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異世界で村人A  作者: キリン衛門
地下世界編
33/51

第32話 ≪レオ≫

 正直、すっかり忘れていたかというと嘘になる。


 だが、心のどこかでいないであろうと勝手に結論付けていたのだ。

 この現実を直視したくなかったから。この可能性を考えたくなかったから―――



「―――逃ッ」


 恐怖心にあらがおうと、己の弱い心を押し殺して、ベスティア夫婦とチビと己が生き残るために精一杯の声を放つ。


 ――が、顔の横を駆ける風が右頬を強く引っ張り、その言葉はさえぎられてしまった。


 前方には、一つの頭が口を開けていて、周りに冷えた空気が立ち込める。


 健吾は何が起こったのか理解する前に嫌な音が右側から聞こえ、視線を下に落とす。直視した光景は健吾の脳は容易く現実を受け入れられない。

 先ほどまで抱えていたベスティア夫婦のうち片方がいなかったのだ。


 代わりに広がるのは赤い水たまり。

 ところどころに彼ら特有の毛が散っており、数秒遅れてベスティアの変わり果てた姿であったことを知る。



「あ……ああぁぁあああっぁあ……」


 声にならない声がのどから漏れる。地面を深く眺めて、隣でむせび泣くベスティアの夫の方が崩れ落ちる。一生懸命、形のない妻だったものに抱き着き、生き返らせようと必死に頑張っていた。

 だが、あれは誰が見てももう間に合うものじゃない。標本を生き返らせようとしているぐらい無理な話だった。


 背後では、高い雄たけびと残った風切り音が聞こえ、そのどちらもがあざけわらっているように聞こえた。



 大きな破壊音ともに地面が揺れる。

 音、風、空気。全てが奴が着地したことを物語っていた。


 健吾は振り向く度胸がなかった。

 ただただ、手足が笑い、背筋を稲妻のように悪寒が駆け抜けていく。瞳からは抗えない涙が流れ、立つことも、避けることも、もはや生きようとする思いさえも―――困難であった。



 そんな空気の中、一匹のか弱き雄たけびが聞こえる。

 彼は強く泣いていた。だが、同様に立ち向かう度胸は出ず、ただ立ち尽くす。


 ひとたび奴が吠えた途端。俺らは二人してひっくり返った。

 咆哮の風に負けたという言い訳だけが、自分たちの救い。出なければ、動く動作すら許してもらえなかったのだから。



 奴が、こちらへ、一歩、また一歩踏み出す。

 そのたびに地面が揺れ、小石が降り注ぐ。キメラにとっては小雨程度だろうが、こちらはその小石に当たるたび、小さく悲鳴を上げた。


 タイムリミットは近い。

 動くこともできぬまま、蹲り身を守る。そんなとき、腕の隙間からふと一つの大岩が砕けて自由落下を始めたのを見る。

 そして、それは体格のでかいキメラの頭一つに近しいサイズであり、落ちていく先は大きな的をめがけていた。


 まるで除夜の鐘のような音があたりに響く。

 瞬間、左の頭が勢いよく下に項垂れてバランスを崩す。三つの頭でバランスをとっていたキメラはどうやら直立が難しくなったようで、重心が右へ流れて勢いよく倒れ込んだ。



 好機。そうと思ったとたん、面白いくらい両足に血液がほとばしり動き出す。


 四足歩行のまま、ベスティアを拾ってチビを回収すると、できるだけ離れた壁沿いに向かう。

 単純に距離を取っておきたいからだ。


「ちゃ、チャンスだ。この隙にチビに飛んでもらって、ず、頭上の穴へ飛ぼう。そしたら道案内は俺がするからそこまで飛んで地上へ――」


 と、声をかけたところで思い出す。

 チビに脱出の意がないことを。


 だが、ここでチビ以外の脱出の手立てはない。

 健吾は、木板を掴んで力強く問いかけた。


「俺が、非力で頼りないのは分かる。だが、いま頼りにできるのはお前だけなんだ。お前しかいないんだ。だからどうか……っ! どうかでてくれチビ……!」


 掴んだ手は、力強かったが震えていた。

 沢山の別れをした。むごい死体を見た。アレが次は自分かもしれない恐怖。先導しなきゃいけない責任。

 だが、何よりも生きたいと思う、その強い意志だけが彼を奮い立たせていた。



 そんな思いに答えてか、木板から一本の腕が伸びる。

 呼応してくれたか、と安堵する健吾。


 だが、その手の使う先は健吾を押しのけるように振り払われた一手のみ。


 そのあと、またただの木の板になってしまった。


 健吾は今までの弱弱しい気迫とは一変。頭に血が上り叱責をしてた。


「く……そっ! バカか! まるで子供みたいに駄々こねやがって、いつまでそうやってうずくまってんだっ! 意気地なしが!」


 健吾は精一杯の悪態をつく。が、自由時間はもうないみたいだった。

 右の頭が目を覚まし、体を起こし始めたのだ。


 何度考えたかわからない万事休す。

 健吾は、諦めずチビに檄を飛ばす。だが、結果は同じだった。あたりが暗くなり、背後に何者かの気配を感じる。気づけば、キメラはすでに起き上がっており、三つの頭が鼻先数十センチというところまで来ていた。


 この時、健吾は半分自棄になっていた。

 死にたくない。諦めたくない。その思考だけがグルグルと回る健吾は、奇声を上げながら手持ちのものを粗方投げ始めていた。


 投げナイフから、フール、近くにある小石。

 とにかくありとあらゆるものを掠れた雄たけびを上げながら投げ続ける。だが、どれも、軽い音を上げてキメラの顔からはじかれていく。


 背後は壁。逃げ道はない。

 健吾は、目を逸らしてとにかく手でつかめるものを投げつけた。腰の入っていない投擲など対した威力はないが無我夢中で投げつける。


 ―――と、その時。絶叫が聞こえた。


 健吾は、思わず手を止めて、ゆっくりと目を開ける。先ほどまで辺り一帯が暗かったはずだが気が付けば、そうではなくなり辺りが少し明るくなる。


 そのままゆっくり、顔を上げてみるとそこにいたのは顔を振り回して苦しんでいるキメラの姿。

 何が起こっているのか一切分からないが、中心の顔から黒煙が立ち込めていた。


 見たまんまで考えると、爆発、だろうか。

 つまり、投げたものの中に爆発物があったということだろうか。いや、とにかく今はそんなことはどうでもいい。とにかくチビどうにか奮い立たせなくては。


 このままでは死んでしまう。チビだけが希望だ。チビだけが可能性だ。

 彼をその気にさせて立ち上がら、せ―――


 ―――その時、ある言葉が頭の中を駆けた。


 そうだ、この時にあんなアドバイスをもらった気がする。


 だが、ココで試すのは危険すぎるか―――? いや、ココはあの人を信じるしかない。結局何もしなくても、このままでは死ぬのだから。


 ったく、死んでもお世話になるとは頭が上がらないね。


 健吾は、ふと笑みがこぼれた。それは、恐怖からか、希望ゆえか。それは本人にもわからず、神さえも知らない。だが、案外人間の心はもろく、壊れやすいものだがセロハンでくっつけてなんとなるぐらい意外とタフなのかもしれない。



「――チビ……すまん。こんな状況で、俺が冷静じゃなかった。言い訳してもしょうがないかもしれないな。だから、一つお願いってことで言ってもいいか」


 なんだか、胸がすっとした気分だ。

 先程までの恐怖心が消えた――と言ったら、嘘だと思う。まだ膝が笑っているし。


 ここで、あの人の言葉を思い出すとは。チビが尊敬する気持ちも何となくわかった気がする。

 ちょっとむかつく人だったけど。


 健吾はそういって、木板を掴み正面から向き合って、叫ぶ。


「お前がその感情をしがらみとおもうなら、俺が新しいことを教えてやる。それで、あとにつまらないと感じたら俺を捨ててどこへでも行け。ただし、後悔はさせないことは誓ってやる」


 健吾はそういって、立ち上がると木板を片手にまっすぐキメラを見つめる。


「お前が付いてくるなら、俺が新しい主人になってやる、新しい名前を付けてやる。だから、これが気に入ったらそこから出てこい」


 キメラは憤怒の表情で起き上がる。力んだ爪が地面に食い込み、目で見てわかるほど顔が赤くなった気がする。

 だが、健吾は折れずに立つ。

 意外と死の瀬戸際に立たされてもやろうと思えば案外いけるもんだと感じたものだ。



「今日からお前の名は―――レオだ」





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