だから……君はもういいの
「ねえ、ちび。山口が自分を潰したって言っているけど?ちび?」
「潰すなんて人聞きの悪い。蒼煌の命を助けるために良純さんが完全に全てを薙ぎ払う経を上げてくれただけですよ。」
車の中からも見えたが、それは破壊神のような薙ぎ払い方だった。
錦織興産の十二階建ての巨大ビルは、呪いの黒い蔦が覆うように這いめぐり、所々に怨嗟を呟く被害者達の顔が花か果実かのように蔦に下がっていた。
それらが十階で起こった衝撃波によって、次々と粉砕されて砕け散っていったのだ。
なんて恐ろしいことよ。
薄いガラスが割れるようなカシャーンという心地よい音が連続して響いているなか、僕は車内から見通して、彼の経が蒼煌を通してマンションの仕掛まで壊した事を知った。
あの日の車の中での密談。
刑事で僕の恋人の山口が僕を人殺しにしたくないからと蒼煌に訴えれば、蒼煌は良純和尚の祓える力を疑わないどころか、自ら彼に助けを求めると僕達は踏んだのだ。
死ぬぐらいなら敵に寝返るだろうと。
蒼煌達の誤算は、呪いと一緒に最後の能力の一滴までも、良純和尚に祓われるとは考えていなかったことだ。
僕は建物傍に駐車された良純和尚の車の中で祝詞を唱えていた。
大祓は長くて疲れたが、蒼煌の罪と罪を犯す元になった能力を、彼の体から根こそぎ分離させるには必要だった。
「でも、だからって俺の力まで奪う事はなかったじゃないか。」
え?確かに山口を蒼煌の所に向かわせるために騙した格好になったけれど、能力は奪っていないはずだけど?奪った?僕は良純和尚に振り返った。
「俺にはよ、お前らみたいな力が無いからわかるわけがないだろ。玄人に頼まれた通りに、あの場所で思いっきり読経しただけだしねぇ。」
物凄くニヤニヤしている。
奪えるか判らないがチャレンジしてみた模様だ。
新車にゲロ臭を付けられた恨みをここに持ってくるとは流石の鬼だ。
彼はたぶん嫌がらせで山口を攻撃しただけだろう。
僕が見るに、山口の能力は良純和尚の経を浴びたショックで力が眠ってしまっただけのような気がする。
でも、溜まった滓も綺麗になくなっていた。
あぁ、淀みじゃない。
彼が吸いこんでいた僕自身の力の一部が彼に貼り付いていたのだ。
だから彼は僕に触れなくても、僕が見える様に見えてしまっていただけなのか。
彼に余計な苦しみを与えていたのは僕のせいなのだ。
「僕は良純さんが力を奪っちゃうとは思っていなかったけれど、淳平君は力があったほうが良かったの?君は力によって苦しんでばかりじゃないか。」
「クロトこそ、その力で苦しんでいるだろう?俺が力を失ったら先に逝く君をどうやって慰めればいい?どうやって愛すればいい?」
彼は知っていたのだ。
やはり分かっていたのだ、何もかも。
そして僕が一人で死者の国に取り残されても、彼は僕を見つけて愛し続けるつもりだったのだ。
それならば僕は、彼自身の力を眠らせたままにしておきたい。
「おい、ちょ、ちょっと山口。お前は何を言っているの。」
慌てるような怒ったような声で、楊が山口に制止の声をあげた。
「ちょっと、百目鬼。お前もなんか言えよ。否定しろよ。ちびが早死にすんの前提で話すのやめてよ。それも本人を目の前でよ。」
僕は楊の気持ちが本当に嬉しい。
でも、まずは山口だ。
「大丈夫、もう大丈夫なんです。」
「大丈夫って、何が!」
山口の猫の様な瞳は煌めいて、僕がずっと見つめられていたいと思うぐらいに、とてもとても綺麗だ。
緑色が散っている不思議な褐色の瞳は潤んでいて、それはきっと彼が僕の不幸ばかりを考えて、僕を思って泣いていたからであろう。
僕が誰にも気付かれずに、誰もいない死者の国にいる姿を思い浮かべて、自分が力を失ったせいで僕を孤独に追いやることになってしまったと。
僕という存在が山口こそ孤独の世界に追いやってしまうことになるのだろうと、僕はようやくに気が付き、胸がきゅうと苦しくなった。
「約束してくれたんです、良純さんが。僕を必ず一緒の所に連れて行ってくれるって。だから、僕は早く死んだって良い。みんなと同じところに逝けるのならば、僕は少しくらい一人でも平気です。淳平君が傍にいなくても、淳平君が僕を見つけられなくても大丈夫なんです。」
「だから、俺は、俺は、君にはいらなくなった?……君には、俺はもうどうでもいいんだね。」
彼は居間を飛び出しただけでなく玄関へと向かい、そして、大きな音を立ててこの家から出て行った。
僕の世界から完全に彼は去ったのだ。
これで良いのだ。
死んだ僕の姿を見続けて生き続ける、そんな死の国に僕は君を残したくない。
君は僕の悲しみを全部受け取って、潰れて、死んでしまうだろう。
君を楽にする事は何も出来ないのに、死んだ僕は君を殺す事だけはできる。




