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2-2 ビネ

 宿に逃げ帰った俺を出迎えたのは組合で遭遇した糸目の男だった。

 部屋を間違えた? 違う。それなら鍵が会わなかったはず。仮に鍵がかかっていない他人の部屋に入ってしまったとしてもこの男の落ち着きようはおかしい。普通他人が無造作に部屋に踏み入ってきたら警戒くらいするだろう。目の前の男には不安も困惑も感じられない。

 身構える。剣は抜かない。相手の目的も分からないのにうかつなことをして刺激したくない。それにこんな狭い空間なら剣を振り回すより殴る方が早い。


「そんなに身構えないでくれよ。きみをどうこうしようってわけじゃない」


 男は今日の天気の話をするような調子で声をかけてきた。

 その気軽さがあまりにも不気味だった。俺は宿までかなり早足で来たし、移動中にも周囲の警戒を怠らなかった。それなのにこの男は俺に気取られず、俺より早く宿に到着し、部屋を突き止めた上で侵入している。

 おかしい情報力と機動力を持っているのに、そこらへんの一般人と同じような気配しかしないことが意味不明。これだけ異常な要素を見せておきながら全く平常な声の調子が意気持ち悪い。


「どうだか。つーかお前、この部屋には誰かいたはずだ。どこにやりやがった」


 この部屋ではマールがチファに勉強を教えていた。

 今、この部屋に二人はいない。魔力感知をしても二人の気配は感じられない。

 目の前にいる訳の分からないやつが二人に手を出していたら。

 ふと考えるだけで不愉快な動悸がする。両手に力が入る。自分の息が荒くなっているのが分かる。

 こいつに手を出すのはやばいと直感が告げている。しかし、万一ふたりに何かあったならこいつはどうあってもぶちのめす。張り倒して情報を吐かせる。


「怖い顔するなよ。チファとマールは今頃、外のお店で秋リンゴのコンポートでも食べているんじゃないかな。きみにもお土産を買ってきてくれるかもね」

「……はあ?」

「あれ、知らないかい? このあたりではよく食べられているリンゴでね、そのまま食べると酸味が強いけれど、砂糖をたくさん加えて煮込むと結構おいしいんだ。セントだと……そうか、討伐者向けの店ばかりだからあんまり見かけなかったかな」


 すっとぼけるような事を言う男。言っていることがどこまで本当なのかも分からない。

 現状が分からないのが厄介だ。こいつの言ったことが全て事実であればそれに越したことはないが、いっそ捕まっていることが分かれば即座に動き出せるのに。現状が不明なだけにどうにも対処できない。

 ……何にしても冷静にならなければならない。男の言動から情報を探り、確実に対処する必要がある。怒ったり動揺しているヒマなんてない。

 息を大きく吸い、静かにはき出す。その間も男から決して目を逸らさない。

 男はそんな俺を見てうっすら笑っていた。


「落ち着いたかい?」

「おかげさまで。……で、何の用だ」


 相手の目的が分からなければ方策を考えることもできない。

 こいつにしても目的があるから部屋に侵入してきたことは間違いない。こうして俺の前に姿を見せている以上、俺に用があるのだろう。こちらから話を振れば目的を話してくるはずだ。

 目の前の男はうんうんと俺の思考を読んでいるように頷いて見せた。


「まずは自己紹介を。僕の名前はビネ。この街で薬師をやっている者さ。組合に行ったのも薬草採取の依頼のためだね」


 ニコ、と笑いながら手で自分を示しながら言う。

 意外なほどあっさりと素性を吐いた。どこまで本当か分からないと思う一方で、こいつは嘘をついていないと直感した。


「それで、ここにいるのは連合の一員であるユクレイドだ」

「連合?」

「そう。暗殺とか密売とか、そういうことを請け負っている組織さ」


 やっべえの出てきた。

 そのへんで普通の人が言っていたならこじらせてるなーと鼻で笑って終わる。

 だが目の前の……ビネだかユクレイドだか知らないが、こいつが言っていると全く冗談に聞こえない。嘘とも思えない。

 組合からこの宿まで歩いて十分もかかっていない。その間に俺が泊まっている宿を突き止め、先回りし、部屋に侵入していた。その上さっきチファとマールの名前まで口にしていた。

 連合なんて組織は初耳だが、実在する組織でビネがその一員ということを疑うつもりは起きなかった。

 問題になるのはやはり目的。俺が勇者ということを知って接触するにしてはタイミングがおかしい。組合で目が合っただけのやつに何の用だ。


「用件は簡単。きみがどうして僕を見て逃げたのか聞きたかったんだ」


 ビネの顔から笑みが消えた。

 平坦な表情の隙間から覗く目はどこまでも無機質で、自分が薬品漬けの標本になったんじゃないかという気にさせられる。この部屋に無数の眼球が潜んでいて俺を観察しているのではないか、なんて恐ろしさがあった。

 嘘も偽りも誤魔化しも許されない……いや、嘘をつこうが偽ろうが誤魔化そうが無駄だ。必ず見破られる。

 隠すようなこともないので素直に答えるのだが。


「ただの直感だ。なんとなくやばい気がしたから逃げただけ。聞かれて説明できることじゃない」

「なるほど、直感持ちか。けれどきみは勘違いをしているね」


 俺の素直な回答はあっさりと切って捨てられた。


「直感というのはね、ただ『なんとなく』だけのものじゃない。高い観察力と経験が合わさって生じるものだ。人に対して働く場合は特にね。きみが僕に脅威を感じたことにも何か理由があるはずだ」

「そんなことを言われても分からないものは分からないんだよ。何か理由があるとしても俺には分からない。誤魔化そうとかそんなことは考えちゃいない」

「きみが素直に答えていることくらい分かっているさ。直感の理由が分からないこともね。その上で僕はきみに考えろと言っている。僕はね、一般人としての立ち振る舞いを念入りに学んでいるんだ。それなのに一目で見抜かれて穏やかな気分じゃない。……そうだね、時間制限をしようか。あの子たちが戻ってくるまでに僕が納得する答えを出せ」


 穏やかな質問から強い命令へビネの口調が変わる。

 指先がしびれるほどの緊張。期限を越えたらどうなるか明言されていないのに必ずろくでもないことになると分かる。

 幸い、チファとマールの気配は近くにない。

 とはいえ悠長に考えている時間はない。いつ戻ってきてしまうか分からないし、慌てて回答してビネが納得するとも限らない。


 頭を回す。ほんの少し前、ビネを見た時のことを思い出す。

 最初、ビネが組合の職員と話している時には何も感じなかった。違和感があったのは話を終えて歩き始めた時。

 フォルトの街でたくさんの兵士や傭兵を見たことで、戦闘職の人間とそうでない人間で雰囲気が違うことは理解している。体格や姿勢、歩き方も少しずつ違っているし、魔力の流れ方がまるで違う。

 しかし目の前のビネは体格も姿勢も魔力の流れもまるっきり一般人のものだ。本来警戒するようなものじゃない。

 では、なぜ。

 考えているうちにもビネの視線が肌に刺さる。

 何か答えなくては。言葉にすることで何かに気付くこともある。ビネは回答する意思があるなら無礼とかそういった事は気にしないはず。


「組合の人と話している時には何も感じなかった。変だと思ったのは話を終えて組合から出ようとしていた時だ。違和感が気になって見ていたら、あんたと目が合った。その瞬間にこいつやばいと思って逃げ出した」

「じゃあ、僕の目つきに危険を感じたのかな?」

「違う、と思う。目が合って逃げようとしたのはやばいやつに自分を認識されたからだ」

「なら目が合う前に僕が危険であると感じていたということになる」

「…………たぶん、歩き方だ」

「歩き方? そこはかなり入念に学んだところだ。兵士も討伐者も一般人も、日頃の運動量や歩く場所によって歩き方は微妙に違ってくる。そこを研究して正確に再現しているのだけど?」


 ビネの反論に返す言葉はない。確かにビネの歩き方からは師匠やゴルドルさんのような日頃から鍛えている強い人の気配を感じなかった。

 そもそも今だってビネが強いとは感じていない。不気味で危険な生物であると感じている。

 いや、危険というのも目を合わせ、部屋で話してから感じたこと。組合で目にした時には違和感のみだった。


「…………………あ」


 話した内容を分解してみると直感したものの正体が見えてきた。

 違和感の源は歩き方。感じたのは脅威ではなく気味の悪さ。ビネは『運動不足の薬師』の歩き方を正確に再現している。

 それらの情報を組み合わせると答えが浮かんできた。


「ビネ、ちょっと歩いてもらえるか」


 頼むとビネは文句も言わずに窓際から扉のそばまで歩いてきた。

 たったの五歩だったが、ぼやけた答えが明瞭なものに姿を変える。


「歩くテンポが気持ち悪いんだ」


 すとんと腑に落ちた。漠然としたものが具体的な形状を持ったことで、指先についた油が取れたようなすっきりした感覚があった。


「歩き方はよく研究して薬師ビネとしてのものを再現していると言ったけれど?」

「正確に再現し過ぎてるんだよ。普通の人は常に一定の歩幅と間隔で足を出したりできないだろ。完全に一定のテンポで歩くなんて鍛えてても意識してないと無理なのに、無造作に歩く一般人がやってたら気持ち悪くもなる」


 普通の人が普通に歩く時に自分の歩幅がどれくらいか、何秒に一回足を出しているかなんて意識しないだろう。そのときの気分とか足の具合とか癖とかで一歩一歩に微妙なずれがある。完全に同じテンポで歩くなんてよっぽど鍛えた人が意識しても難しいはずだ。ロボットじゃあるまいし。

 ビネを見てもそれほど鍛えているようには見えないし、組合での歩き方も無造作だった。それなのに相当鍛えた人が意識しないとできないことをしていた。

 違和感の正体はそれだ。


「……なるほど。つまりこういうことか」


 しばらく考え込むような姿勢で固まっていたビネはもう一度、今度は窓に向かって歩き始めた。

 そこに違和感はない。ザ・一般人といったような普通の歩き方だった。

 おそらく薬師ビネとしての歩き方にほんの少しのランダム性を加えたのだろう。


「どうかな?」

「どこにでもいそうな普通具合だった」


 答えるとビネは満足げに頷いた。

 そこに先ほどまでの剣呑な気配はない。顔を合わせた時と同じ、どこにでもいそうな気の良い青年らしい気配。今となってはそれはそれで不気味だが。


「急に押しかけたりしてごめんね、すごく勉強になったよ」

「……そりゃ何より。満足したら帰ってくれないか。あんたが目の前にいると不安定な気持ちになる」

「ははは、ごめんね-。すぐに帰るけど、その前にこれをあげよう」


 ビネが懐から取り出したのは一枚の銀貨だった。ピンと軽やかな音を立てて指で弾く。

 銀貨は過たず俺の手の中に収まる。

 情報料かと思ったが、ビネのようなやつが普通に銀貨で報酬なんてよこすのだろうか。

 そう思って銀貨を眺めるも、他の銀貨と見た目に違いはない。……ないよな? 疑心暗鬼だろうか。

 ビネはくすくすと楽しげに笑っていた。


「お察しの通りそれは普通の銀貨じゃない。けれどここでどういう見方をしても普通の銀貨と見分けはつかないと思うよ」

「……おいちょっとまてそれじゃこれ高精度の贋金か。もらえるかこんな怖いもん」


 俺が知る限り、いつの時代のどこの国でも貨幣の偽造は犯罪だ。程度と場合によっては死刑すらあり得る。贋金を持つとか断じて御免だ。贋金と知っていて受け取ったとなればその事実が弱みになる。


「それを持っていればこの国のどこの後ろ暗い店に行っても無碍にされることはないよ。役人に贋金とバレることも絶対にないし、持っていて損にはならないと思うな」

「そういう話だけじゃないんだよ。俺はあんたと会ったことも忘れたいんだ。懐に爆弾抱えて生きてくなんて嫌なんだよ」

「会ったことも忘れるっていうのは正しい判断だけど、それを突っ返すってことは僕に喧嘩を売るってことになるんだけど、爆弾を抱えるのとどっちがいい?」


 どっちも嫌だ。

 にっこり好青年のような笑顔をするビネは悪魔なんじゃないかと思えてきた。似たようなもんか。

 ……まあ、爆弾を抱えて生きる方がまだマシか。喧嘩を売ったらどっかで白骨死体になってそうな気がするし。

 投げ返そうとした銀貨を手元に引き戻す。表情だけは抗議の意志を示しながら銀貨を検分する。発信機的な機能がついていたらなおさら嫌だ。


「じゃあ僕は行くね。縁があったらまた会おう」

「……ぜひ切りたい縁なんだけどな」

「残念、僕はいずれまた会う気がする」


 本当に残念ながら俺もそんな気がする。


「念のため言っておくけど、僕のことを他言したりしないようにね」

「できるかそんな怖いこと」


 あはは、と普通の青年のようにビネは笑う。

 もう一度ビネは「じゃあね」と言ってドアに向かって歩き出した。

 目で追おうとしたが、すれ違いざまにほんの一瞬、ビネが視界から外れた。

 次の瞬間にはビネはもう部屋から姿を消していた。

 ドアを開けた気配すらなく、だ。

 魔力感知や錬気による感知を試みたが無駄だった。

 雲を掴むとか霞に巻かれるといった表現があるけれど、そんなものじゃない。雲や霞のように目に見えたりしない。

 狐につままれたような気分だ。本当にビネなんて人物がいて、会話をしていたのか自信が持てなくなってきた。

 けれど一枚の銀貨は確かに俺の手の中に存在していた。




 数分後、チファとマールが部屋に戻ってきた。ドアの前でぼんやりしている俺を見て怪訝そうな顔をするが、すぐに笑顔になったチファがお土産です、と瓶詰めのリンゴを差し出してきた。

 話を聞いてみると、マールは秋リンゴのコンポートのことを以前に食べたことがあるらしい。俺が宿に到着する前にその匂いがした気がして思い出し、勉強で疲れたチファと食べに行ったらしい。

 当然ながら、チファとマールが部屋に戻る時には誰ともすれ違っていなかった。




気分次第では明日にも次の話を投稿するやもしれませぬ

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