あの子に性欲なんか無い
「山口よりもご飯って、ちびはどういうことなの。山口が料理教えて下さいってウザイの。家に帰った時ぐらいダラダラしたいでしょ。せっかくの休みにエプロンつけて、どうして二十代後半の男に料理教室をしてやらなきゃいけないのさ。」
開口一番に楊が俺に不満をぶちまけてきた。
先日の「ご飯」事件から山口が花嫁修業を始めたらしい。
本当に馬鹿な男だ。
「ねぇ、百目鬼。聞いているの?ちびってさ、薄情なところあるよね。お前が行方不明の時もお前の心配よりも自分のご飯の心配だったしさ。恋人よりもご飯って、あの子はどれだけ食欲魔人だっての。」
俺と玄人の離間作戦か、わざわざ昔の事を引き出してきた。
楊にとって山口は相棒の秘蔵っ子でもあるので、可愛い後輩どころか弟同然に目をかけているのだ。
相棒が楊の自宅に同居していた関係で山口も楊宅の居候となったのだが、当の相棒は山口を楊に押し付けて新婚生活を堪能中である。
「性欲が出る前に去勢された犬猫と一緒だろ、クロは。山口はやりたい盛りかもしれないがね、クロは性欲が湧かないんだ。その代わりの食欲なんだから仕方ないだろ。」
楊は驚くかと思ったが、彼は鼻を鳴らしただけだ。
「気づいていたのか。」
「気づくも何も、あの子はずっと言っていただろ。僕の体は小学生の時から成長していませんってさ。だからさ、精通も無いだろう事は薄々ね。それでもさ、心に性欲は湧くだろう。好きな相手が出来たらさ、性行為も解らない幼稚園児でも抱き合っているじゃないか。」
楊は山口を愛していると言いながら、全く山口に何の感慨も湧かない玄人が不思議であっただけらしい。
「ご飯ご飯って、本当は山口には気持ちが無いのかねぇ。」
「いいじゃないか。恋に恋するって餓鬼の発達過程の一つだろ。あいつはさ、ようやく一歩成長できたのさ。そしてね、親に虐待されて精神を病んで食欲も湧かなかった分、安全で健康になった今は、その反動でご飯ご飯なんだよ。」
「そうか。」
落ちている生き物は何でも拾ってしまう楊は、俺の言葉によって自分の軽口で玄人を傷つけた可能性を思ったか、急にがっくりと頭を垂れて沈み始めた。
楊は他人に共感しすぎるのである。
俺と玄人が他者への共感力が全く無い事と反対に、共感力の高い彼はあらゆる人間の悩みや気持ちまでも抱え込み、そして、自分の言葉や振る舞いが相手を傷つけていないか常に気にしているという有様だ。
だからこそストーカー一族を振り払うことも出来ず、さらには、誰に対しても明るく楽しい「かわちゃん」を振舞うのである。
彼が俺や玄人を大事に思うのは、俺達に共感力が無いこそかもしれないと時々思う。
楊がどんなに落ち込んでも、俺も玄人も彼を思いやってもそのことで一緒に落ち込んだりはしない。
逆に面倒くさい奴だと楊を足蹴にするかもしれない。
彼は自分を出せるのは俺達だけ、否、俺よりも脆弱な玄人には親鳥のような楊だ、きっと俺だけに対しては自分を出しているはずだ。
しかし、そこで俺の脳裏に思い出したくもない男の顔が再び浮かんだ。
髙悠介警部補だ。
楊と同じ身長に肉付きでありながら、楊と反対に一重の貧相な顔立ちの男だ。
元公安という出身のせいか、奴は「可哀想好き」というろくでもない性質を持っているのである。
髙の可哀想好きは凶悪な性癖だと俺は思う。
可哀想度と好感度が比例どころか同じ一本の線グラフであるらしく、可哀想な人間ほど彼の中では好感度の高い人物となるようなのだ。
よって、楊がどんな泣き言を言おうとも、同調して楊を哀れに思うよりも楊への好感度のみが高まると考えれば、楊はいくらでも髙に弱音を吐けるのではないのだろうか。
だがそこで落ち込む楊に対して喜色満面の髙を想像してしまい、俺は無いはずの同情心が楊へと沸き立った。
それどころか、さらには楊への好感度までもがいつもよりも高まっている事に気付いてしまったのである。
俺は人でなしの髙と同一になるものかと考え直し、目の前で玄人を傷つけたのではと落ち込む楊に対して玄人が彼の軽口によって傷ついてはいないことを伝えようとした。
しかし俺が楊に声をかける前に、俺を罵倒する大声が俺達のいる小部屋に響き渡った。
「それじゃあ、クロトと僕は一生次の段階に進めないじゃないですか。わかっていてこのルールですか?百目鬼さんは酷い!」
小うるさい山口が俺と楊に割り込んできたのである。




