2-1 ヒュレの街
ドン引きしている門番にアホボケカスを引き渡して街に入った俺を迎えたのは、セントとよりも一回り低い印象の街並みだった。
低いと言っても民度とか抽象的な話ではない。物理的に建物が低いのだ。
街を囲む壁もセントに比べて低かった。セントの場合は間近に魔物の領域があったのでそれと比べれば低いのは当然か。
おそらくセントが栄えているということなのだろう。そもそも街の大きさでもセントが上だ。
探索者向けの安い宿を取る。今度は五人で泊まれる部屋を取ることができた。
ちょうど昼時だったので五人で昼食を取りながらヒュレの街での予定を話しあった。
ウェズリーとシュラットは近くの魔物の領域で討伐依頼をこなす。チファは勉強。マールは教師役。俺はウェズリーとシュラットの付き添い、黒刃蛇の皮で防具をあつらえる、空いた時間で送還魔法について勉強することとした。
昼ご飯を食べ終えるとウェズリーとシュラットは早速組合へと駆けていった。もう依頼を受けるには遅い時間かと思ったが、とりあえずどんな依頼があるか確認しつつ領域にいる魔物について調べるとのことだった。
チファとマールは歩き疲れたらしく今日は宿でまったりすることにしていた。
片手に黒刃蛇の皮が入った袋をぶら下げて一人で街を歩く。街の中での単独行動はずいぶんと久しぶりのような気がした。
目的地はセントで教えてもらった店だ。蛇の皮を使って防具を作ってもらうのである。
実のところちょっとばかり緊張している。ファンタジーの職人と言ったら妥協を許さず気に入った相手としか仕事をしない気むずかしい人たちといったイメージがある。
もちろん命を預ける防具を作るのに手抜きをされたら困るが、度を超して気むずかしくて防具を作ってもらえないのも困る。
大丈夫かな、と考えながら歩いていれば店の前に辿り着いていた。
一度深呼吸して息を整える。ここまで来てタダで帰るなんて選択肢は当然無い。
さあ、鬼が出るか蛇が出るか。
なんて考えて自嘲する。こんなものは慣用句だ。町中にある店から鬼や蛇が出てくるなんていくらファンタジーでもあり得ない。
ドアを開いた俺を出迎えたのは呼び鈴の涼やかな音と、
「いらっしゃい」
鬼だった。
―――
「待てや」
思わず反転してダッシュしようとしたところ襟を掴まれた。
俺が逃げることを読んでいたかのような対応の早さだ。手慣れてやがる。
抵抗むなしくひょいと店内に引っ張り込まれる。
入り口近くにあった椅子に座らされる。その手つきが思いの外丁寧であり、なんとなく鬼のこれまでの苦労が察せられたのでおとなしく座らされることにした。
「茶を出すから少し待ってろ」
こちらが逃げようとしなくなったと分かると鬼は手早くお茶を淹れ始めた。
その様子は優雅と言っていいほどなめらかだった。
「そら飲め」
かちゃりと小さな音を立てて鬼の見た目に似合わない可愛いカップが椅子の傍らのテーブルに置かれる。蒸し時間が足りないのではないかと思ったが、お茶はしっかり色が出ておりほんのり花の香りがした。
どことなく疲れた様子の鬼を見ながら紅茶をすする。
鬼は怖い顔をしていた。
角張った輪郭。口を閉じていても除くほど大きな犬歯。目は大きいが瞳が小さく絵に描いたような三白眼。乾いた血のような色の髪は炎のように逆立っている。特に両目の上の髪はガッチリ固まっているようで角にしか見えない。
節分に見る鬼のお面を本気で怖くしたような顔面である。
「悪いな、乱暴なまねをして」
「別にいいよ。むしろ助かった」
捕まらなかったらそのまま逃げただろうし。そうしたらまた来るときに入りづらいし。お茶も普通においしいし。
鬼はそうか、とため息をついて対面に座った。
「そう言ってもらえると助かる。新規の客がなかなか店に入ってくれなくてな……」
「まあ、それは、うん。がんばれ。店内を少し明るくすれば良くなるんじゃないかな」
鬼は体もでかい。職人というのは肉体労働でもあるだろうしそれはいい。むしろ体力ありそうな見た目は職人感を醸してくれる。
ただし鬼のような顔面、薄暗い店内との取り合わせがあまりにも良くない。この人が製品加工用の刃物とか持っていたら、そのまま猟奇ホラーのワンシーンである。
「あんまり明るいのは得意じゃないんだが、その方がいいのかな……」
「あと髪型。赤くてとんがってて鬼の角みたいに見えるんだけど」
「そりゃ角だからな」
角。言われて頭をまじまじ見てみると、根元は繊維質のようだが先端に行くほど表面の凹凸が減っている。
「……え、人に角が生えてるのか」
「おれは犀の獣人の血が混じっているからな」
獣人。獣の要素を持って生まれた人々。
そうだ、すっかり忘れていたがこの世界にはファンタジー的人種もいるのだ。魔族くらいしか直に見たことなくて忘れてた。
確か人に獣の要素が混じっているのが獣人、獣に人の要素が混じっているのが人獣だったはず。戦争の時にフクロウ頭で腕から羽を生やしているビスティという魔族がいたが、あれは人獣なのだろう。
「悪い、それじゃ髪型の問題じゃないな」
「構わんよ。いっそ角切った方がいいかな。……っと、すまんな愚痴ってしまって。おれはテイニン、ここの店主だ。今日はどんな用件だ? 魔物の素材を使った道具の製作か? 修理か? 相談にも乗るぞ?」
俺が持ってきた袋にちらりと視線をやって、鬼改めテイニンが身を乗り出した。
「この間魔物の皮が手に入ったから、それで防具を作ってもらいたいんだ」
「ほう、なんて魔物の皮だ? 防具は何を作る? 鎧か、盾か、それとも服か」
「とりあえずクロークと、素材にあった軽いやつを作って貰おうかなと。素材は黒刃蛇の皮な」
「ほう、ほうほう!」
黒刃蛇と聞いた途端にテイニンの目に光が灯る。それはまさに獲物を前にした鬼の形相である。
「ちょっと見せてもらっていいか」
「どうぞどうぞ」
言うとテイニンはさっと袋を持っていった。
袋を開く手つきは荒っぽかったが、素材の扱いは丁寧だった。皮と骨をひとつひとつ吟味し、袋に入っていた時と同じ状態にしてテーブルの上に広げる。
素材を光に透かしてみたり手のひらに乗せて重さを確認したり、押して強度を調べたりしている。その間ヒマだったのでテイニンを観察し素材のどういう部分を見ているのか予想したりしていた。
やがてテイニンは一通り見終えると、ほうと息をついた。
「骨の強度がすばらしい。背の皮は頑丈な鱗で覆われている割に柔軟性があるから厚手の布のように扱えるな。腹の皮はこのまま服にしても良いくらいに柔らかく手触りがいい。厚みもあって衝撃吸収性にも期待が持てる。
討伐する際の傷みもない。加工の腕もいい。文句なしの一級品だな。クロークは内側を腹の皮、外側を背の皮で縫い合わせ、表面を加工して形を整えれば十分だろう。背の皮は鱗の一枚が小さい分、単体で鎧にするには向かない。骨が軽い割に頑丈で弾力もあるから、鎧にするなら骨で補強する形がいいだろうな」
「おお」
俺にはテイニンの言葉がどれくらい的確なのか判断する知識はないが、話を聞いて納得できた。力強い判断は安心感がある。依頼人に不要な疑問を抱かせないのも職人技だと思うほどだ。
顔面が鬼というハンデを背負ってなお店を営業できるということはハンデを上回る何かがあるということ。テイニンは腕の良い職人なのだろう。
「確認するが、この素材で作る防具はお前が使うでいいな?」
「そう。さすがに魔物の領域に防具なしで潜るのは危険かと思ってさ」
「そりゃそうだな。見たところその服もいいモンだが、それだけじゃ心許ない。……軽い装備と言っていたが、どれくらい防具を作るつもりだ? 全身分を一式か? 必要な部分だけ作るか?」
「持ってきた素材でどれだけ作れるかによる。素材が余るようなら全身分の鎧を作ってみるのもありかと思ってるけど、とりあえずクローク優先だな。鎧的なものは、作るなら手甲とか考えてる」
「なるほど。皮が結構あるからその気になれば全身分の鎧も作れるが、面積あたりで使える皮の量が減るから勧めはしない。おれとしてはクロークを上等なものにすることを提案したい」
「クロークに上等もそうでないもあるのか」
先ほど二枚の皮を継ぎ合わせて表面を加工すると言っていた。それだけだとするなら素材の量で品質が決まるとも考えづらいと思うのだが。
「おれは素材の圧縮技法が得意なんだ。皮を圧縮して重ねれば、同じ厚さでも頑丈さは大きく違ってくる。もちろん大量に素材を使う分ほかに使える素材は減るが、クロークの品質は相応に良くなると保証しよう」
なんというファンタジー技法。強度を保ちながら体積を減らすとかどういう原理なのかすごく気になる。ただ圧力をかけるだけではいずれ中途半端に元の体積に戻ってしまいそうだが、テイニンの様子からするとそのあたりの問題はクリアしているのだろう。
圧縮技法というのに興味があるし、クロークは戦闘時以外でも防塵・防水のために使える。鎧を作ったところで使うかどうか分からない。
「それじゃあめいっぱい良いクロークを作ってくれ。他の防具は素材が余ったらなんか頼むよ」
「よし、承った。……話の順序が逆転してしまったが、予算はどれくらいだ? クロークだけでもこれくらいかかるが」
「ぅわお」
加工料は金貨二枚。日本円にして二十万円程度。
主な素材は俺が持ち込んだのでこれは加工のみの費用である。
ぶっちゃけ高いと思う。日本なら二十万円あれば完成品のブランドものが買える。
「言っとくがこれ以上はまからんぞ。交渉前提の値段で持ちかけてたらボッタクリ呼ばわりされたことがあるからな。うちは素直に価格表示している」
テイニンは鼻を鳴らしてどや顔しているが自慢することではないと思う。
「これってどういう内訳なんだ? 職人が技を振るうわけだからその費用は入っているとして、あとは加工用の薬品とか?」
「それもある。あとは主に縫合用の糸と圧縮に使う設備の稼働費用だな。糸は戦闘用の丈夫なものを使うし、設備は結晶石使うから金かかるんだ」
「なるほどなー」
せっかく頑丈な素材を使っても簡単にばらけてしまったら意味がない。素材の劣化を防ぐためにも上等な薬品を使う。高値で売れる結晶石を使う設備は運用コストも高いだろう。
組合が紹介する加工屋が推薦するような店だし本当にボッタクリということも考えづらい。仮にボッタクリだったとしても勉強料と思おう。
何より蛇討伐で得た報酬から簡単に捻出できる額である。
「加工に使う素材をけちれば安くできるが、それなら皮を売ってその金できちんと加工された防具を買うことをおすすめする。素材が良いだけじゃあ防具としては三流だからな」
「じゃあ金貨二枚コースで。ちなみにオプションある? 魔法耐性とかあれば是非ものなんだけど」
「もともと使うつもりの薬品に魔法耐性を引き出す効果もあるし、黒刃蛇の皮自体に耐性があるから安心しろ。これ以上となると色竜級の素材に使うようなものになるから、取り寄せにかなり時間がかかるぞ」
「そりゃ残念」
この店で常備している最高ランクの素材を使って加工するのに金貨二枚。
最初は高いと思ったが、命を預けるものに対する投資だ。それで身代が傾く訳でもなし、けちる必要はない。
「よし、決まりだな。完成まで五日ほどかかるが、どうだ」
「問題ない。五日したら取りにくればいいか?」
「ああ、そのときに最終調整して納品だ。加工が終わり次第連絡するから、宿がどこか教えてくれ。……そういえば名前も聞いてなかったな」
「そういえばそうか。俺はサイカ、討伐者をやってる」
「了解した。じゃあ最後に採寸だな」
「えっ」
「えってお前、寸法が分からんと装備なんて作れんぞ」
「あー……」
俺は平均と比べてちょこっとばかり小柄である。それゆえ身体測定や採寸といった、事実を数字として突きつけられることが苦手なのである。
まさか異世界に来てまで採寸なんて屈辱を味わうとは。
採寸のあと、ぽそっと聞こえた「こんな小せえの作ったことねえな」というテイニンの呟きが俺の心を抉ったのは言うまでもない。
……引き渡しの時にめっちゃ値切ってやろうかあの野郎。
―――
テイニンの店で諸々の手続きを済ませて組合に向かう。
もしかしたらウェズリーとシュラットがいるかもしれない。少なくとも装備ができあがるまではこの街に留まるので、近くの魔物の領域について調べておきたい。
道中で二人に会うようなことはなく組合に辿り着いた。
ドアを開いた俺を迎えるのはセントの組合と同じような事務っぽい窓口。ぐるりと辺りを見回すがウェズリーもシュラットもいなかった。資料室にこもっているのだろうか。
ヒュレの街の組合は閑散としていた。
依頼が張り出してある掲示板の周りにほとんど人がいない。依頼を見てみると草食動物や肉食獣の群れの討伐依頼があった。どちらもセントではあまり見なかったタイプの依頼である。
依頼文を読んでみると作物に食害が出てるとか野良仕事をするのに危険だから討伐してくれ、といった内容。
ヒュレの街のそばにある魔物の領域は平原。そばと言ってもセントのように魔物の領域に面しているわけではない。街の外で農業をしているからこその依頼だろう。
セントに比べて依頼が少なかった。組合が混むような時間帯でないこともあるだろうが人気も少なく、クロークができあがってから長居することはなさそうだ。
そう結論づけて資料室に入るための手続きをしようと窓口の方を向いた時だった。
ちょうど、それまで窓口で職員と談笑していた男が話を終えて出口へ歩いて行った。
男の格好はどこにでもいそうな普通のものだった。顔は目が細いくらいしか特徴がなく、髪の色もどこにでもいそうな茶色。歩き方も普通だった。
それなのに違和感があってなんとなく目で追ってしまった。
なぜだろうと思って見ていたら、男が視線に気付いたのかこちらを向いた。
男と目が合った。
その瞬間にぞわりと寒気が走った。
やばい、と思った。関わり合いにならない方がいいと直感した。
根拠はない。ただなんとなく、こいつはやばいと感じた。
刺激しないように会釈をひとつ。あまり近付きたくなかったが組合に留まることへの忌避感が強く、早足で組合を出た。
魔力感知と薄く放った錬気で男が追ってきていないか確認しながら宿へ歩く。
幸い、男が俺のあとをつけてくる様子はなかった。慌てて組合を飛び出したことで目をつけられたのではないかと不安だったが杞憂だったらしい。
ふう、と息をついて鍵をひねり、部屋のドアを開ける。
「やあ、おかえり」
そこにはチファでもマールでもウェズリーでもシュラットでもなく、さきほど組合で目を合わせた男がいた。
本筋とはまったく関係ありませんが、テイニンが店で可愛いカップを使っていたのは、ちょっとは新規の客の気を紛らわせることができるんじゃないかと思ったからです。実際には招きたい新規の客はお茶を飲むところまで来てくれず、常連には似合わないと爆笑されたりしています。




