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こんな感じで決別しちゃったの

 リビングに響き渡った世界で一番素晴らしいバリトン。

 その声の持ち主は、僕の父親となったばかりの良純和尚その人である。


 色素が薄い瞳を金色に煌めかせて朗らかに笑い転げる彼は、高い頬骨と切れ長の奥二重の目が貴族的としか言いようのない端正な顔立ちを作っていて、通りすがった人の足を止める程の美しき人、でもある。

 肉体だって最高だ。

 身長一八〇を超える身長にはダンサーの様なしなやかな筋肉がついていて、まるで神様のように神々しいのだ。

 僧侶だけれども。

 そんな彼は素晴らしい声帯を持ち、人を魅了する声と心胆を寒からしめる声を使い分けて人を操れるという、現世のメフィストフェレスなのかもしれない。


「ああ、本当にいい声だよね。良純さんは!」


 いつもだったら山口は僕に同意してくれるはずだが、僕をキッと睨むと座っていたソファを蹴るようにして立ち上がった。


「仕事に戻ります!」


 そう宣言した彼は、長い足を数歩も動かさずに部屋を横切って部屋を出て行ってしまった。

 僕に振り向きもせずに。


「僕は何か間違った事を言いました?」


 僕はなぜあのように山口が怒るのか理解できないので博識な良純和尚に尋ねたが、彼は答えるどころか彼が座っているダイニングのスツールの背にしがみ付くと一層に声をあげて大笑いをするだけだ。


「そりゃあ、ご飯と自分を比べられて、悩みもせずにご飯を取られたら普通は怒るよ。笑われた自分を慰めてもくれないしさ。」


 呆れたように僕の質問に答えてくれた男は、この家の持ち主にして近くにある相模原東署という警察署の警部でもある。

 良純和尚の親友でもあり同い年の彼は「特定犯罪対策課」、通称で特対課とくたいかと呼ばれている新設された課の課長であるのだ。


 彼の名前はかわやなぎ勝利まさとし


 俳優顔負けの美男子で、前髪を上げた短い癖のある髪は所々ツンツンとして悪戯っ子の雰囲気を醸し、印象的な彫の深い二重が人懐こく微笑めばどんな人も魅了できるだろう。

 彼に魅了されたが故に彼を十二歳の頃から一途に想い続け、とうとう婚約まで漕ぎ着けた少女だっている。


 彼女は自分が十八歳になった日から「初体験」を楊に強請っているが、楊はそれから一途に尻尾を巻いて逃げだしているという情けない大人である。

 妹か子供にしか見えない女の子を傷つけたくない思いがあったとしても、彼女の願うままに振る舞い婚約までした彼が一番悪いのだ。


 けれども、それが楊なのである。

 彼は落ちている哀れな生き物は必ず拾ってしまうという、そんな菩薩の様な男なのだ。


 優しすぎる楊は、僕の大事なモルモット用の別宅を彼のリビングに勝手に設置しても怒らないどころか、いつ僕がアンズちゃんを連れてきてもいいようにケージを片付けないでいてくれる。


 そんな風に優しすぎる男であるためか、楊はストーカーばかりを惹きつける。

 まず、婚約者は楊を隠し撮りした写真を部屋の壁中に貼りめぐらし、さらには警察庁の偉い父親を使って勝手に楊の所在を追うほどの病的に近いほどのストーカーなのである。

 次に、彼女の祖母である松野葉子は、元検事長で現マツノグループの総裁という地位と財力で、彼が相模原東署に左遷されると、横浜市の山手から署の傍に豪邸を建てて引っ越してきたというストーカーの女王様なのだ。


 そんな苦労人で心優しい彼は僕を「ちび」と呼び、事件に巻き込まれるばかりの僕に心を砕いてくれる恩義のある人だが、人間、言うべき事は言わねばいけない時もある。


「何を言っているのですか。ご飯は大事ですよ。人間死ぬまで一日三回しかご飯を食べれないのですよ。一年三六五日で一〇九五回。そこに寿命年数をかけたら、たった一回でも不味いもの食べたら悲しいじゃないですか。特に僕は良純さんに出会う二十歳の九月まで、いいえ、居候させてもらう十一月までは、美味しい物がコンスタントに食べれなかったので、そこは、凄く、重要です。譲れません。」


 僕の宣言に良純和尚は声が出ないほど笑い転げていたが、楊は僕を見つめる目が凄く切なそうになってしまった。

 そして、彼がポツリと言った言葉で、僕は山口を失ったんだと気が付いた。


「お前の事は解っているよ。でもさ、山口を恋人だとお前は思っているんならさ、それでもご飯よりも恋人を選んで欲しいなって、ね。そういうものでしょう。」


 僕はこの先の人生から、ご飯のために山口を除外する、と山口に言ったと同じなのだそうだ。

 けれども、何度も思い出して考え直してみても、やはり僕が選ぶのは絶対にご飯だ。


「そうでしょう?」


 僕は友人である佐藤と水野に聞き返した。

 彼女達の笑顔は固まり、うーんと呻いた。

 つまり、二人とも腕を組んで悩み始めたのである。

 うん、違うと彼女達だって即答できないのだから、僕の選んだ道は正しい、はず。

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