2-4 送還魔法
朝食を済ませた後、一冊の本を開く。
フォルトから持ち出した送還魔法の本である。
送還魔法の本は二冊あった。一冊は俺の手元にある原本。もう一冊はお姫様が原本を写した写本。写本は王都に向かった魔法の専門家、ダイム先生に渡してある。
正直なところ、俺が送還魔法について学ぶ意義は薄い。専門家が研究してくれている以上、魔法を使えないド素人の俺が何かできるとは思えない。
思えないが、自分の目的を達成するための行動を全て他人任せにするのは違うと思う。この国で目的を達成できない場合には他国に行く可能性があるし、他国で何か見つけていちいちこの国の王都に走るのは効率が悪い過ぎる。今後のことを考えれば最低限の内容は把握しておくべきだ。
そんな考えのもと本を開いたのだが。
「全っ然わかんねえ……」
意味が分からない。いちおう日本語で記述されているが、かなり古い言い回しが多くて読んでいて混乱する。ページによっては日本語なしで図形と記号でびっしり埋め尽くされていた。
記載されている内容は難解だった。
前に一度、ざっと目を通したことがあったが、そのときは日本語部分を拾い読みしていたし今よりさらに魔法の知識がなかったので、どんな魔法について書いてあるか確認しただけだった。
送還魔法についての本ということで参考書のように術式の説明が記述されていると考えていたが甘かった。これは参考書じゃない。手引き書だ。記号とか図形に対する解説は少ない。文章は記載されているが、それは術式を使用する順番であったり注意事項――指示書のようなものだ。
ただ送還魔法を発動するだけならば大変ありがたい仕様である。必要なリソースさえあれば俺でもひと月で送還魔法を発動できるだろう。
しかし、そのリソースが問題なのだ。この本によると送還魔法のコストは召喚時のコスト同程度になる。
俺たちが召喚された時に使用された魔力量は五千万程度という。つまり送還魔法を使用するためには五千万という無茶な魔力量を用意しなければならないということだ。
魔法でメシを食ってる人の魔力量は百程度が多いらしい。五百もあればバケモノと言われる。埒外の魔力量を持つ俺以外の勇者を合計しても五十万に届かない。ちなみに消費魔力一万の魔法は平原を火の海にした。その五千倍である。アホか。
要約すると、送還魔法には意味不明な量の魔力が必要である。しかしそれほどの魔力を用意することはできない。なので送還魔法の術式を見直して低コストで送還できないか、と考えている。
……実現は難しそうだが。
「術式そのものが分かっていても術式の意味が分からないんじゃ改変しようもない」
魔法の術式について勉強はしていた。実戦で使用されることが多い魔法がどんなものか知っているし、基礎的な魔法なら術式を意味まで理解している。ある程度高度な魔法でも術式は知っている。だから術式の根本部分でなければ改変できると思っていた。
が、甘かった。砂糖を煮詰めて蜂蜜と混ぜてミルクチョコレートにかけるくらい甘々だ。表計算ソフトの関数を少し書ける程度の人間がいきなりOSをいじろうとするくらい無謀だった。
「とはいえ、放り出すって選択肢はないよな……全く理解できない術式なんか自分に使いたくないし」
ため息をつきそうになる。いくら最終的には専門家を頼ると言っても術式をまるっきり理解していない状態でコスト削減の方法を探せるとは思えない。
自分をここではないどこかへ移動させる術式を、全く理解できない状態で使用するなんて怖いことはできない。可能性としては『送還のはずが別の異世界に到着しました』とか『転移する座標を間違えて上空二千メートルから自由落下』とかあり得そうだ。
魔法の術式は基本的に図形と記号で構成されている。図形で魔力の流れ方、流れる方向を決定し、記号で魔力を加工する。
小学生の工作で作るような、電池と導線と豆電球をイメージするとわかりやすいかもしれない。この場合、魔力源である人間が電池、図形が導線、記号が豆電球に相当する。電池から電流が導線を流れ豆電球で電気エネルギーを光に変換するように、人間から魔力が図形を流れ記号によって炎になったりするのである。
当然、異世界に人間を送還するなんて記号はない。無数の記号を組み合わせ、図形を使って適切な量の魔力が正しい順序で記号を伝うように調整し、最終的に送還という結果が発生する。
さしあたり送還魔法に使用されている記号の意味を確認する。それが終われば頭から読んで小節ごとの意味を解析する。細分化して少しずつ進めていけば、とりあえず送還魔法の理解は可能だろう。
分かる範疇で送還魔法を学んだら王都で解釈が正しいか確認する。送還魔法について専門家に質問ができる程度を目指して勉強しておこう。
のっけから見たことがない記号が複数あったので教本とにらめっこし、フォルトで拝借した紙に書き連ねていく。
「サイカは今日、勉強にあてるんだっけ?」
「そ。ウェズリーとシュラットには五級の依頼を請けてもらって、俺は勉強する予定」
書き疲れてのびをしたところでマールに声をかけられた。
マールは今日もチファに授業をしてくれている。
これまでメイドのようなことをやっていたとは思えないほどマールの知識は豊富で、この辺りの風土であったり名産品、どういったものを買ってどこで売れば収益が見込めるか、なんて商人のような話もしていた。
「サイカはどんな勉強をしているんですか?」
ちょうど授業が小休止に入っていたのか、チファが俺の手元をのぞき込んでくる。
「魔法の勉強。チファは魔法に詳しいか?」
「あんまり詳しくないです……あ、でもマールさんに教わっているのでちょっと分かります!」
「よし、じゃあ見てみるか?」
「はいっ!」
そういえば最近はこうしてチファに構うことも少なくなっていた。
ウェズリーやシュラットも無邪気な連中だが、討伐者として話すのは斬った張った殺すバラすといった殺伐としたことである。平和なことを無邪気に話す女の子は癒やし度数が極めて高い。
「…………あぅっ」
楽しそうに送還魔法の本を手に取ったチファは数秒で動きを止め、三十秒もしないうちに目を回してしまった。
それを見たマールが不思議そうに本を手に取った。
目を通して三秒後。マールは腕をぴんと伸ばしながら本を放り投げた。
まさかマールがそんな暴挙に及ぶとは思っていなかったので慌ててキャッチした。古い本なので衝撃を与えるのはよくない。……まじ焦った。
「ちょ、さ、サイカ!? なんてものをあっさり見せてるの」
「マールは俺が送還魔法の勉強するって知ってたでしょ」
「聞いてたけどね? もっと基礎的なところから勉強してると思ってたのよ。一応言っておくけど……異世界召喚魔法って国家機密だからね?」
異世界召喚と言う直前にマールは周囲をきょろきょろ伺い、それから声を潜めて続けた。
「国家機密の割にはそれを持ったお姫様は野放しでしたが」
「それは……たぶん王様たちも本当に正しい魔法とは思ってなかったからじゃないかな……」
「…………目がぐるぐるする」
チファも目頭を押えながら復帰した。
気持ちは分かる。意味が分かる部分もあるのだが俺の知らない法則に則って記載されている部分もあるため、連続した文章の連続性が分からなかったりするのだ。読んでいて理解できない以上に混乱する。
「今のところ、送還魔法の後に書いてある事の方が面白いな」
「送還魔法以外のことも書いてあるんですか?」
「本の前半には召喚魔法のことが書いてあって、送還魔法の後はこれを書いた勇者の手記みたいになってるんだよ。どうしてこんな本を書いたのか、とか」
「待ってサイカ、まさかそれも機密情報みたいなことが書いてあるんじゃないよね」
「ないない。魔法の本文と違って技術とか法則とかは一切書かれてないから」
手記の部分には送還魔法を作った経緯や、術式を組んだ人の立場といったことが書かれており技術的なことは一切書かれていない。
個人的にはとても興味深いが、利用価値はないだろう。
……あ、でもこの国に伝わっている勇者伝説と違ったことが書かれてたりすれば不都合な事実を知ったとか言って消されたりするのだろうか。
この手記を書いた人物はアストリアスという国に対して全面的な好意を寄せているわけではない。このあたりは口外しない方がいいと判断がつく。
「サイカ、どんなことが書いてあるんですか?」
「それはなチファ、召喚された勇者のひとりが――」
「チファちゃん待ってサイカも黙って」
「あっ」
いけない。知らない方が負担がなくていいことを普通にしゃべりそうになっていた。
しょうがないと思う。故郷をなくしてふさぎがちだったチファが好奇心という前向きな感情を表に出しているのだから応えたいと思うのは人として当たり前のことだ。
「サイカに話を振ったのは私だけど、この話題は終了。私とチファちゃんは授業に戻ります。邪魔してごめんね、サイカ」
「失礼しました」
「おう、勉強頑張れ」
小休止は終わり、チファとマールは授業に戻る。
機密事項を知ること、知ったと思われることによるリスクを説明するマールの声を聞きながら手記に目を落とす。
この本を書いたのは以前に召喚された五人の勇者のひとりだ。
彼は召喚されたことに憤慨しており、自分の身を守るために戦う合間に送還魔法を研究していた。
召喚魔法という世界の壁を越える魔法のサンプルがあるといえど送還魔法の開発には時間がかかった。
当時の魔王を倒した時点でも送還の手段は未完成。他の四人も魔王を倒すという最大の目的を達成し、平和な日常を手に入れたことで故郷のことを考える余裕ができた。
五人の勇者は全員で送還魔法の研究を始めた。
それでもなお魔法の完成には長い時間がかかった。
その間に結婚したものがいた。研究資金を稼ぐために事業を興したものがいた。
やがて送還魔法が完成し、勇者たちはもとの世界に送還された。
「送還魔法を完成させた、自分自身を除いて」
思わず一文を声にしてしまった。
チファとマールが不思議そうにこちらを見ていた。なんでもない、と軽く手を振る。
送還魔法に制約があった訳ではない。魔力も足りていた。
帰れなかったのではなく、帰らなかった。
送還魔法を研究する間に結婚した。切り捨てるには思い入れのあるものが増えすぎていた。帰りたい、帰らなければならないという気持ちはあったが、最終的には残ることを選んだ。
残ると決めた後、秘密裏に異世界召喚魔法が失伝するよう工作した。自分たちと同じ境遇に陥る人間を増やさないためだ。
送還魔法の術式を破棄した。召喚魔法から送還魔法を作り出したように、送還魔法から召喚魔法を再構築されるかもしれなかったからだ。
表向きは平和に日々を過ごした。子供がほしいとは思わなかったので我が子こそいないが、自分を英雄と慕う若者がいた。愛する伴侶がいた。絵に描いたように幸せな日々が続く。
次第に恐怖を覚えていった。
もしもまた魔王が現れたら? 魔王でなくてもアストリアスや他の国が力を合わせても及ばない脅威が訪れたら? 彼ら彼女らは、その子供たちはどうなるのだろうか?
異世界召喚という切り札はすでに失われていた。自分が奪った。
この手記を書いた人物は他の国にも異世界召喚の魔法がある可能性を考えなかったのだろうか。知らなかったのだろうか。知っていてなお不安だったのだろうか。
結果として先代勇者はこの本を遺した。
悩みに悩んだ末の決断だったようで、最後には言い訳とも謝罪ともつかない文章が書き連ねられていた。
もしもこの本を自分以外の勇者が読んでいるのならばすまない。負担をかける。申し訳ない。せめて送還魔法もすぐに使えるようにしておくから、元の世界に戻るのならばこの術式を利用してくれ。そんなことが書いてあった。
なぜこの本には解説が少ないのか分かった気がする。
この本を書いた人物は異世界召喚魔法の継承を途絶えさせようとした。だが、万が一の備えとして本にして隠していた。
つまり異世界召喚・送還魔法を積極的に利用させるつもりはなかったのだ。
詳細に解説してしまえば術式を濫用される可能性が出てくる。私利私欲のために法則を利用する者が現れるかもしれない。
ブラックボックスになってしまったのではなく、ブラックボックスにした。
俺にとっては迷惑甚だしいことだが。
パタンと音を立てて本を閉じる。
勉強を続けるつもりにはなれなかった。
なんとなくコレを書いた人を他人と思えなかった。
この人がチート持ちだったかどうかなんて分からないが、今回と同じように真っ先に帰ろうと考えたのはこの人だけだった様子。送還魔法の研究をしているのは今回召喚された中でも俺だけ……もしかするともうひとりくらいだろう。
俺はいざ送還準備が整ったとしてこの世界を捨てられるのだろうか。そんな疑念が湧いてくる。
内心、余裕で捨てられると即答する。同時に横目でチファを見てしまう。
俺にとってこの世界で最大の未練になり得るのはチファだ。マールには世話になっているが、自分で生きていく力がある。ウェズリーとシュラットはまだ心許ないが、戦闘能力というわかりやすい力を持っている。他の知人だって俺以上にこの世界で生きていく力を持っている。
チファは力を持たず、故郷まで失ってしまい、このまま放り出すことが躊躇われる。もしも今すぐもとの世界に帰れるとしても、俺はきっとすぐに帰ると即答できない。
「……シュラットには超頑張ってもらおう」
改めて決意する。ずったぼこに鍛えて俺くらい秒殺できるくらいになってもらう。ついでに勉強もさせる。
チファ自身は今も勉強している。きっとこれから戦いとは違う部分で強くなっていくが、それでもきっと俺はチファを庇護対象として見てしまう。
だから俺より強い、チファを守ることに強い動機があるやつを作ればいい。
そうすれば俺も安心して帰れるというものだ。
とりあえずシュラットが体を壊さない程度の筋トレメニューを考えている時だった。
部屋の扉がノックされた。
討伐依頼に出ているウェズリーやシュラットが帰ってくるにしては早い時間。そもそもあの二人ならノックなんてしない。
誰だ、と部屋にいる全員がかすかに警戒する。
「サイカ、いるか。テイニンだ」
クロークの作成を依頼している職人の声がした。
俺の気が緩んだのを察したのかチファとマールがこちらを向いた。
怪しいものではないと感じたのか、チファが小走りで扉を開けに行く。
「ちょっ――!」
はっと気付いた。これはまずい。
制止する声は間に合わない。チファはすでに鍵を開け、ドアノブをひねっていた。
キィ、と小さな音を立てて開いた扉の向こうには、
「ようサイカ、ちょっといいか」
鬼がいた。
顔を上げてその顔を見たチファが、ぴゃーと鳴いた。
―――
「あの、なんかすんません」
「……いや、構わん。慣れてる」
そういうテイニンの肩ははっきりと落ちており、怒り肩がなで肩になっていた。二メートルを超える巨体を縮こまらせ、筋肉も心なしかしぼんで見える。
チファが叫んですぐに宿の人や同じ階に部屋を借りている討伐者らしき人が集まってきた。テイニンはすごく焦っていたのだが、それが良くなかった。まるでやましいところを見つかった犯罪者のようだった。
討伐者っぽい若い人はテイニンの形相に恐れをなしていたが、それでも強い正義の心でも燃やしたのか、その子を放せとすごく格好良く言い放っていた。テイニンはチファに指一本触れてなかったのに。
宿の人はタイミング悪く、討伐者の人が言い放った瞬間に現場に辿り着いた。テイニンの事を知っている様子だったが、状況が状況だったせいか「テイニンさん、あんたとうとう……!」と身内が犯罪をやらかした身内みたいな表情で言った。テイニンは涙目になっていた。あんたまさか、じゃなくて、とうとうと言われていたのが切なかった。
俺がチファを部屋の奥に引っ張って、テイニンに仕事を依頼していたことなど懇切丁寧に説明してようやくその場に静寂が戻った。静寂が戻っただけでテイニンの心が負った傷は治っていない。
チファは落ち着いていたが、今度は事態を理解してものすごくテイニンに謝った。テイニンも逆にやりづらそうにしていたので今は部屋のすみっこでおとなしくしてもらっている。
……めちゃくちゃ値切ってやろうとか考えてたけど、やめよう。ちょっとくらい色つけて支払いしてもいいよ。
「なんかえらい騒ぎになっちまったが……用件は頼まれていたクロークの件だ」
「もしかして、その袋の中に入ってるのか? 完成まで五日くらいかかるって聞いてたけど」
「まだ完成はしていないんだが、先に話しておいた方がいいと思って持ってきたんだ。見て貰えば分かる」
言われてテイニンが持ってきた革袋からクロークを取り出す。
見た目におかしいところはない。色もテイニンの店に持ち込んだ時と同じように見える。さわり心地はローファーのようにつるつるした感じとは違った。絹とジャージの中間のような具合である。慣れない感触ではあるが、不快ではない。むしろ面白い。
クロークの形状に縫うときに失敗したのかと思って広げてみるが、素人目におかしいと思うような部分はない。フード付きのマントという、想像した通りの形状をしていた。
試しに羽織ってみると、驚くほど軽い。持ち込んだ革は十キロくらいあったと思うのだが、このクロークは一キロくらいに感じる。
こちらの部屋に残っていたマールが「おー」と気の抜けた感嘆と拍手をくれた。
サイズを確かめてみるがちょうどいい。内側はなめらかで柔らかく、外側はつるつる光沢を放っている。先ほど触ったのは内側だ。
それはいいが、あまりの軽さに怖くなってくる。
まさか、これ一着つくるために渡した素材の九割を駄目にしたとかじゃあるまいな。
「……着心地はどうだ?」
「めちゃくちゃ軽くて動きやすそうだな。逆に防御力に不安があるけど」
「そこは安心してくれていい。もらった蛇革全部を重ねただけの耐久力があるから」
「……マジで?」
意味が分からなかった。だいぶ混乱した。
確かにテイニンは圧縮の技法とか言っていた。なんでも素材を圧縮することで耐久力はそのままに、重量や大きさを抑えるのだとか。
ファンタジー的な技法がどんなものか興味があって依頼をしたが、いくらなんでも体積が十分の一になるというのは違和感がある。
「かなり状態のいい革でな、おれも作業中に気分が乗ってしまったんだ。本来ならこの半分も使わない予定だったんだが、いける気がしてつい、な。全部まとめて突っ込んでしまった」
「なに人の素材をノリで扱ってんですか」
「本当にすまん。……でだ。お前、錬気は使えるか。それに錬気を通してもらいたいんだが」
「こんな具合でいいか。……うおっ!」
言われるまま、腕に触れていた部分に錬気を通すとクロークがぶわりと浮き上がった。
わざわざ錬気を通せと言うくらいだから、何か起きることは想定していたが、ちょっと意味が分からないことが起きていた。
「なんでクロークが動いたんだ。いや、それはいい。想像の範疇だ。けどこれ、伸びたよな?」
錬気を通したクロークが動いたのはまだ分かる。錬気を具現化させて物理的な圧力を持たせることは俺もたまにやっている。
しかし、錬気を通したら体積が膨張するのは完全に予想外だった。もともとは俺の体を一周包んでちょうどくらいの大きさだったのが、今は俺の体を一周半できるくらいになっている。
通した錬気をクロークから引き抜くともとの大きさに戻った。
「加工に没頭したら気がつけば深夜でな……それでも気分は乗りっぱなしで、気付けば秘蔵の竜血晶を使っていた。そしたら革が綺麗に圧縮できてな、今日の夜明けにこの形にはなっていたんだ。……少し仮眠を取って改めて見てみたら、革が妙に生き生きしていた」
「ほう、生き生き」
言われて見てみれば、加工場で受け取った時は薬品で表面がもっとてかてかしていた。今はそれよりも革として加工される前、森で遭遇した黒刃蛇の皮そのものに近い気がする。
急に物騒に思えてきた。
「その、竜血晶っていうのは?」
「竜種の血液に含まれる魔力を抽出して結晶化させたものだ。どうにもその皮と相性が良かったらしい。ところでサイカ、お前は魔道具ってものは知ってるか?」
「なんとなく雰囲気くらいは。魔力によって通常以上の機能を発揮するものって認識だけど」
「だいたい合ってる。その魔道具にも種類があってな、術式を組み込んで作るものと、素材の相性で魔法に似た効果を発揮するものがある。そのクロークは後者になった」
魔法は通常、無形のエネルギーである魔力を術式に通すことで現象に変換する。なので術式を組み込んだ物品に魔力を通せばそれだけで魔法を発動できる。
この世界には魔法を使う魔物が存在する。彼らが人間と同じような術式を用いて魔法を発動しているかといえば、違う。彼らは術式を使うことなく体の一部を魔力と反応させて魔法を発動させる。
後者については詳しい仕組みが解明されていない。それだけに狙って魔道具にするのは難しいが、素材の組み合わせで偶発的にできあがってしまうことがあるという。
「……あれ、でも俺、魔力は通してないんだけど。魔道具って魔力を通して現象を引き起こすものじゃないのか」
「その辺りも曖昧だな。魔物の素材でできる魔道具は仕組みもよく解明されていないから、魔力が必要なものや錬気だけでいいもの、いろいろある」
命を守るための道具の仕組みが分からないというのは正直気持ち悪いが、使い方は分かる。使い方がシンプルなので変な誤作動も起きづらいだろう。何より悪い予感はしない。
「なるほど。俺としてはそれより、皮が生き生きしてるのが気になるんだけど。……呪われたりしない?」
「ないと思う。むしろ蛇の能力が使えて利便性が増してるくらいじゃないか。鱗の先端を錬気で引っ張るように通してみな」
「おお、鮫肌のえぐいやつみたいになった」
言われた通りにしてみると、魔物の領域で戦った時のように鱗が逆立った。その様はまるで金属質でトゲトゲしたマツボックリ。触ったら超痛そう。
耐衝性や防塵性を求めて作ったクロークだが、思いの外多機能になった。
「……というわけで、注文されたものとはかなり違った出来になったんだが、こいつで問題ないか?」
「ないない。むしろすごいな。錬気の通し方によっては分厚くもできそうだし。攻撃力もあって使いやすそうだ。文句どころか報酬に色をつけていいくらい」
「そりゃよかった。おれとしても想定より良い出来って自負はあったんだが、注文されたクロークって枠からはみ出したものになっちまったからな。文句が出たらどうしようかと思った」
「ははは、テイニンの顔見てクレームつけられるやつなんていないだろ」
いやほんと怖いし。人となりが少し分かっている俺でも本気ですごまれたら多分逃げる。テイニンの顔を見ながら文句言えるような胆力の持ち主なら、性能が上がった装備を歓迎こそすれど悪くは言わないだろう。
「お前の言いようは気になるが、クロークの出来が問題ないならまあいい。あとは最終調整だな」
テイニンが立ち上がる。嫌な予感がして一歩後ずさる。
なんでだ。別にテイニンは敵ではないし、敵意も感じないのに、俺は何を恐れてるんだ。
「さいしゅうちょうせいするのですか」
「おう。最後に大きさを測り直して、微調整する」
「いやあ、必要ないと思いますよ? ほらぴったりだし」
「そう見えても動いてみるとずれてたりするんだよ。ほれ、おとなしくしてろ」
「だが断る」
「断るな」
採寸という屈辱をもう一度味合わせようというのか。服じゃないから足の長さとかを測られたりしないにせよ、首回りの筋肉の少なさとか直面したくない現実は無数にあるのである。
じりっとテイニンから距離をとる。後ろにある窓から飛び出す覚悟を決める。窓代はきちんと弁償するから許してほしい。
熊に遭遇した時のマニュアルよろしくテイニンから目を逸らさず後退していると、不意に柔らかい感触が背中に当たった。そしてそのまま優しくホールドされる。
「装備のことなんでしょ? 専門家の言うことはちゃんと聞いた方がいいと思うの」
笑いをこらえるように言うのはマールだ。
くっ、なんという罠。むやみに暴れて怪我をさせるわけにもいかないという俺の心理を読んだ拘束だ。
目の前に迫ったテイニンがまじで鬼に見えた。
「そういうわけだ。観念しろ」
「や、やめろーっ!」
抵抗したがばっかりに、マールとチファの目の前で寸法を測られ、その数値を知られるというひどい辱めを受けることになった。
時間にして数分のことだったが、心理的には永遠にも等しい拷問であった。
「べ、べつに、そんなに気にすることないと思うよ?」
「うるせーですよ……個人的なコンプレックスなんて、当人にしか分からないことなんだからほっといてください」
「……なんか意外。まさかサイカがこんなことでわがまま言うなんて」
「そんなに笑うことないでしょ」
「だって、必要かどうかですごく機械的に判断すると思ってたのに、防具の採寸っていう明らかに必要なことから逃げようとするんだもん。おかしくって」
目尻に涙まで浮かべて笑うマール。
……ちっくしょうテイニンめ。色つけてやろうと思ったけど、絶対やらねえ。あと隙見て一発殴る。
固く決意した。




