1-10 セイン
「一撃。一撃で仕留めたのか」
遅れて追いついたリニッドはいかにもドン引きといった様子だった。
抜き身の剣を持っているところを見ると手を貸してくれるつもりだったのだろう。
仕留めた大牙猪をしげしげと眺めるリニッドは頭を見た時に若干後ずさりした。
「ところでこいつって売れるのかな」
大牙猪の体重は数百キロあるだろう。肉が売れるなら万々歳だし、毛皮も使えるかもしれない。目立つ牙の価値も気になるところ。
「肉は諦めとこう。ここまで育っていると肉は固い。イモとか食ってる個体ならいいが、肉を食って育ったやつは臭みもひどい。牙は売れるから取っとけ。毛皮は売れるかもしれんが、すまん。おれにはこの大きさの猪の毛皮を売れるほど綺麗に剥ぐ技術がない」
「……言うまでもないけど、俺にもそんな技術はないっす」
「まるごと持って帰るには荷車でもなきゃ難しいな。さっさと血抜きできれば荷車を持ってくるまで持つかもしれんが、ここまで大きいとつるせる木や綱を確保するのも難しいだろ。ていうかそこまでやっても採算取れるか微妙だしなあ」
「もったいないけど放置するしかないか」
肉や魚の腐敗を遅くする保存の魔法も存在するが、かければ何時間でも保存できるというわけではない。付与してから一時間も保てば良い方で、長距離の運搬に使う際には術者が常にそばについて維持するらしい。
こんな森の中まで台車や荷車を持ってくるなんてあまりにも面倒くさい。錬気で覆って引きずっていこうかと思ったが、何百キロもある生物を引きずって傷つけないほどの具現化は難しい。できたとしてもそんなことができる俺が何者なのか、という疑問が生じるかもしれない。
放っておけば他の動物が食べるなり土に還るなりするだろう。
「それなら、結晶石だけでも持っていけば?」
俺とリニッドが放置する方針を決めると、先ほど助けた少年が口を開いた。
「結晶石ぃ? 大牙猪は魔物だが、ほとんど魔法を使わないやつだぞ。そうそうできねえだろ」
「そうそうできないだけでこいつは持ってるよ。嘘だと思うならボクが取り出すけど」
「ほー、ならやってみろよ」
「分かった。猪の腹を割くことになるけど、あなたもいい?」
「構わないけど」
どうせ放置するなら毛皮が傷付こうが知ったことじゃない。
それはそうと結晶石ってなんだ。
「魔物の体内でまれに作られる幻素の結晶だよ。高く売れるが滅多に取れん。大牙猪は魔法を滅多に使わない種類だからなおさらだ」
「天然真珠的なものか?」
話からするともっと幻素密度の高い場所にいる、魔法をガンガン使う魔物なら持っている確率も高そうだ。
「……あの」
リニッドと話していると少年がおずおずと声をかけてきた。
結晶石を取り終わったのかと思ったが手にはしょぼい短剣一本を持ってるだけだった。
「これじゃ毛皮を切れなかったから、刃物を貸してほしいんだけど。できれば手伝ってほしいんだけど」
目を逸らしながら言う少年にリニッドはあっけにとられていた。
確かにそのしょっぱい刃物じゃ獣の頑丈な毛皮を裂くには心許ないわな。
「分かった。解体は俺がやるから指示してくれ」
―――
初っぱなに思いの外たくさん血が出てびびったこと以外はさくさくと進んだ。血抜き大事。
肉を食べたりする訳ではないので内臓を傷つけるのも構わず手早さ重視で解体を行ったところ、胃のそばにあった内臓から小指の爪くらいの大きさの半透明な石が見つかった。
「マジであったよ……」
リニッドは目を丸くして呆然とつぶやいた。
少年は鼻をつまんでいるので表情が分かりづらいが、眉を寄せて不安げな様子。
とりあえず重要な結晶石だけ確保して猪の死体から離れる。腸を傷つけてしまったせいで非常にくさいのだ。
しばらく誰も口を開かず歩き、臭わないくらい距離を取ったところで少年がバックパックから小さな革袋を取り出した。それを俺の前につきだしてくる。
「これ、ボクが取ってきた薬草。その結晶石と合わせれば大牙猪討伐の報酬程度にはなると思う。お礼はこれでいいかな」
少年は早口にまくし立てる。
「いや、別にお礼とかいらないんだけど。その場の勢いで仕留めただけだし。結晶石が手に入っただけで十分だろ」
「その大きさの結晶石じゃ四級の大牙猪討伐の報酬としては安すぎるんだよ。だからこれも受け取って」
「受け取っとけよ。助けられた時にまともな礼もしなかったなんて話が広がったりするとこいつが困ることになる。理由もない贈り物じゃないんだから、もらえるもんはもらっとけ」
「……まあ、そういうことなら。どうも」
評判とかメンツとか、あまり意識したことはないがそういう話なのかもしれない。
あのままだとこの少年は死んでいただろうし、命を助けたことに対する報酬と考えれば抵抗はない。自分より年下の相手から報酬として仕事の成果を巻き上げているとか考えてはいけない。
俺が受け取ると、礼は済んだとばかりに少年が足早になる。
「そういえば、きみはなんて名前なんだ」
ふと思って声をかけると少年は足を止めた。
体はそのまま、顔を半分だけ振り向く。名乗りたくないが、助けられた手前むげにもできないと考えていそうである。
「セイン。摘み師をやっている」
「分かった、セインだな。ところで提案なんだが、一緒に組合へ行かないか」
「……なんで」
「メンツとか評判に関わることならちゃんと明確にしといた方がいいだろ。どうせ俺もこのあと組合へ行くし、ついでに組合の人に俺がセインを助けて、セインが俺に報酬を払ったことを報告しておこうと思って」
あと、体力使い果たして魔力も全身にうっすらまとっているだけのセインをひとりで帰らせるのも不安である。今なら普通の獣に襲われても殺されてしまうだろう。
せっかく助けたのに死なれてもそれはそれで気分がよくない。
「……わかった」
どこまで意図が伝わったのか分からないが、セインは視線を合わせず頷いた。
そこからセインの歩調は緩くなり、俺たちは三人で帰路につく。俺はいまひとつ道が分からないのでリニッドが前に立ち、俺とセインが並んでその後ろをついていく。
行きは仕事ということで緊張していた。帰り道は周囲を警戒しつつも景色を楽しんでみよう、などと思っていたが周りは木ばかりである。これでもかというほど森である。わかりやすい景勝地などではなかった。残念ながら俺には周囲の木々や草花を見分けるほどの知識がない。周りを眺めるのにもすぐに飽きる。
「なあセイン、どうして森の奥まで入ったんだ? 危険なのは分かりきっているだろうに」
呼びかけるとセインは俺の方を向いたが、続いた質問に顔をそらした。
魔物の領域は中心部に近いほど幻素濃度が上がり、幻素濃度が高い場所ほど強力な魔物がいることが多い。摘み師が森の奥へ分け入るのならば、相当に優れた隠密技能を持っているか強い護衛を付ける必要がある。
セイン本人の戦力がさほどでもないことは大牙猪から逃げ回っていたことで明らか。隠密技能が十分ならそもそも猪に見つかるようなヘマをしていないはず。つまりセインは実力不相応な領域に踏み込んでいたことになる。
「……別に。奥に生えてる植物ならいつでも売れるから行っただけ」
「ふうん」
なぜ実力不相応な領域に踏み込んだのか、という疑問への回答はない。明確に聞いたわけではないので質問の意図が通じていないかも、と思ったがセインは俺から目を逸らしている。何か後ろめたいことがあるような振る舞い。
答える気がないのなら踏み込んで聞くつもりはない。適当に相づちを打つと沈黙が訪れた。
そのまま歩くことしばし。ふとリニッドが口を開いた。
「おれからもひとつ聞かせてもらいたいんだが、あの猪に結晶石があるって分かったのはなんでだ」
「最近ずっと森に潜っていたから、あの猪が領域深部で魔力を大量に含む植物を食べているのを見てた。あのサイズだとかなり長い間生きているみたいだし、その間体内に魔力を蓄積し続けたら結晶石のひとつやふたつできる」
打って変わってセインは饒舌に語る。まるであらかじめ用意していた回答文を読み上げるような口調。
これまでの話を統一すると、結晶石というのは魔物の体内に蓄積された幻素が結晶化したもの。嫌なイメージだが、尿路結石的なものなのだろう。通常は仕留めてみないと結晶石を持っているか分からない。
けれどセインは初めからあの大牙猪に結晶石があると確信していた。結晶石ができるメカニズムが分かっているならセインの話は理にかなっているように思える。
リニッドはハ、と笑った。
「そんな何度もメシ食ってるところまで観察できる腕があるならそもそも見つかってねえって理屈は分かるな。そんな腕のあるやつが猪に見つかって、あまつさえ無策で背中向けて逃げるだけ? ちっとばかり無理があるんじゃねえか」
「あ、そうか。ものを食べてる時は無防備だもんな。猪だって周りを警戒するに決まってる」
「それだけの腕ならそもそも見つからねえ。万一見つかっても大丈夫なように対策くらい練ってるもんだ。見つかった上に無策ってのはちょっとありえねえな」
「それは……」
セインは言葉につまり視線を左上に泳がせる。
希少で高く売れる結晶石が獲物にあるか見極める方法があるならそれは極めて有用な技術だろう。公表すればそれだけで相当な名声を得られるだろう。金が目当てなら優秀な討伐者たちと組んで結晶石を回収すればいい。使い道はいくらでも思いつく。
それを黙っていたということは何かしら話したくない理由があるのだろう。
リニッドがセインを問い詰めることで生じる息苦しい雰囲気は俺にも苦い気分を与える。
俺はさっさと帰って初依頼を達成させ、晴れがましい気持ちで寝床につきたいのだ。こんな後味悪いことはやめてほしい。
リニッドもセインもセントの街に戻るのだから、問題の先送りにしかならない。そう分かっていても口を挟もうとした時にリニッドが大きなため息をついた。
「と、まあこんくらいその言い分は無理がある。お前さん、嘘がド下手だな」
言って、リニッドは足を速めた。これ以上の回答を求めるつもりはないと示すように。
俺は小走りにリニッドに追いつく。
「ああちくしょう、もったいねえ」
リニッドは不機嫌丸出しにつぶやいていた。
「もったいないって何がだよ」
「結晶石を持ってるか判別する方法だよ。問い詰めりゃ吐くかもしれねえし、バラされたくねえなら部隊に入れとも言える状況じゃねえか。それを自分でフイにしたんだから笑えねえ」
「そんなに毒づくくらいなのに実行はしないんだな」
「できるか。あいつは助けられて、それに対して正当な報酬を払うために結晶石の判別方法を持ってるってバレる危険を冒したんだぞ。バカ正直かよ。あんな危なっかしいガキ相手にそんなみっともないことできるか」
いかにも苛立った態度だが、言っていることはひたすら真っ当である。たぶん街に戻っても追及することはないだろう。
会話が聞こえていたのか、セインも珍獣を見るような目をリニッドに向けていた。
―――
組合に到着する頃には日が暮れていた。
討伐依頼はつつがなく達成。セインを救助した旨を含めて報告し報酬を受け取る。結晶石やセインからもらった薬草の売却益を含めるとけっこうな収入になった。無傷の帰還かつ消耗品の使用もなかったので経費もかかっていない。フォルトでくすねた金品に比べればはした金だが、どうにもにんまりしてしまう。
連名で村の調査依頼を受けていたため、村で魔族を討伐した報酬もまとめて支払われた。こちらはウェズリーとシュラットにまとめて渡すとしよう。
もくろみ通りリニッドには色を付けて謝礼を支払った。いらねえよ、と言われてもまあまあとなだめすかして渡すといかにもしぶしぶといったていで受け取った。ありがとうございました、とお礼を言うと想像通りの困ったような、嫌そうなような、まんざらでもなさそうな表情を浮かべた。
セインは報告を終えるとすたすた足早に去ってしまった。
リニッドと別れた俺はセインの魔力を感知して後を追う。
無性にセインのことが気になった。
なぜか。考えたら答えはすぐに出た。
死んでしまいそうだからだ。
今にも、というわけではない。しかしこのままでは遠からず死んでしまうだろうな、という妙な確信があった。
思い返せば組合に到着した日に受付でなんでだと怒鳴っていたのはセインだった気がする。摘み師であるにも関わらずひとりで魔物の領域の深くへ踏み入り、魔物に見つかって逃げ惑い、助かった後にもぴりぴりした空気をまとっていた。
余裕がないのだ。
綱渡りも結構。時にはリスクを冒さなければ手に入らないものだってある。
しかし、寝不足で意識も朦朧とした状態では曲芸師にだって難しいだろう。セインには実力があるのかもしれないが、コンディションがあまりにも悪いように見えた。
人気もまばらな夜の道。セインの背中はすぐに見えた。
「なあセイン、何かの縁だしメシでもどうだ」
声をかけるとセインはこちらを振り向くが、目つきは険しい。
「そこそこ金も入ったし、なんかおごるよ」
「いらない。サイカには助けてもらったことは感謝しているけど、さっき報酬も払っただろ。もう関係ない。ボクはそろそろこの街を出る。のんびり夕食なんてしている暇はない」
にべもない拒絶。セインはすぐに前を向いて歩き出した。
二の句は継げなかった。
親切心をむげにされた――ことはまあしょうがない。良い気分ではないが、小さな親切大きなお世話なんてままあること。セインにだって断る権利がある。
死んでしまう気がするというのも俺の気のせいかもしれない。
手をさしのべたつもりだが、振り払われてまで手を伸ばす義理はない。今日会ったばかりのやつをここまで気にしていることがおかしい。
我ながらどうかしている。
俺は歩く向きを変え、宿へ戻ることにした。
―――
「おかえりなさい、おつかれさま」
部屋に戻るとにこりと笑ってマールが迎えてくれた。
思えば日常的なシチュエーションで目を合わせて「おかえり」なんて言われたのは何年ぶりだろうか。
なんとなくむずがゆい気持ちで「ただいま」と返した。
気恥ずかしさが伝わったのか、マールは笑みを深めた。
「サイカ、夕ご飯はどうしたの? 外で食べてきた? まだこれから?」
「まだ食べてないから下で何か食べてこようかと。疲れたし、軽くでいいか」
疲れて腹が減っているのは間違いないが、部屋に戻ったとたん眠気が強くなった。適当につまんでさっさと寝て、明日改めて食べればいい。
「なら宿の人に部屋まで持ってきてもらおう。ちょっとお話でもして待っててさ、眠くなるまででいいから、いろいろ聞かせてよ」
マールが部屋の片隅にあったベルを鳴らすと、少ししてから宿の人が来た。あり合わせで軽食をもらえるよう頼み、マールと会話する。
リニッドというどこから見てもチンピラにしか見えない男が実はものすごく常識的ないい人だったこと。実際に討伐するより下準備や移動に時間がかかったこと。初依頼はつつがなく済んだこと。帰り道で他の探索者を助けたこと。帰りに助けた探索者を夕飯に誘ったが断られたこと。
途中で宿の人が持ってきた軽食を食べたりしながら話をした。
マールは依頼が完了したところまでは「わー」とか「すごい」とか笑顔で合いの手を入れてくれていたが、探索者を助けたあたりから小首をかしげていた。
報酬が結構いい額だったので、明日は何かうまいものでも食べに行きましょうか、なんて話すと「ふうん」と心ここにあらずといった様子で相づちを打つ。なにか怒らせるようなことでも言ってしまったかと思い表情をうかがうと、マールは思案顔をしていた。
「……マール?」
「あ、うん、ごめんね。ちょっと眠くてぼんやりしちゃった。サイカも疲れているでしょう? そろそろ寝ようか」
マールは特に怒った様子もなく立ち上がる。俺としても無理矢理に話を続ける理由もない。ざっと片付けをして床についた。




