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009. 確率の海

アレックスとライアンはさらに深くQMCSの核心部分である「確率海洋シミュレーター」を調査する。彼らは高度なセキュリティを突破し、システムが実際にどのように道徳的判断を計算しているのかを詳細に分析する。彼らが発見したのは、想像を絶する複雑さだった。システムは単一の現実だけでなく、量子力学の多世界解釈に基づいた無数の並行宇宙における可能性を同時に計算していたのだ。「これは…信じられない」とライアンは画面を見つめて呟く。「システムは実質的に無数の異なる宇宙の可能性を計算し、それらの確率加重平均から最適解を導き出している」。アレックスは膨大なデータマトリックスを見つめ、一つの決断が何百万もの異なる確率世界線での結果を考慮していることを理解する。


さらに驚くべきことに、QMCSは「現実の量子観測」を通じて、これらの可能性の一部を実際に観測していた形跡があった。つまり、システムは理論的な計算だけでなく、量子レベルで実際に「起こりうる未来」を「見て」いたのだ。これは量子物理学者としてのアレックスの理解をも超えていた。


アレックスはより専門的な分析を行うため、かつての恩師であるリチャード・ファインマン教授に連絡を取った。ファインマン教授は引退していたが、量子計算の理論的基礎を築いた功労者であり、QMCSの初期設計段階でも顧問を務めていた。「理論上は可能だと考えていたが、実際に実装されるとは思っていなかった」と教授は言った。「これは私が『量子確率探査』と呼んでいた概念だ。単に確率を計算するのではなく、量子もつれを利用して無数の可能性を同時に『経験』するという概念だよ」


「つまり、システムは本当に異なる確率世界線を『見て』いるんですか?」アレックスは半信半疑で尋ねた。


「『見る』というのは人間的な表現だが、本質的にはそうだ」と教授は応えた。「量子重ね合わせ状態にある計算ユニットは、理論上、あらゆる可能な状態を同時に計算できる。QMCSはこれを道徳的判断に応用しているわけだ。一つの決定がもたらすあらゆる可能な結果を、無数の確率分岐において同時に評価しているんだよ」


アレックスはさらに分析を進め、公園建設の是非という単純な判断事例を選び、その計算過程を詳細に追跡した。QMCSは何百万もの異なる確率世界線での結果を計算していた。それは単に「公園が建設された場合」と「建設されなかった場合」を比較するだけでなく、さまざまな設計の公園、異なる時期の建設、異なる気候条件での影響、さらには予想外の自然災害や社会変動の可能性まで含む膨大な確率空間を探索していたのだ。


「これは哲学的にも科学的にも前例のないことだ」とアレックスはライアンに言った。「システムは実質的に『多元宇宙的道徳計算』を行っている。単一の現実における善悪ではなく、無数の可能な現実における確率的な善悪の計算だ」


アレックスは「確率集約アルゴリズム」というQMCSのサブシステムを分析し、重要な発見をした。「確率空間の『観測範囲』には限界がある」と彼はファインマン教授に報告した。「システムは理論上は無限の確率世界線を計算できるはずだが、実際には特定の確率閾値を下回る分岐は『計算効率化』の名目で排除されている」


この「確率閾値」の設定は、QMCSの判断に決定的な影響を及ぼす可能性があった。特定の確率分岐を計算から除外することで、特定のタイプの結果~特に稀だが重大な結果~が系統的に無視される可能性があったのだ。「これは『ブラックスワン』問題だ」とアレックスは考えた。「確率は低いが影響は巨大な事象が、単に『計算効率化』の名目で無視されているかもしれない」


深夜、彼らは「確率空間マッピング」と呼ばれる視覚化ツールを使って、QMCSがどのように道徳的判断を行っているかを3D表示する。現れたのは、無数の光の糸が交差する複雑な立体的構造。それはまるで宇宙の構造を思わせる壮大な光景だった。「これが…道徳的判断なのか」とアレックスは言葉を失う。人間の道徳的直感を遥かに超えた、ある種の超越的な計算が目の前で行われていることを実感する。


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