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005. 最初の違和感

アレックスのオフィスの壁面スクリーンには、ネオ東京歴史地区再開発計画の詳細が表示されていた。QMCSは先週、この計画を「最適」と判断し、市議会はすでに承認していた。計画によれば、江戸時代から残る浅草地区の一部が解体され、最新の量子エネルギー施設と高効率住宅複合体に置き換えられる予定だった。


「チェン博士、この再開発はHPI(人間の繁栄指数)を地域レベルで15.8%向上させると予測されています」リンがデータを指摘した。「エネルギー効率の向上、住宅不足の緩和、経済活性化の総合効果です」


アレックスは数字を見つめながら、昨日偶然訪れた浅草の風景を思い出していた。古い寺院、伝統的な商店、そこで暮らす人々の表情、それらは単なる非効率な遺物ではなく、何世代にもわたって築かれてきた文化的記憶の一部だった。


「QMCSの計算では文化的価値や歴史的意義はどう評価されているんだい?」アレックスはリンに尋ねた。


リンは別のデータセットを表示した。「文化的価値係数は算入されています。システムは観光価値、歴史教育的重要性、地域アイデンティティなどの要素を数値化しています。それでも総合的に見て、再開発の利益が上回ると判断されました」


アレックスは眉をひそめた。「でも、文化や歴史を本当に数値化できるのだろうか?」


「すべての価値は最終的に数値化できるという前提がQMCSの基本原理ですよね、博士」リンは少し混乱した様子で応じた。


「そうだね...理論上はね」アレックスは窓の外を見た。「リン、今日の午後は予定をキャンセルしてくれないか。個人的に調査したいことがある」


アレックスが浅草に到着したとき、すでに再開発の準備作業が始まっていた。測量チームが古い建物の周囲で作業し、住民たちは不安そうに見守っていた。彼は地元の茶屋に入り、高齢の店主と話を始めた。


「うちは四代続いてるんですよ」老店主の田中さんは静かに語った。「ひいおじいさんが明治時代に始めた店です。QMCSが『移転が最適』って言うから、政府は立ち退き料を払ってくれるそうですが...場所は単なる場所じゃないんです。記憶であり、人生そのものなんです」


田中さんは店内の古い写真や家族の形見を見せてくれた。数字では表現できない価値がそこにはあった。アレックスは他の住民とも話し、彼らの失われる記憶と絆についての話を聞いた。


夕方、アレックスは研究所に戻り、QMCSの判断プロセスのログにアクセスした。浅草再開発計画の決定過程を詳細に調査するためだ。彼は何時間もコードとデータを分析し、夜が更けていくのも気づかなかった。


「おかしいな...」アレックスは独り言を呟いた。QMCSの分析では、浅草の文化的価値は「標準パラメータセット」を使って評価されていた。この標準セットは世界中のあらゆる歴史的地区に一律に適用されていたが、各地域の独自性を適切に反映できているとは思えなかった。


さらに深く掘り下げると、驚くべき発見があった。システムは住民の「主観的愛着」を「非合理的バイアス」として分類し、一定の割合で割り引いていた。つまり、住民たちの故郷への愛着や記憶の価値は、「客観的」判断を妨げる要素として部分的に無視されていたのだ。


「これは想定通りの設計なのか?」アレックスは疑問に思った。確かに開発段階では「客観性の確保」が重視されていたが、人間の主観的経験をここまで軽視することが意図されていたとは思えなかった。


彼はさらにシステムのコアまで遡り、QMCSの基本パラメータを調査した。すると、興味深いパターンが見えてきた。システムは効率性、経済成長、技術革新などの「測定可能な利益」に高い重みづけをする一方、コミュニティの絆、文化的継続性、感情的充足などの「抽象的価値」は相対的に低く評価していた。


「これでは偏った判断になるはずだ」アレックスはマグカップを握りしめた。彼は自分の発見をすぐにナオミに連絡したいと思ったが、一旦冷静になる必要があった。これは単なる技術的な問題なのか、それともQMCSの根本的な設計思想に関わる問題なのか?


夜遅く、アレックスは研究所を後にした。帰り道、彼は再び浅草を通り、静まり返った古い街並みを見つめた。来月には取り壊され、新しい建物が建ち始めるだろう。「最適」という言葉の意味を、彼は改めて問い直していた。


自宅に戻ったアレックスは、就寝前にナオミへのメッセージを書いた:「君の論文についてもっと話し合いたい。QMCSの判断プロセスで気になる点がいくつかある。明日、会えないだろうか?」


送信ボタンを押した瞬間、アレックスは自分が単なる技術的検証を超えた道を歩み始めたことを直感的に理解していた。彼はQMCSという「完璧な判断者」の内部に最初の亀裂を見つけたのかもしれない。。。その違和感は、彼が将来直面することになる数々の発見の始まりに過ぎなかった。

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