第40話 私は自分勝手
今回、長文であることとグロテスクな表現である部分があります。
苦手ならブラウザバック推奨ですが、出来ればじんわりする話も入っているので是非読んでいただきたいです。
それでは、お楽しみください。
健吾は獣の背中に乗っていった。
その獣は、狼のような見た目をしていて黒い。名前をレオという。
————まあ経緯を述べれば、死ぬほど頼み込んで運んでもらっているわけだが、これが本当に早い。
早すぎてまた、同乗者を気にして走ってはくれない。
振り下ろされそうになるのを必死に踏ん張りながら、健吾は置いて行ったベスティアのことを気にしていた。
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健吾が頭を下げて、どうにか街まで運んでもらえるよう頼み込んでいるとベスティアは俯いて小さくうめていた。
何をうめているのを考えたとき、初めトイレか何かと思ったが違うことを瞬時に察する。置いて行かれることを懸念していると思った。
だから、すぐにそれを否定しようと思って近寄るが、ベスティアは半歩下がる反応を見せた。
この時、彼は何を思ったのだろうか。
おいて行かれる不安を抱えて、それでも半歩下がった理由。足手まといにならないよう気を利かして? 確かに、街に入るのに苦労するだろうし、お互いに足手まといだ。いい未来は見えない。
人への恐怖が再熱した? それは、どうしようもないが……もしかして、一人で何かしたいとか、目的があるのか?
―――分からない。言葉が違う俺たちは明確に伝えたいことが伝わりきれない。それはいつもそうだった。
地下世界にいたあいつらは杉山さんが人間と会話をできるように訓練していた。
だが、この子は違う。覚えたところで珍しがらがれてより狙われるだけだ。
健吾は怯えた瞳をしたベスティアの顔を見て、悩んだ末に包み込むように抱きしめると、
「戻ってくる、とりあえず様子見てきて大丈夫だったら戻ってくる。だから、待っててくれ」
―――そう伝えると、嬉しそうな表情を浮かべていた。
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その後、去り際にもう一度服を引っ張り自分を指さした後にレオのことを指さしていた。
やっぱり連れて行けということかと思って、当然困った表情を浮かべるしかなかったが首を何度も降っていたのでようやく名前を付けて欲しいという意図が伝わった。
それから、何となく最近パンを食えていないことから「パン」と名付けたのだが、果たしてこんなのでよかったのだろうか。
鳴き声はいつもの声だったが何だか、嬉しそうに聞こえた気がした。
―――ともかく、それは後回しにするとして今はあの煙の正体がなんであるかが重要だ。
ただの火事……とかならいいが、嫌な予感がする。
一番それを感じたのは、風に乗って鼻に付いたあの匂い。地下世界で嗅いだことのある不快な匂いだった。
更に、一番不可解なのが地上に一つのモンスターの死体が見当たらないこと。そういった清掃の機関があるのか、もしくは消滅するのかは分からないが、地面の所々に黒ずみと草が生えていなかったところがある。
多分だが、あの付近に死体があったはずだ。
それらの情報から想像できうる可能性があの場で分からずじまいであったある謎。『屍の王』の正体だ。
もし、あれが地下世界が目的で放ったものではなく、意図しないところで発動していたものだとしたら。
もし、あの目的が地上にあったとしたら……?
―――――健吾たちは木々をハヤテのごとく駆け抜ける。右へ左へ振り回されながら木の葉に虐めを受けて、視界が開けた場へ出る。
顔を伏せていた健吾は鬱蒼とした森を抜けたことに気付き、顔を上げると街の門が見えた。
レオもわかっている様子で門を目指すと、橋の前で減速を始める。
遠目ながらに見える不気味さ。悪寒の漂う空気。初めの頃とは全く違う不穏な空気がヒシヒシと伝わってきた。
遠方から、座り込んだ黒いシルエットが見える。レオに指示して近づいてもらうとそこにいたのは、あの時見た門番のうち優しくしてくれた男性の姿だった。
片目を抉られ、眼球が中の筋繊維に引っ張られてぶら下がっていた。
貫かれた腹部は臓器が垂れ流れ、地面が血の海となっている。喉が割かれていたため、叫ぶ間もなく動脈をやられたに違いない。
表情が困惑と恐怖の狭間をさ迷った表情をしていた。
「うっ……」
健吾はむせ返る腹の底の嫌悪感を感じる。
ネットで見るグロ画像や祖母の死化粧とは全く訳が違う。まるで子供が遊んだおもちゃのように清廉さが欠片もない。
人としての原型を保っていない存在がここまで吐き気を催すものだとは思ってもいなかった。
気付けば、地面に俯き地面に広がる吐瀉物の海を眺めていた。自分の声とは思えない悶える声、口の中に不快な酸っぱさが残る。
今まで味わったことのない、感情。それもそうだ、こんな惨状、現実で見る機会などあるわけがない。
こんな、惨劇――――
門の奥へ、手前の遺体に視線が行きがちな中さらにその奥へ視線を送ると、そこはまるで地獄と言っても差し支えのない凄惨な現場と化していた。
視界一杯に広がる、血、血、血。
壁面の色は赤黒く変色し、誰のかも分からない肉片がこびり付いている。
道の端には先ほどの遺体と似た見る影もない、人であったものが大量に転がっている。子供の手のみを握ったまま腹部に風穴が空いている母親。その背後に腕を無くした少女。奇しくも、腹部に大きな穴を開けて絶命している。
逃げようとして、間に合わなかったのか扉の前に転がる生首。半開き状態で奥からは座り込んだ体が見える。その近くに彼女らしい女性が服を酷く乱されたままピクリとも動かない。
その道を挟んで奥の壁沿いに大柄な2M近くの男性がダルマの様に丸まっていた。
鎧を装備しているものの片腕は無く、抵抗も虚しかったのか何かを抱きかかえるようにするのが精いっぱいの様子で————
—————いや、見たことある背中だ。
失った腕。この背中、この髪色、この感覚…………健吾はレオから降りると恐る恐る近づき、顔をのぞき込んだ。
ダグタリオ・ハイルング。見間違えることのない彼の姿だった。
悲しみ、驚き、絶望、恐怖、焦燥。様々な感情が渦巻き、呼吸が荒くなる。
腰が砕けるように座り込んで、瞳孔が小さくなったまま戻らない。
息一つ一つが正常な思考を奪っていき、呼吸の速度を上げていく。視界が白み、握った拳に力が入らなくなっていた。
抱きかかえているのは、姿が見えないが、小さな足と、見たことある杖。多分、ユリさんだ。全く、動いていない辺り、彼女ももう……
…身近だった人の死は慣れない。例え、地下世界で多くの人を失ったからと言って、耐えられるものではない。
今ですら、心のどこかではまだ生きている可能性を捨てきれずにいる。
「ア”ア”ア”ア”ア”……」
固まっていた思考に殴り掛かってくる声。
零れたように掠れた声であったが、あの時の恐怖を蘇らせるには十分だった。
即座に後ろを振り向くが、正しく顔を認識する前に襲い掛かっていた。
恐怖のあまり、咄嗟に口を掴む。なんのモンスターであったか分からなかったので、とにかく無我夢中でつかんだ。すると、上唇が段ボールのように剥がれた。
その外れた口を投げ捨て即座に距離をとる。見た目は狼、レオに似た見た目であった。
だが、かなり腐敗が進んでいて歩行をすることも不思議なぐらい体の重要なパーツが抜け落ちている。
健吾は、頬に付いた狼の腐敗液を拭うと不気味に近づいてくるソイツに警戒心を巡らせる。
飛びかかってくるか、否かといったときに、先に飛びかかったのはレオ。
いとも簡単に後ろ足でソイツを蹴飛ばし、半分に吹き飛ばす。
正直、レオが手助けしてくれるとは思ってもいなかったので、唖然としていたが、レオは何とも言えない顔で四足立で待っていた。
その表情から読み取れるメッセージは、熱意か、無関心か。それは定かではないが彼にもこの一件で思うことがあるのだろう。
少なくともこの事件の発端に少なからず恨みはあるはずだ。
レオの覚悟に乗っかり背中に跨ると、更に街の中心を目指した。
遺体も血も、まだ新しかった。それに奥から微かにまだ声が聞こえる。
背後の彼らを尻目に健吾たちは走り出した。
こんなことを止めるためにも————-
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息を荒げながら裏路地を駆ける。
両手で大事に抱えているのは、まだ歩くこともままならない息子。
右肩から絶えまなく血が垂れ流れていても構っている暇はない。その背後から不気味なうめき声が聞こえるから。
「はぁっ! はぁ……はぁっ……っく……」
心音が煩い。まるで耳たぶにぶら下がっているかのよう。
とにかく前へ、進むことだけに集中する。前へ、前へ、音がする方へ。
大通りに出れば、危険はあれど誰かが助けてくれるはず。
彼の命は無駄にできない。彼の思いを、この子の命を、未来に繋げなければ……っ!
彼女は、最後の彼の声と、表情を脳裏に焼き付けど思い出さないようにしていた。
一度、生を諦めてしまえばもう足が動かないと思っていたから。だから、走ることだけを考えた。
生き延びるのではない。この子を生かすことだけを考えた。そうすれば、足が千切れても動ける気がしたから。
呼吸のタイミングはもう分からない。今、進んでいるのか、生きているのか、逃げれているのか、これが現実なのか。全てが分からない。
だけど、ただ一つ。あとほんの少しで開けた道に出れる。
そうすれば助かる。誰かが助けてくれる。
誰かの助け。それだけを希望に彼女は走り続けた。命が尽きる、その寸前まで。
背後のうめき声を振り切って、道を出た。
一瞬太陽の明かりに目を細めるが、即座に周囲を見渡した。
遺体、魔物、遺体、遺体、遺体、遺体、魔物、魔物、遺体、遺体、遺体、遺体、遺体、遺体。
考えないようにしていた事実。なぜ音もしない大通りで生存者がいると勘違いしていたのか。いや、勘違いではないのだろう。本当は気付いていたのだ、それを見て見ぬ振りしようと思っていて———————
彼女は、心の中の何かが音を立てて崩れ落ちていくのを感じた。
瞳はうつろ、両手に大事に抱えていた息子も、滑り落ちようとしている。
これは誰も彼女を責めることはできないだろう。
彼女は24歳カトリーヌ・グラッセ。大きな瞳と膨らんだ唇が特徴のスレンダーな女性だった。
小さいときに不慮の事故で父を亡くし、残ったのは病で動けず会話もできない母。看病の毎日を過ごし、友人すらまともにできなかった彼女は座学など受ける余裕などなく、知り合いの手伝いで日銭を稼ぎ、時に身を売って生計を立てていた。
そのまま母と二人暮らししていたが、ある日、いい儲け話があると教えられ、言われるがまま付いていき、奴隷市場へ流された。
3年ほど玩具のように扱われ、命からがら逃げだして母のところへ帰るが案の定亡くなっていた。
村の人も毛嫌いして誰も近づかなかったようで、腐乱臭がしたまま放置されていた。多分誰も世話を代わってくれなかったのだと思う。
だが、別に私はそんなに悲しくなかった。「ああ、死んだのか」と思った私は母を埋めると、変わらず体を売る生活に戻り、纏まった金銭を手にカトリーヌは彼女を知らない土地に移動した。
いつも自分勝手だと言われていた彼女は、人間関係の構築もよくわからず、唯一過去を聞いて面倒を見てくれると申し出てくれた八百屋のおじさんのところで働いていた。
22歳で、八百屋で働いているところに訪れた冒険者の彼に一目ぼれして、交際を経て結婚。ようやく幸せな人生が始まるところだった。
ところだったのだ。
背後から無数の腐りかけた魔物の鳴き声が聞こえる。地から飛び上がり、襲い掛かる音。
その瞬間、激しい斬撃音とともに地面に崩れ落ちる音が幾つも聞こえた。
力なく、後ろを振り返るとそこにいたのは、逞しく勇ましい、冒険者の後ろ姿。
カトリーヌはその光景に瞳に生気が戻っていった。
「大丈夫ですか、カトリーヌさん! 僕です、ウッチーです!」
彼は嬉しそうに声をあげ、名乗る。
初め、疲労と顔半分を覆う鎧のせいで誰だか分からなかったが、その声一つでピンときた。
彼は夫の部下で、一番手のかかる鈍くさい子だった。よく家へ招いていたがいつも、前線には立たず、まともに剣すら触れないと聞いていたのに、まさか、
「ウッチ―、助けて、くれる……の?」
「覚えていただいてましたか! 恐縮です! 色々とお話ししたいこともございますが、今はとにかく避難地を目指しましょう! すぐ近くですので頑張ってください、かなら」
彼の言葉が不意に遮られる。
視界を遮るように舞い上がる鮮血。岩上から飛びかかってきた他の魔物の気配に気付けず、地面に転がると他の魔物が一斉に飛びかかられ、短い悲鳴のあとピクリとも動かなくなった。
カトリーヌは何もできなかった。夫の時同様、足が一歩も動かなかった。
——嗚呼、死ぬのならいっそ早く終わらせてほしい。もう、生きていたくない。こんな気持ちでいるのが辛い。死にたい、もういやもういや、早く、早く、早く早く早く、私を————
死んだ瞳をしているカトリーヌの背後から飛びかかってくる影。
彼女は、落ちたその影にある種の希望を持った。両手に抱えた小さな命なんかを気にする様子はなく、その死神に命を委ねた。
だが、その影はカトリーヌに襲い掛かることなく、飛び越えると前方の群れを一振りでなぎ倒す。
「どうだ?! まだ、息は…っ!」
魔物の背中に乗っていた青年が肉塊となった彼の元にしゃがみ込むが、手が止まった。
それはそうだろう、あれは誰が見ても人の形をしていない。
「……っ、あ、貴方はまだ、わかりますか!? 息、してますか?!」
青年はこちらに近づいてくると眼前で手を振ってくる。
青年の背後には黒く、大きな魔物。大きくて、逞しい。
――――嗚呼、そうか。この人は私の死神なんだ。私を殺しに来てくれたんだ。
「殺して? 早く、私の命を取りに来たんでしょう……? さぁ」
青年は両手を広げた私に困惑しているようだった。
どうして……? 全く抵抗なんてしないのに。わかりやすく服脱いであげた方が殺り易いのかしら。
この布邪魔ものね。
彼女は首をかしげながら、眉を顰めて下唇を噛む彼をのぞき込んだ。
その時、足元からうめき声が聞こえた。小さく、非力な声。
その声は、私がお腹を痛めて生んだ子。儚く、非力で、弱弱しい我が子のうめき声。
その声に私は、一瞬にして現実に引き戻された。
『死にたくない。』
ただ、それだけを思った。
蹲って情けなく、泣き散らす。自分勝手なのはわかっているが、死にたくない。と本気で願ってしまったのだ。そんなことは叶うわけがないとわかっているのに。
彼も仕事なのだ。私の命を刈るのが仕事なのだから。だから、それを邪魔することはできない。
だから、せめて、その対象が私だけであることを祈ることしかできない。
「―――自分勝手なのは重々承知です。ですが、この子だけは見逃してもらえないでしょうか。まだ、この世に生まれて6か月しかいないのです。まだ、パンの美味しさも、草木のいい匂いも、友人と遊ぶ楽しさも、母の愛情も————何も、何も知らないのです!! ですから、どうか、どうかこの子だけは……っ!」
顔を上げることが怖い。
だって、見上げた時に彼が笑っていたら、私、どうなるか分からない。壊れてしまうかもしれない。
その時、肩を優しく叩かれる感触がする。
おもわず、ビクッと跳ねるがその手は離れなかった。
ゆっくりと面を上げ、彼の表情を見上げると———――静かに微笑んでいた。
カトリーヌは胸がはち切れる思いだった。
もう、何も叶わない、何も、何一つも……!
「誤解しているみたいですが、自分は何もしませんよ。というか、何もしてあげられないです。他のところも見に行かなければならないので。その代わり、この道をまっすぐ進んだところに避難地がありました。道中にいるモンスターは倒したので、多分大丈夫かと思いますが十分気を付けてください」
そういって、彼は背後の裏路地を指さすと、今も尚魔物を倒している、黒い魔物を呼んで背中に飛び乗った。
それから、魔物と何かを話すと、旅立つ前に何かを思い出したように、「それと」と告げたして、
「さっき言ってたの、最後の奴はその子にもちゃんと伝わってると思いますよ」
そう言い残して、走り去っていった。
何が何だかわからず、呆けたまま座り込んでいると泣いている我が子に気付いて慌ててあやす。
すると、無邪気に笑い、壊れてしまいそうな小さな、小さな手で人差し指を大事に掴んでくる。
カトリーヌは不意に涙がこぼれ落ちた。
—————私は立派にできていたのだろうか。こんな自分勝手で分からずやの私が。
母の愛を知らない私が、この子を抱きしめていいのだろうか。愛せていたのだろうか。
―――こんな私でも、母親でいていいのだろうか。
「たぁぁ~い」
突然の返事に思わず動揺を隠せないカトリーヌ。
……いや、返事というのはこちらの勝手な思い込みか。
聴いたことがある。子供の返事は、親の勝手な思い込みだと。
条件反射だったり、無意識に発しているものなので返事かどうかを理解して答えている子供など、居ない、と。
だけど、それでもいい。勝手な思い込みだろうと、我が子への愛が此方の都合だとしても。
―――――私は自分勝手なのだから。




