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二、咲かせる花

 己が思い描く「理想の姫君」像が実は陳腐な虚像だとセリカは感じていた。そう感じていながらも、今夜はその虚像に少しでも近付こうと思って、柄にもない工夫に勤しむ。

 たとえば、うなじや手首の内側に香油を塗ってみる。

 たとえば、窓際に立って優雅な仕草で頬杖を付き、夜空に向かってため息をついてみる。

「これ何の香りだったかしら、バルバ」

「プリムローズですよ。姫さま」

「ふうん、いい匂い」

 名残惜しいような気持ちで、香油のビンをそっと閉めた。プリムローズ、先駆けて咲く春の花。

 ――馬鹿みたいだと思う。

 上辺だけ着飾っても、根底が変わるものではない。ほとんど宮殿に閉じ込められて育った身でも、自分はやはりそこらの深窓の姫君とは違うのだった。うまく説明できないが――仕草や立ち居振る舞いが問題なのではなく、思考や感性が別物なのである。

(男の兄弟と気兼ねなく接することが許された時点で、あたしの窓は開け放たれてたものね)

 そういう意味では、ずっと家族に甘やかされてきた。

 大公妃たる母の気品を正しく受け継いだ姉と妹に挟まれていたからか、 セリカは跳ねっ返り娘でいても大目に見てもらえた。こちらの不足を補ってありあまるほど、二人は模範の公女だったのだ。

(甘やかされたツケを払う時か)

 わかっているからこそ、常よりも着飾る努力をする。身支度のみにこんなに時間と手間をかけたのは、十四歳の頃に迎えた成人式以来ではないだろうか。

 姿見で全身を見直した。なるほど、立派な貴婦人に見えなくもない。

 先方が用意した衣装にほとんど着替え終わって、残すところはベールだ。何故頭髪を布で隠さなければならないのかが理解できないが、しきたりだと言うので、従う。とはいえ、セリカやバルバティアでは巻き方がわからない。

 そこで他の女官に手伝ってもらった。

 さまざまな色合いの紫に彩られた衣装に薄紫のベールはよく映え、額にかかるレース模様もなかなかに美しい。

(宮殿内の女性って、みんなこんな格好なのかしら)

 何もかもが新鮮に感じる。女官たちに至っては目元以外の全身を覆っているくらいである。

 これが祖国ゼテミアンであれば、女性は髪を盛って見せびらかすのが基本だ。どんなに布を重ねたとしても、肩や首周りの曲線を隠さないどころか、なるべく強調する。

「こんなに髪も肌も入念に隠して……あたし、無個性じゃない?」

「大丈夫ですよ、姫さまはかんばせだけで十分に魅力的です。きめ細かな肌、長い睫毛、甘やかなオレンジヘーゼルの瞳。一度お目にかかれば二度と忘れられないような美貌ですもの」

 そう言いながらも有能な侍女はセリカの化粧の具合を隅々まで確かめてくれる。

 セリカは普段あまり進んで化粧をしないため、それが必要になった際には自分ひとりでうまくできない。側仕えの力が無ければどうなっていたか。その為の侍女なのだと言えば確かにそうなのだが、他人に何かを頼り切るのはどうにも落ち着かない。

 相手がバルバでよかった。信頼できる者が側に居てくれるのは凄く幸せなことなのだと、改めて再確認する。

「やめてよ、褒めたって何も出ないからね」

「あら、何も? おやつくらいくださってもいいのですよ。そうですね、晩餐会からくすねてみるとか!」

 悪戯っぽく笑って、妙案とばかりに彼女は人差し指を立てる。バルバティアは甘味に目が無い。それでいて太りにくい体質なのか、出るべきところは出て引っ込んでいるべきところはちゃんと引っ込んでいる。羨ましい限りだ。

「でもこの服、袖がぴっちり手首にくっついてるから、ものをこっそり詰めて持ち出すのが難しそう」

「何の為のパルラですか!」

 バルバは大袈裟に仰け反って、セリカが自国から持参した衣類を指差した。寝台の上で山積みになっているそれらの頂には、青緑色の外套がある。肩や腰を接点にして巻く長方形の一枚布で、祖国の旧い言葉でパルラと呼ぶ。なんでもこの一点物は、絹という高価で貴重な生地を使ったものらしい。

 それゆえに、正装をする時のみに併せてこれを着ることにしている――断じて、人目を忍んで菓子類を持ち出す為に用いているのではない。

 セリカは腕を組んで考え込んだ。

「うーん、今回はやめとくわ。デザインの相性も問題だけど、色が合わないのよね」

 そもそも頭と首に既に布を巻いているのに、胴体にも何かを巻いたら、やり過ぎのように思える。

「残念。さて、装飾品が最後ですね」

 そう言ってバルバは壁際のサイドテーブルに向かった。そこには大きな丸い箱が置いてある。

 指先の脂が移らないように手袋を嵌めてから、彼女は慎重に箱の中身を取り出した。

 宰相経由で渡されたこの「贈り物」を身に着ければ、仕上げである。

 現在は病床に臥せっているらしいヌンディーク大公からいただいた、豪華なネックレスだ。ガーネットとカーネリアンのビーズを何列にも連ね、時には大きく平らな石で花弁や葉を模している。離れて眺めれば満開の花と成るそれは、セリカの首の根元から胸を覆うまでに広がった。

 公女として生きてきて日が浅くないが、これほどの代物は初めて見る。一目で虜になるような素晴らしい一品だった。

「そういえば姫さま、わたし他の女官から聞いたんですけど」留め具をかけてくれているバルバが、セリカの肩越しに呼びかけてきた。「ここでは、床に座って食事をするそうで」

「えっ、床?」

「椅子を使わずに、専用の絨毯を敷くそうですよ」

「なんだか食べ辛そうね」

 体勢が辛くないだろうか。しかしなるほど床に座るのならば、この衣服の重装ぶりも頷ける。膝丈のチュニックの下にスカートを、くるぶし丈のスカートの下にもズボンを履かされているのだから。

「お行儀よくしていられる自信がないわ」

「がんばってください」

 苦笑してバルバが手を放した。

 ネックレスのずっしりとした重みを鎖骨や胸元に感じながら、セリカは姿見の前で回転した。裾の長いスカートは広がりようも緩慢だが、それがまた心地良い。

 そこにバルバが「完璧です!」との声援を添える。

「何があっても、どんなに派手に失敗してもわたしは姫さまの味方です! 泣き付く胸が必要になったら、このバルバティアがいつでもお貸しします!」

「あたしが失敗するのが当たり前みたいに言うわね」

 くすくす笑って、セリカは自分よりやや背が高くて肉付きの良い侍女を抱擁した。

「バルバの胸があれば、安心だわ。ありがとう」

「いいえ……わたしにできることなんてこれくらいですから。後はお願いします、公女さま」

「!」

 驚きに彼女を見上げる。最後の一言を反芻して、頭の奥が冴えていった。

 それは、ゼテミアン公国の一国民としての頼みだったのだろう。

「我が国の更なる発展の為、新しい貿易ルート開通の為に。任せなさい。ヘマなんてしないわ」

 ――縁談は商談、全ての段取りには意味がある。

 ヌンディーク公子との婚姻をもって本国が富を得るのならば、価値のあることだと言えよう。

 左手首に肌身離さず付けている、貴金属の細い腕輪に口付けを落とした。これは代々のゼテミアン大公家の人間が与えられる、身分の証だ。外側にはセリカの名と祖国を讃える一文が、内側には父母の名が刻まれていた。

「――行きましょうか」

 それからピンと背筋を伸ばし、ゼテミアン公国第二公女、セリカラーサ・エイラクスは不敵に微笑んでみせた。


_______


 香炉の煙が夜風に乗って舞い上がるさなか、出来立ての料理の芳香が微かに混じっているのがわかる。

 なんて美味しそうな匂いだろう、と喉が反射的に伸縮した。次いで呼応するが如く腹の虫が鳴りそうになるのを、セリカは腹筋に力を入れて阻止した。

(あぶない、あぶない)

 ここは大いに人目がある。刹那の焦りは微塵も面に出してはならない。

 回廊を滑るようにして進み、先を行く案内役の者の背中を見つめた。やがて回廊の果てにて彼はぴたりと足を止め、左を回り向いた。

「公女殿下のご到着です」

 良く通る声で、案内役が宣言した。北の共通語だった。

 このアルシュント大陸はおおまかに北半分と南半分に分けてそれぞれに定められた共通語がある。故郷では南の共通語が使われているのに対し、ヌンディーク公国では北の共通語が使われる。ゆえにあまり生活の中では聞かないが、公女ほどの身分ともなれば、幼少の頃から両方とも学ばされてきたので何ら問題はない。

 案内役が横に退いてつくってくれた隙間を、セリカは恭しく通過する。回廊からいくつかの段差を下りた先は、中庭へと連なる石畳の道だ。

 石造りの広大なパヴィリオンの方へと、真っ直ぐに向かう。半月を高く掲げる晴天の下、静かな庭を横切っていった。

 パヴィリオンの中には、楕円形の絨毯を囲んで待ち受ける人影が見える。

 今度は段差を上がっていく。一歩、また一歩、ゆっくりと。

 柱の合間をくぐって、セリカは屋根に守られた空間に足を踏み入れた。

 すると人影が一斉に立ち上がった。席はわかりやすく男女に分かれている――入り口から向かって右側に女性が三人、左側に男性が四人。

 更に奥に一人。セリカの立ち位置から最も離れている、楕円の対極に居る人影は、妙に小さかった。

(幼児……?)

 身長の低さといい肩の細さといい、子供で間違いないだろう。不思議に思ったものの、すぐに思考は遮られてしまう。

「ようこそ、殿下」

 一番手前に居た長身の男が代表して迎えてくれた。彼は膝に手を置き、腰を直角に折り曲げた。この国の旧い方式での礼だ。

「こんばんは。今宵はお招きいただき、ありがたき幸せにございます」

 セリカも同様に深く腰を折り曲げて礼をする。

「長旅でお疲れでしょう。さあ、お席へどうぞ。すぐに料理を運ばせます」

 長身の男はにこやかに言って、セリカの座るべき位置を掌で示した。女性側で、ちょうど一番手前の辺りがくっきりと空いている。

 その言葉を機に、他の六人も腰を下ろしていった。

「ありがとうございます」

 条件反射で微笑を返した。自らの席へと足を運びながら、さりげなく他の女たちの座り方を目に入れた。彼女たちは一様に膝を揃えてはいるが、踵を各々好みの角度で斜め横にずらしているようだった。

(踵の上に腰かけなくていいのなら、座って食事をしても足が痺れなくて済むわね)

 納得して、皆に倣う。乱れた衣服の裾を丁寧に拾い上げて揃えたりもした。

 ――さてどうしたものか。

 絨毯に施された美しい刺繍を視界に収めながら、この場で守るべき作法を幾つか思い起こす。視界の端で、燭台の炎がちらついた。

 きょろきょろしてはならない。必要以上に異性と目を合わせてはならない。

(無茶な話よね。向かい側に居るのが異性だけだってのに)

 集まっている面々がどんな人間なのか、じっくりと観察したい。好奇心が疼いて仕方がないのに、セリカは膝上で組み合わせた自身の指先を見つめることしかできない。

 背後で使用人たちが動き回っている気配がする。彼らはよく訓練されているのだろう、音を一切立てずに馳走を盛った容器を運んでくる。セリカの侍女たるバルバも、手伝っているはずだ。

 このようなぎこちない時間は、幸いと長く続かなかった。

「では料理が揃うまで、我々から殿下に順に自己紹介をいたしましょう」

 最初に迎えてくれた男がそう提案したのである。

(よしきた!)

 意識して、なるべくゆっくりと顔を上げた。

 真正面には言い出しっぺの彼が座している。二十代後半だろうか、立派な髭を生やし、威風堂々としていていかにも公族然とした風貌だ。頭には布を巻いているが、女性のそれとは違って布をより立体的に分厚く巻いている。これは確か「ターバン」と呼ばれる代物であった。

「お願いします」

 短く答えて、男の次の言葉を待った。

 ところが横合いから、正確には右に一席ずれたところから、別の声が上がった。

「いいんですか? 揃ってないのは料理だけじゃないでしょう、兄上」

 セリカは思わず言葉を発した者に視線を移した。

 艶っぽい声で話した男は、これまた艶っぽく微笑んでいる。歳の頃はそう変わらないだろうに、彼が兄と呼んだ隣の男との対比がまず目に付いた。

 同じ伝統的な衣装であっても、弟の方は詰襟のチュニックをはだけさせている。かけ外されたボタンの間から胸板が覗くが、その着崩しようはだらしないというよりは、色香をうまく演出していた。

 長い髪は高く結い上げられ、そして何故かターバンは解かれて肩にかかっているように見えた。

 髭を生やしていないからか中性的な印象を受ける。

 彼はこちらの眼差しに気付いて、満面に笑みを浮かべた。

「ああどうも。私はアストファンと申します、麗しい姫殿下」

 不覚にもセリカは返答に窮した。建てた片膝の上で頬杖をつき、流し目を送る美形の男がそこに居るのだ。客観だけでなく主観で見てもたいそう色っぽいとは思うが、この場合はどう反応するのが正解だろうか。

 とりあえず「うふふ」と笑っておいた。

「アストファン、おまえ……! 順番を守れ! それと、ターバンはちゃんと頭に巻けと何度言わせれば気が済むのか!」

「ああ、耳元で叫ばないでください、ベネ兄上。そんなに形式を重んじる必要があります? これから家族になるというのに」

 煙たそうな目で、長髪の美形――アストファンというらしい――がのんびりと仰け反った。

 自由な男だ。おそらくは場の流れをつっかえさせる類の自由さである。

 それを制したのは、アストファンから二つ右の席の少年の特大なため息だった。

「アスト兄上、おやめください。見苦しいですよ。他国の姫君の前でこれ以上僕たちに恥をかかせるおつもりですか」

 まだ声変わりも済んでいないような、耳に優しい声音は、それでいて毒を孕んでいた。

「ハティルの言う通りだ。確かに揃ってないが、公女殿下の時間をいたずらに浪費するのもいけない」――ベネと呼ばれた男は楕円の最奥へと首を巡らせた――「アダレム、任せたぞ」

 つられて全員の視線が、幼児の元へと集まった。

 五、六歳くらいの男児はびくりと大きく肩を震わせる。それから目を泳がせること数秒、やっとのことで口を開いた。

「えっと……よ、ようこそ、おこ……おこしください、ました。ぼくは、ぬんでぃーく公国、だいなな、公子。あ、あだれむ……アダレム、ナーガフ、です」

 何度もどもりながら彼は名乗りを上げた。

 幼児、第七公子、アダレム。セリカは要点だけをかいつまんで脳内で復唱し、より効率的に情報を覚えようとする。ちなみに顔は、席が離れているのであまりよく見えない。

「セリカラーサ・エイラクスですわ。よろしくお願いします、アダレム公子」

 ふわりと微笑んでそう返すと、アダレムは萎縮するように身を引いた。この幼児は恥ずかしがっているだけなのか、それとも笑いかけたのは間違った作法だっただろうか。セリカは本気で悩みかける。

 先ほどハティルと呼ばれた少年が、また嘆息した。

「大事なことが抜けているぞ、アダレム」

「え、え、ぼくなにか、まちがえた」

 アダレムは泣きそうな顔になっている。それを、彼の隣のハティル少年はきつい声音で責め立てた。

「お前が第一公位継承者、つまり父上の跡継ぎだってことも言わないと」

「あ、あ」

 いよいよ泣き出す寸前の第七公子。そのやり取りを眺めながら、セリカは失念していた事実を思い出した。

(そうだった! ヌンディークは末子相続の国だったわ)

 長子相続の国が大多数のこの大陸では珍しく、最年少の公子が後継者となる構図である。確かこの国のシステムのもとでは、上の兄弟たちは成人したら巣立って、採掘場を任されたり、州や領地を治めていく。富をもたらし発展を促し、見聞を広めて末弟に伝えたりと、色々な利点はあると言われている。

 こうして考えると、この場に大公の兄弟が居ないのは皆それぞれの州に残っているからだろう。

 物理的な距離を置けば公子同士で争うことも少なくなり、円満に国は回っていくらしい。加えて、後継者が若いということは、大公と大公の即位までの間隔が長いということ。

 頻繁な代替わりを避けることで政の混乱も避けられる。反面、劣った為政者に当たれば長く国は苦しむことになりかねないが、そうならないように他の人間が色々と支援するものだ。

 要するに、年が若いほどに身分が高いのだ。

 だから兄たちが何かと場を仕切ることがあっても、最後には第七公子の顔を立てているのか。席も、パヴィリオンの奥から入り口に向かって幼い順に座っていると推測できる。

 ――女性側の序列はどうなっているのかよくわからないが。

「アダレム殿下が次の大公陛下となられるのですね」

 相槌を打って、なんとかその場を収めようとする。アダレムは鼻を啜りながらも点頭した。

 紹介は次に進んだ。

「……では続きまして、僕は第六公子のハティル・ナーガフです」

「初めまして、ハティル公子」

 先ほどから何度か発言している彼は、十二か十三歳くらいの生意気そうな――もとい利発そうな少年である。隙の無い姿勢や吊り上がった形の両目も相まって、鋭い性格を思わせた。

(第六、ハティル。手厳しい感じ)

 この少年は、どこか近寄りがたい雰囲気である。今後もあまり関わり合いにならない方がいいのかもしれない。

「おれは第四のウドゥアル。ウドゥアル・ヤジャット。なあ、まだ食べちゃダメかー? 腹減ったー。宴だろ、踊り子はいつ来るんだ」

 ハティルの隣の青年が言い終わらない内にだらしなく寝そべった。セリカを一瞥した後、使用人を急かすことにばかり気を取られている。

(わあ、ひどい)

 口では適当な挨拶を返しながら、セリカは脳内でまた要点を復唱した。

 肥満怠慢、第四公子のウドゥアル。この男は二十歳くらいだろうか、ゴブレットを手に持ち、顎鬚を撫でては出っ張った腹をかいている。似たような服装の人物が並ぶ中、この男は横幅が際立っているので覚えやすそうだ。

 否。どうにも全員が濃い人格を有しているためか、案外早く覚えられそうな気がする。大公世子となるアダレムを除いて、公子たちはどれも自己主張が激しい。

 ついでに言うと、ハティルが汚いものを見る目で隣の兄を見下ろしている。上の二人に至っては、ウドゥアルの動向を完全に無視していた。

「はいはい、病で死んだ第三を飛ばして、次は私だね。さっきも言ったけれど、第二公子のアストファン・ザハイルです」

 長髪の美形が妖艶に笑ってこちらを見つめた。かと思えば、おもむろに彼は下唇を舐めて身を乗り出した。

「それにしてもゼテミアンの姫殿下、君は実にきれいな眼をしているね。第五なんてやめて、私の妃にならない?」

「おいアストファン! おまえはまた適当なことを! ナジュ州に残してきた三人の妻が泣くぞ」

 ――三人!?

 二度目の不覚、セリカは表情筋を驚愕に歪めた。すぐに我に返って微笑を戻したが、既に誰かに見られたかもしれない。

「でもベネ兄上、私まだ子供産まれてないですし、保険の為にあと三人は娶ってもいいと思うわけですよ」

 彼がそう抗議すると、叱った側の男性は目に見えて怯んだ。

「それはまあ……子が産まれないのは気がかりだが……」

 怒る勢いが萎えたのか、ベネと呼ばれる男性が居心地悪そうに座り直した。

(なんなのこいつら、調子狂うわ)

 頑張ってお行儀良くしようとしていた自分が滑稽に思えてくる。

 しかし、今のやり取りで察せたことが幾つかあった。

 第三の前に第五公子まで飛ばされたのだから、先ほどの「揃ってないのは料理だけじゃない」発言の意味するところがハッキリわかる。

 待ってやらなくていいのかとも思うが、それはこの際忘れよう。

 成人している左から三人の公子たちは、普段は己の管轄する区域で暮らしていると考えられる。妻と子供を州に残して、自分たちだけで都に帰省したのだ。

「いけませんよ、アスト兄上。此度の縁談はエラン兄上でないと成り立ちません。我が国の属領であるルシャンフ領を通る行路を、姫君の国が欲しがっているんですから」

 おかしくなった空気を修正するのは、またしても第六公子のハティルだ。

「そうか、そういえばそうだったね。ああ、政略の絡む結婚は面倒だ」

 第二公子は大袈裟に嘆いてみせた。

 よもやあんたは政略の絡まない結婚ばかりしてきたのか――と訊き返してやりたいが、我慢する。

(ふーん。第五公子はエランっていうのね)

 耳に入った僅かな情報を拾って、吟味する。名前の響きは嫌いじゃない。だからどうということはないが。

 そうしてようやく、最初に応対してくれた男性の番となった。

「私が第一公子、長兄のベネフォーリ・ザハイルです。ベネと呼んでくださって構いません。これからはご自分の兄弟と思って接してください、公女殿下」

「ありがとうございます」

 ベネフォーリが会釈してきたので、セリカも会釈を返した。

 この人は故郷の兄を彷彿させる。どことなく暑苦しいが、頼りになりそうな雰囲気。それがよく知っている人間に似ているためか、話していると安心できた。

 男性全員の名前がわかって、料理も出揃ったように思えた。残るは女性の紹介か、と右に視線をやる。

 すぐに彼女たちも奥から順に自己紹介していった。これが驚くほどに流れ作業だった。

「わたくしが第六と第七公子並びに第二公女の母です」

「わたくしは第一、第四公女とウドゥアル公子の母です」

「わたくしはベネフォーリとアストファンと、第三公女の母です」

 静かに一言ずつ述べて、妃たちは再び押し黙る。

(名前までは名乗らないのね)

 息子と比較して、まるで自己主張をしない女たちだった。これがしきたりなのか、それとも彼女たちがそういう性格であるからなのかは、判断しかねる。

 よろしくお願いしますと定型の挨拶を返す間、セリカはひとつのことが気になっていた。

 第五公子の母親と名乗り出た妃が居なかった。

 どんな事情があるのだろうかと考え出したところで――

 いきなり「ぎゃあ」と叫んで、パヴィリオンの床に寝そべっていたウドゥアルが跳ね起きた。全員の注意がそちらに向く。

「お、おまえ、いるならいるってなんとか言え!」

 ウドゥアルはわなわなと震える指を差して庭の中の何者かを非難している。人差し指の数フィート先に、いつの間にか現れていたのか、いかにも屈強そうな戦士風の男が佇んでいた。

「タバンヌス。お前の主も来ているのだな?」

 第一公子ベネフォーリがその男に問いかけた。

 戦士は無言で一歩横に移動した。彼の背後から、体付きの細い青年が進み出る。

 ターバンから外套に至るまで、青年は深みのある紫色を身に纏っていた。

 そこでセリカは、図らずも自身が与えられた衣装も紫を基調としたものだと思い出す。もし作為的に合わせられたのだとしたら――自ずと知れよう。この青年こそが、明後日には結婚せねばならない相手――

(ええええ!?)

 驚きすぎて転げそうになるも、絨毯を両手で掴んで必死に堪えた。

 青年は、初めて会う人間ではない。服装は全く違うが見間違えようがなかった。

 相変わらず顔の右半分を被り物から余った布で覆い隠していて、左耳からは涙滴型の青い耳飾を垂らしているからだ。

(こいつ、昼間の――!)

 唖然としてセリカは青年の一挙一動に釘付けになった。

 森で会ったのはごく短い時間のことで、相手にそれほど関心があったわけでもないので、顔立ちなどの細かい特徴はほとんど記憶していない。だが一致した特徴の特異性により、同一人物であると確信が持てた。背格好も記憶の通りだ。

「さすがだよエラン。主役が遅れて参上するとはイイご身分だね」

 アストファン公子の冷やかしをものともせず、青年はパヴィリオンの階段を上がるなり唇を開いた。

「ヌンディーク公国第五公子、エランディーク・ユオンです。公位継承権は、三位となります」

 練習でもしていたのか、完成された口上だった。一句ずつ丁寧に発音されていて聞き取りやすく、間の取り方もほど良い。

 けれどもそれ以上に気になる点がある。

(……顔が半分しか見えないのに、なんて鮮やかな作り笑いなの)

 意外にも、仲間意識のようなものが芽生えかけた。セリカも愛想笑いばかりしていて口周りの筋肉が痛いのだからか、親近感が沸いてしまう。

「お会いできて光栄ですわ、エランディーク公子」

 こちらも自然を装った笑顔で応じる。

「何かあったのか? こうして皆が遠方から集まってきたのに、断りもなく晩餐の席に遅れるのは……感心しないな」

 第一公子ベネフォーリが眉根を寄せて、第五公子に弁明を求めた。しかしそこでも第二公子が横槍を入れた。

「見え透いた嘘こそ感心しませんね、ベネ兄上。我々が帰ってきたのは何も、可愛い弟の結婚を祝う為ではないでしょうに」

「…………」

 絨毯を囲って座る五人の公子と三人の妃を包む空気が、どんよりと重苦しくなった。

(どういうことなの?)

 結婚式の為でないのだとしたら、この人たちは何の為にムゥダ=ヴァハナに帰ってきたと言うのか。

 嫌な空気の中で平然としている者が一人、それは遅れて登場した当本人であった。

「彼女には申し訳ないことをしました」

 第五公子は優美な身のこなしで身を屈めて石の床に膝をついた。お待たせしてしまってすみません、とこちらに向かって頭を下げる。

 内心では「まったくだわ。昼間の態度についても謝りなさいよ」と毒づきながらも、セリカは控えめに微笑して会釈を返した。

(憶えてなかったりしてね)

 改めて考えてみると、今のセリカは昼間とはかなり印象が違うはずだ。化粧を施した顔で儚げな表情を浮かべているし、一番目立つ特徴である、黒に近い赤紫色の髪は完全に被り物に隠れている。

 エランディーク公子はそのまま空いている席で胡坐をかいて、気だるそうに言葉を継いだ。

「公女殿下とお会いするのもご馳走を口にするのも楽しみにしていましたよ。ただ、そうですね。兄上たちと顔を合わせずに済むならそれに越したことはないと思い、つい足が重くなってしまいました」

 一瞬セリカは耳を疑った。左斜め前の青年をまじまじと見つめるが、ちょうど布で隠れている側なのでどんな表情をしているのかがうかがえない。

(面と向かって凄いことを……)

 肝が据わっているのかただの馬鹿なのか。

 これでまた空気が重くなるのかと思えば、膝を叩いて大笑いをする者がいた。

「あははは! お前は清々しいほど協調性の無い子だね」

「アスト兄上。協調性って、あなたがそれを言いますか」

 と、ハティルが呆れたように頭を振っている。

 見かねたベネフォーリ公子が青ざめた顔で額を押さえた。

「公女殿下……弟たちが何度も失礼を……至らぬ点が多くて、申し訳ありません」

「いいえ。皆さま、とても溌剌としていて微笑ましいですわ。いずれはわたくしもこの輪に加われるのかと思うと胸が躍ります」

 むしろ変にかしこまられるよりは、多少失礼な方が人間味を感じる。だからと言って、自分が輪に加わっても同じように振る舞えないのが暗黙のルールだが。

「そう仰っていただけると救われます」

 裏の無さそうな笑顔でベネ公子が応じた。やはりまともに話ができるのはこの人だけだ。

 彼の勧めでアダレム公子が食前の祈祷を唱える。そうして正式に食事会を開始し、いつの間にか庭に集まっていた楽師が演奏で場を華やがせた。

 ここでは食器を使わず、手で食べるらしい。掴みにくそうなものはパンで包んで口に運んだ。

 お口に合いますかと第一公子が問えば、美味しいですわとセリカが答える。刺激的な味や香りは慣れないが、基本的に料理は美味だった。

(これからずっとこういうのを食べるんだから、早目に慣れないとね)

 スプーンがあればいいのにと思うが、わざわざ使用人に持って来させようものなら、自尊心に関わる。

「時に姫殿下。君は、気になってるんじゃないかい」

 余計なことしか言わない男としてすっかりセリカの中でイメージが定着しつつある第二公子が、ふいに話しかけてきた。

「はい?」

「エランは諸事情により、いつも顔の右半分を覆っていなければならないのだよ」

 アストファンが楽しそうに告げる。

 セリカの薄笑いが引きつった。

(そりゃあ気になってるわよ。でもその言い方は無神経じゃないの)

 本人が話題にするならともかく。いくら家族でも、この切り出し方は大いに問題があるだろう。

 座席の位置関係により、当のエランディーク公子がどんな反応を示しているのかが知れない。反論するわけでもなく、彼はもしゃもしゃと咀嚼音だけを発している。

(あ、そっか。森で鉢合わせした時の「わからないのか」は、噂を耳にしていれば一目でわかるような外見的特徴があるから)

 ふとそのことに気付く。

 意識し出せば次々と疑問が沸き起こってやまない。何故顔を隠す? いつからそうしている? 布の下には一体何がある――?

「生涯を共にする相手がこんな風貌でガッカリしたかい」

 例によってアストファンから、どう反応すればいいのかわからないような質問が来た。

「めっそうもありません」

「本当に? 正直に言ってもいいのだよ、姫殿下」

 ゴブレットから酒を一口飲み干して、長髪の美形は艶やかに笑う。

「アストファン、よせ」

「ベネ兄上、私に怒るべきはあなたではありませんよ。本人が何も言い返さないのに兄上が逐一介入してきては、エランの立つ瀬を奪っているようなもの」

 ベネフォーリの制止の声はあっさり撥ね退けられた。

 ここまで言われていながら、エランディーク公子は尚も無関心そうに食事に専念している。

 セリカはその心中を察そうとする。もしも造形の醜さを理由に顔を隠しているのなら、世にも珍しい美丈夫たる兄にからかわれるのは屈辱の極みだろう。

 或いは、セリカの方が何かの探りを入れられているのだろうか。兄弟ぐるみでこちらの出方をうかがっているという可能性も否めない。

「アスト兄上」

 そこで、カタン、と第五公子は食べかけの骨付き肉を皿に下ろした。極めて平淡な声だった。

「なにかな。エラン」

 呼ばれた男はやたら嬉しそうに答える。楽師たちの弾く曲も、ちょうど軽快であった。

「あまり彼女を追い詰めるような質問をしないでください。誰しもが兄上の妃たちのように、意のままに結婚できるわけではないのですから」

 数秒の間があった。

「ふっ、ははは! 顔を赤くして怒鳴るベネ兄上も捨てがたいが、眉ひとつ動かさずにそういう返し方をするお前もからかいがいがあるというもの。おかえり、エラン」

 言葉の応酬を繰り広げる二人をよそに、場には冷えた空気が漂った。

(ええっと……これは、庇われたと解釈すべき……?)

 言われてみれば、結婚相手を自ら選べない立場の人間に「婚約者に会ってみて落胆したか」と訊くのは酷かもしれないが、自分のことだからかセリカはいまいち理解が追いついていなかった。

「いい加減にしてください」

 嘆息がよく似合う少年、ハティル公子が口火を切る。

「がっかりするも何も無いでしょう。必ず行路を開通できるとの確証はありませんけど、ゼテミアンの望む結果をもたらせるとしたら、ルシャンフ領の領主であるエラン兄上だけです」

 ――彼の発言が、確定的な事項を要約した。


_______


「ねえ姫さま、お顔を常に隠さなくてはならない事情って何なのでしょうか」

「あたしだって知りたいわよ、バルバ」

「生まれ付いてのアザ、火傷、傷跡……それとも。の、呪いの類でしょうか。何でしたらわたし、それとなく噂話を聞き出してみましょうか」

 侍女バルバティアの小声での提案に対して、セリカはしばらく唸った。

「うーん、すっごく興味あるんだけど、それだけはしちゃいけない気がするわ。自分で本人に訊けないようじゃどのみちこの先うまくやっていけなさそうで」

「でも」

「大丈夫よ。心配してくれてありがとう」

 半ば強がりで、友に笑いかける。本心では、あんな得体の知れない男とうまくやっていける気が欠片もしていなかった。

 しかし運命というものは、心の準備が整うまで待ってはくれない。

「そろそろ目を開けてもいい?」

「まだです。右の瞼に塗り残したところが……」

 セリカはやんわりとバルバを急かした。晩餐会をなんとか無事に乗り越えたはいいが、これから大公陛下に謁見しなければならない。その為に化粧や被り物を整え直しているのである。

 父親以外の大公に会うのは初めてだ。一国の主の前に立つのだと再認識すると、手足が勝手に強張る。

 ひとりで行くのだとしたらそれだけで胃が痛くなるものだが、今回に限っては同伴する者がいる。それはそれで別の意味で気が重い。

 やがてバルバの手が止まり、「終わりました!」の一言が降りかかった。

 セリカは椅子から素早く立ち上がって身だしなみの最終確認をした。スッと立ち居振る舞いを正し、廊下に滑り出る。

「お待たせいたしました」

 戸の隣で待ち構えている青年の方を見ずに、恭しく一礼する。

 なんでも、貴婦人は夫の三歩後ろを歩くものらしい。重ね重ね思うが、煩わしい風習しか残っていない文化だ。

 目を合わせずに連れ立つには相手の足元を見つめるのがコツ、と教えてくれたのは母だっただろうか。セリカはしばらくその場でじっとした。

 ところがいくら待っても、視界の中の黒い長靴は動こうとしない。

「随分と他人行儀だな」

 ――だって他人でしょ?

 これから他人じゃなくなるのだと頭ではわかっていても、心はそう易く追いつかない。

 やっと喋ったかと思えば、何の文句だ。セリカは唇の間から漏れそうになった嘲笑を呑み込んだ。

「仰る意味がわかりません。エランディーク公子」

「エランでいい、公子も殿下も要らない」あの気力に乏しい話し方で、彼は呼び名を改めるように求めて来た。「今更取り繕わなくていい。森で会った時の方が、生き生きとしていた」

 作法も忘れてセリカはガバッと顔を上げた。

 身長が等しいがゆえの目線の近さに、不意を突かれる。青灰色の瞳が涼しげにこちらを見返した。

「……憶えてたのね。ううん、あの時点であたしの素性に気付いてた?」

 遅れて目を逸らす。取り繕わなくていいと彼が言ったのだから、言葉遣いだけは崩した。

「外見的特徴は一通り聞き知っていたからな」

 黒い長靴は踵を返して歩き出した。その三歩後ろを、セリカは付かず離れず追っていく。

「あと、気性が荒いとも聞いた」

「ちょっと。人を暴れ馬みたいに言わないでくれる」

 それには返事が無かった。

(誰よ、誰がそんな情報を回してるの!)

 セリカは自分が穏和さから程遠いことは知っている。それでも十九年の人生の間、うまく誤魔化してきたつもりだったのに。

「あたしの方は何も聞かされてなかったのよ。あんたからすれば、さぞや間抜けに思えたでしょうね。まさかとは思うけど、都から迎えに来てくれてた――とか」

 急にその可能性に思い至り、セリカは恐る恐る訊ねてみた。もしそうならば、こちらの人となりが意に沿わなくて森から立ち去ったのだろうか。

 廊下の先を歩く青年が、立ち止まって振り返る。

「いや……? 暇があったから馬を走らせてみただけだ。たまたまそこにお前が居た」

「……そう」

 どんな答えを期待していたのか自分でもよくわからなかった。その正体に気付けるよりも早く、期待は呆気なく萎んだ。

(だめだ。やっぱり、仲良くなれそうな気がしない)

 もう諦めようと思って、セリカは静かに歩みを再開した。エラン公子もそれきり口を噤んでいる。

 数分後には二人してひとつの扉の前に立っていた。宮殿の奥深いところ、寝室が並ぶ区域にあった。

 大公の御身は玉座の上にない。

 セリカはハッとなった。

(それか! 大公が病床に臥せっているから、息子たちがこぞって帰って来たんだわ。そりゃああたしたちの婚儀なんて二の次よね)

 国の主の命の危機だ。おそらくは、誰も想定していなかったような突然の変化だったのだろう。世継ぎであるアダレム公子に圧し掛かる重圧のほどは、想像に難くない。

「父上、エランです。公女殿下をお連れしました」

 近くの衛兵に目配せしてから、第五公子は声を張った。

 くぐもっていてよく聴こえなかったが、中から返事があった。それに伴い、入り口の左右の二人の兵士は無言で扉を引いてくれた。

 暗い部屋だった。香か薬草か、変な臭いがツンと鼻孔を刺激する。

 空気の流れからしてそれなりに広いのだろうが、光源が少ないからか、狭苦しいように見える。

 天蓋付きの大きなベッドに、男性がひとり横たわっていた。傍らには医師らしい老人と女性の姿がある。女性はこちらの入室を認めるなり深く礼をした。先ほども会ったこの人は、大公妃のどれかである。

「おお、ようこそおいでくださいました。もっと近くに――」

 ベッドの上の男性が、ゆっくりと身を起こした。その背中を支えるように、傍の女性がすかさず枕を二、三個挟んでいく。

 初めて目にしたヌンディーク大公は、こちらの目が疲れるほどのたくさんの装飾品を身に着けていた。それでいて顔面蒼白で頬は痩せこけ、眼差しも不安定だ。こう形容してはとんでもなく失礼だが、幽鬼のようだとセリカは思った。

 宝石の名産地であるヌンディーク公国では、男性は存外さっぱりとした格好をしている。彼らにとっては運気を呼び込み健康をもたらすとされる宝石類は、成人男性であればひとつふたつ持ち歩くだけで事足りるらしい。現に、公子たちは目に付くほどの装飾品を身に着けていなかった。女性は自身の健康のみでなく病弱な子供や老人と多くの時間を共にすることから、複数の守護石を常に身に着けるのが普通だとか。

 この場合は快復祈願に、大公はこれほどまでに宝石に埋もれているのだろう。

 セリカは彼に向けて礼をしたり正式な挨拶を述べたりと、まずは謁見の堅苦しい部分をやり過ごした。

 その内、大公は話題を婚姻の方へと向けた。

「エランは気難しいところもありますが、性根が真面目な子です。きっと殿下と仲睦まじくやっていけるでしょう」

 ――やっていけますかねえ。

 喉まで嫌味が出かかった。口では適当な相槌を打つが、頭を下げたまま、こっそりと右隣の青年を瞥見する。

(……え)

 ほんの僅かな変化。確かにセリカは暗がりの中でそれを見た。

 エラン公子が、嫌悪に口元を歪めたのである。果たして彼は、大公からのお言葉のどの部分に不快感を覚えたのか。刹那の間に無表情に戻ったので、真相はわからない。

「まだ夜はこれからというもの。親睦を深めるいい機会です、二人で話に花を咲かせてみてはいかが」

 大公は病床の上から、嬉々として命令を下した。

 未婚の男女がひとつところに二人きりで過ごすのは、この国の貴族であればあってはならないことのはずだ。

 ならばこれは異国人であるセリカに対する、大公なりの気遣いだろうか。

「どうだ、エラン。東の塔なんて見晴らしが良いだろう。公女殿下にムゥダ=ヴァハナの夜景をお見せしなさい」

「そうですね。そうします」

 第五公子が淡々と了承の返事をした。

(この無気力男と二人きりで何を話せって!? 無茶言わないでよ!)

 心の声とは裏腹に、セリカも大人しく会釈した。

 かくして、今日初めて会う異性と夜景を眺める運びとなった。

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