ヴィーガン解説エッセイ補足、菜食主義対肉食擁護、の図式で終わって欲しくは無い
(* ̄∇ ̄)ノ 奇才ノマが極論を述べる。補足だぞ。
ヴィーガンを調べ解説するエッセイを書いたところ、いくつか感想をいただいた。
昨今、ヴィーガンと呼ばれる菜食主義者が世界の先進国の若者に増えていることに興味を持ち、調べてみて、これはおもしろいぞ、と紹介したものになる。
ただ、ヴィーガンが増加することを、只の菜食主義者、対、肉食擁護者の議論にすると、問題の本質が見えなくなるのではないだろうか?
■きっかけ
先進国の若者がヴィーガンになろう、というきっかけとなるものは。
畜産による環境破壊のドキュメント
動物が殺される畜産の現場にショックを受けて
この二つが多いようだ。また、ヴィーガンとなった有名人の影響からその思想に共感したものもある。
■交換価値、と市場
前述のエッセイの感想で、動物が可哀想だ、という理由はふざけている、という意見をいただいた。ある意味で正論であり一理ある。
私としては動物や他者への同情から、主義や思想が芽生えるのは人間らしさのひとつであると思う。
しかし、他者への同情を人から無くしてしまえば、経済的な問題が解決するという思想も理解できる。
例えば日本の年金問題、これも乱暴な方法を使えば解決することは可能になる。
年金受給者を殺して数を減らしてしまえばいい。
だが、こういう政策は非人道的であり残酷だと反対されることだろう。
他人への同情心から殺人は忌避されるし、年金というのも助け合いの精神を尊ぶから、問題はあっても今も継続されている。
他人への同情心を人の心から無くせば、年金受給者を賞金首にすることで、新たな経済活動ともなり景気は良くなる。そうならないのは景気の良さよりも、殺したり殺されたりしない社会の方がいい、という人が多数派だからだろう。
経済、市場を支える交換価値だけを見れば、山火事は起きないよりも起きた方が金になる。
山に生える木はただ生えているだけでは交換価値は無い。山も森もそれだけでは売買によって利益を産み出す商品とはならない。
山火事が起きればヘリが飛ぶ、消防車が動く。ガソリンを消費して石油会社の売り上げになる。
山火事で燃えた家や電線を復旧すれば、建築業者の利益になる。
経済の面から見れば、山火事が起きないよりは起きてくれた方が経済が回る。
同様に環境保護は金にならないが、環境破壊は金になる。
全てを金の価値に換算する交換価値至上の社会においては、熱帯雨林の森を焼くことは金を稼げる良いこと、となる。
■肉が食べたい? 食品工場の問題
肉を食べることは罪悪なのか?
肉を食べることが当たり前の人にとって、いきなり罪人のように言われるのは不愉快なことだろう。
ただ、肉食を責める菜食主義者も、菜食主義者に反感を持った肉食擁護者も、ここで感情的な言い合いとなり、真に目を向けるべき問題から論点がズレていく。
私がヴィーガンの活動に興味を持ったのは、私の仕事の経験からになる。
私は工場で使われる製品を作る工場で働いていたことがある。私の作った製品は様々な工場で使われ、そのなかに食品工場もある。
ある日、私が修理した製品には、牛乳殺菌タンク用のラベルが張ってあった。
その銀ロウ部分が腐食し、そこには牛乳の皮膜が乾いてこびりついていた。その工場ではカドミウム含有の銀ロウを使っており、その腐食した部分が牛乳に浸かっていたことが窺えた。
知らなかったとはいえ、何年も牛乳にカドミウムを混入させるような製品を作っていたことに、私はショックを受けた。知らないままに学校の給食で出るような牛乳に、イタイイタイ病という公害病の原因となる重金属を混入させていた。何年も。
その仕事を辞めて何年も経つが、今も自分のしたことの罪悪感と、それをやらせてきた会社への怒りと、思い出して眠れぬこともある。
日本のガン患者の増加を私は知らずに手助けしていたのかもしれない、と。
しかし、日本の法律では牛乳にカドミウムの安全基準は無く、製造中の牛乳にカドミウムを混ぜることは、違法にはならない。
同様にコスト削減の為にいろいろなことを見てみぬ振りをするのが、利益を求めるために行われる経営でもある。
その後に私が働いた食品工場でも、そこで働くアルバイトは、
『よくこんなもの金を払って買って食べる奴がいるな』
『作る側になったら食べる気無くす』
と、笑いながら仕事をしていたものだ。
そして経営者は、年々保健所に払う金が高くなる、とぼやいていた。今も昔も役人は賄賂に弱い。
そしてビジネスとは綺麗事では進まない。法律の中でいかに騙すか誤魔化すかと苦心して利益を出さねばならない。
スーパーやコンビニで並ぶ商品がどんな環境でどのように作られているか、詳しく知っている人も少ないだろう。
アメリカ輸入の牛肉が安くなった、と喜ぶ人もいるが、牛肉の輸入量と比例してガン患者が増えていることの関連性が調査されている。
食品の安全性が問われている。
■リアリティの多様化
知らぬが仏、知らぬが花、とは言うものの、知識を得ることでその人の感じるリアリティは変化する。現場を見てしまえば感じるリアリティは膨らむ。
私はヴィーガンの思想が最善とは思わない。次善の思想だと思う。ベストでは無いが現状ではベターだと考える。
これは肉食擁護派の意見を極端にすれば解りやすくなるだろうか?
「肉を食べて何が悪い」
「旨い肉を安く食べたい」
「ブラジル産の肉が安く買えるなら、熱帯雨林なんてバンバン燃やしてしまえばいい」
「気候変動で年々台風が大型化するのもいい。台風や水害で家が壊れたら、建築業界も不動産業界も金になる」
「海面上昇とか、自分の住んでるところに関係無い」
「ガン患者が増えれば増えるほど、医療関係、薬品関係と金になるところも増える。いいことじゃないか」
「環境破壊で未来の人類が困っても、自分が死んだあとのことなんか知ったことか」
ここまでハッキリ言う人もいないだろうが、肉食擁護派の意見の延長はこうなる。そこまで言ってない、という人もいるだろうが、肉を買う人がいるから肉を作って売る人がいる。肉を作って売る為には森を焼かねばならない。そんな国が現に在る。
これを許せないという活動家がいる。環境保護に熱を入れる人達にとっては、金の為に環境破壊するものは敵となる。
困ったことに経済だけ見れば、自然環境は保護するより破壊した方が良いのだから。交換価値が重要な社会では、環境破壊は止められない。
環境保護と畜産を両立させる画期的な何かが発明されない限り、この問題の解決は難しい。
科学で解決可能という意見もあるが、人類の未熟な科学ではこの問題の解決はまだ不可能だ。
■肉は食べてもいい?
前述のエッセイで、医者に肉を食べるように薦められている、という方が感想におられた。
肉と野菜をバランス良く食べることが健康に良いというエッセイもあった。
卵は栄養食であり、野菜と共に食べれば完全栄養食ともなる。
私は肉は食べても良いと考えている。しかし、どの肉を食べるかはしっかりと選んだ方がいい。
例えばブラジル産の肉であれば、
『熱帯雨林を焼き先住民の住み処を奪い、ときには殺し、そうして作った安い肉』
となる。遠い国で人が何人死んでも構わない、代わりに安くて旨い肉が食べられるならいい、と考える人はブラジル産の肉を買って食べればいい。
肉を買うことで誰かが死ぬのもイヤだし、身体にいい肉が食べたい、と言うならホルモン剤を禁止して人の死なない畜産を心がける、国産の肉を買えばいい。
経済社会において、金を払うことは選挙で候補者を支持することに近い。
■きのこの山、対、たけのこの里
きのこたけのこ論争で説明しよう。
きのこの山もたけのこの里もどちらも人気がある。ときにはどちらが好みかでケンカになることもある。
きのこの山もたけのこの里も、どちらも人気がありどちらも買われることでスーパーなどで売られることになる。
例えばだが、きのこの山の方が人気があり、きのこの山とたけのこの里をふたつならべて、きのこの山ばかり売れる。たけのこの里が売れない、という状況があったとしよう。
売る側から見れば、売れない商品で売り場を埋めることは利益にならない。売れない商品は売り場が狭くなり、やがては売り場に並ばなくなる。そうなると、たけのこの里が支持者の不足から売り場から姿を消す。
買う人のいない商品を仕入れても売り上げにはならないから。
売り場には常に誰かが買う物が並ぶ。モノに金を出す人がいるから、商品になる。誰もが買う商品であれば目立つところにある。
金を払うということは、その製品を支持することと同義。その製品に金を払うから、その製品を作る会社の利益となり、その会社の従業員の給料となる。
今のところ、きのこの山もたけのこの里も支持者がいるために、どちらかが落選して売り場から姿を消すことは無い。どちらも同じぐらいの金という投票権を得られる人気政治家である。今ではおかし売り場という国会の重鎮である。
■では、牛乳は?
牛乳についても同じことが言えるが、少し状況が違う。牛乳が身体に悪いという話題が度々出たりする。実は身体に悪い〇〇という話題は定期的に盛り上がるもの。
日本で環境と牛と人間の健康を考えた牛乳作りをしっかりとやっているのは、北海道の想いやりファームくらいではないだろうか。
日本で唯一、生乳を生産している牧場だ。
大腸菌の心配がない牛の乳はそもそも殺菌の必要が無い。牛から搾った段階で大腸菌の心配がない状態のため、搾ってそのまま出荷される。雑菌が多く殺菌工程が必要となる牛乳とは違う。
現在の乳牛は牧草だけでは栄養が足りない。脂肪分を高めるために、大量の穀類や配合飼料を与えられたいる。本来草食の牛が穀物を食べさせられる為に健康を損ね、雑菌に感染する。乳房が炎症を起こし、胃がひっくり返って手術が必要になる。結果、牛の体内の菌数が増える。
想いやりファームでは、自然の草だけで生きられる牛を育てている。そのために他の牧場と比べて一頭当たりから取れる乳の量は少なくなる。
自然に近い状態でストレスを減らすことで、強い免疫力を持った牛が育つという。
健康な母牛から出た健康な乳は、そのまま人が飲める。
一方で雑菌が大量に繁殖する環境で育つ牛からは、高温殺菌が必要になるほど牛乳に雑菌が混入する。
環境を考え、牛と人の健康を考えたならそこにかける手間は尋常のものでは無い。
想いやり生乳は1瓶180mlで、500円。
方やスーパーで売られる牛乳は1000mlで200円以下で買えてしまう。そして市販される牛乳を安く売る為にどんなコスト減をしているか、牛乳殺菌タンクにとりつける製品の修理をした私は見たことがある。黒く腐食した金属が牛乳に浸かっている。
環境と人の健康を考えたならばコストがかかる。故に値段は高くなる。高くなければもとが取れないし経営できない。
買う側から見ると、人は身体に悪くとも安い方を選びがちになる。多くの人が安い方を支持したことで牛乳の値段は安くなった。そして安くするためには、身体に悪くとも良いだろうとなっていく。
それを選択したのは安い方を支持して、安い牛乳に金という投票権を払い続けた人達だ。
健康に良い牛乳の方がいいという人は、180mlで、500円の生乳を買うといい。健康に悪くとも安い牛乳の方がいい、という人は1000mlで200円の牛乳を買うといい。
そして大多数が選ぶものが市場の原理を作ることになる。
日本でブラジル産の肉がよく売れるとなれば、それは日本人の多数派が、熱帯雨林の先住民を殺してでも安い肉がいい、と選ぶことになる。
日本でアメリカ産の肉がよく売れるとなれば、それは日本人の多数派が、ホルモン剤まみれ抗生物質まみれの肉の方がいい、と選ぶことになる。
■ヴィーガン、対、肉食擁護
ヴィーガンと肉食擁護者の論戦がただの食の好みで終わらないのは、そこに思想があるからだろう。
現在の社会を最良とし、今の社会を維持しようという保守派となれば、現行の社会を非難する者を気持ち悪いと排除しようとする。
今の社会の問題をなんとかしよう、という新しい思想がヴィーガンの根にある。これは現行の社会を否定する部分がある。
この二つの対立がただの食の好みと、動物がかわいそうというだけでは、互いに互いを感情的に罵り会うだけで争いは激化するだろう。フランスで起きた食肉処理場への放火や肉屋への襲撃などのように。
■マヤ文明
グアテマラで発達したマヤ文明は紀元250年頃から、紀元900年頃まで隆盛を誇っていた。
マヤ文明の崩壊は食糧供給の破綻に関連していたらしい。マヤ文明の農業を衰退に導いたのは、森林伐採と土壌の浸食。
食糧不足をきっかけに国家間の争いが起こったと言われている。現在、この地域はかつての自然がよみがえり密林と化している。
アイスランド人は、牧草地帯が荒廃し取り返しのつかない状態になる前に、団結して放牧に制限を加えることで生き残った。
歴史は繰り返すというが、マヤ文明とアイスランド人のどちらを繰り返すことになるのだろうか?
■現代のアマゾン
現代では経済が飛躍的に増大している一方で、淡水や林産物、海産物などをもたらす地球の供給力は増加していない。
人類は目先の需要を満たすために、地球の自然という財産を食いつぶしながら、衰退と崩壊の準備を進めている。
人間の経済活動や存在そのものが地球の生態系や天然資源に完全に依存している。
金になればいい、という資本主義リアリズムのもとで森林は縮小を続け、過剰な放牧により、広大な面積の草地が年々砂漠化している。
人にタンパク源を供給してきた世界の海洋漁場は、今やその四分の三がすでに利用され尽くしているか乱獲状態にあり、その多くが壊滅寸前にある。
広大なアマゾンをはじめとする熱帯雨林にも大きな負荷がかかっている。現在、熱帯雨林の20%が牛の放牧や大豆栽培のために開墾されている。
さらに22%が伐採や道路建設による環境悪化によって太陽光線が林床まで達し、地面が乾燥して森林火災を引き起こしやすい状態になっている。火災への抵抗力が低下した森林では、落雷などによる自然発火から火災が広がりやすくなる。
■いじましい抵抗
結局のところ、金になるものを作って売って何が悪い。そのためには先住民も追い出すし、森に火をつける。という資本主義リアリズムがある。
それに反抗するには、肉を買わない、といういじましい抵抗くらいしかできない。私がベストでは無くベターな思想というのは、他に効果的な手段が思い浮かばないからだ。
これを科学で解決できるというなら、さっさとやってもらいたい。
科学者が言うにはアマゾンの熱帯雨林は50%を消失した時点で再生不可能となる、という予測がある。
森林が砂漠化し大量の環境難民が溢れ、生活可能な他国へと移動するだろうと。
環境保護に関心が無ければ環境破壊にリアリティを感じる環境保護活動家に共感はできない。
動物を殺すこと、動物が死ぬことに関心が無ければ動物愛護の活動家に共感はできない。
他者への同情や共感など無い方が経済社会に生きるには都合がいい。
現代に新しく出てきた思想を気持ち悪いと言いヘイトを稼いでも、ケンカが酷くなるだけ。
また、菜食主義者に対して、植物にも命がある、というアニミズム思想の反論も良く聞く。そこから、虫は殺していいのか、草は殺していいのか、ネズミはどうだ、猫は殺しちゃダメなのか、肉が食べたきゃ人の肉を食え、と言った命に格や優劣をつけるような論戦は不毛に感じる。
私は日本やノルウェーでの鯨肉食、中国での犬肉食も伝統の食生活で、在ってもいいと考える。
問題となるのは、鯨肉も犬肉も、畜産の為に森林破壊が起きてはいないこと。
現代は肉を輸出する外貨獲得の畜産の為に、環境破壊と気候変動といった問題が起きていること。
これが菜食か肉食か、では無く、金か未来か、という問題になる。経済に頼って生きる人が大多数となった現在。経済社会の問題から目を逸らす為に、肉か野菜かと言い合い個人の健康の話にすり替えるのは、問題の捉え方が違うのではないだろうか。
なぜ、ヴィーガンが増えているのか?
金を得る為に未来を売ることへの反発から、未来を得ようという模索ではないだろうか?
未来のことを考えた若い世代のイデオロギーの一端がヴィーガンという社会現象として現れたのではなかろうか?
いろいろややこしいことを言ったかもしれないが、至極簡単にまとめてみよう。
あなたが口にする食べ物は、どのように作られたのか、あなたは知っていますか?
安い食べ物を得る為に、何を犠牲にしているか、あなたは知っていますか?




