004. 疑問の種
「アレックス、久しぶり」
ネオ東京大学のカフェテリアで、ナオミ・タナカが笑顔でアレックスに手を振った。彼女の長い黒髪は白いストランドで束ねられ、鋭い眼差しは10年来の友人であるアレックスを見抜くようだった。量子倫理学が形成される黎明期から、彼らは互いに刺激し合う知的パートナーだった。
「ナオミ、元気だった?」アレックスはコーヒーを手に席に着いた。「論文の反響はどうだい?」
ナオミは最近「量子道徳における不確定性の必要性」という論文を発表し、QMCSのような完全決定論的なシステムに警鐘を鳴らしていた。アレックスはまだ全文を読んでいなかったが、論文がソーシャルメディアで議論を呼んでいることは知っていた。
「予想通り、賛否両論ね」ナオミは微笑んだ。「QMCSの信奉者からは『時代遅れの人間中心主義』と批判されてるわ。でも、批判的思考を大切にする学者からは支持の声も多いのよ」
アレックスはうなずいた。「要点を聞かせてくれないか?」
ナオミは一口お茶を飲んでから話し始めた。「私の主張は単純よ。道徳的判断において不確定性は欠陥ではなく、必要不可欠な要素だということ。QMCSのような完全決定論的システムは、確率計算によって『最適解』を導き出すと主張するけど、それは道徳の本質を誤解しているわ」
「どういう意味で?」アレックスは興味を持って尋ねた。
「道徳とは数学のように単一の正解があるものではないの。それは不確実性の中で判断し、その結果に責任を持つという、人間の条件そのものよ。QMCSは無数の確率世界線を計算して『最適』と思われる判断を導き出すけど、それは道徳から不確実性と個人的責任という核心を取り除いてしまう」
アレックスは少し防御的になった。「でも、QMCSによって多くの人命が救われ、資源の無駄遣いが減り、社会的公正が向上しているのは事実だよ」
「短期的な結果は否定しないわ」ナオミは穏やかに答えた。「でも長期的には、人間の道徳的筋肉が萎縮していくリスクがあると思うの。決断を下す能力は使わなければ衰えていくものよ」
彼らの会話は白熱し、カフェの営業終了時間まで続いた。量子力学の哲学的解釈から現代社会における道徳的自律の意味まで、話題は多岐にわたった。これはアレックスとナオミの間でよくある光景だった。
「論文で引用してる事例を具体的に見せてもらえないかな」アレックスは言った。「特に子供の教育に関する部分に興味がある」
「もちろん」ナオミはデータタブレットを取り出し、画面をアレックスに向けた。「これは最近の小学校での調査結果よ。QMCSが導入された学校では、子供たちの道徳的推論能力が有意に低下しているの。彼らは自分で判断するよりも『QMCSならどう判断するか』を考えるようになっている」
アレックスはデータを確認しながら眉をひそめた。「この調査方法にはバイアスがあるかもしれないね。サンプル数も限られているし」
「もちろん、これだけで結論は出せないわ」ナオミは認めた。「でも、これは氷山の一角に過ぎないと思うの。私が心配しているのは、社会全体が『道徳的アウトソーシング』の状態に陥ることよ」
帰り際、ナオミはアレックスの腕に軽く触れた。「アレックス、あなたはQMCSの開発者として誇りを持つべきよ。素晴らしい技術革新を成し遂げた。でも同時に、システムを批判的に評価できる立場にもいる。あなたの洞察が必要なの」
その夜、アレックスは自宅でナオミの論文を詳しく読んだ。彼女の議論は単なる技術批判ではなく、より深い哲学的問いに根ざしていた。特に印象的だったのは結論部分だった:
「量子倫理システムが提供するのは、無数の確率世界における『最適解』という幻想である。しかし真の道徳とは、不確実性を受け入れ、自らの判断に責任を持ち、時には間違える勇気を持つことにある。完璧な判断者を創造することで、私たちは自らの人間性の重要な側面を失うリスクを負っている」
アレックスはその言葉を何度も読み返した。彼自身、最近のQMCSの判断に疑問を感じる瞬間があったことを思い出した。特に先週の東南アジア医療資源配分の決定は、数字上は最適だったが、なぜか違和感があった。
彼はナオミへのメッセージを書いた:「論文を読んだ。君の視点は重要だし、もっと議論したい。実は最近、いくつかの違和感を感じていることもある。今度、詳しく話そう」
メッセージを送信した後、アレックスは窓の外のネオ東京の夜景を眺めた。QMCSのホログラフィック広告が高層ビルに映し出され、「完璧な判断で、より良い未来を」というスローガンが夜空に輝いていた。ナオミの言葉とそのスローガンの間にある緊張関係が、彼の心に疑問の種を植え付けていた。