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【四之陣】 馬超、白虎の夢を見る

――――


白い大地に横たわる身体を荒涼とした風が撫でている。

懐かしい。益州(えきしゅう)に移り住んでからは久しく浴びていなかった風だ。


馬超(ばちょう)の故郷は涼州(りょうしゅう)で、砂漠に近く寒冷な山地にあった。

生まれたのは長安にほど近い扶風郡(ふふうぐん)茂陵県(もりょうけん)だったが、間もなく父馬騰(ばとう)が反乱鎮圧に駆り出され、一家は漢帝国北西のはずれに位置する涼州に移ったのだ。

貧しい暮らしから一転して漢軍の将に抜擢された父は、その後紆余曲折を経てそのまま涼州を統治する将軍なった。


そうして涼州の地で育った馬超はいま、見慣れた光景の中に寝そべっていた。

低木の茂みに囲まれた雪原。

――――なるほどこれは夢だ。いま自分が涼州に居る訳が無い。

雪の上に寝ているのに背中に冷たさを感じないのはそういうことなんだろう。


さっきから仰いでいる曇天には、雲に混じって懐かしいものが浮かんでは

消えてゆく。

余所には慈悲深く、身内には厳格だった馬騰(ちち)

聡明で行儀の良い馬休、馬鉄(おとうとたち)

最後には袂を分かった韓遂(ぎりのおじ)

戦いの最中で失った妻。

ついにこの手で打ち果たせなかった曹操(そうそう)

こんな自分を大手を振って迎えてくれた劉備(あるじ)

その主の知恵袋にして、色々おかしな諸葛亮(じょうし)


頭の中を一瞬で記憶が駆けていった気がする。

聞いたことがある。

たしか死ぬときに見るというあの――――


「走馬灯、というやつだろうな」


そうそうそれだ。


「……?」


急に軽くなった上体を起こすと、正面で一匹の虎がこちらをじっと見つめている。

こやつが声の主だろうか。


「お前は――――」


黒い縦縞の間は純白。口からはみ出る刀剣じみた牙。

そして背中や四肢で揺らめく青白い炎の如き体毛。


――――たしか子供の頃に聞いたことがあったはずだ。

霊力を持つとされる獣の王がこういう姿をしていると。


西方を司る幻獣・白虎(びゃっこ)

実際にその姿を見た者はいないとされているが、馬超の故郷たる西涼ではとりわけ崇められていた。馬超とて、今まさに目の前と同じ姿で絵に描かれたり、道端に像が置いてあったのをよく目にした記憶がある。


そんな白虎が姿を現せば、それは吉兆と捉えられる場合が多い。

だがこうして対峙した馬超が抱いた印象は100%凶兆だ。

病苦から解放された自分を確実に終わらせるべく現れた死神の類にさえ見える。


「病か。あの暴れ馬が大人しく床について逝くとは、なんとも退屈な幕切れよな」


「――――貴様」


血走った目の馬超が低く唸る。

かつてその蔑称を口にし、断末魔をあげなかった敵兵はいない。


「何者だ。用件はなんだ」


「ぬし等人間が白虎と呼ぶ存在――――とでも名乗るところか。

ぬしとて幼少の頃には我を想像で象ったものを嬉々として眺めておったであろうが。それが今ではしかめっ面で(いぶか)しんでくるときた。些事をいちいち気にするなど、似合わん真似をしおって」


馬超にはネコ類の気持ちなど分からぬ。

そこいらで野良ネコを見かけても、目が合った瞬間すぐに逃げていく。

だが口を閉じたまま抑揚のない声で語りかけてくる白虎の顔が、こちらの困惑を小馬鹿にするような微笑を浮かべているような気がしてならない。


「キバ剥き出しの獣なんぞにゴチャゴチャ言われる筋合いはない。何用だ?」


「察しの悪さを見かねて、こうして説明しに来てやったのではないか。

ぬし、よもや本気で第二の生を授かったなどと悦に浸っていたのではあるまいな?」


「この状況は貴様の仕業か。ならば答えろ。

俺は死んでるのか生きてるのか、結局どっちなのだ!」


馬超は声を荒げて目前の白い獣を問いただす。


「一言で言えば、猶予が与えられたに過ぎん。

生か死かで言うなら、今のぬしは死ぬ間際で止まっているということだ」


「なんだと?」


「本来のぬしは今なお蜀の病室におる。

未練があるというのなら、落ちた先でもう一度万能の霊薬を手に入れてみせよ。

さすればぬしは、蜀で死にかけておるぬしに戻る。それも健康体そのものでな」


さすがは夢の世界である。意味不明な法則に支配されているようだ。

平然と動物相手に言葉を交わしている時点で、自分の頭もどうにかなっているに違いない。


「寝言は寝て言えよこの野獣が。

他人の夢の中に二度も押し掛けるとは図々しいにも程があるぞ。  

第一、俺がいつ万能の霊薬など口にした。」


「寝ているのはぬしであろう。それに、ぬしは確かに口にしたぞ?

我が霊力の籠った“雪魂草(せっこんそう)”の薬だ。

あの諸葛亮(しょかつりょう)という男から受け取って飲んだではないか。」


「――――」


そう言われれば、確かに飲んだ。

馬超は先日、諸葛亮(しょかつりょう) 孔明(こうめい)から彼自身が調合した薬酒を贈られていた。

雪魂草とかいう名前も、話の中にちらと出て来た気がしないでもない。


「そうか。あの薬酒に使われていたんだった……」


孔明は言っていた。古代の伝承にあった万能の霊薬を調合してみたと。

ついでに彼が口走っていたことを思い出す。

死にゆく者が夢の中で薬を飲んで生還したという与太話を。


つまり、李織(いおり)の住む異界に迷い込んだのもこうして白虎と会話しているのも、あの薬酒が引き起こした事態だというのか。


「待て。では諸葛丞相(じょうしょう)はこうなることを予期していたのか?

治る代わりに異界に落ちたりお前が出てくると」


「それはあるまい。あの人間は薬の伝承に賭けたというだけだ。

古代より伝わる万能の霊薬であればぬしの死病もあるいは、とな。」


「ますます分からん。丞相がくれた薬酒は万能の霊薬だったのだろう?

ならば俺はとっくに完治し、軍務に復帰している筈ではないか」


「あの人間がこしらえたモノは不完全だったのだ。

無理も無い。霊薬の調合法は時と共に失われ、もはや断片的なものしか残されておらぬゆえな。

完全な再現に至っておれば、今頃ぬしは五体満足で動いておったであろう。元いた蜀の地で」


「……では丞相の調合した薬は、失敗作だったというのか」


「然り。だが失敗作でありながら、奴の薬は雪魂草に宿る我が霊力をここまで引き出した。治すことこそかなわなんだが、死にゆくぬしを押し留め猶予を与えた。

この効能が切れるまでに、完全なる霊薬を服用するがいい」


馬超は改めて思い知った。

雪魂草とやらも常軌を逸しているが、賭けと言いつつ、それも失敗しておきながらも、こうして望みを繋いでしまうとは。

魔力や神通力の類を持っているのではない。

やったことが結果として神か悪魔の如き所業になってしまう、それが諸葛孔明なのだと。


だがそうなると――――


「ではそもそも、なぜあんな異界に飛ばされる必要がある?

そういうことなら蜀で飲めば済む話であろうに。

諸葛丞相にこのことを伝えれば、今度は完全な万能の霊薬を調合できるのではないか」


二度目の機会を無碍(むげ)にする諸葛孔明ではないと、馬超はそう確信している。

おまけに彼が伝承ある万能の霊薬を調合したという証明にもなる。是非とも教えてやりたい。

だが――――


「それはできん。我が雪魂草はそこいらの草とは違う。数が少ないうえ、種から芽が出るだけで途方もない時が必要なのだ。

章武二年に存在した雪魂草は、ぬしが飲んだ分で尽きた。

ゆえに、再び地上に出現した時代と場所まで飛ばしてやったのだ」


「時代と場所……?」


「安ずるな。本来のぬしは蜀の病室だと言ったであろう。

薬を服用出来れば章武二年まで戻る。最後に眠ったその瞬間にな」


馬超は、このにわかには信じがたい話を事実無根だと一蹴出来なかった。

高位の官史でさえ容易に揃えられないであろう品々を、一介の町娘たる李織が享受していた。

想像もつかないほど豊かかつ異様な庶民の生活。

あれが幾年かの時を隔てた異国の光景だと言われれば、納得いかないこともない。


むしろ馬超としては、別のことこそが気がかりだった。

自分は蜀の病室から今なお一歩も動いていないというが、それにしては実感が伴いすぎている。

あの夕食の味も、湯浴みで使った石鹸なる薬剤の匂いも、そして李織から受けた打撃も、全てがあまりに現実めいていた。


「では一つ聞かせろ。今の俺は発病前と同じようになんともない。

仮に、このままあそこの住人のごとく生き続けたらどうなるのだ?」


「ほう?上辺だけでも平和で充実した世界に骨抜きにでもされたか?」


戯言(ざれごと)を。俺は然るべき戦場に戻り蜀の敵を討つ。それだけだ」


無論、何かを期待しての問いではない。


「冗談の通じぬ奴め。

ぬしがその世に存在できる期限は残り七日。たとえ雪魂草が手に入らずとも、七日目の夜――――ぬしが落とされた時間になれば問答無用で蜀に戻る。無論、その時は蜀の寝台で死に絶えることとなろう。

せいぜい足掻(あが)くが良い」


七日という期限がどの程度厳しい制約かは不明だが、馬超としてもこの状態に長いこと甘んじるのは本意ではない。たとえそこが、どれだけ平和で満ち足りていたとしても。


「いいだろう。せいぜい黙って見ていろ。

俺が死の運命をねじ伏せ蜀に凱旋する様をな」


「その意気だ」


何はともあれ、ようやく事態が飲み込めた。

雪魂草とやらが何処に在るのか知らないが、それを飲めば再び戦えるようになるというのなら文字通り草の根を分けてでも探し出す。最短・最速で事を成し、章武2年の漢中へと舞い戻るだけだ。

劉玄徳の元へ流れ着いてからというもの、未だその厚遇に見合うほどの働きは出来ていないのだから。


「――――草のまま(かじ)っても効果は無いからな?」


「貴様俺を何だと思ってるんだ」


無駄に念を押してきた白い獣を睨みつける。


「暴れ馬」


「よし殺す」


そう馬超が声に出した時、目の前には天井が広がっていた。


【今回の登場人物】


馬超 孟起:三国志に出てくる我らが錦馬超。

     死ぬ直前で現代に飛ばされた。

     とりあえず白虎に言われた通りにする気でいる。


白虎:馬超の夢に出た幻獣。

   彼の状態を解説したが、何処へ飛ばしたのか具体的に言ってなかった。


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