妖怪と異世界召喚と妊婦
「なぁ、今日もヨウカイが出たって知ってるか?」
「ふーん、あっそ」
「なに、リヒターは興味ないの?」
「ないない」
「ちぇー」
南門の門番の夜勤は暇である。
仕事といえば、宿を取り損ねて徹夜で歩いて来る旅人のために時々門を開けることぐらいで、あまりにもやることがない。
やることがないのでおっさん2人、今晩も仲良くお喋りにふけっているわけだが、最近はこのヨウカイというのが門番たちの一番の話題の種になっていた。
ヨウカイとは、王室が定期的に行う異世界召喚の儀で召喚された、いわゆる「ハズレ」のことを指している。
異世界召喚とは、国力強化のために異なる世界から戦力となる魔獣を召喚する儀式のことである。
我が国は来る戦争に備え、日々強い魔獣の召喚に邁進しているというわけだ。
しかし、この召喚術というのが非常に難解なもののようで、まれに召喚に失敗することがあるのだという。
召喚の儀をしたのに何も現れないならまだいい方で、体の半分だけが召喚されてしまったり、体は召喚出来たけれど死んでいたり……。
とはいえ、こうした失敗自体は昔からどんな優秀な術師でもよくあることだったらしく、市民がこうした失敗に関心を寄せることは、これまでほとんど無いことだった。
しかし、今の術師様に代替わりして以来、ちょっと事情が変わってきたのだという。
というのも、この術師が召喚を失敗した翌日には必ず城下町で「不可解な事件」が起こるというのだ。
あるはずの物が無くなったなんてのはまだ可愛いもので、昨晩使った風呂の残り湯が茶色く濁ってウジまみれになっていただとか、普通の獣のものとは思えない巨大な齧り跡のついたパンが発見されただとか、ボケ知らずだった婆さんが突然気が触れて全裸になって野山へ駆けていっただとか……
例を上げればキリがないが、原因の解明できないちょっと不気味な事件が起こるようになっていた。
門番は市警を兼ねているため、こうした陳情が一番に入って来る分、話題になることも多かった。
しかし、あまりにも件数が多いので誰かが言い出したのだ。
「術師様は召喚に失敗などしていなくて、目に見えない何かを呼んでしまっているのではないか」と。
だからしばらくは皆、それらをハズレハズレと呼んでいたのだが、異世界文化に造詣の深い連中が「これは異世界の東国に住むという”化け物”に違いない」などと言い出すから、みながバケモノバケモノと呼ぶようになってしまったと言うわけだ。
「それにしても、今朝のはさすがに怖かったなぁ」
「なんだよ」
「リヒターお前、本当に聞いてないのか?」
「今朝は非番だったんだ。うち、嫁が妊婦だからさ、郊外の産婆に経過を見てもらいに行ってたんだ」
「嫁さん順調なのかい?」
「初産だからな。胎動がまだ無いからって緊張しすぎって言われたよ。安定期にも入ったし、今のところ問題ないってさ」
「そうか、よかったよかった。でも、今日は居なくて正解だったと思うぞ。さすがの俺も肝を冷やしたからな」
「お前が事件に対応したのか!?」
「あぁ。現場を追っていくうちに俺も聞いたんだ。あの声を」
「声?」
思い起こす限り、これまでのバケモノのウワサに声を発するものなどなかったはずだ。
ヨウカイには興味がないといつも話題を突っぱねていたリヒターが、テーブルにもたれるような格好で、すこしだけ前のめりになる。
「朝一で煙突掃除をしていた布団屋の息子が最初に気づいたんだ。煙突の中から声がするってな」
「はぁ?」
「信じてないな?」
「屋根に誰かいただけだろ?」
「違う違う!俺が確認したんだから間違いない!」
「……余計疑わしいな」
「まぁ聞けよ。で、その噂を聞いた北隣の染屋の爺が自分の家の暖炉に耳をつけると、確かに声がしたって言うんだ」
「あの爺は耄碌しかけだろ?」
「それを聞いて飛んできた息子夫婦も確かに聞いたって言うんだ。うわごとみたいに同じ言葉を何度も何度も……」
「ふーん。で、そいつはなんて言ってんだ?」
「聞いた連中もみんなそれが分かんなくてよ。聞こえたヤツらがみんな広場に集まって、言葉の意味を考えてたんだが、よくわかんなくてな」
「みんなで考えても収穫なしか」
「あぁ。声のする暖炉が北に北にって移って行ってるのは分かったんだが、それ以上の情報はナシ。声の主も煙突が反響するせいで男か女かすら分かんない感じだったし……」
ヨウカイの噂は市井でもすでに大人気だったようで、あれよあれよという間に広場に人が集まり、収拾がつかなくなっていったらしい。
「で、ひとまずは”ド・ゴーニ・アルノウン”とか”ド・ゴーニャ・アルノウン”とか言ってたっぽいって話でまとまったんだ……」
「さっぱり意味不明だな」
「で、誰かが言ったんだよ「妖怪は異国から来たんだから、意味が分からなくて当然だ」って。で、昼勤だったここの門番が異世界書物の収集家だったから、最後はみーんなでここに集まってもう大騒ぎよ!はっはっは!」
「おいおい……」
夜勤で南門に向かうときにやけにすれ違う人が多いと思ったら、みんなその時間まで南門にいたらしい。どうりで宿直室がいつもより汚い訳だ。
それに、なにやら見たことのない装丁の本が大量に置かれているが、これもその時に使ったものなのだろう。
「で?意味は分かったのか?」
「あぁ、北の集落の端まで声のする煙突を追ってた連中も合流したころにようやくな。どうやらそいつ、何かを探しているみたいなんだ。「ドコニアルノ」って言いながらな」
「はぁ?何かってなんだよ」
「さぁな。俺達もそれが分かんなくて解散したんだ!ハハハッ!」
「クソ、もしかしてこの話、オチなしか?」
「そういうこと!おっと、交代が来たようだぜ!」
気づけば交代の門兵が宿所の坂を上っているところだった。
日が昇り始める前に坂を下りきれば、少し先の足場の悪い川沿いの道を通る時に山間の朝日を受けながら歩けるのだ。
「俺は眠いんで先に行くぜ!じゃ、お先!」
「おう」
さっきまで噂話にふけっていた男はあっさりとよもやまな話を切り上げて去っていく。
「俺も行くか……」
リヒターも急いで山を下りようとドアに手をかけたが、なにかが気になって振り返った。
目線の先にあるのは、例の本の山だ。
なぜそんなものが気になったのか。
そもそもリヒターは、日ごろからヨウカイ話にあまり関心がない。
それなのに、なぜか今。
それを手に取らなければならない衝動に猛烈に駆られていた。
ーーーーーえ?なにか言った?
昼間の妻との会話がよみがえる。
産科で触診を受けながら暖炉にあたっていた妻が、衝立越しに放った言葉だ。
何も言っていないのに妻が急にそんなことを言うから、不思議に思った覚えがある。
何も言っていないと返した言葉に、妻はなんと言っただろうか……
自然と動悸が早くなる。
自分の呼吸が浅くなっていくのを止めることができない。
ーリヒターの脳裏には、どういうわけか、実家に伝わる古い伝承が浮かんでいた。
リヒターの家系は、何代も前に召喚術師を輩出したことがある。それが一族の自慢だった。
王宮に召し上げられ、大層重用されたと聞いているが、やはり「失敗」はあったのだという。
しかし、世間ではその術師は失敗の無い術師として知られていた。
それはなぜか。
そう、術師が秘密裏に失敗作を家に持ち帰っていたからだ。
我が家には本家の住む本邸の他に多くの別館を持っている。
それらはすべて、その術師が宮仕えで得た資金で建てられたものだと聞く。
術師はそうして建てた家の内のどこかに、失敗作たちを封じていたとされている。
しかし、子供の頃いとこたちと別荘中を探し回ったが、そんなものはどこにもなかった。
だからそんな伝承は嘘だと鼻で笑っていた。
内心では召喚の事自体も……
ー今の家を気に入ったのは妻だった。
大叔父が生前まで避暑地として使っていた別荘を、景色を気に入ったと言って選んだ彼女が、入居当時上機嫌で家中の掃除をしていたのを思い出す。
避暑地としてしか使われてなかったせいで寒さ対策が杜撰で、秋ごろになってあわてて家のあらゆる隙間にパテを塗って隙間風対策をした。
避暑用だからか、暖炉も全く使われないまま塞がれていて……
そう、煤すらついていない新品のまま寂れたかのようなあの暖炉。
煤もないのに蓋の奥に燃えカスが残っていて、妻と2人で首を傾げたんだっけ?
子供の頃もあの暖炉を探したのだろうか。
いや、あの暖炉のあるリビングでみんなでナシを食べただけだ。
隠されているなんて聞いていたから、誰もかれも人の多いリビングを探しすらしなかった。
「やっぱり何もいなかったな」なんて言いながら、暖炉の目の前で梨を食べただけだ。
あの燃えかすは一体なんだったのだろうか。
そういえば、彼女が懐妊したのも、あの暖炉の燃え殻を片付けたすぐ後だったっけ。
無意識に異界語の辞書をめくっていた手が止まる。
彼女の昼間の言葉の続きを思い出す。
まるで聞き慣れない呪詛のような言葉だった。
そう……
ーーーーー彼女は膨らみ始めたお腹を撫でながら言ったはずだ……
「『カラダアッタ』って何?」と。
彼女が初めて胎動を感じたのはその直後だった。