勘違いしないでくれ、悪いお化けじゃないんだ。
「2番線 列車は快速 中野行きです」
最近の電車は車内にデジタル画面があり、そこに到着駅などの情報が記される。遠出をする時頼りになるだけでなく、暇つぶしにもちょうど良かったりする。
「あっ、次で降りるんだ」
foo!そこのねーちゃんは北町民でしたかデュフフフ・・・。
車内の雰囲気に不審な点はない。強いて言えば、俺に対して不審な目を向ける老婆が一人いるくらいだ。
俺は老婆に向けて手を振ってみたり、ちょっと歯を見せて笑ってみたりした。老婆は一層怪訝そうに眉をひそめて、俺を睨んでいる。
俺の隣の席におじさんが座ると、老婆は視線を逸らした。おいおい、そんなに俺に惚れ込んだのか?困るぜー。俺にそんな趣味はないんだよなぁ。
ところで、ここまで読んでいる人はもうお気づきだろうが、俺は車内に取り憑いてしまった亡霊である。老婆は多分俺が見えていて、亡霊が恐ろしげに佇んでいるように見えたのだろう。
残念ながら、そうでもない。俺は、悪い亡霊ではないので、こういった視線を向けられたらとりあえず陽気に返すようにしているのだ。
「この電車、出るんだってー」
「マジで?ヤバー」
女子高生が噂話しながら椅子に座る。俺の上に座るなんてわかってんねぇ!
その様に気づいて、向かいの老婆が目を見開く。俺は女子高生の頭の上から顔を出し入れして、変顔を老婆に披露する。老婆がみるみる青ざめ、身を震わせる。
「だ、大丈夫ですか!お婆さん!」
「車掌さん呼んで!」
隣席にいた大学生たちが老婆を介助する。いや、大丈夫だって、俺にビビってるだけだからさ・・・。
大学生の一人に呼ばれた車掌が現れると、彼は老婆の肩を叩き、容態を確認する。老婆は目を擦り、うんうんと頷きながら何かを話している。
車掌の視線が女子高生の方を見る。俺の耳元で「え、なに?」「やばい?」と囁き合う声がする。
若い声ってええなぁ。おじさん享年37だからさぁ、女子高生に耳元で囁かれることなんてないんよ。ええわぁ・・・。
車掌が顔を引っ込めた俺に近づいてくる。女子高生が顔を引き攣らせた。
「申し訳ありません、男性のお連れの方などはいらっしゃいますか?」
「え?いや、いませんけど・・・」
残念!ここにいまーす!はい、はぁい!オレオレ!おばあちゃん見てるぅ〜?
俺は車掌の顔を砕く勢いで立ち上がった。すると、老婆が悲鳴をあげて仰け反る。大学生たちが頭を窓に打ち付けないように手で支えてやり、俺の方を睨んだ。
「これ、出るって噂・・・」
「えっ、嘘!今!?日中なのに?」
「おばあちゃんが呼び寄せたのかも・・・」
口々に様々な噂が飛び交い始める。
「あれじゃない?笑ってるおじさんの霊」
そうです。俺が笑ってるおじさんです。
「時々荷物置きの上で寝てるらしい・・・」
一度やってみたかったんだよねぇー。寝にくいからもう絶対やらないけど。
「時々女子高生の匂いを嗅いでる・・・」
きっっしょ!そいつ絶対俺じゃないわ!ふざけんな誰だそんな噂流したやつ!顔出して遊んだりはするけど!
車掌が女子高生を空いている席に移す。そして、微かな温もりの残る座席の上に座り込むと、大きなため息をついて俺を睨んだ。
「お前ふざけんなよマジで・・・」
「ごめんて」
「俺も長いこといるから知ってるけどさぁ・・・。お前があんまりふざけてると噂が広がって霊媒師とか来るんだわ。その度にどんだけ苦労してるかわかってる?」
「はい、わかってます。すいません。マジで」
「頼むわ。ほんと、いい加減成仏するか大人しくするかしてくれ?な?」
ちなみに、霊媒師が来ると、俺のいない方向に凄い念仏を唱えて滅茶苦茶面白いので、俺は向かいの座席で手を叩いて笑っている。こいつはそういう俺をめっちゃ睨んでくる。
「お前が女子高生の体にまとわりついたって噂流しとくわ」
「は?お前かよ噂流したやつ!!祟るぞ!」
車掌が周りに聞こえるように声を上げる。先ほどの女子高生が甲高い声をあげて叫んだ。周囲の視線が別の意味で恐怖を帯び始める。俺は思わず立ち上がり、車掌の顎を突き抜けて叫んだ。
「いや、違うんです!信じて女の子たち!」
「違わなーい、バーカ、バーカ」
車掌はそう言いながら、腕時計を振って俺の体を貫通させる。それは合図で、俺はそれに合わせて身を歪ませて避けた。
「・・・ほんとしぶとい霊ですわ。ま、実害はないので、安心して下さい。あとでもう一回きつく叱っときますんで」
いやいや、俺はここに住んでますから?別に実害があろうがなかろうが叱られようが構わんのですけど?ただ、変な噂が広がると困るんですよね。だって、皆も自分に関わる妙な噂が広がるとその場にいづらくなるじゃないですか。つまりは家で居心地が悪いっていう最悪なことで、ほら、今なんて、女性の乗客の目線が滅茶苦茶痛いんですよ。車掌は俺を霧散させると、とっとと別車両へと移動してしまった。
仕方がないので、その日は終電まで大人しくしていることにした。
深夜、俺を乗せた終電が駅のホームへと戻ってくる。俺は姿かたちを元に戻して、座席に腰かけて大きな欠伸をした。
深夜の車窓には電灯の明かりが届く。ちらちらと舞う埃が白く瞬き、三号車から真っすぐに伸びたライトの光と交わる。
ばあちゃんのせいで退屈な一日だったぜ。
「乗客のせいにすんな」
ライトの白い明かりを、先頭車両まで運んできた車掌が、俺の隣に座る。不躾に俺の膝の上にライトを置き(すり抜けるのだが)、乗降口の上部にある画面のあたりを見上げた。
中野駅への到着を示す電光掲示板の電源が落ちる。車内に残った僅かな光は消え、埃に色を挿すのは車掌の持ち込んだライトと電灯だけになった。
車掌は煙草代わりの棒付きキャンディーの包装を剥き、歯の上を滑らせて舐め始めた。からからと音を立てるのを聞きながら、再び大きな欠伸をした。
「・・・お前さぁ、変な噂流すんじゃねーぞ。これ以上ねーちゃんが来なくなったら、俺の数少ない楽しみがなくなるじゃねーか」
「じゃあ変なことはやめるこったな。俺はそれでも困らねーし」
車掌はソーダ味の飴玉が少し沁みたようで、一度口の中から飴を出すと、奥歯を舌で撫でて、再び飴を咥えた。
その様子を、じっとりとした目で眺める。制帽の下にある虚ろな瞳が、こちらを覗き込んだ。
「お前、また歯磨かずに寝落ちしただろ。虫歯になるぞ?」
「うっせ・・・」
「見ろよ俺の歯。青いくらい真っ白だぜ?」
俺は歯を剥き出しにして晒す。車掌はポケットの中にある飴のストックを、俺の綺麗な歯に押し当て、気だるげに笑う。
「歯の仕事はしねーけどな」
「言っとけ。戯事はいいんだよ。とにかく、俺の変な噂流すなよ!なんかフローラルな香りがするとか、そういうねーちゃんが寄ってきそうな噂流せよ!」
「嘘は流さねーよ。じゃあな」
車掌はそう言って立ち上がる。ライトを持ち上げると、座席の上に転がる棒付き飴が席の上を少し転がった。
2番線、中野駅着の快速列車で幽霊が出たという噂は、ホームで人身事故が起こった時から始まった。ある日、運転手交代をするために、二人の乗員が駅で待っていると、到着の直前、突然の立ち眩みを起こして線路に落ちてしまったという。その時、彼を助けた運転手が、ホームに転落してしまう。電車はゆっくりと減速してこの運転手を轢き殺し、停車位置で綺麗に停車した。
その亡霊が、その列車には出るのだという噂が俄かに流れ出す。恨み辛みはない霊で、先頭車両でのんびり過ごしているのだという。
そういう噂が立って、俺は元の姿形でこの車両に現れることができるようになった。それが最期の光景だったからか、疲れ果ててやつれたあの車掌が、駅の線路に転がり落ちる姿を、俺の目玉はよく覚えている。
飴玉を持ち上げようと、棒に手を触れる。俺の手はすり抜けて、座席のシートを突き抜けた。
「酒とたばこ以外の趣味はできたんだろうな?あの野郎・・・」
車両は整備室へと移動を開始する。忘れ物の傘と俺を乗せて。




