らないでよ?」
「心得た。――――で、話に乗って貰ったところで悪いがニシキよ、
厠はどっちだったかな」
「カワヤ……?あー、トイレね。お風呂場の近くにドアあったでしょ?」
おおよその見当はついていたのだろう。
馬超は特に迷う様子も無く部屋を出て行った。
「そりゃ死後の世界って誤解しても無理ないわな……」
李織とて正体が馬超だと分かった時は、てっきり彼が一度死んでから蘇ったものと思っていた。戦に明け暮れた三国武将がその責務から解放されて二度目の生を得る、そんな夢のある話だと。
死にゆく運命を回避できるというのもそれはそれで一大事ではあるのだが、
しきりに蜀へと戻りたがっていた馬超の認識がある意味正しかったとは。
ともあれ、上手く乗り切れるイメージがまるで湧かなかったこの生活は、
どんな結末であれ七日で終わる。
それなら馬超を無理に現代へ適応させる必要性は薄く、雪魂草とかいう薬草についての調査に専念すればいい。そのくらいならまだ希望はある。
でも――――
「七日、かぁ……」
その割に、気の抜けた声しか出て来なかった。
彼のタイムスリップが、思いのほか重い意味を持っていたことに気押されているのだろうか。あるいは、一晩でコレなのだから一週間さえ長すぎると、第六感がそう判断したのかも知れない。
李織がどこか覇気のない自身の溜息に思考を巡らせていたその時――――
「ぐわああああああ!!」
迫真の雄たけびが部屋の空気を震わせた。
命に関わる一撃をその身に受けたかのような叫び。
嫌な予感に突き動かされ、李織は室内を走る。
「何があったの!?馬超さ――――」
「ニシキ危険だ!厠に罠が――――」
――――やられた。
あと七日で死ぬ的な話をされたせいで、つい本気で心配してしまった結果がコレである。
李織が駆けつけたと同時に扉が開き、便器が放つ鋭い噴水の直撃を受けた猛将がバスタオルを外したまま脱出してきた。
「▲+$◆▼@%*#&!!」
気付いた時には、反射的に顔を背けた勢いそのままに背面蹴りを放っていた。
今更ながら、この馬超さんはだいたい概ね正史準拠のつもりですが完全に則っている訳ではありません。
【今回の登場人物】
錦 李織:当たり屋に絡まれたところを馬超に助けられ、
そのまま拾ってしまった高校生。
何かの間違いみたいな状況ゆえに夢の話もすんなり信じた。
ウォッシュレットの説明をしなかったのは痛恨のミス。
馬超 孟起:三国志に出てくる我らが錦馬超。
死ぬ直前で現代に飛ばされた。
馬超視点だと多芸な李織の協力を取り付けるなど幸先が良い。




