2-6
鉄球でもついているのではないかと不安になるほど重い足を引きずり、どこにでもありそうな古ぼけた一軒家の前に辿り着く。
深呼吸する。朝の冷たい空気は心地よいが、今ばかりは肺から全身が凍り付くような錯覚を引き起こす。
いくら人の少ない時間帯とはいえずっと棒立ちしていたら不審で仕方ない。早く腹をくくらなければならない。
テイニンの工房に行った時には鬼が出るか蛇が出るかーなんて考えていたが、そのときとは比べものにならない緊張感に襲われる。なにせこの中にいるのは鬼よりも蛇よりもタチが悪いものだ。
……前向きに考えよう。最も恐ろしいものは未知であるという。つまりこの奥にいる生物が何か知っている以上、最も恐ろしいわけではないということだ。この際相手がどれだけ恐ろしいか意味不明ということは考えないものとする。考えたら逃げちゃうし。
意を決してドアに手をかける。
からんころんと穏やかなベルの音が鳴る。
「やあ、いらっしゃい」
さわやかに俺を出迎えたのはこの家の主、ビネである。
この間は舐めた言動をしてしまったが、あれは勢いと擬態のせいでビネの脅威を正しく認識していない状態だからできたこと。改めてビネの根城に行くとか怖くて仕方なかった。
意外でもないが、ビネの家はいかにも薬師の家という様子だった。部屋の奥には大量の薬と本が置かれている。薬のものか古本のものか分からないが、ほんのりかび臭い気がする。家が職場を兼ねているらしい。
「どうぞ、適当に座って」
テーブルセットが部屋の中央にあったので言われるまま椅子に腰掛ける。
本当はこんな危ないやつの家で座りたくないが、拒否して気分を逆なでする方が怖い。
必要なのは諦めの境地。どうせビネがその気になれば俺くらいいつでも殺せる。ならばせいぜい機嫌を損ねないよう関わりを減らすのが賢明。
というわけで早速用件を切り出す。
「これが大棘蜥蜴の毒腺だ。確認してくれ」
密封した革袋をテーブルに置く。一度目の討伐の時、ビネに言われていた大棘蜥蜴の毒腺である。使いようによっては薬になるらしい。本当に薬として使うの知らないが、そこは俺の関知するところではない。
ビネは向かいの椅子に座り袋を手に取る。そして手袋もつけず手を突っ込んだ。
毒物入りの袋に何やってんだと思うがビネが蜥蜴ごときの毒でどうにかなるところは想像できなかった。大丈夫なんだろう。無造作に毒腺を掴んで引っ張り出して検分している様はまるきりホラーだが。
「うん、確かに受け取りました。まさか本当に取ってきてくれるなんて思わなかったよ。……それで今日は何の用かな。殺してほしい人でもできたの?」
「そんな物騒な話ではないです」
さわやかな笑顔で物騒なことを言うのはやめてほしい。ていうか自宅を訪ねてきた理由として真っ先に思い浮かぶのが殺人の依頼とか怖すぎる。
そんな俺の内心をよそに、ビネは普通に不思議そうな表情をしていた。
「違うのかい? これは何か依頼するための手土産だと思ったのだけれど。そもそもきみが僕の家に来るなんてよっぽどの理由があるんだとばかり」
「違う、いや手土産なのはあってるけど、依頼ってほどのことじゃない。ちょっと質問したいだけだ」
「そうなの? きみのことだから王族の暗殺とか持ちかけてくるんじゃないかなーって思ってたんだけど」
「そんな怖いことしません」
ドン引きである。ここに来たことをすでにだいぶ後悔している。
お姫様に恨みはあるがひとまず発散した。それ以外の王族となると、ただただ関わりたくない。暗殺されたところで何も感じない。むしろ国が混乱して安穏と旅ができなくなったら困る。いくらか金はあるが、王族の暗殺となれば足りるか知らないし。ていうか金積めばできちゃうのだろうか。……できそうなのが怖いな。
「ここに来たのはいくつか聞きたいことがあるからです」
「へえ、いいよ。手土産の料金くらいには答えてあげよう」
ビネは面白そうに口角をつり上げる。先ほどまでの好青年的な雰囲気はない。獲物をいたぶる蛇のようなイメージ。
どうせビネにしてみれば蜥蜴の毒腺くらい大した価値ではないだろう。端的な質問にとどめよう。
「一つ目は、あの蜥蜴の群れはあんたが用意したんだろ」
「はあ?」
カマをかけるつもりで断定口調で言ったところ、呆れ顔のビネに一瞬で切り捨てられた。
ビネが演技していると言われたら否定はできない。こいつの演技を見抜けるほど俺は人間やめてない。
それでもビネが本心から呆れているものだというのは直感した。
「えっと、違った?」
「違うよ。ていうか何をどうすれば僕が蜥蜴を、自分の商売道具の群生地にけしかけることになるのさ」
「それはほら、……俺の実力を見ようと思ったとか」
「きみ、思っていたより自意識過剰だね。ハズレとはいえ勇者って扱いだからかもしれないけど、僕にとってきみは重要な存在じゃない。きみの分かりきった実力を見るために自分の不都合になるようなことをするわけないじゃない」
「あ、ハイ」
やばい。前見てられない。
誰だよ最終的にはハズレを自称していたくせに勇者気取りでビネほどのやつが自分を気にしていると思っていた恥ずかしいやつ。俺だよ。まともにビネの顔を見れねえよ。
「それならどうして蜥蜴は群れてたんだ? あいつら群れない魔物なんだろ」
「基本的にはね。けど子育ての時期には群れるよ。もうすぐその時期だし、戦争の影響で強い魔物が魔族に連れて行かれたりしたから、その隙に早めに産卵していたんじゃない?」
至極どうでもよさそうな口調にかえって真実みを感じる。予想が正しいのか知らないがそれなりの信憑性があるのは確かだ。
ビネはしらけた雰囲気でテーブルに肘をついた。
「これでいい? まだ質問はある?」
「あ、あとひとつ。セインの薬の件なんだけど、ビネならさくっと集められたりする?」
「さあ。必要な薬がどれか知ってるわけじゃないからなんとも言えないね」
「そっか」
「ちなみに質問とは全く関係ないことを言うけど、僕は迂遠な質問をされるのが嫌いだな。本当は僕が先回りして買い占めてるんじゃないかって疑っているのに直接そうは聞かないやつとかぶっ殺したくなるよね」
「マジすみません」
テーブルに頭突きをする勢いで頭を下げた。ごっ、と音を立てて本当にテーブルに額が衝突した。痛い。
異世界に来てからこっち、あまりにも聡い人が多すぎて困る。わりと真面目にみんな読心チートでも持ってるんじゃないかと疑っている。俺もほしい。
テーブルに額を付けたまま動かない俺にビネが失笑する気配を感じる。
「まあいいよ。きみの本当の質問に答えると、僕はセインと無関係だ。積極的に関わるつもりはない」
「……そうなのか? セインの動向も知ってるみたいだったから、てっきり」
「あの子は変わり種だから少し気にかけているだけ。売るなら街の外で捕獲すればいいし、働かせたいなら他にいくらでも方法があるのに、わざわざ薬の流通を止めるなんて不採算な真似はしないよ」
「なるほど……ちなみに変わり種ってどういうことなのか聞いてもいい?」
「それは本人に聞きな。これ以上は金取るよ」
すっぱり質問を断ち切られた。金を払ってまで知りたいわけじゃないからいいけど。他人の事情を裏でコソコソ調べるとか普通に趣味が悪い。
「僕としてはきみがそこまでセインのことを気にする理由が知りたいところだけど」
「俺にもよく分からないので勘弁してください」
「それも直感? この間みたいによく考えてみれば分かるかもしれないよ」
直感、なのだろうか。
これまでの経験上、直感がアテになるのは俺に他人由来の不都合が起きる時だ。四択のマークシートじゃ的中率はせいぜい四分の一。つまり普通。
ウェズリーやシュラットに危険が迫っている時にも嫌な予感はしたので、必ずしも俺自身に直接不都合が発生する場合のみではないが、赤の他人の危険を察知するなんてことはない。
少なくとも初対面の時のセインであれば、一分後に死ぬとしても嫌な予感なんて感じなかっただろう。
初対面なのに会った直後からセインの危機を感じていた。これは今までないことだ。つまりはなんとなくの思い込み。
「とりあえず直感は関係ないんじゃないかってことが分かりました」
「あ、そうなの?」
「自分で自分を追い詰めてるのが目に見えてたんで大丈夫か気になって、気にかけてるうちにちょっとくらい手助けしてやってもいいかなーって思った……みたいな?」
「ふうん。まあ僕には関係ないからどうでもいいんだけどね。とりあえず忠告しておくと、何でも僕のせいと考えるのはやめた方がいいよ。僕もそんなにヒマじゃないし、世の中悪いやつは僕だけじゃないからね」
にっこりと笑うビネから薄ら寒い気配が漂う。
ビネに知り合ったせいで悪いことはなんでもビネと結びつけて考えていたことは否定できない。
これは良くない。ビネに失礼だし、ビネの不興を買う恐れもある。何よりビネ以外に対する警戒がおろそかになる。
忠告はありがたく受け取っておこう。
「セインの問題はきっときみが解決できる範疇だ。前に渡した銀貨も使い方次第では力になるだろう。助けたいと思うならきみが自力で助けてあげるといい」
「あんたはセインが何を抱えているか知ってるのか」
「さわり程度にね。深く関わるつもりはないから詳しくは知らない」
「じゃあ、俺が解決できるっていうのは」
「僕の勘」
なるほど、それは当たりそうだ。
いつの間にか普通の青年らしい気配に戻っていたビネに見送られ、俺は席を立った。
―――
ここから三人称
「それじゃあこの二通、お願いしますね」
「はい、確かにお預かりしました」
マールは駅舎で手紙を出していた。
駅馬車では人の移動だけではなく荷物の配送も引き受けていた。手紙は比較的安価に配送を引き受けてくれるため、やりとりには昔から重宝していた。
今回は街への滞在期間が短かったため手紙も慌てて書くことになった。内容は薄くなってしまったかもしれないが、手紙を出すことで無事を伝えることも目的のひとつ。大きな問題ではない。
手紙を預けたマールは受付から立ち去る。
出入り口のそばには駅馬車の運賃表があった。
マールはそれを横目に見て、特に気にすることなく立ち去った。
運賃表にはキャナリ行きの便があった。運賃も戦争前とさほど変わらない。
「マールさん、お手紙出せました?」
「うん、出せたよ。チファちゃんのお買い物はどう?」
「必要なものは揃いましたっ! あとで確認してもらってもいいですか?」
「まかせて」
「それと……その、キャナリ行きの馬車はありました?」
「ううん、やっぱりまだ駄目みたい」
駅馬車近くの店で買い物をしていたチファと合流したマールは、眉を八の字にして困り笑いを浮かべていた。
もしかしたらそのうち書き足すかもしれません。




