プロローグ
「俊明さん。あの男は何者ですか?」
俺が尋ねると、俺の父となったばかりの男は、俺が尋ねた原因となった男へと視線を動かし、鼻の付け根に皺を寄せた。
目黒川を挟んだあっちとこっち。
花見客でにぎわう川沿いだが、俊明和尚は俺が尋ねた男について、すぐにどの男であるのか気が付いたようである。
彼があからさまに表情に出すなどと珍しい事もあるものだ、俺は素直にそう思った。
常に笑顔で人を喰ったような男である俊明和尚が、嫌悪感を俺の前で出したことはないどころか、初めてと言っていいほどに嫌そうな顔を俺に見せてきたのである。
「あの?」
「良純、そこには何もいないよ。何もいやしない。」
俺は再び視線を動かした。
俺達、いや、俺こそをひねり殺したいと殺気を込めて睨む男は生きている男で、俺が幽霊などというものをはっきりと見ている訳ではない。
「俺があれを消してきましょうか?」
「全く君は!違う。そうじゃない。私はあれをいないものとして考えている。存在さえも認めないなど、人の風上にも置けないような残酷な行為をしているだろうが、私はどうしてもあれを許せない。だからね、良純。君にもあれがこの世にいないものとして、振舞って欲しい。いない人間に悪意などいつまでも抱いていられない。ああ、私はね、あれに自分の意識のほんの一瞬も掛けたくは無いと考えているんだよ。」
俺は、わかりましたと彼に答えた。
そしてその後は何度かその男が俺に纏わりついて来たが、俺はその男がそこにいないものとして過ごして来た。
いるものとすれば、俺がひねりつぶしてやれるものを。
ひねりつぶしておけば、人を雇って我が家を放火など考えもしないことだっただろうに。
「ひどいですね。火を点けようとするだけでも酷いのに、生ゴミを放り込んでそのままなんて、本当に酷い!」
俺は横に立つ自分の子供を見下ろした。
俊明和尚は数年前にあの世に旅立ち、その代わりのようにして鬱だった少年が俺の手元に落ちてきたのである。
俺は子供と言っても成人している青年の肩に、彼を宥めるようにして腕を回した。
華奢すぎて、儚いと思ってしまう彼の肩だった。
「捨てて良いですか!元あった場所に投げ返していいですか!」
華奢な青年は意外とキンキン声で意味の分からないことを叫び出した。
「投げ返すって、塀の向こうにゴミを投げたら、近隣の怖いババア達に俺が殺されるだろうが!ちょっとは考えてものを言え。」
そして俺はゴミを見返して溜息を吐いた。
我が家を放火しようとしたそいつは、我が家を燃やすための松明を庭に投げ込む前に、ゴミ集積場にあったゴミを先に庭に投げ込んで来たのである。
無論、本命だろう松明を投げ込むこと、は奴にはできなかった。
我が家には、信じたくもないが番犬として優秀らしい幽霊犬がいるのである。
しかし、少しだけその犬は間抜けというか、前世が警察官だったためなのか、犯罪準備段階で敵を確保してくれなかったのである。
よって、ゴミの不法投棄という犯罪行為は、我が家に行われてしまった。
「明日にはゴミの焼却場に持っていくから大丈夫だよ。」
「ええ~面倒ですよ。元あった所に僕が返します。大丈夫です!」
俺の子供は、子供と言っていいほどの子供みたいな雄たけびを上げると、そりゃっという意外と爺臭い掛け声を上げながら両手を上にあげた。
「うぉ!まじかよ!」
俺の目の前からゴミが消えた。
そういえば、俺の息子は呪われた家の当主であり、オコジョ使いという非常識な飯綱使いという存在でもあった。
彼は腰に手を当てて、少々俺がムカつく様な笑顔を俺に見せつけた。
「ゴミはあった所にさようなら、です。」
「きゃあああ!部屋に部屋に!」
「うわああああ!なんだこれはああ!」
「誰がこんな酷い事を~!」
「ゆるせない~!」
我が家周辺の四軒で同時に起きた悲鳴に、俺は頭を抱えるしかなかった。
余計な事をした本人は、自分の成した事に今ようやく、何をしてしまったのか気が付いたらしい。
だからさ、ゴミ集積場にあったゴミを俺の家の庭に投げ込んだのならば、それはこのご近所さんの家のゴミであるのが確実なんだよ?
彼女達が出したごみが、俺達の留守の間の一週間ぐらい我が家の庭で腐れていただけなんだよ?
俺は両手で顔を覆った。
これからご近所さんをめぐってゴミを回収せねばならない。
ああ、子育てって余計な仕事ばかり増えて大変だ。




